2025年04月26日

終日無為

毎度得意の終日無為、居室の窓から向いの山の鬱蒼と茂る木々をジ~ッと飽きずに眺めている。時折吹く風にユラユラ揺れて、午後の日差しにキラキラ輝いている。この何の変哲も無い一時が、私は一番好きだ。嘗て、矢鱈側に人が居ないといたたまれないっつう変な人が居たが、全く理解できない。人間くらい煩わしい者は無いでは無いか!ユラユラ揺れる木立の茂みを飽きずに眺め続けている。孤独大好き人間なのだ。机の前に以前飼っていた愛犬ハチの写真がある。いつまで眺めていても懐かしさが込み上げてくる。

posted by zuiryo at : 16:45 | コメント (0)

久し振りで、更新方法が・・・

解らなくなった。トホッ ! 頭がパ~ッ!になった。まっ、元々その気配はあったわけだが、愈々本格的にそうなった。トホッ、なんて暢気なことを言ってる場合じゃないっつうの。さりとて、この悲惨を助けてくれる人はこの世に誰も居ないのだ。目の前真っ暗!途方に暮れる。トホッホッ!の連発。此処で、しばし心を落ち着かせ、大きく一呼吸して、「・・お前のドタマはまだ大丈夫!」と三遍、心で唱え、一息ついて、再び奮起、しばし沈思黙考の後、気合い一発、やっと元へ戻って、安堵す。まっ、お互い年は取りたくないものだ。

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2025年04月22日

把針灸治

今日は休息日、朝から机に腰掛けて、窓越しの鬱蒼と茂る山をひたすらボ~ッと眺めている。これが私の唯一の癒やしである。何もしないことに全力を挙げるのである。こう言う時が私は大好きだ。同業の知り合いで、嘗て休息日になると、待ってましたとばかり、隠侍に運転させて、夜遅くまで何処へ行くのか知らないが、すっ飛んで出掛けていた人が居た。今尚その理由が分からぬ。まっ、人それぞれっつうことなのだろうが。人に会うぐらい煩わしいことは無いではないか。

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2025年04月17日

欠伸のしすぎで・・・

顎が草臥れて、蝶番がガタガタになった。少々オ~バ~な言い方だが、まっ、要するにそんな感じ。机の前の窓越しに、向いの山の鬱蒼と茂る木立を飽きずに眺めている。時折微かに揺れている。怠惰の二文字が目の前に躍っている。トホッ!嘗て仕えた師匠はお二人とも、側に人が居ないといたたまれないと言う風だった。これが何とも不思議で理解できなかった。孤独くらい快適なことは無いではないか。今の私はその孤独をギシギシ噛み締めて楽しんでいる。だから日々爽快な気分で過ごしている。人ぐらい煩わしい者は無い。人間嫌い、自然大好き。まっ、これで僧堂は上手く廻っているのだから、幸せなものだ。

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2025年04月16日

無為

このところ終日無為とかノ~ビリとか、怠惰な日々を送っているかのような誤解を招く文章ばかりで、一寸まずい!と反省している。まっ、確かに、日々仕事に忙殺されているわけでは無いが、決して怠惰な日々では無い。強いて言えば、何もしないことに全力を挙げて居るっつうわけだ。物も言い様だね~!と言われそうだが、そもそも禅道場とはそういう所なのだ。まっ、人によると日々何処かへ出掛けていったり、来客あまた、なんと言う人もいるようだが、そんなのは僧堂本来の姿では無い。ガタガタ余分なこと言ってるように聞こえるかも知れないが、何も無いのが僧堂なのだ。と言うわけで、目下僧堂本来の日々を一生懸命頑張っている。トホッ!

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