2025年06月09日

トホッホッ!

近頃はトホッホッな日々が続いている。それってどういうこと?つまり早い話がノンベンダラリン人生という事。向いの山の鬱蒼と茂る木々をジ~ット何時までも眺めている。他にすることがね~のかよ~!ないのだ。有由有縁(そうなるにはそうなる理由がある)。もう遙か昔のこと、60年以上前、凡そ仏縁のなかった私が突如として出家した。両親も兄弟も皆勉強しすぎて頭が可笑しくなったと言った。確かによく勉強した。しかしそれで気が狂ったわけではない。私なりに熟慮の結果そうしたのである。その内、嫌になって、止めた!と言うだろと思ったそうだ。しかしそうならなかった。爾来65年、今尚お坊さんを続けている。私をこの道に駆り立てるものが屹度何処かにあったのだろと思っている。

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2025年06月08日

終日ノ~ビリ!

最近はこればっかり!まっ、老化と言う事もある83歳。他人様に迷惑掛けずに自分のことは自分で、部屋の掃除から洗濯までこなしている。まっ、他にすることが無いので・・・。「有由有縁」(うゆうえん)生きている限り人は何が起こるか分からない。時・所・人・縁と、この世での巡り会いが人生の少なからぬ部分を占める。偶然のようであるが、起こってみれば必然のことである。」そうなるのはそうなる理由があったのだ。川端康成氏が良く好んで揮毫した言葉だそうだ。本当にそうだな~っ!

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2025年06月06日

ふっと父のことを想い出す

今日は何だか知らないが、フッと父のこと想い出した。戦後間のない頃で、万事物不足、特に甘い物が殆どなく、子供にとってこんな辛いことはなかった。そんなとき、農家から借りた畑でサトウキビを植えて、待ちに待った収穫、茎だけにした棒のような物を、上下鉄の丸い間に突っ込み、取っ手を回すと、シタシタと甘い汁が出てくる。これをクツクツ煮出すと、砂糖のような物になる。漸く出来上がった砂糖状の物を指に絡ませて口に入れるとめくめくような甘さ、この世でこんなうまい物があるのか!と思った。子供4人を、傍らで父が嬉しそうに見ていた。フッと遙か昔のことが甦ってきた。段々胸が詰まってきて、涙がこぼれてきた。「とうちゃ~ん!」心の内で叫んだ。

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特別何も無い

連日、暇と言えば暇なのだが、意味のある暇と私は思っている。「何もしないことに全力を挙げている」のである。物も言い様だねえ~!と言われそうだが、ただボ~ッと時に流されているのではない、懸命に流されているのである。「有由有縁」という言葉がある。そうなるにはそうなる理由があるのだ。現在は過去の結果なのである。以前、常に側に人が居ないと居たたまれないという、変な人が居た。相手をさせらるこっちは堪ったものではない。何の変哲もない一時でも、交わされる言葉に何といえぬ深みが感じられるような相手なら、それはそれで意味があるのだが、脳味噌がすり減るように感じられる相手では堪ったものではない。しかし相手が上の人だったから、ひたすら我慢で耐え忍んだ。あれも「公害」であった。もうとっくに死んだ人だからこの際ひとこと言わせて貰った。

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2025年06月01日

はや6月

何と、今年も残すところ半分になった。時は矢のように過ぎてゆく。「無為」。しかし私はこの無為が大好きなのだ。「何もしないことに全力を挙げている」のである。ジ~ット、フル回転している。矛楯しているように思えるが、決してそうではない。窓越しに向いの山の鬱蒼とした木立が微かに揺れている。飽きずに眺めている。不思議に心癒やされる。側らで猫のタアちゃんが丸くなってスヤスヤ寝入っている。私はこう言う一時が好きだ。

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