2025年09月14日
特別何も無いのだが・・・
それなら止めときゃ~!と言うことになるわけだが、あまり長い間、穴を空けると、一寸それって、不味いんじゃ~ないのと、天の声?何かに背中を押されるような気がして、何時ものくだらないことを書くのだから始末が悪い。、間もなく満83才の老いぼれ爺。日々ボ~ッと過ごすときが多くなった。まっ、年相応って事なのだが、自分ではまだ若いと思っているので、老いぼれ爺を素直に認めたくないのである。居室の窓越しに向いの山の鬱蒼と茂る緑を飽きずに眺めている。こう言う時が一番好きだ。「無為」これが私のトレ~ドマ~ク。無為くらい有為はないと思っているのだから始末が悪い。トホッ!
posted by zuiryo at : 12:33 | コメント (0)
2025年09月07日
ブログも久し振りで・・・
どう言う段取だったか分からなくなった。トホッ!これも老化のひとつだと思う。まっ、どうせどうでも良いようなことの羅列だから・・・。とは言え、記憶を奮い立たせて、挑戦。暑い夏も過ぎてやや凌ぎやすくなってきた。居室の窓越しに見えるの山の緑もやや落ち着いて、初秋の気配。今日はソヨとも揺らがず、時が止まったよう。お寺は比較的街中に有るのだが、左右に塔頭が六ヶ寺、その一番奥に、山を背負って建っているので、深山幽谷(これは少々オ~バ~だが)の気配漂う雰囲気なのである。檀家もなく信者もなく、何も無い、実に静かな毎日である。それで日々何の不都合もなく、寺が廻って行くのだから、こんな有り難いことはない。鎌倉から此処へやって来て、もう43年になる。近頃は老齢化で、しばしば回りに迷惑掛けながらなのだが、大過なく日々過ごしている。有り難いことだ。出家して爾来65年が過ぎた。その間、色々あったが、何とか大過なく今に到った。仏様に護られてやって来られたのだと感謝の気持ちで一杯である。
posted by zuiryo at : 14:16 | コメント (0)
2025年08月19日
連日酷暑
暑いったらありゃ~しない!もうヘロヘロ。故に終日“無為"せめてそういう事を記録に残しておこうと言う精神。暑いのは岐阜ばかりではないのだろうが・・・、言うまいと思えど今日の暑さかな。トホッホッ!お寺は周囲を鬱蒼とした山に囲まれ、陽に照らされた木立がユラユラ揺れている。街中に比べれば余程暑さもましだと思うが、矢張暑い!まっ、この暑さ、毎年のことだから、そうガタガタ言うこともないのだが、言うまいと思えど今日の暑さかな。トホッホッ!なんて言ってる場合じゃないっつ~の。
posted by zuiryo at : 16:35 | コメント (0)
2025年08月15日
特別書くこともないのだが・・・
それじゃ~止めとけ!となるわけだが、しぶとく食い下がって、何か書こうとする。これって何なんだろう?別に誰かに頼まれてるわけでもないのにだ!病気?暇ってえこと!多分両方だと思う。思えば私は遙か御幼少の頃から、何時も何か書いていた。何時も兄からそんな事は止めとけ!と叱られていた。しかし書き続けた。今年83才になるが、今尚その悪癖は直らず、書き続けている。まっ、これで傍が酷く迷惑と言う事もないので、これは私の病気だと思っている。トホッ!
posted by zuiryo at : 11:03 | コメント (0)
2025年08月13日
連日酷暑でヘロヘロ
岐阜の暑さには大分慣れてきたはずなのだが、今年も早やヘロヘロ、日々ボ~ッと過ごしている。それでも何とか日々廻っているのだから、幸せである。一方、年々老化が進んで、一般社会ではもうとっくにお払い 箱なのだが、僧堂という特殊環境に救われて、周囲に支えられながらやっている。有り難いことだと日々感謝している。今朝も午前2時に自然に目が覚めて、少々早いのだが机に向かっている。シ~ンと静まりかえったこの時間が大好きだ。窓越しに漆黒の闇を眺めている。私もここへやって来て早や43年になる。お陰様でその間病気ひとつせず雲水と一緒に修行させて貰えて、こんな有り難い事はない。何時も神仏に感謝感謝である。