« 2016年11月 | メイン | 2017年01月 »

2016年12月31日

鉄のカーテン

チャーチルは第二次世界大戦後、ソ連傘下に組み入れられた東欧の社会主義諸国が西欧の資本主義諸国に対して極端な秘密主義を取った事は、一種の障壁だと皮肉るためにこの比喩を用いた。元の意味を探ってみると、何と正真正銘の「鉄のカーテン」があったのだ。18世紀ヨーロッパで、舞台から客席に火の手が広がるのを防ぐ目的で発明された。当時は蝋燭が照明に使われたためである。1780年末から90年初頭にかけてフランスのリヨン市の劇場で始めて設置されて以降、劇場建設に当たって設置するのが常識になった。これに平行して一連のヨーロッパ諸国の舞台用語に、続いて日常語に「鉄のカーテン」という言葉が入り込んでいった。言葉は一人前になると、比喩としても活躍し始める。「彼は心に鉄のカーテンを引いた」。次第に国や民族間の政治的、イデオロギー的断絶状態を表す言葉としてマスコミ用語の仲間入りしたのである。

投稿者 zuiryo : 08:23 | コメント (0)

2016年12月30日

美女

一口に美女と言っても、その基準はまちまちで、その良い例が吉永小百合である。我が国を代表する美女なのだが、ところがである。むかしNHKが松本清張の「暗い血の旋律」という作品を番組にした。明治時代オーストリア貴族に嫁いだ青山光子の生涯を辿った物語。その美貌はウイーンの社交界で賞賛され、「ミツコ」と言う香水まで売り出されたほどだ。この光子役を演じたのが吉永小百合。私は首をかしげた。果たして中部ヨーロッパの男がこの顔に引かれるだろうか?光子が嫁いだクーデンフォーフ家の領地は今のチエコ共和国である。嫌でも目につく吉永小百合の写真を見る度に不思議に思った。どうしても美女に見えない。周囲の人に言うと、エッ!おかしんじゃない!彼女こそ折り紙付きの美女なのに。訝しげに睨み付ける人も居れば、「まっ、確かにいわゆる美人ではないが、可愛いタイプというのかな」と言われてしまった。厳密な意味で美形かそうでないかは微妙な好みに左右されることは解っているが、戸惑ったというのはそんな次元では無く、「なんて醜い顔なんだろう」と感じていたのである。前歯が2本異常に大きく、鼠そっくりでは無いか。ところが面白いことに、帰国後五年ほど経つと、吉永小百合のことを、「なんてきれいな人なのだろう」と心の底から思ってため息をもらしたりするようになった。そんなわけで、私は自分の顔については絶望しない。いつの時代か、何処かの民族では、絶世の美女で通るかも知れないもの。五年ほどチェコで暮らしたこの文章を書いた人は言っている。個人的には全く同感で、私もしばしばロンドンへ出掛けるが、イギリス女性は何でこうもブスばっかりなんだ!と嘆息することがある。友人の彼は5年間日本に滞在し、その間に日本女性を好きに成り結婚して帰国した。帰国してから40年近くなるのだが、その後、彼の美女観の変化について聞いた事は無いが、今でも仲良く暮らしているところを見ると、結婚は何も顔とだけするわけではなく、日常様々な事柄の全てを通して成り立っているという事なのだろう。

投稿者 zuiryo : 10:40 | コメント (0)

2016年12月29日

昼行灯の面目

星はいついかなる時にも空から消えない。昼の星は夜の星より明るく美しいほどなのに、その姿を認めることは、太陽の光に遮られ、永遠にかなわない。現実に存在するのに多くの人の目には見えないものがある。逆に圧倒的な現実と思われるものが、単なるこけおどしだったりする。目に見える現実の裏に控える、紛れもないもう一つの現実。文学作品の究極の面白さは、思いも寄らなかった別の側面に気付かされ、常識で凝り固まった脳みそが揉みしだかれる快楽にある。現在の常識では捕らえられないが、厳然とある現実を発見すると、時流に逆らってでも伝えたくなる。オリガ・ベルゴリッツ「昼の星」の一節。普通の目には見えない、それゆえ恰も存在しないもの、私を通して、私の魂の奥底の、もっと澄みきった薄暗がりを背にして、あらん限りの輝きを放ちながら、万人の目に見えるものとなる。ものを書くときはこうありたい。昼行灯の面目を一新してやりたい。

投稿者 zuiryo : 10:46 | コメント (0)

2016年12月27日

ハエ叩き

家柄も良く知的好奇心も旺盛で、どこから見てもお嬢さま育ち、物腰あくまで上品な言葉使いながら、言いにくいことを容赦なくピシャリと言い当てる辛辣さゆえ、私は自分勝手に、その人のことを「蠅たたき」と渾名している。途中だが予めお断りしておいた方が良いと思うので言うが、以降何編かの徒然日記は、実は出典がある。余りに面白いので私一人楽しむのは勿体ないとご紹介させていただくものである。現代っ子は多分ハエ叩きその物を知らないだろうが、昔は到るところ家の中を蠅が飛び回っていた。「リボン」「シート」「ハエ叩き」はセットで、2,3日もすると、粘着リボン・シートには真っ黒になるほど蠅がくっつき、なおしぶとく生き残った蠅をハエ叩きで叩きつぶす。しかしいつの間にか日常生活から蠅が姿を消した。不衛生、うるさい、不潔の代名詞だったが、いざ居なくなってしまうと何だか寂しい。ところで蠅取り紙については、超一級の伝統的宴会芸がある。小道具は座布団2枚、ステテコ姿の者が2枚重ねの座布団をはえ取り紙に見立てて、ネバネバを懸命に開くところから演技が始まる。ここは芸の見せ所である。次ぎに演者は蠅になる。しばし宴会場を蠅になったつもりで飛び回り、フト蠅取り紙の甘い香りにフラフラ、警戒心と好奇心とのジレンマに身もだえしながらついに打ち勝てず、恐る恐る片足の先っぽで蠅取り紙に触れてみる。いや、やめた方が。ためらった末、エイヤッ!触れてしまった途端、足が離れない。ジタバタのたうちまわっりついに力尽き、バタッと息絶えるというところで迫真の演技は終わる。ところで彼女に付けた「ハエ叩き」というあだ名、実にドンピシャリだと我ながら納得しているのだが、それを言うならあなたの方は、大陸間弾道ミサイルじゃない。相手は二度と立ち直れないばかりか、壊滅だ!トホホホッ。

投稿者 zuiryo : 14:10 | コメント (0)

2016年12月25日

四国遍路

門前の信者さんの息子が、私が勧めた四国歩き遍路をついに成し遂げ、その無事円成を報告に来た。約40日間、半分はテントを張って野宿、後の半分は宿に泊まったそうだ。テントを張ると言ってもやたらの處では叱られるので、場所の選定はかなり難しいらしい。この息子は今までいろいろと親を心配させた子で、私も案じていた。あるとき、嘗て私自身もやった四国歩き遍路を薦めたところ、本当に実行したのである。今日はその報告にやって来たのである。満面の笑みを見て、瞬間これは大成功だったと感じた。道中の話をいろいろ聞いていくと、全くその通りであった。多くの人たちの優しさに感謝感謝!顔つきまですっかり変わっていた。その感謝の気持ちをこれからの日々に生かして行けるかが問われるのだから、更に気を緩めずに頑張るよう伝えた。経験者同士だから、話が実に良くあう。実に爽やかな2時間の相見だった。

投稿者 zuiryo : 14:28 | コメント (0)

2016年12月24日

お寺の改築

20数年前、私は全ての伽藍を新築した。その大変さは胸の髄まで浸透して、今でも残っている。勿論その為に多くの信者さん方のご支援を頂いた。このご恩は今でも忘れない。さて近くのお寺で全ての伽藍を新築、来年落慶と新命の晋山式を目下大車輪で進めている。そのお寺を拝見に出掛けてきた。住宅街を抜けて少し坂道を登ると、裏山を背負い、本堂庫裏が目下工事中で、威容が聳え立っていた。住職は殆ど無檀に近い寺から徐々に檀信徒をふやし、漸く伽藍再建にこぎつけたのである。その地道な努力には頭がながる。いま寺離れが言われているが、それは世間の人が寺から離れているのではなく、期待に答える和尚が居ないためである。徒手空拳でも不可能を可能にしている和尚が此処に居るではないか。

投稿者 zuiryo : 17:12 | コメント (0)

2016年12月23日

冬夜(とうや)

臘八大接心も無事終わって、その日の夕方から冬夜がある。まず全員集合の茶礼(されい)があって、その後車座になって、所謂宴会が始まる。普段は食べられないようなお寿司やおでんやケーキやお菓子や蜜柑や林檎、さらにビール、お酒、ワイン等々、関係の和尚さん方が持ってきてくれるので、それらをお喋りしながら飲み食べる。ご馳走もさることながら、普段は僧堂独特の「単」でしばられ、上下差別の激しい道場での生活から一変して、和気藹々、この雰囲気がまた良いのである。私が雲水の頃は、人数も多く、時には乱に及ぶことも有ったが、これは上下の差別を取り去るというのを曲解した悪い例で、今では人少になり、そんな心配は無くなった。まっ、これも血の気の多い猛者がゴロゴロ居た頃の話である。飲みたい者は翌日朝まで飲んでいても良い。実際私の頃はそう言う奴もいた。今はそんなのは居らず、そこそこの時間には片付けて休む。翌朝は寝忘れだからゆっくりと寝ていられる。これもまた雲水にとっては夢のような心地良さなのである。しかも一日中休んでいられるのだから、昨日までのあの苦しみは何だったのかと思うほどである。

投稿者 zuiryo : 08:58 | コメント (0)

2016年12月22日

臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)

恒例の臘八が今朝午前4時無事終わった。今年は後半やや生暖かくなってしまい、これでは臘八も台無しである。矢張り身を切るような木枯らしが吹き抜け、脳みその芯まで凍り付くようでなかったら、気分が乗ってこない。雲水の頃は臘八が1月15日からで、ちょうど大寒、特に山奥の道場だったから、その寒さは尋常では無かった。午後8時の茶粥を食べるのにも手がかじかんで、しばらく熱い茶粥の入ったお椀で手を温めないと箸が旨く握れなかった。当時のことを思うと、現在は気候自体も温暖化傾向で、しかも12月だから尚のこと温かい。別に寒くなかったら修行が出来ないわけではないので、そこは気持ちの持ちようだが、先輩面して、ついこう言うことを言いたがるのも、老齢化のなせる仕業である。今夜は灯夜、一晩中飲めや歌えの大騒ぎをやる。まあこの変化の激しいのも僧堂ならではである。

投稿者 zuiryo : 17:15 | コメント (0)

2016年12月16日

公案

長年公案に付きあってきて、実に良く出来ているな〜と思うことがある。無眼子のうちはどいつもこいつも一緒だが、やがて進んで本則を数えるようになると、雲水の腹の中が丸見えになる。人間は正直な者で、窮すれば窮するほど本性丸出しになってくる。日常のやり取りでは見えない腹の中がよ〜く見える。隠そうと思っても隠せないのだ。これは単に公案の工夫がどうのこうのと言うだけではなく、今まで生きてきた全てが丸出しになるのである。素っ裸になって私の前に坐っているのと同じである。この恐ろしさを知るようになるには、10年、いや更にもう10年積み重ねていかなければならない。公案も何百と数えていけば、通るの通らないのと、そんなことはどうでも良くなる。もっと修行で大切なものは何かが解ってくる。ではその最も大切なものとは、「襟を正す」である。

投稿者 zuiryo : 20:37 | コメント (0)

2016年12月15日

臘八大接心

今日から恒例の臘八大接心に入った。一般的には12月1日から8日未明までなのだが、どういう訳かうちでは15日からである。私はこの寺に来てからこれで35回目になる。雲水修行していた時を加算すると55回目、別に数多く経験したからと言って、それでどうなんだと言われたら返す言葉はないが、ともかく健康でこう言う良いご縁に恵まれたことに感謝である。今年も無事に接了が迎えられるように頑張ろう!

投稿者 zuiryo : 15:43 | コメント (0)

2016年12月11日

卑下慢

野心は野望と同義語なので、ややもすると身分不相応の大きな望み、つまり野望に重きを置いた解釈をされがちだが、必ずしも悪い意味ではないと思う。一回こっきりの人生を如何に生きるべきかは、人生最大の問題である。たとえ身分不相応と思われるような望みでも、心深く野心を持つことは大切なことだと思う。何故なら人間誰でも大きな可能性を秘めた存在なのだから。雲水時代、お前は卑下慢(卑下も自慢のうちに同じ、形は随分へりくだりて、内心人に傲る気象ある者)だと同僚から言われたことがある。当時はその真意が分からず、こいつ何言ってんだ!と思ったが、な〜るほど、あいつはそういう風に俺のことを見ていたのか、数十年を隔てて今改めて想い出した。まっ、そう言う者は自分が内心傲るものありと言うことである。見る人のものに成りにけるかな。

投稿者 zuiryo : 12:13 | コメント (0)

2016年12月09日

朋遠方より来たる

歳末の挨拶を兼ねて他の用事のため遠方より会下(えか・うちの道場で嘗て雲水修行をした者)がやって来た。近くで食事をしながら四方山話に花が咲き、楽しい一時を過ごした。そもそも私が数十年前出家をしたときに、彼の父親である和尚さんのご指導を頂き禅僧になることが出来た。思えば随分長いご縁である。その頃の方々はほぼ全員亡くなられ、寂しい限りだが、こうして今なお彼とは縁が繋がっているのは、本当に有りがたいことである。喋りだしたら止まらないくらい次々に話題が飛び出てきたが、遠距離の帰路を思って、まあこれくらいにしてと別れた。人生いろいろ、数え切れないほど沢山の事があったが、お互い元気で頑張っていられるのが何より嬉しい。

投稿者 zuiryo : 16:04 | コメント (0)

2016年12月06日

喪中のため・・・

毎年暮れになると、何通も「喪中のため新年のご挨拶は・・・」と言うハガキを頂く。私はそう多くの人に賀状を出しているわけでもないが、それでもこれだけ来る。人が死ぬのは当たり前のことながら、次は私の番かな〜などとふと思う。鎌倉の友人も、近頃特に足腰が弱って、毎日寺の境内を散歩して鍛えていますという手紙を頂いた。私自身も座っていて立ち上がるときのしんどいと言ったらない。足腰は膏薬だらけである。寂しいような話ばかりで、こんな事ではいけないが、唯一この仕事をしていて良いな〜と思うのは、若者を育て、その成長を目の当たりに見ることである。次の世代に期待して、望みを託すことが出来るのは本当に幸せなことである。

投稿者 zuiryo : 05:05 | コメント (0)

2016年12月04日

あった!手袋

昨日ひょいっと屈んで物を拾おうとした途端、ギクッ!ときた。腰痛になった。久しく腰痛から遠ざかっていたので、なんで今頃?と思ったが、早速コルセットを装着、さらに腰紐でギリギリ縛り上げた。まっ、一応これで事なきを得たが、生憎その晩は、知人のコンサートフォールでの音楽会があったので、出席の返事を出した手前、渋々出掛けた。まあ何とか酷いことには成らず無事帰ってきた。翌日の今日は、この腰の状態では山歩きは中止と言いたいところだが、昨日落とした手袋を何としても回収に行かなければならぬ。ストックを2本にして、這いずるように山を登り始めた。有った!登り始めて直ぐどなたかが拾ってくれたらしく、道ばたの小枝に畳んで掛けてあった。感謝感謝である。折角ここまで来たのだから無理してでも登り切ろうと決めてさらに歩き出すと、今度は岩の上に領収書が置いてある。なんと何時も利用しているセルフのガソリンスタンドの物である。金3508円也。どうして此処に?今日はやたら落とし物を拾う日である。11月30日付で、その日私はそこでガソリンは入れてないので、他人様の物。風で飛んでいかないように小石を載せてきた。

投稿者 zuiryo : 16:01 | コメント (0)

2016年12月03日

今度は手袋

だんだん小寒くなってきたので、山歩きには手袋をするようになった。特にストックを握る方は必ずである。ところが今日はやたら暑い!登り始めて直ぐに汗がしたたり落ちてきた。手袋なんかはめてられない。外してポケットにねじ込んだはずなのだが、帰り道フト気がついたら右の手袋がない。どの辺で落としたのかも皆目分からない。頭の老化をひしひしと感じ、目の前が真っ暗になった。

投稿者 zuiryo : 15:23 | コメント (0)

2016年12月02日

切に忌む拈却することを

人間は弱いもので、ちょっと褒められると有頂天になり、反対に悪口を言われるとポシャってしまう。人生いかなる場合でも、どちらにもとらわれない心を保つことが肝心である。何物にも捕らわれない心境になれば、天下太平、四海浪平らかとなる。つまりありのままに素直に物事を受け止めることが出来るようになれば良いというわけである。人生照る日曇る日、大きく見れば好悪は半々である。もし良いこと尽くめだったら気を付けた方が良い。必ずもの凄い悪いことがやってくること必定だからである。その為には常に襟を正して、良いことがあったときは普段以上に、いずれやって来る悪いことに備える。反対に悪いことが続いたら、いずれ良いことがやって来るから腐らない。この簡単な原理、解っちゃいるけど、そうならないというのが真実。ではどうすれば良いのかだが、どちらにも「執着」しないことである。晴れてよし曇りてもよし富士の山、元の姿は変わらざりけり。

投稿者 zuiryo : 11:37 | コメント (0)