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2008年06月28日

一日2万歩

健康の為に一日1万歩は歩きましょう、と言うのはよく聞く話だが、私の平均はその倍、およそ2万歩である。これだけ歩いても尚、人間ドッグの医師面談では、もう少し運動をして、油物を控えて下さい、と言われる。運動はやり過ぎで、このところ足腰ガタガタ、湿布薬を貼りまくっている。さらに私の食事は菜っ葉中心で、俺の先祖は鶏か!と思うほど。これでどうして油物を控えなさいと言うのだ!この間、郡上八幡という大変趣のある田舎町へ行ってきた。私の下で修行した者達が集まって懇親の会を催したのだ。一番風呂に入って手足を長々と伸ばし、ふと目の前を見たら、整形外科の骨格標本のような人が立っていた。人間ここまで痩せられるか!てなもんだ。体脂肪は屹度0だろうな〜、と思った。俺なんか、ろくなもの食って無くともこの有り様、ハイブリット人間だから、猛烈に効率良いんだろうな〜。昨日から、教区の安居会、夕食のうどんを支度している傍らで、ハチはじっと食い入るような目で見ていた。旨そうだな〜食べたいな〜、と言うハチの声が聞こえるようだった。粗食に耐えている儂を見習え!

投稿者 zuiryo : 21:09 | コメント (0)

2008年06月24日

般若会

21日無事夏末大接心が終わり、把針灸治でちょっと一服し、昨日は朝、般若会の坐禅があった。今年は皆に坐禅の後の話のネタが切れたときには、本堂・庫裡の雑巾掛けをして貰うと予告しておいた。まだ今のところ何とか迷惑掛けずに済んでいる。ではその折りの話しを少々。二人の若い雲水が行脚の途中、大きな川に差し掛かった。法衣をまくり上げ渡ろうとふと傍らを見と、若い娘が渡るに渡れず困った顔をしている。すると中の一人が私が負ぶって渡しましょうと、ひょいっとその娘を背負うとじゃぶじゃぶ川を渡り無事対岸へたどり着いた。これから先、旅の一路平安を祈って別れ、又何事もなかったように行脚を続けた。しばらく歩いて行くと一人の雲水が、「さっきお前は良い思いをしたな〜、あんなうら若い娘を負ぶって・・・・。」と言った。すると娘を背負った雲水が、「な〜んだお前はまだ娘を背負っているのか。」これは人間の執着心を象徴的に表した話しである。どんなことでも心に滞っていてはいけないのだ。流れる川の如く、さらさらと流して跡には何も残らない心境というのが大切なのである。

投稿者 zuiryo : 13:57 | コメント (0)

2008年06月14日

しばらくお休み

明日からは大接心に入りますので、ブログは1週間お休みさせて頂きます。しかしこのところ急に暑くなって、今日も岐阜は31度、真夏並みである。しかし意外と湿気が無く爽やかな風が吹き抜け、昼寝するには最高!今日は把針灸治、明日からの大接心に備え骨休め、洗濯、内仏掃除などでのんびり過ごす。ところで1週間前頃から右足かかとに妙な痛みが走る。かかとをひねると、ピリピリと電気が走るような痛みである。取り敢えず湿布を貼って様子見、整体治療院の先生は軟骨かな〜?と言っていた。何時も一緒に運動する74歳のS氏は腰関狭窄だそうで、何れ手術しなければならないが、目下はプール歩きでリハビリ中、それを思えば私の何ぞはたいしたこと無い。取り敢えず坐禅に支障はないので良しとする。大接心は何回やっても気持ちの良いものだ。気分がスカットする。

投稿者 zuiryo : 21:19 | コメント (0)

2008年06月12日

坐禅会

40年くらい前、私がまだ僧堂で修行していた頃、やたら企業の坐禅会が流行った。特に4月は集中して、連日その世話で明け暮れるという状態で、いささか不満であった。雲水は自分の修行の為に僧堂に来ているので、のべつ幕なし坐禅会の世話では堪ったものではない。ところがその後様変わりして、私が瑞龍寺に来た頃には全く無くなり、清々していた。しかし近年復活の兆しがあり、地元校区の小学生の坐禅会・看護士養成学校の生徒達・地元企業の新入社員など、ぽつぽつ頼まれるようになった。まだほんの僅かなので、これくらいは社会奉仕の一環で、喜んでさせて貰っている。以前は、猛烈社員の根性たたき込み的坐禅だったが、今のは、ぐっと地道な考えで、静かな雰囲気の中で自分を見つめ直す坐禅である。大変結構なことだ。特に地元校区の子供会から定期的に頼まれる坐禅会は、積極的に引き受けている。次代を担う子供たちに少しでもお役に立つことが出来るのは嬉しいことである。

投稿者 zuiryo : 20:35 | コメント (0)

2008年06月09日

野心

物事を大成するには、先ず野心がなければいけない。それも真理の追究とか高尚なものへの欲望である必要はない。大金持ちになりたいとか、日本一の肩書きを手に入れたいとかと言う、下世話なものでも良い。この男は将来屹度大成するに違いないと思っていた者が、何十年後かに、何の変哲もない人間に成り下がってしまった例を何人も見ている。今にして思えば、矢張り野心が欠けていたのではないかと思われる。野心と言うと少し邪悪なにおいがするかも知れないが、そんなことはない。「想い出すようじゃ惚れよがにすい、想い出さずに忘れずに」、寝ても覚めても片時も離さず、ねばり強く食らいついて行く執着心こそ、野心の源泉である。ちょっと考えて思いつくようなものはどうせ皆同じように考えている。寄ってたかって考えても尚突破できないものだけが残る。そこを乗り越えて行くにはねちっこさが何より肝心である。しかも何年かかろうと決して落ち込まない、楽天的でなければならない。こう云う相矛盾した多面性を兼ね備えた者だけが大志を遂げるのである。

投稿者 zuiryo : 21:17 | コメント (0)

2008年06月06日

美しい自然

以前、初秋のロンドンに滞在中、イギリス人の友人に、「紅葉狩り」に出掛けようじゃないか、と提案したところ、「紅葉を眺めてどうするんですか、そんなことの為にわざわざ出掛けるイギリス人は一人もおりません。」と言下に断られてしまった。外国の場合は日本のように植生が豊かでなく、黄色なら黄色一色の風景が延々と続く。それに比べて日本の山は、赤・橙・緑・黄色、あらゆる色が錦を成して、日光の当たり具合によって1本の木でも、様々な繊細な色合いを見せる。軒を連ねる屋根瓦の美しさ、雨上がりに婦人が日傘を差して歩くところなど、まるで絵のようだ。美しい自然に恵まれた日本だから、万葉集や源氏物語、奥の細道などの文学を生み出した。ところが経済成長最優先で、至るところ自然破壊、美しい田園を潰してきた。「天才は美しい環境が生む」という言葉があるそうだが、そうなると科学技術立国日本も衰える。美的感受性のない者に独創的アイディアは生まれない。

投稿者 zuiryo : 21:24 | コメント (0)

2008年06月03日

ドック狂

昨日今日と、恒例の人間ドック入り、大抵の人は年1回だが、私は半年ごとにやる。だから人は私のことをドック狂と呼ぶ。知人で絶対にドックなどやらないという人がいる。幾ら検診を受けても、人間死ぬときは死ぬ、と言う主義である。これにも一理ある。昨日から殆ど飯も食わず、今日の直腸内視鏡のために絶食である。こうなると、検査の為に命を縮めると言うこともあるのではないかとさえ思う。結果何でもありませんでしたと言われたときには伸びていた。強烈な下剤を再三再四使った為、帰ってきてもまだ水状の便がちょくちょく、度にトイレへ駆け込むという有り様。お陰で1,5キロ減量できたのがせめてもの慰め。こんな検査よ〜やるわ!と、反ドッグ派の人達に言われそう。兎も角今年も第1回目が無事終了してほっと一息ついた。しかし6月というのにこの涼しさは何たることか。一端片づけた冬物を引っ張り出して着込んだ。愛犬ハチは月1辺のクリーニングへ、ピッカピカになって帰ってきた。お腹をさすってやったらぐ〜ぐ〜いびきをかいてうとうとしていた。矢っ張り相当緊張してたんだな〜。

投稿者 zuiryo : 07:46 | コメント (0)