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2011年10月30日

母の写真

この間郷里の弟から突然母の写真を送ってきた。1枚は父との結婚式の記念写真、もう1枚は20代ころの若い頃のスナップであった。だいたい父と母はいつ結婚したのかさえ聞いていない。多分大正の終わり頃だと思うのだが、勿論白黒写真で、ともかく私の知らない頃の写真だから、何だか妙な気分である。めちゃくちゃ若い。きっと弟は偶然出てきた両親の写真に驚いて、兄はお坊さんだから内仏にでも飾って貰えば朝晩お経を上げてもらえるし、何よりの供養になると思ったのだろう。その通り仏壇に飾りお茶湯を供え毎日お経を上げている。経中じっとこの写真に向き合っていると、その頃父と母はどんな思いで日々暮らしていたのだろうかと想像し、わけもなく胸に迫るものがある。私には子供も孫もいないわけだが、死んだら誰が思い出してくれるのだろうか。まっ、所詮すべては無に帰するのだし、今でも何もないのだから、世俗の情などとるに足らぬこと。私自身はさばさばしてるつもりだが、両親の写真をこうして見せつけられると、無性に会いたいな〜と思う。昔ある老師さんが、両親を亡くしたとき、これから自分は孤児(みなしご)になったんだな〜と思いましたと、仰っておられたことがある。すべてを捨てきった禅僧がなんと女々しいことを云うものかと、当時若気の至りで思ったことだが、いやいやどうしてどうして、父と母のことは別ですね。自分が年老いてくるといっそう恋しく思うものです。

投稿者 zuiryo : 20:50 | コメント (0)

2011年10月26日

貸手責任

今朝新聞を読んでいたら大変興味深いことが書いてあったので、引用させていただく。イソップ物語に有名な「アリとキリギリス」の話がある。夏の間アリが懸命に働いているのに、キリギリスは遊びほうけていた。冬になって蓄えのないキリギリス。アリに食料を分けてくれと頼むが、断られ餓死してしまう。ギリシャの財政危機問題で、ギリシャをキリギリスに見立て、ドイツをアリになぞらえる見方が多い。確かにギリシャは分不相応の大盤振る舞いをしたというほかはなく、冬になってアリに泣きついているキリギリスに見える。しかしキリギリスにしては非常に意気盛んである。債務救済の代償として年金や福祉の大幅切り下げを求められたのに抗議して、街頭で火炎瓶を投げたりしている。このあたりの感覚がわかりにくい。日本人から見れば、自業自得であった、キリギリスは謹慎してしかるべきと思われる。池尾和人教授がネットに示唆的な寄稿をしている。これはギリシャ問題が起きる前に「貸手責任」について論じたもの。『銀行というものは返せそうな相手にだけ貸すべきで、返済できなくなかった場合は自分の審査能力の低さにこそ思いをいたすべきである。無茶な返済を求めるべきではない。それがつまり「貸手責任」ということだ。ドイツは自らをアリにたとえ、ギリシャをキリギリスだと云って、一方的に非難していられる立場にはない。ドイツの工業力が秀でていることは罪ではないにせよ、ギリシャなどの南欧諸国に金を貸し、その金でドイツ製品を大量に買わせた。ドイツは成熟した先進国になっているにもかかわらず、輸出主導型の経済発展路線から脱却できていない。その結果、維持不可能な経常収支の不均衡が生じ、ギリシャ危機に至った。つまりドイツには貸手責任があるのであって、責めの一端を負うのは当然だ。そう考えると、米国の国債を買いまくって、米国の赤字垂れ流しを支えてきた中国と日本も、反省すべきが多々あろう。であるから21世紀版イソップ物語は書き換えの必要がある。「アリさんは困ったキリギリスが越冬できるよう助けてやりました。情けは人のためならず。めでたし、めでたし、である。』 これって本当に痛いところをついた論である。経済の問題だけではなく、他の分野でも言えるのではないかと感じた。

投稿者 zuiryo : 16:45 | コメント (0)

2011年10月22日

島根の神楽

もう十数年前になるが、僧堂時代の後輩が若くして亡くなり、友人数人と共に法要に出かけた。前晩先方の計らいで1時間ほど山奥に入った鄙びた温泉に案内してくれた。鬱蒼とした山に囲まれわずかな集落が散在するところだった。型通り温泉に浸かり、久しぶりに顔を合わせた嘗ての同僚とご馳走に舌鼓を打ちお酒も頂いて口もなめらかになり、大いに昔話に花を咲かせた。食事もすんだ頃、今晩これから村の集会所で神楽がありますので是非ご覧下さいと、五百円のガリ版刷りの吹けば飛ぶような入場券を配った。彼は僧堂時代のずっと後輩で、今はゴルフ場の支配人をしながら寺を維持しているという話だった。両手に缶ビールとスルメをどっさり抱えて行きましょうと誘った。歩いて五分ほどの小さな小屋に三人掛け位の木の椅子が雑然と並べられていた。すでに小学生の子供が数人、笛や太鼓、シンバルを小型化したような楽器をチャカチャカ鳴らしていた。その様子を見ただけで、我々は舞台に背を向けて持参の缶ビールをぐびぐびとやり、歯の訓練みたいな堅いスルメをむしゃむしゃやってお喋りに興じた。そのうち舞台には数人の大人も加わって、八岐大蛇退治の演技が始まった。 失礼ながらガタピシの小屋といい、小学生参加の学芸会でも始まるのかと、心の中では半分馬鹿にして眺めていた。ところがしばらく単調なリズムと竹と紙を貼った八岐大蛇の大きなぬいぐるみを見ていたら、体の奥の方からえも言われぬ感覚が呼び覚まされた。我々全員、舞台に吸い込まれるような気持ちになった。もうビールどころの沙汰ではない。目を輝かして見とれた。約一時間ほどで神楽は終わり、帰り道、皆で本当に素晴らしいものを見せて貰ったと、案内してくれた友人に感謝した。聞けば島根では各集落ごとに神楽のグループがあって、毎年競演会が催され、どこの集落もこれを目指して、毎日練習に励んでいるのだそうだ。伝統芸能と一口に言うが、魂を揺さぶられたこの経験は、後ずっと私の心に残った。さて今朝偶然テレビを見ていたら、島根のこの神楽が取り上げられていた。フランスの高名な舞踊家でバージュさんという人が、我々同様に島根の神楽に感銘を受け、ついには島根に住み着いて、新しい舞踊の振り付けを創作中ということであった。神楽のこの不思議な魅力は、日本人にだけしか解らないだろうな〜と思っていたので、このニュースにはもう一度驚ろかされた。深いところで魂を揺さぶられるほどの感銘というものは国籍を超えているものなのだと解ったのである。

投稿者 zuiryo : 15:55 | コメント (0)

2011年10月20日

パソコントラブル

最近新しいノート型パソコンを購入した。いつもお世話になっている山内の和尚さんに頼んで旧パソコンから新パソコンへデーターをすべて移してもらい、触れるようになったのがやたら嬉しくてしょうがない。まっ、子供が玩具を買って貰っていじくり回して喜んでいるのと同じ。で、ことの次第を早速ブログに書かなくっちゃと思い、いじくり回しているうちに突如ログイン不能に陥ってしまった。焦ってなお無茶苦茶、訳のわからない者がやるからますます深みにはまって、完全にお手上げ状態となった。再び山内の和尚さんにきて貰い操作したのだが、彼もお手上げになった。以上で二人ばんざいで、最後の頼みはホームページでお世話になっているソフト会社の方に相談と相成った。さすがプロは違うもので、ついに難問は解決した。いや〜!嬉しいのなんのって、苦心惨憺した分だけ喜びは倍加し、これは一丁書かねばならぬということで、書いた次第。しかし超便利なものほど、一端トラブルとこんな始末の悪いものはない。さて午後京都の東福寺の方が二人お礼参りにやってきた。先日新しく管長が就任され、招かれ出かけたそのお礼である。わざわざお越しいただいては恐縮至極だが、新管長さんは建仁寺の素堂老師を介しての縁で、重責を担うご苦労を思うと単純におめでとうとは云いにくいが、ともかく健康に留意され益々のご活躍を祈るばかりである。すでに数年前に若い方に自坊は譲られ、ご自分は一人山中に籠もって、悠々自適の生活をされていたので、それから表舞台にでるのは本当に大変なことだとお察しする。やはり徳のある人というのはいくら引っ込んでいても、いやでも引っ張り出されるのだろう。ところで近日中にある会で話をしなければならない。もうこれが嫌で嫌で、お引き受けして以来ずっと頭にこびりついて、夜も安らかに眠ることが出来ないほどのプレッシャーとなっている。私は内弁慶でお寺の本堂で話をするのは、ホームグラウンドだから何ともない。ところが外へ出るとたちまち借りてきた猫となり、小心者がもろに出る。お坊さんは話が得意と思われるか知れないが、必ずしもそうではない。地獄の日々とはこのことである。

投稿者 zuiryo : 15:29 | コメント (0)

2011年10月11日

開山忌

五日・六日、恒例の開山忌が無事円成し、雲水も私もほっと一息付いた。九月始めの植え込みの剪定から始まって、境内清掃の毎日だった。丁度葉も落ちる時期と重なるので、一辺掃いてもせいぜい二,三日も保てばいい方で、忽ち元の木阿弥となる。正確に計算したわけではないが、多分10回は繰り返した。まだ前の箒目が立っている時でも、どこからともなく葉っぱが舞い降りて、また同じところを掃くことになる。考えてみるとバカみたいな話しだが、毎年繰り返されるこの掃除が開山さんへの最大の報恩底だと思っている。禅を理屈や道理で説明する人は山ほど居るが、この様に禅を実践する者は居ない。この間坐禅会の折り、碧巌録に臨済禅師と定上座の問答があった。仏法の神髄は何でありましょうかという問いに、臨済禅師はいきなり定上座の襟首を掴み、横っ面を張り倒し、突き飛ばした。余りのすさまじさに定上座はぼ〜と突っ立っていると、脇の僧に、「何故御礼の礼拝をしないのか!」と言われ、礼拝した途端に、ガラリッと悟ったという。このどこに一体仏法の神髄があるのか。これは理屈で解釈できないのだが、その解釈できないという理屈を言う奴は五万と居る。その点雲水修行は良い。ごちゃごちゃ余計なことを言わずに、只ひたすら掃き続けるのだから。これが一番悟渓国師の意に叶うのだ。開山忌当日も雲水は一部本堂の役目の者を除いて、大半は台所辺でバタバタと出斎の支度をし、お膳を運んで給仕をして終わる。開山さんのかの字もないのだが、1ケ月以上も繰り返し真っ黒になりながら掃き続けた日々こそ、本当の開山忌なのだと思うのである。

投稿者 zuiryo : 11:15 | コメント (0)

2011年10月10日

癌細胞のこと

雑然とメモや本で埋まっていた机の上を整頓していたら1枚のメモが出てきた。いつ頃のものか解らないが読んでいたら癌細胞のことが書いてあり、大変興味深い事柄なのでブログに書くことにした。癌細胞の世界を知ることは人間の生き方、社会のあり方に共通するところがある。今を生き抜く叡智の宝庫であり人間社会に驚くほど似ている。癌は只1個の小さな遺伝子の変異からスターとする。それが分裂を繰り返し約20年〜10年で10億個になり、約1センチの大きさになる。これで立派な臨床癌となるのである。しかし殆どの癌は細胞途中で死滅する。生き残ったのは相当な強者である。では何故生き残れたのか。一つは与えられた環境に応じて自由に表面の顔を変化させる。つまり融通性があるので、自らの形に固執しない。郷にいれば郷に従うのである。二つ目は飢餓に強い。正常細胞の10分に1で生きることが出来る。どういうメカニズムかというと、自ら作り出した物を外へ出し、先ず自分から与え、外にある欲しい栄養素を取り込む智慧である。癌は誰からうつされたわけではない。いわば身内のことである。自分の家から不良息子が出たようなものである。子供がグレて親の言うことを聞かなくなる。困り果てどう更正させようか悩む。何故あんな良い子だったのが不良になったのだろうか。ここで不良化のメカニズムを知ろうとする。「ああそうだったのか、あのときの私の対応が悪かった」。その結果息子だけを責め立てたり、その時の息子の言動に振り回されなくなる。つまり客観的視点を持つ。これが癌と共存するコツである。メモはここで終わっている。その先も知りたいところだが、これにて終わり。

投稿者 zuiryo : 14:02 | コメント (0)

2011年10月04日

木曽川紀行

私の絵の先生が木曽川の源流から河口までを描き上げ、その本の出版と完成を兼ねて祝賀会が催された。すでに長良川・揖斐川をまとめられ、今回で木曽三川は全て描き上げられたことになる。この間25年の歳月を要した。そもそも発端は、一番身近な長良川を時折描いて居られたところ、友人に源流から河口まで描いてみてはどうかと勧められたのが切っ掛けだそうだ。長良川が無事完成し披露の個展を催した時、嘗て教員として初任地の徳山小学校の教え子が見に来て、揖斐川の源流である徳山を何故描かないのですかと言われ、それではと次ぎに揖斐川を描き、こうなったら木曽三川を描かなければと言うことで、結局25年続ける事になったというわけである。長く教員生活をしておられた関係で、沢山の人の縁があり、そう言う多くの方々に支えられて75歳になった今も益々お元気に活躍しておられる。ところで、日本で絵だけで食っていける画家は一握りで、大半は教員やサラリーマン、役所勤めなどで家計を支え、そのかたわら、普通の人ならレジャーやスポーツなどで過ごす時間を画業に割いて頑張っている。だから余程好きじゃないと続けられない。特に組織に入らず個人的に活動しておられる人はまだ良いが、日展や院展などで活動しようとすると、組織の中での競争になるから、端から見ていても大変さが伝わってくるほどである。競争になれば誰でも負けたくはないから、年中頭の中から離れることはなく、因果な仕事に首を突っ込んだものだと同情したくなる。しかし常に厳しい人の評価に晒されることが向上に繋がるのだし、自己満足で終わらない良さがある。ではどちらを選ぶかだが、私なら後者を選ぶ。幾つになっても自分の頭を張り倒してくれる緊張感の中で過ごす人生の方が何倍も充実していると思うからである。精々生きて80年、苦しみの真っ只中で生きたい。嬉しさはその合間のほんの一時で良いのだ。

投稿者 zuiryo : 11:10 | コメント (0)