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2021年04月15日

入制大接心

恒例の大接心が始まった。私もこの寺に来て、38年も経った。その間幾たび大接心を繰りかえしたことか。まっ、慣れっこになったと言うと、少々語弊があるが、その時期、その時期で、雲水も変わり、私自身も年をとったりで、味わいは違う。しかし僧堂ではこの大接心をやっているときが一番充実していて気分が良い。特に私は講座が一番好きだ。講座台に乗って喋っていると、遙か昔、私が雲水だった頃を思い出し、当時の老師が目に浮かび、懐かしさでいっぱいになる。こう言うのも自分が講座台に上って、初めて解る心境である。いつも未熟だった自分を思い出す。誰でもその立場になってみなければ本当のところは解らないと言うが、その通りだ。私自身を振り返り、更に向上を目指して一歩一歩真っ向前進である。

投稿者 zuiryo : 13:49 | コメント (0)

2021年04月14日

遠方よりお礼参り来山

午前、山梨より先日の葬儀のお礼に三人の和尚さんがやって来た。出掛けたこちらも大変だったが、そのお礼参りに来た三人の和尚さん達も同様大変だ。遠路、運転を代わりばんこしながらやって来たことだろう。お互い遠方、ご苦労様だった。うちの場合は隠侍さんが一人で運転し続けたのだから、過酷なことだった。私が途中代わってやりたいところだが、数年前老化を心配して、思い切って免許返納したので、代わるわけにもいかず、しんどい思いをさせてしまった。もう少し交通の便利な処なら、電車も考えられるのだが、車以外には無いという地域だったので、仕方なくこういうことになった。ところで亡くなった和尚の寺は、後継者はおらず、奥さん一人っきりになってしまったので、車の運転が出来なければあの地域で生活することは出来ない。多分寺を離れ、郷里の横浜方面へ転住することになるのだろう。あそこに落ち着くまでいろいろ苦労してきたから、思い一入だろう。これから以降は多分訪れることも無くなるだろうが、様々なことがあった。本当に人生いろいろだな~!

投稿者 zuiryo : 13:58 | コメント (0)

2021年04月13日

楓の新緑

隠寮の庭は全面、楓に覆われている。背後に山を控え、その楓の新緑の美しさは格別だ。東西横に広がる庭だが、みずみずしい新緑は他に例えようがない。毎日その庭を眺めながら、一人楽しんでいる。いずれはこの緑もみずみずしさは失われ、普通の緑になってしまうのだが、相当の期間したたる緑を楽しめる。まさに「眼福」である。ところで山梨方面へ葬儀に出掛けたと言ったが、その疲れが未だに残っている。芯疲れである。丁度焼き芋で、まっこの辺で良いかな~ッと焚き火から引っ張り出してガブリとやると、芯がガリッとするようなもんだ。今日は朝からシトシト雨が降って、久しぶりに大地を潤し、山も庭も皆喜んでいる。

投稿者 zuiryo : 09:35 | コメント (0)

2021年04月12日

葬儀疲れ

9日~10日、山梨の山奥のお寺の葬儀に出掛け、その疲れが今頃になってドドッ!と出てきた。どうも年を経ると疲れも時間差があるようだ。午前中から調子がイマイチ。こう言うときには横になって休むのが良い。と言うことで、しばらく横になって休んだら少し元気が出てきた。亡くなった和尚は誠に義理堅く,毎年車で数時間も掛けて問候にやって来た。自分でこうして延々車で出掛けて初めてその大変さが解った。良くもこれを毎年繰返し、やって来たものだ。ところで帰ってきて、寝るときに肩を覆うものがなくなった。万事ぼ~っ!としているこの頃だから、泊めてもらった旅館にでも忘れてきたのだろうと諦めていたら、車の中から出てきましたと言うではないか。これだからね~ッ!やんなっちゃう!つらつら思うに、老齢化すると、ことごとくこの有様だから、もう人間としては賞味期限切れと言うことだ。さりとて生きている限りは、このお役目を果たさなければならぬ。辛いところだ。

投稿者 zuiryo : 09:23 | コメント (0)

2021年04月11日

クロ亡きあと

スッカリ居るのが当たり前だったクロ亡き後、どうも何かが抜け落ちているような気分で落ち着かない。では代わりの猫を・・・と思っても、簡単ではない。たかが猫の子一匹といえども、難しいものだ。勿論タマは相変わらず部屋に居るのだが、はっきり言って「可愛くない。万事どこかでクロと比べてしまうのだ。まっ慌てることはない。そのうち自然にどこからか可愛い猫がやって来る。

投稿者 zuiryo : 16:47 | コメント (0)

般若会再開

本来なら四月二週目、月曜日から般若会が催されるのだが、コロナの影響で、密はできるだけ避けた方が良いだろうと考え、躊躇していた。しかしそれなりの配慮をすれば開催出来るのでは無いかと考え直し、思い切って四月第4週から再開することにした。このコロナ、まだまだ延々と続くようで、これでは般若会そのものが、なくなってしまうおそれがある。強行再開には賛否あるだろうが、兎も角これが私の出した結論である。コロナなんかに負けて堪るか!である。僧堂修行も同様で、コロナだから止めておこうなんて事には成らない。尤も大人数の僧堂では大半の雲水を一時暫暇させて、収束を待つという方法をとったところもあるようだが,その点うちは常に密じゃないから心配は無い。人少も良いことがあるものだ。

投稿者 zuiryo : 10:42 | コメント (0)

2021年04月10日

会下(えか)の葬儀

山梨県の山奥のお寺へ葬儀に出掛けた。ここを訪れるのは十数年ぶりである。この寺の住職は嘗て鎌倉の僧堂、その後うちの僧堂で修行していた者で、また彼の父親に遙か昔、私が出家するときに相談に乗って頂いたこともあり、更に私の兄とこの者の兄と高校時代の友人でもあった。いろいろ因縁浅からぬ間柄である。以前より心臓に病気を持っており、そのために東京の名医にも定期的に診断して貰っていたのだが、突然の発作で、あっという間に死んでしまった。うちで修行している頃は、幾つも武勇伝が残っており、それでいて憎めない、独特の「人徳」を持っていた。なんとも不思議な男だった。あまりにも突然の死で呆気にとられた。かっての僧堂の同僚も何人か、遠路お焼香に来ていた。棺を覆って初めてその人の価値を知ると言うが、全くその通りで、良いところばかりが心に甦ってくる。本当に惜しい男を失った。

投稿者 zuiryo : 19:17 | コメント (0)

2021年04月08日

中庭の大木切り倒す

相当以前、中庭に日よけの木を植えた。これが大きくなって、機能的には申し分ないのだが、完成された庭に後から木を植え、それが年月を経るうち、ズンズン大きくなって、日除けには良くなったのだが、スギゴケがびっしり生えた庭にはなんとも違和感である。ついに決断、朝から掛かって夕方漸く切り倒しスッキリした。何事もそうだが、最初に作庭した人の意図を曲げて、後から勝手に木を植えると、庭が台無しになるというわけ。大汗かいた雲水には申し訳なかったが、お陰で本来の苔庭になり、目出度し目出度し!

投稿者 zuiryo : 15:34 | コメント (0)

2021年04月07日

クロ死す

午前9時、今日はクロをお医者さんへ連れて行きますので一緒に出掛けますかと言うので、丁度暇だし出かけた。この犬猫病院の奥さんは山内寺院の娘さんで、幼稚園の頃から仲良しの子だったので、久しぶりに顔でも見に行くか~っ、で、出かけた。治療は直ぐに済んで帰り、部屋に戻って間もなく、クロが死にましたと言うではないか、エエ~ッ!びっくり仰天、潤ソの部屋に行ってみると、既に息絶えていた。全く信じられないことだ。まっ、以前より相当弱っていたので、それなりに覚悟はしていたものの、あまりにも突然なことで、信じられなかった。近くの葬儀屋へ行き猫用の棺桶を買ってきて、中に納め、白菊で埋め尽くした。本堂でクロの為に二人でお経を上げた。部屋の前の庭の隅に墓穴を掘り、埋葬。まっ、お寺は葬儀に馴れているとは言え、この段取りの良さには我ながら驚いた。人生、一寸先は闇というが、本当にそうだな~!いやいやクロばかりではない、我が身も同じ事である。話は変わるが、私の弟子分の和尚がバタッと亡くなった。以前より心臓に欠陥を抱えていたので、それなりの覚悟はしていたが、あまりにも突然なことで、これまた驚かされた。愛猫クロと一緒にしては失礼に当たるが、どちらも身近なことで、人生こう言うこともあるのだな~っ。

投稿者 zuiryo : 14:35 | コメント (0)

2021年04月06日

開講

15日の入制に先立ち、開講・大般若祈祷会が行なわれた。ずっと以前は15日の入制に会わせてやっていたのだが、出頭寺院の和尚さん方への呈茶・出齋等々で、雲水は大忙し。既に早朝より入制大接心に入っているのだが、実際にはこれらの行事が全て終了してからになる。これでは本末転倒で、肝心要の雲水の修行が疎かになると考え、相当以前から入制行事と切り離す事に改めた。実際このように切り離してから、実にスムースに入制大接心に入れるようになった。今回はコロナウイルスの関係で外部の人たちはお招きしなかったので、内々だけで済ませ、少々盛り上がりは欠けたが、恒例行事は無事済んだ。外はどんより曇って、いかにも小寒い感じがする。桜の季節で春爛漫なのだが、まるで冬のようだ。

投稿者 zuiryo : 16:15 | コメント (0)

2021年04月04日

知人の死

毎朝の諸行事が終わってほっと一息ついた頃、電話があって、知人の死を知った。驚いた!彼は以前より心臓に欠陥があって、定期的に診察して貰っていることは知っていた。相当注意をしていたのだろうが、場所が場所だけに、防ぎようが無かったということだろう。私より少し若かったから、七十才半ばだと思う。年に1回、夏に挨拶にやって来る。その折り建長寺派内のことなどいろいろ聞き、話しに花を咲かせた。近年はこれが唯一の交流であった。山梨の山奥から延々何時間もかけ、わざわざ挨拶にやって来るのだから、恐縮この上ないことで、もう大変だから郵送で結構ですよと、何度か申し上げたが、律儀に毎年やって来た。人柄のいい男で、ちょっとひょうきんな処もあり、仲間内からも大変好かれていた。どうもいい男ほど先に死ぬ。遙か昔のことだが、わたしは彼の父親に、お坊さんになるとき、手ほどきをして貰った。そう言うご縁から、後年、彼がうちの道場にやって来て、私の指導を受ける身になった。思えば不思議この上ない縁である。まだ70代半ばだろう。惜しい男を亡くした。

投稿者 zuiryo : 09:52 | コメント (0)

2021年04月03日

水彩画

私の勉強机の前の壁に10年くらい前に描いた水彩画が掛けてある。当時はよく岐阜の山奥へ絵の先生と一緒にスケッチに出かけた。白鳥町二日町と書いてある。向かいの山は真っ白に雪を頂き、右側は大きな川(長良川上流)、左は畑が広がり、正面の高い山は雪で覆われ真っ白、このとき外は相当な寒さだったが、ご親切な方が二階建ての部屋を特別に貸してくれた。中はーブで温かく、大きなガラス窓越しに見える雄大な景色をスケッチした。こう言う恵まれた条件でのスケッチはまれなことで、大抵は寒さに震えながらとなる。今回はご厚意に恵まれ良い条件の下で描くことが出来た。まっ、私の絵の中では上出来で、だから部屋にこうしてづ~と飾っているというわけである。絵を眺めていると、もう10年以上前のことだが、その時の様子がはっきり甦ってくる。絵は下手っぴ~でも、二時間くらい掛かって描いたものだから、いまだにその時のことが鮮やかに甦ってくる。

投稿者 zuiryo : 18:29 | コメント (0)

万事シブチンで・・

副司さんの話では、近頃お寺の会計は酷く逼迫しているようである。一体何時からそうなったのか、聞いてみると、1年くらい前に遡って、あの件、この件等々で、結果超貧乏になった。まっ、確かに言われてみれば、不用意に多額の寄付をしてしまったり、思わぬ土砂崩れが発生し、その修復工事に多額な費用が出たりと、まとまって大きな金額の支出が発生した。結果気がついてみれば超貧乏になっていたといわけである。出ていったものは取り返すわけにはいかないので、これからは緊縮でゆくと決めた。お寺の場合は商売で稼ぐのと違って、ほぼ元手いらずで、丸々入ってくるので、万事に脇が甘いのだ。長年の甘さがここへ来て一気に出た。これがもし商売屋さんだったらもうとっくに倒産である。いずれにしても一つ一つよくよく財布の中身と相談しながら、シブチンでやってゆこう。

投稿者 zuiryo : 09:19 | コメント (0)

2021年04月01日

除夜の鐘の見直し

十二月の行事を今から考えるなんて、余程暇なんだね~っ!と言われそうだが、私の頭はいつもグルグル回っていて、8ヶ月後のことだろうと、何だろうと、思い立ったときにすぐ役位の者に考えを言っておく。さて、近年うちの寺の除夜の鐘を参詣人に撞かせることが評判になって、31日夜は長蛇の列が出来る。多くの人に喜んでもらえるのはそれ自体は悪いことではないが、ボンボン焚き火をしたり、甘酒を温めて飲んで貰ったり、鐘を撞くところには一人指導役が張り付くわで、僧堂中大忙しになる。連日年末大掃除が続き、ヘトヘトになっている雲水にはかなりの負担である。そこで今年からこれを見直し、外の方々には一切撞かせず、雲水が一人で百八つ撞く本来の姿に改めることにした。ある信者さんで、お寺には大変力になって下さる方が、除夜の一大イベントとして、この方法を考えられた。まっ、それは悪いことではないが、僧堂の雲水の側から見れば有り難迷惑である。そこで、この際、従来のやり方を改め、本来の姿に戻し、殿司が一人で撞くことにする。物事はちょっと油断すると変な方向に行ってしまうものである。。

投稿者 zuiryo : 13:49 | コメント (0)