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2016年03月30日

実地の経験

何事もお客で行っているうちは良いが、いざ自分がその行事の主催者に成り、全行事を滞りなく進行させて行く側になると全く話は違ってくる。こういうのは理屈ではない、経験の積み重ねである。地方僧堂の場合は自前で何もかもやっていかなければならないから、大変だが良い勉強になる。その点で言うと、本山僧堂の場合は、行事は本山主催となるから、僧堂の雲水は精々飯炊きの手伝いや使いっ走りをさせられる程度である。大会(だいえ)ともなると、法要もさることながら、お授戒・報恩接心なども催され、それらを同時進行で段取りを組んでいくのは並大抵ではない。私は伊深に居るとき、評席中にこの大行事に当たって、大変な思いをしたが良い経験だった。行事中に一度ぶっ倒れたことがあったが、そのお陰で瑞龍寺へ来て2回ほぼ同じ行事を主催したが、難なく乗り越えられた。何事も実地に積んだ経験ほど尊いものはない。だからこれから修行に出さなければならない弟子を持つ和尚さん方は、是非地方僧堂に入門させて欲しいものである。

投稿者 zuiryo : 05:16 | コメント (0)

2016年03月29日

わが禅的思考法

友人がある経済雑誌に、「心を整える禅・瞑想入門」というのが書いてありますのでご参考まで、と持ってきた。「百折不撓」何度も折れても決して曲がらない、固い意思で決して諦めない。とある銀行マンがこれぞ禅的思考法だと書いている。この方は岐阜校出身だそうである。次の人は「堪忍」。次は「悩みをリセットする瞑想」。次は一転して、「危ない瞑想」。これは瞑想を売りにする悪徳商法。次は禅語が解説付きで羅列されている。以上がこの雑誌で特集された禅について掲載されていた項目である。どれもごもっともで、限りなく禅的ではあるが、「禅」ではない。失礼ながら総じて妄想の類いで、禅はそういう次元の話ではない。では何が本物の禅なのだ!そりゃ〜頭丸めて、禅の道場に入って、山に籠もって十数年頑張ってみることです。

投稿者 zuiryo : 21:05 | コメント (0)

2016年03月28日

オペラ

岐阜は能や謡曲の盛んなところで、趣味の域を超えるくらい一生懸命お能に精進されている方、又謡曲も幾つかの同好会があって、盛んに活動している。嘗て私も誘われたことがあったのだが、お経を大きな声で読みすぎて、声帯にポリープができて手術した。以後、声を張り上げることは禁物となり、ご無礼している。何かお祝ごとがあると、宴たけなわ、有志の者何人か登場して、必ずその会に相応しい謡曲が謡われる。男性の朗々とした声が響き渡り、実に良いものである。又能も盛んで、友人は還暦を記念して能楽堂で能を舞った。又自宅に能稽古のための舞台まで作られる方も居る。と言う土地柄で、オペラ(西欧版お能)に大変凝って居られる方がいる。西洋と東洋の違いはあるものの同じことである。オペラと言えばオーストリア・イタリヤ・ドイツなど、素晴らしいホールがあり、演奏会も盛んに催されている。特に親しくさせて頂いている方がオペラ通で、あるとき「ニーベリングの指環」のDVDを是非見て下さいと貸してくれた。全巻見通すと十何時間になる大作で、実は私はさほどオペラが好きというわけでなく、義理で見始めた。ところが見ているうちに引き込まれ、寝るのも忘れて見通した。以来すっかりオペラにはまった。今秋、東京會舘でアダム・フィッシャー指揮ウイーン国立歌劇場の「ワルキューレ」が公演される。誘われたので泊まりがけで出掛けることにした。そこで予習をして置いた方が良いと思い、「ワルキューレ」、これだけでも約5時間かかるのだが、DYDを見始めた。オペラは何と言っても歌手の「声」である。まあテノールの素晴らしいったらない!

投稿者 zuiryo : 05:01 | コメント (0)

2016年03月23日

国籍

日本人は世界から見れば極東の島国で、とかく閉鎖的だと言われる。こっちは開闢以来この島国に住み続けているから、そう言う指摘はどうもピンとこない。しかし世界的に見ればどうもそう言う見方の方がノーマルのようである。今ヨーロッパで大問題になっている難民受け入れなども、日本では遠いあっちの方の問題だという感覚である。友人は50年以上も仕事の関係でブラジル住まい。子供も全てブラジル生まれだが、生まれたところが自動的に国籍になる制度だそうで、娘さん達は日本国籍と両方持っている。言語も、日本語・ブラジル語・英語・フランス語等々、自由に話せる。そこで海外へ行くときは、この国の入国は日本国籍の方がスムースだと思ったら日本のパスポートを使うのだと言っていた。近年アメリカでは、この制度を使って、世界中に散らばっている米国籍の人の預金を調べ上げ、通帳一つに1万ドルの罰金を科すというので、徹底的に世界中からお金を巻き上げている。たまたまアメリカ滞在中に生まれたら、本人には全くその自覚がなくとも自動的に米国籍になっているのだそうだ。何十年もそんなこと一言も言わないでおいて、ある日法律を作ってお金を巻き上げるとは、何と無体な事よ!日本は島国で良かった〜!

投稿者 zuiryo : 09:51 | コメント (0)

2016年03月22日

香月泰男の世界

2日前からずっと香月泰男の世界、シベリヤ鎮魂歌を読んで漸く読了した。断食道場で偶然出会った方が、嘗てシベリヤに捕虜となり3年半抑留され、強制収容所で過酷な労働に従事させられた体験談を息を飲む思いで聞いた。又親しかった友人で、香月泰男の絵を沢山集めて居られた。いろいろな思いで読んだ。まだ未熟だった私は、その方に、何であんな暗〜い絵が好きなんですかと尋ねたことがある。「いや〜良いんだよ〜!」とだけ言っていた。早速アマゾンで香月泰男の中古の画集を買った。「いや〜、じつに良い!」。その方は既に亡くなってしまったが、今なら原画を早速見せて頂くところである。一枚の絵の中に込められている精神の深さを知ることが、その絵を味わうことになる。

投稿者 zuiryo : 12:48 | コメント (0)

さくら

今年もそろそろさくら開花の便りが聞かれる季節になりました。いろいろ花はありますが、何と言ってもさくらは特別な感じがします。岐阜市内には桜の名所は無く、隣の町の川の堤に桜の名所がある。一度行ってみたいと思いながら、三十数年が過ぎてしまった。何せ猛烈な人出だそうで、それを思うと行くのが億劫になる。うちの寺にも嘗てはしだれ桜の古木があって結構楽しめたのだが、20年ほど前、伽藍を全て建て替えたとき、仕方なく斬ってしまった。私がこの寺にやって来てから間もなく坐禅会を始め、今年30年になる。そこで記念に桜を寄進して貰った。この桜が満開に成って楽しめる頃は、私は多分この世に居ないと思うが、きっと満開のソメイヨシノが皆を楽しませてくれるに違いない。

投稿者 zuiryo : 05:10 | コメント (0)

2016年03月19日

古尊宿

近頃は僧堂と言っても実体は証明取りのための指導教育機関になっている。本来の僧堂修行を貫き通している、僧堂の中の僧堂は、多分一ヶ僧堂だけだろうと思う。それは指導している師家を見れば凡そ解るし、そこの雲水を見れば解る。かく言ううちの場合は残念ながら落第である。まあ、こういう僧堂も必要で、それなりに宗門の中で一定の役割は果たしている。だから別に卑下する必要はないが、本音を言えば、もう少し骨っぽいのを相手にしたいな〜と言うのが実感である。自分が修行した頃と時代が変わり、ものの考え方も変化したのだから、言えば愚痴になるだけである。1150年前の臨済禅師の頃の修行に戻ることなど到底出来ない相談だと言うことになるわけだが、もう一方で、いくら時代が変わっても人間の心は同じなのだから、こころひとつで精神は継承出来るはずと言える。時代が変わったからなどと言うのは、やらない者の言い訳に過ぎない。今度の法要に随喜し、あらためて襟を正す気持ちになった。

投稿者 zuiryo : 20:18 | コメント (0)

2016年03月18日

外人さんの坐禅修行

近頃のグローバル化は驚くばかり。うちのホームページを見た外国の方から、短期坐禅修行が出来ないかと問い合わせがあった。今時こんな事ぐらいで驚いているようでは、時代遅れも良いとこと言われてしまうが、ホームページを開設して10年ちかくなるが、こんな問い合わせは初めてである。どこの馬の骨か解らないが、どうぞと返事をした。40代くらいの男が二人やって来た。良かったのは一人が片言ながら日本語が喋れた。アメリカ人であちらの坐禅会で何年か坐った経験があるそうだ。日本滞在中に、まだ何カ所か禅寺を訪ねて坐禅体験をするのだそうだ。うちではたった5日間の短い期間だったが、何が一番良かったかと尋ねると、托鉢だという。こんな良い体験は今までなかったと大感激していた。托鉢の何処がどう良かったのか解らないが、勿論アメリカではないそうで、何事も初体験は物珍しいと言うことだろう。それに礼儀正しいのに驚かされた。一つ一つの動作が実に丁寧で心が籠もっていることだ。近頃の日本の若者など足下にも及ばぬ。僧堂修行が実体は資格取りの方便になっている現在、こういう外国人を目の当たりにすると、いずれ本物は日本より外国へ行ってしまうのではないかとさえ思う。

投稿者 zuiryo : 05:16 | コメント (0)

2016年03月13日

広沢虎造

偶然ユーチューブを開いたら、懐かしい広沢虎造の浪花節が聴けた。私が小学生だった昭和20年代の楽しみは、マンガとラジオだった。うちでは姉がマンガを絶対見せてくれなかったので、専らラジオが唯一の楽しみで、歌謡曲は三橋美智也と春日八郎、これも聴いているのを姉に見つかったらいつも叱られた。なぜ?と問うと、歌詞が子供の聞くようなものではない!と言う一点張りで、だからこっそりと聞いていた。その他は子供向けラジオドラマ、三太物語で、神奈川県の津久井に流れる道志川で、腕白小僧が暴れ回るという楽しい話。(昔鎌倉に住職していた頃、当時建長寺管長だった素堂老師のお伴で津久井に出向したことがある。その時村の人が、この老人が三太物語の三太のモデルになった人ですと紹介されたことがある)これは堂々と聞けた。又父は浪曲が好きだったので、いつも一緒に聞いていた。中でも当代随一は広沢虎造だった。低音でドスの利いた声が、清水次郎長伝にはぴったりはまって、「〜・・たびゆけ〜ば、するがのみちに〜ちゃのかおり、ながれもきよきおおたがわ〜」、これがユーチューブから流れたときは思わず、60数年の歳月が一時に戻った。思わず聞き惚れていたらふと思うことがあった。広沢虎造の節と三味線の女性(曲師)の声、これは殆ど、「あっ!あ〜っ!お〜っ!う〜っ!いよっ!」の繰り返しなのだが、その間合いの良いことと言ったらないのだ。間に髪を入れずと言うが、虎造の節にぴたっと寄り添うこの間合いに聞き惚れた。さすが〜!である。虎造の節よりこの曲師の女性のかけ声をずっと聞き続けた。まさに禅の究極である。

投稿者 zuiryo : 03:46 | コメント (0)

2016年03月12日

桜の記念植樹

般若会という坐禅会は、私が瑞龍寺に来て4年ほど経ったとき、ある方の発案で始まった。数十人の会員が出来、毎月第一と第三の月曜朝6時から1時間の坐禅と30分のお話、飯台座でお粥、その後書院でお薄を差し上げ散会。地方都市で企業を興して頑張って居られる方々が中心メンバーである。美濃仏国と言う言葉があるが、日常的に信心の篤い地域で、熱心さにはこちらが頭の下がる思いである。この会が今年30年を迎え、何か記念の行事をと言うので、それなら桜の木を植えて欲しいとお願いした。以前、お寺を新築する前は境内に何本か桜があったのだが、建物の都合で全て切ってしまい、いささか寂しい思いだったので、この際何本かまとめて記念に植えて貰うことにした。14日が植樹日なので、昨日から大きな穴を掘り、植木屋さんも準備万端整えている。10年目の時は岐阜県の県木イチイの木を植え、それがもう結構大木になっている。20年の時は趣向をがらっと変えて、市内の芸者さんを総揚げにして、賑やかな宴会。(会員の中心メンバーの方が芸子振興会の会長をされている。この会は県知事や市長、銀行や商工会議所などの関係者がメンバー)。30年目は私の申し出で、桜の植樹となった。次の40年目は、私はもうこの世に居ないだろうと思う。満開の桜を眺めながら、昔を想い出して貰えたら嬉しい。

投稿者 zuiryo : 09:42 | コメント (0)

2016年03月11日

遠諱(おんき)

今年は我々の宗祖臨済禅師の1150年諱にあたる。記念の大接心と法要が催された。50年前の、1100年諱も今回同様に、報恩大接心と法要が催され、私は当時伊深の正眼僧堂で修行中で丁度3年が経過したときだった。仲間20人ほどで参加した。その時誰かが写真を撮ってくれたようで、今回一緒だった先輩が複写して持ってきてくれた。見た瞬間、50年前のことが走馬燈のように頭の中を駆け巡った。懐かしいのなんのって、涙が出るほどだった。何人かは既に他界してしまった。それぞれ顔が若いこと、私自身も少年の顔で、50年の歳月を実感した。何より有り難いのは、50年後再びこのご遠諱に参加することが出来たことである。健康だったこと、修行の世界から離れず居たこと、感謝感謝である。岐阜の瑞龍寺にやって来て34年が過ぎた。この間、開山悟渓国師の500年遠諱、僧堂創建隠山禅師の200年諱、妙心開山無相大師の650年諱、それと今回の大会と法要と、重要な節目には幾度も巡り会えた。お坊さんとしてこんな幸せなことは無い。

投稿者 zuiryo : 05:16 | コメント (0)

2016年03月05日

梅まつり

近くの梅林公園は梅も満開になって今日明日の休日は大変な賑わいとなる。普段は閑散として殆ど人の訪れることも無い當山にも、梅林公園の帰り道、参道に沢山入って来て、塀越しに梅を見る人がひっきりなしにやって来る。市主催の梅祭りは来週の⒓日・13日なのだが、今年は温かったせいで、既に満開の見頃、一週間後は散り始めるのでは無いかと思うほどである。来週はうちの寺も境内を開放して、本堂の障壁画を見て頂いたり、お茶会で一服召し上がって頂いたりで、大賑わいとなる。歩き疲れた足を本堂の畳におもいっ切り伸ばして、休憩して行く。ついでにトイレを借りたり、お喋りをしたりで、大いに喜ばれている。梅祭りの中心の土日は、うちのお寺の都合に合わせて開催されるほどで、見物客に大好評なのである。これもささやかな社会奉仕の一つで、そもそもお寺は沢山の人たちの貴い寄進で建てられたのだから、当たり前のことである。これに合わせて本堂片隅に、お寺の広報誌やたよりやカレンダーなどを自由にお持ち帰り頂いて、ストックゼロになるから、良い大掃除となる。

投稿者 zuiryo : 21:42 | コメント (0)

2016年03月02日

FEB

表題のFEBと言うのは、門前のパン屋の店名である。大手製パンには、沢山の化学薬品が使われていて、それを知っている人は決してこの手のパンは食べないと聞いたことがある。食パンが化学薬品漬けになっているとは思いもよらぬことだが、真実のようだ。最近粥座はパンを食べるようになって、丁度手作りパン屋さんが門前にあるので、専らこのお店FEBで買っている。いつもは隠侍さんが買ってきてくれるが、隣がお香屋さんなので、ついでにパンも買ってきた。店のご主人に「FEB」の名前の由来を聞いたら、ファースト、イースト、ベーカリーと言う意味だそうだ。岐阜市内で東にあるパン屋さんと言う意味だそうだ。な〜るほど!若いご主人が早朝よりパン生地を仕込んで、文字通りハンドメイク、だから予約しておかないと直ぐ売り切れになる。そう思って食べると、何だか一層美味しい感じがする。パン生地に胚芽も入れ込んであって、気のせいか体にも良いような気がする。第一、若い青年が一途にパンを手作りしている姿が良い。全部売り切れてもそう大層な収益があるとも思えないが、昔の職人気質を彷彿させる。

投稿者 zuiryo : 17:52 | コメント (0)