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2021年06月30日

大汗かいて・・

明日からは山内のお施餓鬼が始まり、雲水達はその加担で大汗かく。毎年の事ながら、本当にご苦労様。僧堂は施餓鬼はなく,専らお手伝いで大汗かくというわけ。またこの時期の蒸し暑さは一段とすさまじく、法衣、袈裟まで全身汗まみれとなる。これが六日間続くのだから堪ったものではない。しかしこの時期の恒例行事だから、良いの悪いのと言ってられない。大汗かくのはこればかりではない。僧堂では、日々の坐禅でも重装備だから、この時期は連日大汗かく。着物までびしょ濡れになるから、いちいち洗濯しちゃ~いられないので、びしょ濡れの着物をそのまま吊して乾かし、次ぎにそれをまた着ると言うパタ~ン、汗臭いのなんのと言ってられない。いつもこの時期になると、大汗かいた雲水の頃を思い出す。

投稿者 zuiryo : 16:20 | コメント (0)

2021年06月29日

ゴジラとモスラ

クロとタマが相次いで死んでしまった。長年飼っていたので、亡くなると急に寂しくなった。そこで保健所に頼んで置いたら,早速連絡があって、真っ黒の子猫が来ましたのでよろしかったらと返事があり、二匹貰ってきた。広い部屋を駆けずり回って元気いっぱいである。ネコは犬と違って散歩に連れて行く必要も無く、勝手に部屋で 転げ回って遊んでいる。またワンワン大きな声で吠えることもなく飼うのも楽ちんだ。クロとタマの代わりに、今度は子猫、「ゴジラ」と「モスラ」になった。

投稿者 zuiryo : 19:49 | コメント (0)

2021年06月28日

半年後

近年、定期的に受けていた人間ドッグは、毎回別に異常なしというのが続いたので、止めていた。しかしここ数年、老化が進み,体力的にも急に弱ってきたように思い、久しぶりに人間ドック入りしようと思った。そこでいつもお世話になっている検査病院に電話で予約したら、半年後くらいまで予約で一杯と言われてしまった。エエッ!その繁盛ぶりに驚かされた。いくら待たされても検査は必要と思い、その旨頼んだとところである。商売繁盛!などと俗なことを言っては失礼だが、しかしその混みようには驚かされた。まっ、それだけみんな健康には人一倍気を付けるようになったと言う事だろう。それにしても半年後とはね~っ。

投稿者 zuiryo : 13:55 | コメント (0)

2021年06月26日

滝行中止の手紙

8月恒例の木曽御岳さん滝行を,今年は中止しましょうという手紙が仲間から来た。ごもっともなことで,コロナ蔓延中では皆が集まって滝行するのはよろしくない。と言うことで残念ながら今年は中止となった。まっ、滝はいつでも待っていて呉れるので,慌てることはない。コロナが収束したら出直せば良い。思えばこの御嶽山滝行も随分長い間続けてきたものだ。多分30年位は続けたと思う。これがなくなると、心のつっかえ棒が外されたような気持ちになって、間の抜けた8月になる。これも仕方が無い。滝は逃げ出さないので、コロナが収束したらまた再開すれば良いだけのこと。しかしその頃は私も八十才を超えているから、もう一度褌のひもを締め直して掛からないといけないな~と、心に誓った。

投稿者 zuiryo : 20:21 | コメント (0)

2021年06月23日

会計逼迫

副司さんの話によると、このコロナ下、僧堂の会計は酷く逼迫しているらしい。お金のことはすっかりお任せで、暢気に暮らしていたが、危機的状況らしい。さりとて、他にお金を稼ぐ方法など無い。かくなる上は、質素倹約に努め,出すのは舌も出さない方式でやる以外にはない。そんなとき一昨日、法類のお寺さんで齋会が催され、その導師を頼まれた。無事に終って、先ほどお礼参りに来られた。分厚いお金包みを持ったら,思わず笑みがこぼれた。こういうことを言うのは余り品のいい話ではないので、まっ、ここだけの話にしておいて貰いたいが・・・。いずれにしても会計は逼迫して、自転車操業状態らしいのだ。その後を追うように、今日はこれから檀家の葬儀に行ってくる。立て続けに法要で、あ~有り難い!葬儀を喜んでいたのでは、施主家に申し訳ないが、これが本音。まっ、こう言う類いの話は触れないのが良いに決まっているが、其処が私の特色で、つい真っ正直に書いちゃう。いずれにしても質素倹約に努め、この山を越えなければならないと、改めて心を引き締めた。

投稿者 zuiryo : 10:16 | コメント (0)

2021年06月21日

法類寺の齋会

このところコロナで、すべてが中止になり、専ら寺に籠もっていたのだが、久しぶりに法類寺の齋会が催され、出掛けた。車で数分という直ぐ近くのお寺なので、往き帰りもさして時間も掛からず、無事円成。行事が終って,お弁当を頂き帰山した。豪華な折詰めで、久しぶりに舌鼓を打った。冷蔵庫から冷えた缶ビールを出して、キュ~ッと1杯、喉がゴロゴロッと鳴った。昨日まで夏末大接心、今日は把針灸治、両方を兼ねてカンパ~イ!午睡少々、ノコノコ這い出して、今ボ~ッと机を前に坐っているところ。そよそよと風が吹き抜け、静まりかえった境内、猫の子一匹通らず、時間が止まったようだ。僧堂では大接心が一つと終ると、一区切りついて、ほっとする。今日は齋会も無事円成で、いつもより二倍安堵した。窓越しに山の木々がかすかに風に揺られている。それをじっと眺めていると、不思議に癒やされた。今日のお寺の先住さんご夫婦とは、嘗て何度も一緒に海外旅行をした懐かしい思い出がいっぱい詰まっている。ふっと和尚さんの顔が目の前に浮かんだ。

投稿者 zuiryo : 16:10 | コメント (0)

2021年06月20日

野良猫

お寺は広いので、まっ、公園みたいなものである。直ぐ近くに柏森公園があって、其処はかって飼い猫だったのが,何かの事情で捨てられ,野良になってしまったネコがいっぱい居る。餌を得る手立ても知らない可哀想な猫たち。見かねた近所のおばさん達が、好意で餌をやっている。そこに居るネコに、「・・お寺にお出で」と声を掛けると,人間の言葉が分かるのが、後をついてくる。いつも沢山餌を買って置いて、餌を振る舞ってやる。それ1回こっきりでまた何処かへ行ってしまうのも居れば、いい人に巡り会えたと、毎日餌を当てにして食べに来るのも居る。ネコに罪はない、人間の都合でこうなってしまったのだから、出来るだけのことはしてやりたいと思っている。そう言うネコで,すっかりお寺に棲みついて,もう飼い猫同様になっていたのが二匹居た。時は流れ,十数年経ち、老齢化が進み,医者に診せたり介護を続けていたのだが,最近相次い二匹とも死んでしまった。人間の言葉を理解するネコで、共に過ごした十年余りの歳月は、心癒やされる日々だった。部屋の直ぐ近くに葬ってやり、お墓を建ててやった。

投稿者 zuiryo : 15:28 | コメント (0)

2021年06月19日

耄碌

加齢と共に耄碌してきた。これは防ぎようが無い老化現象の一つで、ひたひた押し寄せ、自覚したときは既に手の施しようはない。日々確実にその領域に差し掛かってきた。まっ、その自覚のある間はまだましとも言えるが、それも今のうちだけで、やがて遠からず、その自覚もなくなり、完全パ~となる。なので、まだ頭がましなうちにこの状況を文字に残して置いて、完全パ~になったとき、振り返るよすがにしよう,と言う作戦である。最近は頭がパ~!と言う話ばかり書いている気がするが、こう言うのがなくなったら、その時が完全パ~。パ~間際まで記録し続ける覚悟である。まっ、パ~パ~ばかり書いていると,こっちも鬱陶しくなってくるので、取り敢えず本日はこれにてお仕舞い。

投稿者 zuiryo : 15:16 | コメント (0)

2021年06月18日

講座

午前中講座で雲水に話をしながら、ふっと、遙か昔の雲水時代のことを思い出した。約20年の間、10年ずつ、二人の老師に仕えた。お二人とも、講座が嫌いで、制中でも大接心の時しか開講しなかった。知らないうちはそう言うものだと思っていた。とんでもない間違いで、制中は2・7・5・10は講座日と決まっている。それは自分が師家になって、いろいろ調べて解ったことだった。だから正しいやり方で現在はやっている。しかし思うに,どうしてそうも講座から逃げ回っていたのかと言う事である。酷い吃音だからとか、特別何か障害があるのならやむを得ないが、そうではないのだから、嫌がる理由が分からない。講座がそんなにいやなら師家なんかにならなければ良いのだ。老師になるまでには凡そ20年間は修行しなければならない。その20年をただ漫然と過ごしていたわけではないはずだ。葛藤の日々の積み重ねである。であるなら、嘗て自分が過ごした僧堂での日々を思い出し,今、その世代の雲水を前にして、喋ることはいくらでもあるはずだ。それがないと言う事は、昔のことはもうすっかり忘れてしまったのか、失敗を重ねた自分に向き合うことがためらわれるのか、いずれかだろう。縁あって自分のところへやって来て修行している雲水を目の前にすれば、頑張って修行して欲しいという気持ちが自然にあふれてきて、思わず口をついて出てくる。それが提唱というものだ。それくらい心を込めて喋っても本当に伝わるのはほんのわずかな雲水だけだ。しかしこれをやり続けなければ師家の役は全うできないのだ。

投稿者 zuiryo : 14:40 | コメント (0)

2021年06月17日

頭が馬鹿,驀進中

このところ急激に頭が馬鹿になってきた。それは恐ろしい勢いで、日々馬鹿に向かって驀進中である。脳みその細胞がメリメリ音を立てて死滅してゆく。この調子で間もなく,完璧な認知症まちがいなしだ。あ~恐ろしや~。しかしこれを防ぐ方法はない!ただ、ジ~ッと、その時を待つのみ。絞首刑の13階段を一歩一歩上ってゆくような気分だ。今のところ自分で馬鹿度を自覚できているだけましで、その内それもなくなり、周囲に迷惑掛けまくって、墓穴に突撃ってわけ。トホッホッ!もうこの世にユメもチボウも無くなって、後は静かに息を引き取るだけだ。えらい暗~い話になってしまったが,しかしこれが現実、素直に直視すれば,結果こういうことになるってわけ。トホッホッ!なんて言ってられない。

投稿者 zuiryo : 15:30 | コメント (0)

2021年06月15日

真髄は美

この世のあらゆる事象において真髄はすべて美しい。となると真髄にたどり着くには美しいものを探せば良いと言うことになる。逆に言うと、美しくないものは真髄ではないのである。少なくとも自然科学では「美」が絶対である。数学者が数学を創る時、実用に役立てようという考えはない。美しい理論にしようと心がける。証明の道筋では常に美しいものが実用にも役立つ。論理的に正しいと言うだけで醜い定理もあるが、そう言うものは真髄を射てないので、時代と共に埋もれてゆく。真理と美は同じ一つのもの、というのは万物の本質を突いた指摘なのである。美しいものを目指すことが万事において真へ達する道であり善に到達する道なのである。ある一つの困難を解決したように見えても、錯綜した全体を貫く基軸がそのままである限り、一時的に旨く行くだけか、他の新しい困難が代わりに生まれるかで、結局は何も解決されない。二度と散らからないような仕組みにすることが根本的解決となる。全体を貫く基軸を変えることが美しいのである。

投稿者 zuiryo : 19:28 | コメント (0)

2021年06月12日

タマのお墓

ついさっき墓石屋さんへ行って、タマのお墓を注文してきた。白にねずみ色模様だったので、そういう感じの石にした。クロ・タマと相次いで死んで、急に寂しくなった。ネコは何にも言わないが、顔の表情や態度で心の内を表現する。是で結構コミュニケーションをとることが出来る。この二匹は,元々野良で、だんだん飼い猫的に馴染んできたのだ。わずか10年足らずだったが、いろいろ思い出して、胸が締め付けられるような気持ちになった。隠寮の広い庭を自分のテリトリ~にして、タマは上が平らな庭石の上に乗って、変なやつが侵入してこないようにいつも見張り番をしていた。そもそもお前さんこそ、どこからともなくやって来た元野良ネコじゃ~ないか!と言ってやるのだが、フ~ン!と言う顔をしていた。クロ・タマと相次いで死んで、急に寂しくなった。

投稿者 zuiryo : 10:46 | コメント (0)

2021年06月11日

タマ、死す

ついこの間、クロが死んで,しょんぼりしていたのに,今度は後を追うように夕方、タマが息を引き取った。ここ1週間くらい前から急に弱り、仏間南側の木立の影で、終日じ~とうずくまっていた。夕方部屋に運んでやると、布団の上ですやすや寝ていたのだが、ついに今夜、静かに息を引き取った。クロもタマも,それぞれ思い出の多い二匹だった。何だか急に体の力が抜けて、ぼんやりしてしまった。この二匹とも,元は野良なのだが、不思議な因縁で、10年以上部屋で飼っていた。人間の心が分かるようなネコだった。木立に覆われ、静かな環境で、のびのびと暮らしていたのに・・・。心の底が冷え冷えとしてくるような気持ちになった。

投稿者 zuiryo : 21:13 | コメント (0)

2021年06月10日

墨跡

本当に久しぶりにある信者さんから頼まれて墨蹟を書くことになった。あまりにも久しぶりなので、筆は何処かへ仕舞い込み、探しまくって漸く出て来たような始末。取り敢えず墨をすらなくっちゃ、てな具合で、大わらわである。腕の方は如何に?と案じたが、こっちの方は昔取った杵柄で、直ぐ調子を思い出し,何とか格好がついた。矢張下手っぴ~わ否めず、まっ!こんなところで良しとするか!で妥協した。ある管長さんに伺ったことだが、ドドット,注文が錯綜してくると、毎日定時に墨蹟時間を設けて、書きまくるのだそうだ。これも重労働ですな~と、大いに同情申し上げた。こう言うのを余り苦にしない方もあるそうで、世の中いろいろだな~。もう40年前のことになるが、ある方から墨蹟を頼まれ書いたのだが,余りにも酷いので我ながら愕然とした。これじゃ~しょうがない、何とかしなくっちゃ、で、近所の書道家に弟子入りさせて貰い稽古を積むこと40年、近年、先生の老齢化で、稽古は終わり以降は自力となった。途端に書けなくなった。つまりお手本がないと自力では何も書けなくなってしまったのだ。愕然!ではあの40年間は何だったのか?つまり先生のお手本を忠実に写し取る技術が上達したに過ぎなかったのである。で、結局下手っぴ~に戻ってしまったが、まっ、これが私なのだと諦めて、今はそれで押し通すようになった。

 

投稿者 zuiryo : 12:04 | コメント (0)

2021年06月06日

すべて美しい

この世のあらゆる事象は神髄において、すべて美しい。だから神髄にたどり着くには、美しいものを探せば良い。逆に言うと、美しくないものは真髄ではないのである。奇異に聞こえるかも知れないが、少なくとも自然科学では、「美」が絶対である。美しい理論・美しい定理、常に美しいものが真理への道筋なのである。それは歴史的に見ても、美しい理論や定理ほど後世にになって実用にも役立つのである。論理的に正しいと言うだけで醜い定理もあるが、そういうものは真髄を射てないので,時代とともに埋もれてゆく。つまり心理と美はほぼ同一ということになる。美しいものを目指すことが、万事において真へ達する道であり善に到達する道なのである。また一つの困難を解決したように見えても、入り組み錯綜した全体を貫く基軸がそのままである限り、一時的に旨く行くだけか、あるいは他の新しい困難が代わりに生まれるかで、結局は何も解決されない。散らかり放題の部屋の一部分をきれいにしても、短期的で元通りに戻ってしまうようなものである。二度と散らからないような仕組みにすることが根本的解決となり、美しい解決なのである。

投稿者 zuiryo : 15:15 | コメント (0)

2021年06月05日

土屋先生

知人の画廊で土屋先生の個展が開かれると言うことで,久しぶりに来岐された。予てより先生のご両親のお墓を建てると事になっていたので、一緒に知り合いの墓石屋さんに出掛けて、大きさや石の種類なども具体的に決め、先生にも墓石屋さんにも、実際に建てる場所を見て貰った。そう言う遣り取りをしているうちに,そうだ私のお墓も作って置こうと思い、墓石屋さんとも現場で打ち合わせをした。翌日、よくよく考えて,私のお墓作りは一寸止めておこうと気が変わった。お寺の経理は古手の雲水に任せているのだが、そもそもそんなお金は何処にもないと気がついたのだ。トホッ!まっ何年先のことになるか解らないが,もう少しお金が貯まったら考えよう。知らない人なら,大きな伽藍や良く整備された境内・庭などを見ると、お金有りそ~と思うかも知れないが、財布の中身はスカスカで、超貧乏なのである。どだい、お寺で新たにお墓を建てるなどと言う事じたい、夢のまた夢なのだ。

投稿者 zuiryo : 13:13 | コメント (0)

2021年06月04日

墓石屋へ

知人がお墓を建てるという事になって、まず墓石屋さんへ行き、いろいろ相談した。形はどういう風なものにするか、石の色はどんな色のものにするか等々相談した。ではお墓を建てる現場を石屋さんに見て貰おうと言う事になり,関係者全員に場所を見て貰った。そこでお墓の規模や形など、具体的な事柄を相談した。そうこうしているうちに、ふっと、私自身もこの先そう長くは生きられないのだから、ついでにこの際、自分のお墓も作って置いた方が良いのではと思い、石屋さんに相談し、見積もりを出して貰うよう頼んだ。一つの事柄が動き出すと連鎖反応的に周辺の事柄も一気に動きだし,トントン拍子に事が運んだ。善は急げだ!この際一気呵成にやってしまおう。生前に自ら墓を建て、完成した墓を眺める気分はどういうものだろうか?皆目見当はつかないが、後のものに手数を煩わせるより、この方が良いと決めた。

投稿者 zuiryo : 19:19 | コメント (0)

2021年06月03日

印押し

書に大きな印を押した。印も大きくなると、一寸押しただけでは、周辺だけで、中心部分がかすれて、良い風にいかない。これは雲水の頃老師の大きな墨跡の印押しをさせられた経験が生きてきた。それなりの工夫が要るわけだ。何事も経験で、苦労に無駄はない。大きな印の上に人が乗っかって重しになるのだ。その格好を想像すると可笑しいくらいだが、それくらい重しを掛けないと旨く色が出ないのだ。青森の会下和尚の注文で、玄関の衝立にするらしい。この大きな字を書くための墨摺りもたいてやない。人間の足ほどの大きな筆に墨を吸い込ませ、一気呵成に書く。大汗かいた。まっ、そのお寺の玄関を飾る衝立になるのだから、このくらいの苦労はしなくっちゃね。

投稿者 zuiryo : 16:00 | コメント (0)

2021年06月02日

衝立の字

衝立の大きな字を頼まれた。普段そういうことがないので、全員参加でようやく完成した。原料の墨摺りは、墨の分量も相当なものなので、機械の墨摺り機を使って大量の墨液は出来た。広い板の間は食堂を使った。1枚目は実験的に書いたが、これは見事に駄目。あと紙は1枚しか残っていない。背水の陣を敷いて、エイッ!ヤッ!で何とか書き上げ、一応これで良しとする。依頼する方は気軽に頼むが,頼まれたこっちはえらいことだ。大汗かいて、午後中掛かってしまった。普段こういう依頼は無いので,余計要領も悪く、手間が掛かる。うちは会下が余り多くないので,こう言う特別な依頼は滅多に無いが、沢山な所はいろいろ頼まれるだろうから大変だろうな~!

投稿者 zuiryo : 15:48 | コメント (0)

2021年06月01日

第1回ワクチン接種

かかりつけ医から、第1回ワクチン接種の通知を貰い、つい先ほど行ってきた。同様の接種者が数珠つなぎだったが、さして待たずにスムースに済んだ。やれやれこれで1回目は無事に終った。第二回は今月22日、これが済めば一丁上がりとなる。私の場合は日常ほとんど外へ出ることもなく、じっと部屋に引きこもり状態だから、感染のリスクは極めて少ないが、しかしこうしてワクチンを接種してい置けば、大安心。ところで待合室では顔なじみの方々が次々で、まるで患者同窓会。年寄りは医院では必然的に同窓会になるわけだ。今日は慎重を期して、ジ~ッと部屋ごもりしようと決めた。ところでテレビで見る大都会での接種模様、こう言うのを見ると地方都市暮らしの有り難さが身に染みる。適当に便利で、しかも鬱蒼とした緑に囲まれ、まさに地上天国である。

投稿者 zuiryo : 13:19 | コメント (0)