« 2005年12月 | メイン | 2006年02月 »

2006年01月31日

隔宿諷経(かくしゅくふぎん)

今日は僧堂の年度末に当たり、冬の修行期間が終わる節目の日。明日1日からは雨安居(うあんご)に成る。そこで午後3時半からまず本堂で勤行をし、次ぎに塔所を4ケ所巡り諷経をして、一制中の無事円成を感謝する。これを隔宿諷経と言う。いつもは木枯らしに吹かれながらの塔所巡りだが、今日は曇ってはいたが意外と暖かかった。僧堂の良さは節目毎に厳密に行事を行い、けじめをつけることである。とかく雑事に追われ知らぬ間に月日が経ってしまうものだが、決まった行事を形にはまって粛々とやる良さを感ずる。明日は午前中講了があって、文字通り首尾円成である。この時の安堵感は僧堂修行した者でなければ解らぬ。

投稿者 zuiryo : 16:51 | コメント (0)

2006年01月29日

起単留錫(きたんりゅうしゃく)

今日は朝、講座があり、次ぎに一制中の修行を総括をする日。自分の顔は自分では見えないと同様、自分自身のことは解らないものだ。そこで一人一人評席の前に進み出て忌憚のない批評をして貰い、来制への糧にするというのが趣旨である。ズバリ痛い所を指摘されると、むっとすることもある。しかしユリウス カエサルの言葉にもあるように、「人間ならば誰にでも現実の全てが見えるわけではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ない。」である。ましてや段々年をとってくれば忠告してくれる人は減るばかり、そこで謙虚に人の言葉に耳を傾ける姿勢が問われる。いつも心を開いて、相手が言い易いような生き方をしなければならないのである。

投稿者 zuiryo : 10:17 | コメント (0)

2006年01月27日

習字

今日は習字の稽古日である。仲間10人を誘い寺を会場に先生にお越し頂き2時間やる。私は瑞龍寺に入寺して間もなくの頃、ある人から墨跡を依頼された。何枚も書いてみたが、それは見るも哀れ酷い字であった。これは何とかしなければならないと考えている時、ひょんな縁から或る高名な先生について稽古出来るようになった。爾来22年間、月4回のペース。確かに真似上手にはなったがオリジナルとなると全く駄目、腕の方は一向上がらないのが悔しい。しかし稽古をして書を見る目が養えた事と、書に対していつも襟を正す気持ちを持てるようになったのが良かった。禅僧なら縛られず自由に書いたら良いようにも思えるが、多くの人の目にさらされる。「書は人なり」で、恥ずかしい字は書いてはいけないと、いつも心がけている。

投稿者 zuiryo : 16:38 | コメント (1)

2006年01月25日

講了

尼僧堂の講了に行ってきた。これは学校で言うと終了式に当たる。冬期の修行が2月1日に終わるので、それに先駆けて関係寺院方にお越し頂き、ご加護を頂いた祖師・世代にお経をあげ、お互いの先祖も合わせ供養し、一制の首尾円成を祝う式である。いつも講了をむかえるとほっと一息つく。今年は10年ぶりという厳冬で、火の気のない道場では殊に寒さが身に染みた。特に尼僧さんは60歳を過ぎた者も居り、素足に般若木綿の着物、墨染めの法衣という格好で、一入寒さが堪えたのではないかと案ぜられる。お互い幾つになっても修行のためには喪身失命を顧みず頑張る姿は何にもまして尊い事である。

投稿者 zuiryo : 13:22 | コメント (0)

2006年01月24日

無縁法要

ある集落の一族が固まって檀家に成っているところがある。今日は一族の先祖総供養の日で諷経に出掛けた。ここでは10月には必ず達磨供養もする。最近では禅宗檀家で達磨忌をする家などほとんどなくなってしまったが、よくぞ伝統を守って続けておられると感心する。日常、先祖の恩恵やましてや達磨さんのご加護だど殆ど意識する事はないが、当たり前だと思っている事柄のその奥に、先祖に支えられ信心に助けられていることを子孫に忘れさせまいと、こういう行事を残されたに違いない。考えれば何と深い配慮の籠められた法要であろうか。今朝は「ホリエモン」逮捕で大騒ぎだが、金さえ儲かれば何をしても構わないという品性の悪さ、呆れるばかりだが、しかし我々も油断をしているとつい目先の算盤勘定に流される危険がある。他山の石として肝に銘じなければならないと感じた。

投稿者 zuiryo : 10:00 | コメント (0)

2006年01月23日

日本画

数年前から老後の愉しみに数人の仲間と月2回のペースで日本画の稽古をしている。今日はその日で、画題は薔薇であった。薔薇の花は誰でも好きと仰るだろうが、描くとなるとこれ程厄介なものはない。デッサンは何とかなっても色を塗るのが実に難しい。花びらの微妙な濃淡を忠実に再現して行かないと薔薇にならない。花びらは1枚ずつ先端がめくれているから、あのふわっとした感じを出すのも難しい。花を描くようになって気が付いたのは、いままで如何に花を見ていなかったかと言う事である。水仙でも梅でも見れば見るほど自然の造形の妙を感ずる。また真っ赤な花の茎には赤い色が、黄色の花の茎には黄色があるという事も新しい発見であった。茎は緑色と決めつけているのは先入観でものを見ているからで、よく見るとちゃんと花の色が混ざっている。何事もただ漫然としていては駄目だという事を絵から学んだ。

投稿者 zuiryo : 21:19 | コメント (0)

2006年01月22日

料理修行

大接心明けの把針灸治、雲水は終日休息する。私も食事の世話をかけないように外食。ふっと山下君の働いている開花亭へ行ってみる事にした。彼は故加藤東一画伯の孫、高校生の頃しばらくうちで預かった事がある。その後、料理の修行に入り既に10年程経った。中華では日本でも指折りのこの店に、3年間も待って遂に就職できたのである。仕事ぶりを拝見しがてら行ったのだが、元気いっぱい溌剌としていたので安堵した。彼は3年間、横浜から夜行バスに乗ってここの料理の味を学ぶために通い、再び夜行バスで帰っていった。これ程までの努力を積み重ねながら許可を待っていたのだ。修行は何も禅僧だけの専売特許ではない、山下君の真剣な眼差しを見なだら、どの世界も厳しさは同じだな〜と感じた。

投稿者 zuiryo : 21:05 | コメント (0)

2006年01月21日

接了(せつりょう)

15日から始まった夏末大接心(げまつおおぜっしん・冬修行の最後締めくくりの大接心、冬なのにこういう字を充てる。)今夜10時で接了である。前半は温かく後半は寒い接心であった。修行にはこの寒さが一番のご馳走で、苦寒という言葉通り寒ければ寒いほど苦しいわけだが、これが結局一番自分のためになる。人間苦しむと嫌でも心は内に向き、今まで気が付かなかったことに目が向く。そこから新たな心地が開発される。これを「創造の病い」と言う。苦しめば新たな心が創り出されるのである。接了後、心の深いところからじわっと沸き上がってくるような爽やかな気分はやった者でなければ分からぬ。これを何十年も繰り返していると実に深い味わいがあるものだ。

投稿者 zuiryo : 20:19 | コメント (0)

2006年01月16日

帯状疱疹

四日前頃からお腹に発疹、虫にでも刺されたのかと思い軟膏を塗ったが一向に治らない。やがてチクチクヒリヒリ、これはちょっとおかしいぞ?大体痒くないのが不思議だ。其処で今日皮膚科へ行くと帯状疱疹と診断、直ぐ点滴一時間、これを三日続けるそうだ。要するに老人になって抵抗力が弱り水ぼうそうウイルスにやられたと言うことらしい。膝はガクガク目はしょぼしょぼ奥歯はすり減り、整形・眼科・歯医者へと渡り歩く日々、更に今度は皮膚科だ。まったくもう、年は取りたくないね、とほっ。

投稿者 zuiryo : 19:47 | コメント (1)

2006年01月14日

友人の一周忌

今日は大接心前の把針灸治だが、早朝より藤沢へ出掛けた。一年前高校時代の友人が急逝し葬儀にも伺えずずっと心にひっ掛かっていたので、漸く一周忌法要をお勤めすることが出来て安堵した。奥さん始め子供さん方も喜んで下さったので、行った甲斐があった。彼は典型的な湘南ボーイだった。頭は切れるしスポーツマンで背はすらりとしてそれで少しもぶったところがなく思いやりのある人だった。その正反対の私とは比べものにならない。ベンチャー企業を立ち上げ益々の活躍が期待させたのに本当に惜しい。しかし彼の思いはいつか屹度子供さんたちによって果たされると信じている。頑張って欲しいと思いながら帰って来た。

投稿者 zuiryo : 21:08 | コメント (1)

2006年01月13日

検査病

昨年末、ペットと言う最新の癌検査を受け、昨日結果がでた。尿路に尚精密検査の必要有りと指摘され「ガ〜ン」、夕食も砂を噛むよう、蒲団に潜っても眼は冴え渡り、今朝は拝借してきた大きな写真と紹介状を手に何時も診て貰っている病院へすっ飛んで行った。延々待たされること1時間半、いよいよ泌尿器科の先生の判定。「ペットで泌尿器関係は分からないのです。これだけきちんとドックも受け他の検査も全てパスですから何にも心配要りませんよ。どうしても心配なら造影剤を入れてレントゲンで撮る方法もありますが希に死ぬ人も居ますから・・・・。どうします?」「心配だから受けてみます。」傍らにいた看護婦さん二人が、「いろいろ検査を受けてこれ以上放射線を浴びない方が体のためには良いですよ。やめときゃ〜(岐阜弁)。」で、止めた。どうも私は「神経科」を受診した方が良いのかな〜、とふと思った。

投稿者 zuiryo : 14:13 | コメント (0)

2006年01月11日

漢学熟

知人に誘われて岐阜駅高架下の漢学塾教室へ出掛けた。今日は般若心経の講義、漢学の先生の解説はお坊さん的でないのが新鮮で良かった。これからもお経を解説して頂けるようなので楽しみにしている。日中は例の高橋尚子ご愛飲の高賀水を汲みに行ってきた。辺りは雪がうずたかく積もり、まるで雪国である。山奥の澄み切った空気は冷たく、心が洗われるようだった。

投稿者 zuiryo : 21:17 | コメント (0)

2006年01月10日

整体治療

10数年前、突如腰痛に襲われ部屋でも杖を突いて歩かなければならない始末。月に要と書いて腰とは良く現しているものだ。立ち居振る舞いは勿論のこと、朝顔を洗うことも出来なくなってしまった。大病院の整形は言うに及ばず良いと聞けば何処へでも行ったが、結局治らなかった。そんな時知人に勧められたのがN治療院、そこがぴったり合ってやがて完治した。爾来転ばぬ先の杖で、定期的に通っている。今日はその日で、五種類の治療を組み合わせたものだが、中でも電気針が一番気持ちが良い。このところ少々風邪気味なので置きバリもして貰った。病気に成って初めて知る健康の有り難さと言うが、ピンシャンしている時こそ体のケアーを怠らないことが肝心である。

投稿者 zuiryo : 20:40 | コメント (0)

2006年01月09日

運動

一日一度は汗を掻く、というのが私の信条。冬季は作務が余りないので専ら山歩き・水泳・自転車こぎ・伊奈波神社参拝等々で一汗掻くことにしている。出掛ける時は多少抵抗もあるが一歩踏み出してしまえば意外と苦痛なくやれるものだ。特に一運動した後が爽快である。新陳代謝を活発にするのが何よりの健康法。寒い季節はどうしても部屋に引き籠もりがちになるから、意識的に外に出て寒風に身をさらすと良い気持ちだ。ところで最近姉が太極拳を始めたらしい。これには驚いた。運動など殆どしたことがない不精者だったから、娘のジャージーを着込んで優雅に手足を動かしている姿を想像するだけでも微笑ましい。

投稿者 zuiryo : 21:06 | コメント (0)

2006年01月08日

寒肥

毎年この時期、境内の樹木には全て寒肥を施す。地面に穴を開ける専用の金棒があって、根の周囲に4つ5つ穴を開け、赤土と油かすを半々の割合で混ぜた肥料を入れ土で蓋をする。隠寮の庭に百日紅の古木があって、雲水がこの肥料を好い加減にすると夏に花が咲かなくなる。真面目にやったかどうかを計るバロメーターである。年末の雪がまだ残っているなか、この作業も結構辛いものだ。

投稿者 zuiryo : 16:55 | コメント (0)

2006年01月07日

初釜

新年恒例、家元の初釜へ出掛けた。いつもながら家元のお席で一服お茶を戴くと、新春を感ずる。相席は東京や豊橋から来られた方々で、他流派の人も交え和気藹々話が弾んだ。24年前、私は岐阜へやって来た頃、お茶の飲み方一つ知らない山猿だった。あっちこっちで恥を掻いたのが良い勉強になって、お陰様で今では平常心で臨めるようになった。お茶の世界は実に深い。お茶を好む沢山の友人が出来て、本当に有り難いことだと思っている。

投稿者 zuiryo : 21:14 | コメント (0)

2006年01月06日

初月忌(はつがっき)

今日6日は開山さまの今年最初の命日、そこで山内・法類・会下(えか)の寺院や信者さん方が集まり皆でお勤めをし、その後雲水手作りの正月料理で会食、いわば僧堂の新年会である。ところでお寺の料理といえば必ずと言っていいくらい胡麻豆腐が出る。昨夜大きなはそりで1時間練って練って大汗掻いて作った。そう言う時は傍らでハチがじっと見つめている。寒天流しに移し終わったら、はそりにへばり付いている胡麻豆腐を、おこぼれ頂戴で食べられるからだ。胡麻豆腐はハチの大好物なのである。

投稿者 zuiryo : 20:52 | コメント (0)

2006年01月04日

年頭回礼

今日は恒例の年頭回礼。雲水全員で手分けして市内信者さんの家を一軒一軒訪ね、年頭の挨拶をし正月3日間祈祷した大般若札を配る。自転車で行くから雨や雪が降ったら大変なことになる。それでも決められた家は回らなければならないから、この間から天気予報が気になって仕方がなかった。まっ、何とか夕方までもってくれたので一安心である。私が雲水の頃は、一人で3日間出掛けた。田舎の僧堂だったから目的地まで行くのが大変で、1時間も2時間も山道を必死で漕いだ。遠方のところは20キロ先などと言うところもあって、夕方頃はもうフラフラ、間見峠を勢いつけて下るうち、砂利道に足を取られて脇の田んぼに転落したこともあった。あの頃は本当に若かったんだな〜、としみじみ思う。

投稿者 zuiryo : 17:08 | コメント (0)

2006年01月02日

初詣

今日は暇を見て午後伊奈波神社へ初詣に出掛けた。去年、他人に頼んでお札受けして貰ったら不幸なことがあったので、今年は深く反省して自分で出掛けお詣りしてきた。道すがら、今年はどういう覚悟で一年をおくろうか考えた。漠然としてではあるがふっと心に期するものがあった。「一年の計は元旦にあり」と言うから、意外とこの時の思いが急所を突いているかも知れない。

投稿者 zuiryo : 22:05 | コメント (1)

2006年01月01日

棚の上にも3年

今朝は午前3時起床、1時間半勤行、大福茶礼、祝餅と、一連の行事が終わったのが5時半、一息ついてから今年最初のハチの散歩に出掛けた。街の中は寝静まって人っ子一人居ない。日中いつもの年始の客が数人、合間をぬって掃除を始めた。本棚がいかにもだらしなく、その上本以外の雑多な物まで混ざっている。徹底的に外へ放り出してからきちんと並べ替えると、何と3年前の羊の茶碗が出てきた。棚の上に3年、じっと置き去りにされて居たわけである。溜まったほこりもさることながら、いかに平生整理整頓が出来ていないか改めて思い知らされた。しかし元旦から掃除というのも「山中暦日無し」の僧堂だが、いささか「変人」である。

投稿者 zuiryo : 15:05 | コメント (0)