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2022年01月18日

新年の集い

今日は知人の会の新年の集いが有って出かけてきた。通常では初めに会としてのセレモニ~が有って、その後、懇親の会でご馳走を頂きながらお喋りに花を咲かせるというパタ~ンだが、このコロナ下、飲み食いは一切無く、セレモニ~等でたちまちのうちに終わった。何だか気が抜けたような会だった。やっぱり大いに飲んでお喋りをして、賑やかな新年会がいいな~!とは言ってもこのご時世では無理な話、しょんぼり帰ってきた。誰が悪いって、「コロナ」だ。その代わり帰ってから色々仕事がはかどったので、悪いことばかりでも無い。何事もものは考えようである。夏末大接心も早くも中日、あっという間に後半戦となる。どうも少々風邪気味なのか、イマイチ胃腸がスッキリしない。本格的風邪にでもなったら目も当てられぬので、一層気を付けよう。

投稿者 zuiryo : 17:08 | コメント (0)

2022年01月15日

今日から夏末大接心

冬期最後の大接心が始まった。昨日降った雪が屋根や北側の隅にまだ積もっている。コンコチコンに冷え切った空気である。まっ、だんだん老化すると、万事に鈍感に成って、寒さも余り感じなくなった。つまりづ~っと寒いのである。特に手が冷たくなって、スムーズに動かない。ものを掴み損ねたり落っことしたりする。することなすことスカタンばっかりだ。もう人間やめたくなる。僧堂でのこの寒さ、もうどれくらいやって来たか知れない。良く、この寒さが良い!なんぞと言うが、近頃はそうかな~と思う。冷たいのが良いなら冷蔵庫の中の野菜や果物達は良い修行して、みんな悟っちゃう。が、そんな事、聞いたこと無い。まっ、それはそれとして、は~やく、来い来い!春!である。

投稿者 zuiryo : 11:01 | コメント (0)

2022年01月14日

大四九忘れて・・

今朝は大四九、寝忘れなのだが、何を勘違いしたのか、通常通りに起きてしまい、すっかり出頭支度を調えてから、間違いに気がついた。既に遅し。まっ折角起きてしまったのだから、この時間を有効活用しようと考え直し、机に向かって事務的な仕事をする。これは老化現象の一つである。反対に、起きなければならないときに間違えて寝過ごしたら、大変だが・・。頭もかくのごとしだが、体も同様に、コチコチ!何だかロボットのような、動き方になった。まっ、それは仕方が無いとしても、問題は思考に柔軟性が無くなってきたことだ。総じて極端に成ってきた。これはまずい!しかし、この問題、そう簡単に解決できそうもない。老いると言う事はこういうことなんだと改めて知った。

投稿者 zuiryo : 04:23 | コメント (0)

2022年01月12日

チャイちゃんの死

夜、チャイちゃんの様子が一寸変だな~と思った途端、触ってみると既に息を引き取っていた。あっという間の出来事だった。チャイちゃんは長いこと野良生活で、最近、廊下の隅に暖かな小屋を置いてやると、夕方にはやって来て、丸くなって寝ていた。今晩もいつものようだったのだが、余りにもあっけなく、驚かされた。うちとしては三匹目の猫の死である。何も苦しまず、まるで寝ているようだった。この寒空の中、何処かで行き倒れになっていたら、可哀想だったが、暖かな小屋の中で静かに息を引き取ったので、一寸救われたような気がした。まるで良い死に場所を見つけに来たような死だった。

投稿者 zuiryo : 21:21 | コメント (0)

税金の話

昨日、個人住民税の特別徴収義務者指定について・・・と言うお知らせの書類が届いた。兎も角住民税を払え、しかもこの書類は再度のお知らせらしい。頭がボ~ッ!早速何時も会計を見て頂いている事務所へ連絡、事情をお話しして、一件落着した。兎も角お役所からこの類いの書類が届くと、もう見ただけでも頭がボ~ッ!として固まってしまい、訳分からない始末である。極端だが、私なんぞはもうこの世で、まともに生きて行けないのかも知れないと、思ってしまう。まっ、事はそう大層な類いのものでは無いようだが、一寸でも難しい書類は見ただけで脳みそが固まってしまう。すかさず、引退!と言う二文字が目の前をチラチラ!極端なのかも知れないが、こう言う我が身の反応を見ただけでも、そろそろお払い箱だな~!である。

投稿者 zuiryo : 11:17 | コメント (0)

2022年01月11日

旧隨

嘗て僧堂で長らく修行し、現在はそれぞれ寺の住職となって活躍している者を旧隨と言う。今日その中の二人にお越し頂き、色々話し合った。まっ、そう大層なことでもないのだが、年月を経るうちに、いろいろな事があり、中には少々問題ありという者も居るので、その扱いをどうするか等である。悪いことは出来ない、悪事千里を行く。狭い宗門の中では、あっという間に広がってしまう。ボ~ッとして暢気に構えているのは本人だけである。それらを踏まえて、今後どうして行くか、自ずから行くべきところへ行くことになるのだろうが、皆で相談しながら決めて行かなければならぬ。そもそもこんな事を話しあわなければならない事自体が情けない。もう一寸前向きな良い話をしたいものだ。

投稿者 zuiryo : 16:16 | コメント (0)

2022年01月10日

穏やかな日和

今年の正月は連日穏やかな日和続きで、良い正月を迎えることは出来た。今日は朝から、強風に吹き飛ばされた落ち葉掃きで、ザザザッ~ッという掃く音が、静まりかえった境内に響き渡っている。こう言う音も冬の風物詩で、掃いてる雲水は大汗かいて大変だろうが、聞いてるこっちは、フムフム、良い感じの音じゃわい!なんて、まるで他人事のように思って冬を味わっている。日の経つのは本当に早いもので、あっという間に十日が過ぎた。うちの場合は年始だからといって、客が引きも切らずなんてことは無い。野良猫のチャイちゃんが、静まりかえった茶室の濡れ縁で、思いっきり体を伸ばして日を浴びている。この姿がうちの正月を象徴しているようなものである。

投稿者 zuiryo : 14:32 | コメント (0)

更新手続き忘れる

ジパング倶楽部更新手続きをしなくっちゃ~!と前々から気にしていたのだが、見事に忘れてしまった。既に更新手続き期間は過ぎてしまい、また新たにやり直さなければならない。相当以前から更新手続きを・・・とお題目のように唱え続けていて、結果この始末である。我ながらぼんくら頭にあきれ返った。これも老化現象の一つと言う事なのだろうが、

投稿者 zuiryo : 10:03 | コメント (0)

2022年01月02日

S師より電話

滅多に電話などしてこなかったM市のS師から、年末に師匠が亡くなり、急に後を継がなければならなくなったと、元気の無い電話があった。このお師匠さんとは、嘗て私が建長寺派に所属していた頃から交流があって、何時もご親切に季節の野菜など土地柄の産物を送って呉れた、大変奇特な方であった。私より年齢も少々若かったのではないかと思うが、急逝には驚かされた。人の一生は飯の上端の湯気のように儚いもの、と言われるが、本当にその通りだと、改めて実感させられる。特に自分の年齢に近い方の訃報に接すると、他人事とは思えない。明日は我が身である。歯が欠けるように周辺からポツリポツリと遷化の知らせが届くと、寒風が吹き抜ける心地になり、寒々としてくる。そう遠からず、今度はこっちからそう言う知らせをすることになるのだろうから。

投稿者 zuiryo : 14:54 | コメント (0)

三ヶ日も瞬く間に過ぎ・・

例年の事ながらお正月は超ヒマ、終日ゴロゴロ、まっ、こう言うのもお正月ならでは、満喫!午前9時から大般若祈祷会、これで行事はすべて終わる。早速正月飾りを撤収、元に戻る。大抵それから伊奈波神社へお参りするのだが、さて今日はどうしようか・・・?年々、ものぐさになった。それはそうだ、80歳になるのだから、当然の事!日常もかくのごとしで、まるで"置物"人生である。嘗て仕えていた師匠は大変活動家で、三が日が終わるやいなや、バネ仕掛けの人形のように外に飛び出し、外出しまくっていた。ああ言う心理は私には全く解らない。静かなお寺の中で過ごすのが一番良いじゃないかと思うのだが。顔がそれぞれ違うように、人様々である。むしろ私などは年々、人嫌いになってきた。孤独を愛す、などと言うと、一寸変に聞こえるかも知れないが、寺でジ~ッと一人静かにしている時が、一番幸せを感じる。

投稿者 zuiryo : 07:29 | コメント (0)

2022年01月01日

謹賀新年

年末年始、バタバタしているうちに、今日は早や二日が過ぎた。午前中二組、年始の客があって、後は静まりかえっていた。まっ、うちではこれが例年のことで、後は静かに部屋で年賀状を見たり、ボ~ッと過ごした。雲水も同様寝正月、年末の慌ただしさから解放されて、のんびり休息である。僧堂中静まりかえっていた。年末慌ただしく過ぎたので、丁度良い具合なのである。一年の計は元旦にありと言うから、ジ~ッと落ち着いて、静かに新年を迎えるのが一番である。嘗て雲水修行の頃は、新年早々、矢鱈来客が多く、天手古舞いした。正月というのは常にこう言うものかと思っていたが、どうもそれは異常なことで、シ~ンと静まりかえっているのが普通なのだ。此処へ来て漸くその普通が解った。私も新年を迎えて80歳になる。超老人である。ボツボツ潮時かな~、ふっと頭をよぎった。

投稿者 zuiryo : 20:12 | コメント (0)