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2019年09月28日

チビのその後

今朝偶然台所辺をのぞいたら、「チビ」にばったり出会した。以前見たときは手の平に載るくらいの小ささだったが、今日見ると相当大きくなっていて、長い尻尾で、見間違えてしまった。餌をボリボリ食べていたようで、私の姿を見ると一目散に逃げていった。ここまで来る間にはうちの「クロ」に追いかけ回されたり、「タマ」にいきなり噛みつかれたりと、相当修羅場をくぐり抜けてきたので、誰であれ気配を感じたらともかく逃げろ!と学んだようである。しかしいろいろ怖い目にも遭ったが、ここに居さえすれば兎も角飯にはありつけるわけだから、極楽世界には違いない。雲水に聞くと、中庭を散歩していたり、食堂で毛繕いしていたりと、結構余裕らしい。最初からの飼い猫と、もと野良の違いは歴然としていて、厳しい世間を生き抜く智慧を子猫の頃から学び、それで今があるわけだから、どこかシャキッとしたところがあり、安心感で伸びきった飼い猫よりネコらしくて良い。

投稿者 zuiryo : 10:13 | コメント (0)

2019年09月24日

頭がボ〜っ!

毎月一回、内科の先生のところへ通って、薬を貰っている。いつも受付で、診察も受けずに薬お願いしますというと、処方箋を書いてくれて、それを持ってすぐ前の薬局で薬を貰い帰ってくる。その話を友人にすると、それは駄目!!必ず診察をして貰いなさいと厳しく指摘された。ごもっともな話である。今日は毎月の薬の日。そこで友人の言葉の通りに診察を受けた。はやり指摘の通りだった。いろいろ身体の調子など聞いて貰い、特に急に体重が10キロも増えたというと、ではいろいろ原因を調べてみましょうと血液を採ったりすることとなった。まだ結果はわからないが、もし友人に忠告を受けなかったら、お医者さんにかかって居ながら、診て貰わないという、誠に変なことになっていたわけで、持つべきものは友人である。尤もその友人、近年身体のそこらじゅうが悪くなって、身に堪えているからで、私にも転ばぬ先の杖で、いろいろ心配してくれるのである。

投稿者 zuiryo : 21:35 | コメント (0)

2019年09月23日

血が通う

ぼつぼつ干支の色紙の制作に掛かった。賛の字は書道の先生に見本を書いて貰いひたすら稽古をして真似る。だから純粋にオリジナルというわけでは無いが、自分の書には違いない。問題は干支の絵の方で、これも絵の先生に見本を書いて貰い、ひたすら稽古する。動物も種類によって描きやすいのと、そうでないものがある。白状すると、長年この方法で描いてきたものを昨年は真似る努力を怠って、自作では無く見本をそのまま使ってしまった。出来上がってみると確かに上手だが、私のと違って下手さが無いから何処か冷たい感じだった。これを大いに反省して、例え下手っぴーでも自力に優るものはないと悟り、今年は一生懸命何枚も描いた。その中からまあまあというのを選び、これで行くかと決めた。じ〜と見ると、どこかぎこちなさが残るが、このへたっぴ〜さが良いのである。

投稿者 zuiryo : 11:10 | コメント (0)

2019年09月22日

チビ

門前の信心深い猫が毎朝お参りに来るという話は以前書いたが、その猫が茶色い子猫を一緒に連れてくるようになった。どうも自分の子供では無く、小さな猫が路頭に迷っている姿を見るに忍びなく、お寺へ連れてくるようになったようだ。その後毎朝お参りの猫の方は門前の叔父さんが飼い猫にしてくれたようで、ず〜と幸せになった。ところが子猫の方は依然として野良なので、日々の食べ物にも困り、自然に一人でやってきてお寺の餌を食べるようになった。そのうちどうせならここに住み着いた方が良いと考えたようで、何処を住処にしているかは解らないが、ご飯時になるとどこからか現れて、にゃ〜にゃ〜ご飯を要求する。あるときこの子猫、台所のいつもの餌入れに首を突っ込んでしきりに餌を食べている門前の猫がいた。喜んで側にくっつくと、何とその猫は別の猫で、奥で飼っているタマだった。余りに模様が似ていたので、間違えて側にすり寄っていったのだ。途端に噛みつかれ、驚いたのなんのって、必死に逃げた。それからは余程懲りたらしく、ご飯時以外は何処かに隠れ住み、時分どきになるとにゃ〜ごと現れる。これでは名前の付けようも無いので「ちび」と呼んでいる。

投稿者 zuiryo : 06:05 | コメント (0)

2019年09月20日

白の玉石洗い

本堂東濡れ縁の下はこぶし大の真っ白な玉石が敷き詰められている。相当以前年末大掃除の際、一個づつ冷たいバケツの中に手を突っ込んで洗っていたことがあった。見ているこっちまで凍えるような気がした。こう言う作業は修行者で無ければ絶対しないだろうと思った。歳月は流れ当時の白さもすっかり消えて、汚れて黒ずんできた。そこでもう一度綺麗にしようと言うことになったのだが、知恵者が現れて、猛烈な圧力を掛けて水を飛ばす機械を持ちだし、あっという間に石は真っ白に変身した。そもそもこの機械は本堂前の御影石の敷石が黒く変色するので買ったもので、それをこの玉石洗いに応用したというわけである。何とあっという間に作業は終わった。完成状態を見ると一個づつ手洗いしたときより真っ白になっていた。世の中便利になったものだ。

投稿者 zuiryo : 20:24 | コメント (0)

2019年09月19日

せんねん灸

左膝痛の治療を施してくれた友人の言うには、せんねん灸をすえると良いそうだ。マジックペンですえる位置に黒丸印をしてくれた。早速薬局で買い求めその印の位置に合計五ヶ所やってみた。火を付け、最初はもくもく煙が出て、次第に根元近くまで燃えてくると途端に、イテテテテッ!じっと我慢して終わる。暫くそのままにして、剥がすと皮膚が真っ赤になっていた。これを朝晩二回やり続けて三日目、なんだか足の痛みも引いてきて、着実に効果が出てきたようだ。お灸をすえたところは赤く腫れ上がってきたので、少しずつ位置をずらして連日続けている。小さかった頃、良く悪いことをすると、ばあやさんからお灸をすえるぞ!と驚かされたが、その頃はお灸はごく身近なものだった。我々を脅かしていたばあやさんも背中にもっと大きなお灸を何カ所もすえていた。場所柄自分では出来ないので、すえるのは我々子供の役目で、見るからに熱そうで、じっと我慢して黙々上がる煙に耐えていた。なんだか無性にばあやのことが想い出されて、胸が詰まった。

投稿者 zuiryo : 08:49 | コメント (0)

2019年09月18日

御嶽滝行

今年も恒例の御嶽滝行に行ってきた。いつもの仲間、今回は総勢13名で、なかなか盛況であった。滝を浴びるのは別に人数の多寡は関係無いのだが、そこは勢いというのがあって、13名も揃うと馬力が出る。水量は並みで、気温はむしろ高めだったから、随分入りやすかった。ところが昨年来からの左膝痛、これが酷くて、富士登山の時の杖を二本持っていって、滝行の現場までの山路も、杖にしがみつくようにして登り、いよいよ滝の直下でも、杖に支えられ、まあ何とか浴びることが出来た。何とも情けないような格好だったが、無事終わって安堵した。翌日は朝食後、皆で坐禅を組み、その後私の話が少々、ところが出立の時慌てて原稿を忘れてしまい、質問に答えることにして、何とかお茶を濁した。万事に粗忽が出て、皆に迷惑掛けっぱなしの二日間だった。

投稿者 zuiryo : 16:44 | コメント (0)

2019年09月12日

左足のお皿辺

この所急に左足のお皿辺が傷みだし、とても歩くだけでも痛くてしょうがない!朝起きてから寝るまでついて回ることなので、顔ゆがめながらひたすら辛抱している。こうなったら今日にでも整形外科へ行って診て貰おう。こういう時に限って墨蹟を一つなんて言う頼まれ事をする。屈むだけでも痛いのにその恰好で字を書くのだから、顔ゆがめ、いたったったったっ〜っ!書き上がった字も痛そうな感じのものになった。更にこの所体重はどんどん増えて、自己最高値になったので、重みで痛さも倍加してきた。踏んだり蹴ったりってのは、この事だ!何か悪いことでもして罰が当たったのだろうか???本当はこの十四日に知人の娘さんの供養のため関東方面へ出掛ける予定だったのだが、急遽お断りして勘弁して貰った。あっちこっちに迷惑掛けて、この膝め、張り倒してやりたい!

投稿者 zuiryo : 10:57 | コメント (0)

2019年09月06日

東海庵開山忌

毎年5日・6日は京都の本山塔頭の東海庵の開山忌に出掛ける。この頃はまだ残暑厳しい時で、午前七時からの行事が終わると全身汗びっしょりとなる。遙か四十年近く前、初めてこの行事に出頭した頃のことが、ふっと頭をよぎった。ぺっぺけぺ〜の新参者が、慈雲院の老僧に伴われ、おっかなそうな老僧近くに案内され、縮み上がったときのことが想い出された。爾来毎年欠かさず出頭させて頂いているのだが、勿論メンバ〜もどんどん変化して、今では私がそのおっかなそうな老僧になってしまった。行事も無事に終わり、朝食のお膳が出て、朝から高級紹興酒も頂き、部屋に戻ってひとっ風呂浴びて汗を流し、岐阜に戻った。何が困ったと言って、左足びっこをひきながら、階段の登り下りである。道中隠侍が言うには、来年は車にしましょう!そうだな〜!何故そこに気が付かなかったのか!頭も身体も硬直化して、万事にこの調子である。

投稿者 zuiryo : 20:35 | コメント (0)

2019年09月02日

小祥忌(しょうしょうき)

小祥忌とは一周忌のことで、亡くなって一年経つ頃、同じ季節が巡ってくるため、喪失感が一層強くなる、そんな時に法要をすることで、区切りを付け、今後は目出度い方向に歩み出そうと誓うのが、小祥忌である。祥というのは元々災いを意味した。だから羊という生け贄を祭壇に供え、祈るのである。「羊」は、現代風に言えば、故人に捧げられる遺族それぞれの奮闘努力のことで、我が身を羊として捧げるべく奮闘し、それによってわざわいをさいわいに転じたため、後に「祥」と言う文字そのものの意味が、「さいわい」に転じたのである。大切な人を亡くして一年経った今、少なくとも「さいわい」や「めでたさ」の萌芽だけは見いだしたいと願っている。「祥」という文字に起こった劇的転換が、自分達の中にも起こると思いたいのである。「わざわい」から踏み出す一歩なのである。

投稿者 zuiryo : 10:25 | コメント (0)