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2015年03月31日

美人だから・・・

最近ある有名な家具屋さんが内輪もめで、マスコミに大々的に取り上げられた。お寺では家具を揃えるというのはないので、初めて聞く名前だった。大変有名な家具屋さんらしい。そのもめ事も親子喧嘩というので、さらに野次馬根性丸出し、私に言わせればそんなの放って置いたらいいじゃないのと言いたいが、連日刻々と状況が報ぜられた。この話をある会の仲間としていたら、一人の方は、この宣伝効果は抜群で、会社は喜んでいると言い、ある方は喧嘩相手の娘さんが美人だからよ、と言った。な〜るほど!美人は絵になる!ふとスタップ細胞事件の小保方さんを思い出した。良しに付け悪しきにつけ、美人かブスかは、マスコミ受けと言うところから見ると大違いなのだ。納得!

投稿者 zuiryo : 11:28 | コメント (0)

2015年03月29日

ボケの花

隠寮の庭先のボケの真っ赤な花が今満開になった。3月初め、春とは言っても、時折雪が舞うようなまだ寒いとき、一番にこの真っ赤なつぼみが、もう少しで春がやって来ると告げてくれる。いつもぽっと心が和らぐ。少し前から鶯が鳴き始めた。練習中の鶯も微笑ましい。今年のは妙にこぶしが利いたような鳴き方で、思わず笑った。市内の桜もぼちぼち咲き始めた。二,三年前、春になって桜を眺めることが出来ないのは寂しいと思い、一本だけ植えたのが、年々成長して、大分大きくなり、今年は花見が出来そうだ。楓の葉も少しづつ小さな芽が膨らみ始めた。隠寮の庭一杯に広がる楓の若葉が私は好きだ。うちの軒号は「滴翠軒」と称し、代々継承することになっているが、この若葉を眺めながら、な〜るほど〜!と思う。こういう同じことの繰り返しを、あと何年味わうことが出来るのかな〜!と思うと、一層我が身をいとおしむ。

投稿者 zuiryo : 09:47 | コメント (0)

2015年03月28日

真っ黒クロスケ

印度旅行中、大型トラックのサイドミラーに、真っ黒クロスケを7個数珠つなぎにしたようなのがやたら目についた。あれは何だと尋ねたら、交通安全のお守りみたなものだと言う。それが風に翻り、うなりを上げて疾走するトラックをどれだけ見たことか。今回の旅行では何も買い物をしなかったので、一つ記念にこれを買い、うちの車に飾ったら良いかもしれないと思った。ところが一般の土産物品店にはどこを見ても売っていない。そのうち何処かで見つけて・・・と思っているうちに結局買えずに帰国した。道中その話を添乗員にしたのを記憶して置いてくれて、彼が再びインド旅行の添乗に行ったとき買ってきてくれた。ご厚意誠に有り難い次第である。そこで早速ぶら下げてみたのだが、大きいのなんのって、全長約80センチ、まるで合わない。折角買ってきてくれたのに・・・。そこで自分の勉強部屋の両脇に吊した。これがなかなか良い感じで、車の交通安全から転じて、脇目も振らずに一生懸命勉強せよ!というお守りになった。

投稿者 zuiryo : 09:35 | コメント (0)

2015年03月26日

漸く入れば・・・

以前スマホを買ったという話をしたが、あの機械くらい難解なものはない。幸い近くに機械ものに通じている男が居るので、ちょくちょく聞いては徐々に進化を遂げ、今では相当使いこなせるようになった。こうなるとなるほど便利なものだとよく解る。しかし一方で、解ってくればくるほど、反対に解らないことが山ほどあると言うことが解ってきた。つまりものを知れば知るほど、知らないと言うことを知ったのである。これは何もスマホだけの問題ではない、科学技術が急速に進歩し、特化してくると、益々知らないことが増えてくると言う矛盾。禅で言う、「漸く入れば漸く深し」で、深く知れば益々まだ見えていない世界が広がるのである。修行ではこれがあるから幾つに成っても修行し続けることが出来るわけだ。スマホからとんだところへ話がいってしまったが、いつも何故何故と問い続けると、不思議に禅に結びついてくる。

投稿者 zuiryo : 19:51 | コメント (0)

2015年03月24日

異見立て

自分と異なった考えを言うことを異見立てという。きょうもある方に相談ごとをし、ではそういうことで進めましょうと話がまとまった。それから間もなくして電話があり、やはりそれは間違っていますから、こういうことで・・・と変更になった。その方とやり取りしながら、羨ましいな〜と感じた。私の身の回りでは絶対そういうことはないからだ。私が言えば、全てそれが正しいことになってしまう。実は本当にそうなのかは解らない。一方で異論があると余り良い気はしないのも正直なところだが、何も反対がないというのも空しいものである。私のような環境でずっと生きてくると、これが習い性となって、変な性格の人間が出来てしまう。鏡に我が身を照らすが如く、謙虚でいなければならないと、改めて思い知らされた。

投稿者 zuiryo : 20:15 | コメント (0)

2015年03月23日

再びろうそく温泉へ

今日は把針灸治、そこで友人三人と連れだって、ろうそく温泉へ出掛けた。私以外は全員初体験、興味津々のようであった。仲間の一人はゴルフ狂で、何と近くのゴルフ場にはしばしば来ていたようで、道順もよく知っていた。到着後受付を済ませ、早速午前一回目の入浴、その後全員で休憩所で坐禅。昼食を挟んで第二回目の入浴。これで今回は終了。感想を聞くと全員大満足の様子、これからも機会をみつけて来たいと言っていた。これでこそご案内した甲斐があったというものである。まだ周囲の木々は枯れ枝でちょっと寂しい感じだが、やがて春になれば鬱蒼とした木立に囲まれ、さぞ良い雰囲気になるだろう。また機会を見つけてこようと思った。

投稿者 zuiryo : 20:52 | コメント (0)

2015年03月21日

脳を鍛える

この間寝ぼけて午前一時半に起きてしまったという話をしたが、あれからずっと私の仲では尾を引いている。何とかしなくてはと思い、「ツタヤ」へ行き、ニンテンドー3DSLL、を買ってきた。以前人から貰った機械よりずっと進化していて、メニューも大分違う。なんとか説明書を頼りに、使い方は理解できた。そこで早速やってみると、これが以前のより小難しい。ようするに素早く計算するのだが、一ひねりしてあって、だんだん腹が立ってきた。大体問題そのもが良くない!大枚はたいて買ったから放り投げるわけにはいかない。机に置いたこのにっくき機械を睨み付けて、悶々と日々を過ごしている。

投稿者 zuiryo : 09:55 | コメント (0)

2015年03月20日

ノラクロの友達

最近うちのクロにライバルが出現。トラ模様の猫がいつもやって来るようになった。最初はクロが餌を食べると側に居て、次ぎに残りを食べるという風だったので、変な奴が一匹増えたものだと、クロに為に案じていた。これではクロも落ち着いて食べちゃ〜要られないな〜と思ったわけである。ところが雲水の情報によると、このトラ、邪魔者ではなく、クロととっても仲良しだというのである。段ボールの小屋を作ってやったら、何と一緒に丸まって寝ていると言うではないか!結果、二匹分の餌をやらなければならなくなったというわけ。まっ、それは良いとしても、ノラネコ界では、あそこへ行けば大変待遇が良い、と言う評判らしい。広い庭で悠々と日向ぼっこが出来るし、暖かいふわふわの寝床まである、さらに「にゃ〜ご!」と鳴けば、食い物に困ることはない。こういう有様を見ていると、ノラネコ(最近は街ネコというらしい)にはそれなりのコミュニティーが成り立っていて、人間の集団と余り変わらないノラ社会があるような気がしてきた。

投稿者 zuiryo : 04:57 | コメント (0)

2015年03月19日

93歳の観梅

二、三日前、まるで春のような日和りに、93歳の長寿を保たれ、尚元気な知人がうちの寺の紅梅を見に来られた。近くの高級介護施設に入って居られ、悠々の日々をお過ごしなのだ。その弟さんも既に83歳の高齢にも拘わらず、いつも気に掛け、会社の報告やら何くれと無く気を遣って居られる。世間ではこの反対の例は良く聞くが、幾つに成っても兄弟仲良く、こういう細かい配慮が出来るというのは、傍から見ていても気持ちの良いものである。その弟さんと春の紅梅見物はここ数年の恒例で、昨年までは四つ輪の手押し車に掴まり自力で歩いていたが、今年は車いすに乗っての見物に成った。元気に座禅会に参加していた頃を懐かしみ、私と何度も堅い握手をした。言葉もやや不自由になり、この握手が万言の会話に成った。また来年もお待ちしてますよと申し上げると、満面の笑みで返された。毎年近くの神社を二ヶ所とうちのお寺へお詣りされるのは、神仏に助けられたお陰で事業が順調にいったのだという感謝の念を忘れないからである。深い人生観を垣間見る思いであった。

投稿者 zuiryo : 05:17 | コメント (0)

2015年03月18日

ボケの始まりか

毎日午前三時に起きて、部屋の窓を全開、内仏のお茶を片付け、洗面、塩で歯磨き、廊下の軒につるしてある温度計を見て日記に記帳、それから法衣、袈裟を着けて、しばし大鐘が鳴るのをじっと待つ。以上が毎朝の私の儀式。今朝もそのようにしてじっと大鐘を待ったが一向に鳴らないではないか。むむっ、寝忘れしや〜がったな!たたき起こしてやらねば!ふと目の前の置き時計を見たら、何と午前1時半ではないか。ガ〜ン、私が寝ぼけていたのだ。自分に腹が立つやら、情けないやらで、意気消沈。絶望的になってすごすご布団に潜り込んだ。あ〜!ついにボケの始まりか!ショック!よく考えてみると、今朝のような間違いはあっちこっちでやっている。先日も朝の喚鐘の時間を間違えて、知客さんから指摘を受け、慌てて室内に駆け込んだ。昨年末いつものドックで多少脳が萎縮してますが、まっ年齢相応というところですねと言われたのを思い出した。放って置いた「ニンテンドー脳を鍛える」をまた始めようかと考えている。

投稿者 zuiryo : 09:36 | コメント (0)

2015年03月17日

自然薯

先日久しぶりに断食道場に行った事を書いたが、20年ほど前この断食に参加したとき、偶然相部屋になった方と、その後ずっと交流が続いた。今回も久しぶりに旧交を温め、断食前の夜、博多の繁華街で食い納めの酒盛りをやった(本当はいけないことで前夜から絶食するのが良い)。無事終了の時はわざわざ福岡から車で迎えに来てくれる。そこでいつもお宅に寄って、亡くなられたご両親にお経を上げるのが近年のパターンになっている。今回もお仏壇でお経を上げると大変喜んでくれた。帰り際、亡くなった叔母〜ちゃんが庭の隅で自然薯を育てていたのが、何年も経って大きくなったので土産に持って行って下さいと頂いてきた。相当太く成っており、帰って早速とろろ蕎麦にして頂いた。いや〜これが旨いのなんのって、ほっぺたが落ちそう。折角減った体重が一気に元に戻った。

投稿者 zuiryo : 20:27 | コメント (0)

2015年03月16日

亡き友を想う

先日友人の奥さんから、実は主人が亡くなりました。生前の交友を感謝申し上げますという手紙が届いた。1年ほど前、近くを通ったとき急に会いたくなって突然訪問したことがある。久しぶりにお目に掛かると、想像以上に老いていたのに驚かされた。しかし既に90歳近くなのだから、老いて当たり前なのだが、どうもイメージとしては溌剌として居られた記憶が鮮明に残っているので、ついそう思ってしまったのだ。私がまだ雲水だった頃老師に連れられてお邪魔したのが始まりだから、50年近くになる。その後鎌倉に住職していた頃も近くで個展を開くと必ず寄ってくれた。ご夫婦いつも一緒、奥さんがまた良い感じの方で、夫唱婦随の見本のようだった。当時一緒に住んでいた母も、本当に良い人だと喜んでいた。尤も陶工は三日三晩薪をくべ続けなければならないから、嫌でも夫唱婦随にならざるを得ないのだが。知らせの手紙を受け取ってからがっくりきて、力が出なくなってしまった。友を失うというのはこういうことなのかと感じた。

投稿者 zuiryo : 09:12 | コメント (0)

2015年03月15日

機械もの

アイフォン操作に悪戦苦闘していると書いたが、それはパソコンも同様で、インド旅行の写真を取り込もうと操作したが、全然駄目。そこでいつもの和尚さんに教えて貰った。メモも録った。しかし多分次回はまた来て貰う羽目になるだろう。こういう情けないことの繰り返しで、トロクなった頭に茫然とする。頭だけではない。印度旅行中も、ちょっとした登り下りにも隠侍の手を支えにしなければ覚束ないのには、我ながらがっくりくる。どうも情けないような話ばかりで、こうして書きながら益々情けなくなってくる。それならよしゃ〜良いじゃないかと思うか知れないが、こういうつまらないことしか話題が無いと言うことがそもそも老齢化なのだ。先日断食道場の話を書いたが、その主催者の吉丸先生は既に80歳、しかし溌剌として実に心が若い、先生の生き方そのものが健康道場の看板通りなのである。お釈迦様はある外道から仏法とは何かと問われて、ただじっとたたずんだ、と言う話が残っているが、先生の一挙手一投足が、即健康を保ち生きることとはどういうことなのかを教えておられるのだと感じた。一つの道を究めた人の真の姿だと言うことが解る。

投稿者 zuiryo : 10:08 | コメント (0)

2015年03月12日

断食道場

20年前くらいから毎年九州の断食道場へ行っている。近年しばらくお休みしていたが、今年から再開した。期間は一週間である。所謂水断食と違って、此処では特別な酵素をお湯で溶かしたものを日に3回飲むので、確かにお腹は空くが、苦痛はない。そして毎日2回酵素風呂に入る。これは土俵のような円形の風呂で、檜のおがくずがてんこ盛りになっていて、それが酵素の発酵熱で相当熱い。そこに砂風呂のように潜って上からおがくずを被せて貰い、首だけ出している。大体10分から15分入っていると猛烈に汗が噴き出てくる。後は風呂場で身体についたおがくずを流して終わる。その後冷たい酵素を飲んで、背中・お腹とかわりばんこ、酵素を溶かしたシートを貼って、その上から酵素を団子状にして布で玉のようにした熱球を載せる。後はひたすら寝る。まっ、ざっとこの繰り返しを6日間やる。特に此処で大変良いのは、主催者の吉丸先生のお話が朝晩あることだ。単に健康のことに留まらず、人生全般の様々な話が聞ける。これが誠に素晴らしい。実に奥が深い。この断食をやると一年間がんばれる。

投稿者 zuiryo : 22:08 | コメント (0)

2015年03月06日

財布のひも

僧堂ではお寺の会計は古参の雲水が担当することになっている。その役は半年ごとに交代し、その度に私が立ち会って間違いが無いかを点検する。うちでも十数年前まではこれでやっていたのだが、止めた。当時担当していた雲水が、交代数日前になって、百何十万円、余ってしまい、引き継げませんと言ってきた。どうしたんだと問うと、何と半年間、全く記帳せず、一気にやろうとしたと言う。バカバカバカ!早い話が能力なしなのだ。会計士さんと相談し、爾来窓口の出入りだけさせて、正式な帳面は私自身がやることにした。私は計算能力はゼロ、数字を見ているだけでも頭が痛くなるほうなのだが、必要に迫られて必死にやっている。「ご老師がやって頂くようになって、私の方もずっと楽になりました」と会計士さんが言うのを見ると、今までは滅茶苦茶なのを、苦労しながらまとめて居られたのだと察した。自分で財布のひもを握って解ったのは、お陰でお寺の経済がどのように動いているのかを掌握できたことである。だから一層質素倹約に努めるようになり、雲水にも細かな注意が出来るようになった。まっ、苦労の甲斐もあるわけだ。

投稿者 zuiryo : 10:22 | コメント (0)

2015年03月04日

和尚さんの葬儀

今日は朝から車で1時間ほどのところにあるお寺の和尚さんの葬儀に出掛けた。88歳で亡くなられたのだから、この遷化は悲しい葬儀ではなく、天寿を全うしたと言える。特に長らく胸を患っていたそうで、よくぞこの年齢まで生きてこられたということであった。私が修行した道場の近くなので、雲水時代はいろいろご親切にして頂いた。引導法語を唱えながら、過ぎし日のさまざまな事柄を思い出し思わず胸が一杯になった。ご親族の話によれば、亡くなる寸前まで普通に法要も勤めて居られたというのだから、羨ましい最期である。私は別の方で、最期七転八倒の苦しみに、口を開け顔をゆがめたまま亡くなられた人を見たことがある。病気のゆえと言いながら、断末魔の形相は、本当に悲しくなった。人間誰でも死はやって来る。良い死に顔で死にたい。仏様に見放されないように、日々の精進努力が肝心なのだと思った。

投稿者 zuiryo : 19:59 | コメント (0)

2015年03月03日

アイフォン6

これが発売されると同時に知人の和尚さんに同行を願いドコモショップへ出掛けた。売り場のお姉さんと彼がいろいろやり取りしているのを傍で聞いていたが、一体何を喋っているのかさえ理解不能。でも家に持ち帰り、じ〜っとアイフォンを眺めていたら無性に嬉しくなった。まずマニュアルに従い画面にフィルターを貼り付ける。これが出来ないばかりか、ぺらぺらの薄い膜を貼り付けてしまい、此処でまずは蹴躓いた。翌日同行をお願いした和尚さんに来て貰いやって貰った。爾来このiPhoneを使いこなすまでの悪戦苦闘は到底一口では語り尽くせない。しかしここが私の偉いところで(自分でこういうのは憚られることだが)、毎日一つ疑問を持ち、若いもんに聞いて学習した。で、今では相当進化を遂げ、かなり使いこなせるようになった。何事もめげずに頑張ること!これをアイフォンから学んだ。

投稿者 zuiryo : 20:32 | コメント (0)

2015年03月01日

白骨温泉

妙な名前の温泉だが、こちらではつとに有名な温泉である。以前真っ白な湯が、実は白くなる入浴剤を入れていたというので問題になったことがある。昔から白濁していた湯なのだが地殻変動により透明になってしまったそうで、こりゃあ白い湯で売っていたのが透明になったのでは困ると、入浴剤で白濁させていたというわけ。まっ、温泉としての効能に変わりは無いのだから、透明でも良い。そこの温泉へ親戚の者一行4名で行ってきた。周囲は雪ですっぽり覆われ、なかなか風情があった。少々問題は、部屋は綺麗で良いのだが、肝心の温泉が問題で、脱衣所や湯船が実に粗末で、粗雑な作りであった。温泉地へわざわざ出掛けるのは温泉に入りたいから行くので、それがこんなことではがっかりである。手を掛けて入念に作ってあれば古くなっても風情はある。これがまるでないのだ。こんな宿へは二度と行くまいと思った。

投稿者 zuiryo : 19:41 | コメント (0)