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2023年10月27日

和歌山へ

久し振りに遠征、和歌山へ出掛けた.嘗てうちで修行していた者の新住職就任式である。鬱蒼とした木立に過囲まれ、実に雰囲気の良いお寺である。街中より少し外れた所にあり、ひっきりなしに拝観の人が訪れていた。先代の住職も共にうちの僧堂出身で、今回初めて参った。広い境内を管理するのも大変だな~と言うのが率直な感想、これからも頑張って護って欲しいと思った。こうしてうちと縁のあるお寺が、住職の努力で立派に護持されているのを拝見し、頭の下がる思いであった。それにしても延々車に乗っての出張は老体には堪えた。もうヘトヘト、でも新住職就任という慶事で、疲れも吹っ飛んだ。これからの活躍を期待しながら帰路についた。

投稿者 zuiryo : 20:27 | コメント (0)

2023年10月23日

タマちゃん、スヤスヤ・・

タマちゃんが私の机のパソコンの前で、スヤスヤ横になっている。部屋は広いので他に寝るところは幾らでもあるのに、こうして私の側でスヤスヤ安心しきったように寝ている。のどかで良いものだ。ふっと前に目をやると、あい向いの山の木立が微かに揺れ、西日にキラキラ輝いている。物音ひとつせず、時が止まったよう、私はこう言う時が一番好きだ。私の日常はざっとこんな風だが、ふっと雲水時代を想い出した。上の人で、矢鱈人恋しがる人がいた。ほぼ終日ベッタリ、副司寮の角火鉢に相向いになって坐ったままなのだ。こいつ、他にすることがね~のか良~っ!上の人だったからそういうことを言うのも憚られ、日々鬱陶しい思いで過ごさざるを得なかった。人は皆、いままで歩んできた人生の結果に生きている。察するにこの人、身も凍るような孤独の日々を過ごし、人の側にいなければいたたまれないのだろうと察せられた。

投稿者 zuiryo : 15:26 | コメント (0)

耄碌爺

この頃、痛感するのだが、私も本当に、耄碌爺になったもんだ。まっ、年齢的に言えば、こんなものなのかも知れないが、自分ではまだまだ頑張れると思い込んでいる。故にガクッ!と来て、落ち込む。人間誰でも通って行く道なのだから、そう気にせず、もっとおおらかに行こうぜ!と思いながら自らを励ましている。我々の業界は限りなく骨董品に近い存在で、どんなガラクタでも、古びてくれば何となく価値が出てくるように見える。しかしその実はやっぱりガラクタは我楽多なのである。そう言う自覚が無い人なら、それで良いかも知れないが、一旦そこに気づいてしまったら、もう、とてもじゃないがやってられない。クドクド、くだらんことを書き連ねたが、要はもう既に賞味期限切れ、ゴミ箱にポイッ!なのだ。・・・・どうも近頃はこう言う類いの、淋しい話題ばかりで、書いてる私もガクッと落ち込む。トホッ!

投稿者 zuiryo : 14:34 | コメント (0)

2023年10月18日

終日無為

最近特に、終日無為に過ごすことが多くなった。気がついてみたら何もせず、ボ~ッと過ごしていた。これはどう見ても普通じゃ無い。まっ、老齢化と言うこともあるのかも知れないが、それにしても最近の私はどうも変なのだ。と言っても、じゃ~どうすりゃ~良いのか、つうわけだが、こうすれば良いというようなことも思いつかない。まっ、突如としてケタケタ笑い出したとか、雲水にいきなり噛みついたとか、こうなると、放っておけないので、精神科のお医者さんのお世話になるのだろうが、そこまで異常行動はないので、結果一寸変だな~と思いつつ、なすすべもなしなのである。トホッホッ!大らかに見れば、人間81才にも成れば、多少変な行動も起こすもんだぜ、と言う風に大らかに受け止めて頂ければ、大いに助かる。これが世間一般の、例えば会社経営だったら、大変なことに成るのだろうが、僧堂ではそう言う心配はさらさら無いので、こんな耄碌爺でも何とか務まる。遙か昔、雲水修行の頃、老齢な老大師が一寸おかしなことを言うと、うちの老師も困ったもんだぜ、と仲間と言い合ったことがある。月日は巡って今度は私が言われる側になった。トホッホッ!

投稿者 zuiryo : 16:11 | コメント (0)

2023年10月17日

ボ~ッ!が、日々に・・

こりゃ~エライこっちゃ!毎日ボ~ッになっちゃった。まっ、老齢化も、あるのだろうが、それにしても、坂道を転げ落ちるように、ボ~ッ!が日々になった。此処から這い上がるのは多分無理。こうなったら成り行きに任せるより仕方が無い。成るようになれ!である。まさしく老人の典型である。時を止めることが出来ないように、老いを止めることは出来ない。砂時計の砂がドンドン下に落ちて行くように・・・。どうも近頃は話が暗い方暗い方へといってしまう。もう一寸元気の出てくる話題は無いのか!と自らに檄を飛ばしているのだが・・・。常に独りぽっちだから、一旦落ち込み出すとドンドン加速されて、もう止めようが無くなる。始末が悪いのだ。この悪循環を治す手立ては無い。自らを鼓舞して、踏ん張るより仕方が無いのだ。頑張れホナン!

投稿者 zuiryo : 10:12 | コメント (0)

2023年10月10日

有由有縁(うゆうえん)

出会いに偶然は無い、全てに理由がある、と言うような意味だそうだ。な~るほど!言われてみれば、確かにそうだ。我が事を振り返ってみても、そう改めて思うことが多い。縁は異なもの味なもの、っつわけだ。どうぞ各自で過去を振り返ってお考え頂ければ良いと思います。三省堂という出版社がありますが、日に三度、返り見る。これも同様ですね。近頃はどなたも忙しくバタバタと日を過ごし、日に三度どころの沙汰じゃ~無い、年に三度振りかえるなんて事もなくなった。

投稿者 zuiryo : 16:12 | コメント (0)

2023年10月09日

バカが一番

世の中賢い奴はいくらでもいるが、大馬鹿ものはいない。ただのバカでは何も価値はない。大馬鹿者が価値を発揮する。底抜けで無ければならぬ。ちょっと知識を身に付けると、知ったかぶりをする奴がいるが、こう言う者ほど鼻持ちならぬものは無い。そう言う手合いを前にすると鳥肌が立ってゾクゾク寒気がしてくる。精神に良くない。その点バカは良い。さらに大馬鹿者ならなお良い。人前でペラペラと口上手にやる奴なんか、墓場に蹴落としたいくらいである。まっ、私が口下手で人前では借りてきた猫のようになるので、何時も劣等感にさいなまれている。だからペラペラやる奴が目の前に現れると横っ面張り倒したくなるのだ。トホッホッ!

投稿者 zuiryo : 14:44 | コメント (0)

2023年10月08日

この道一筋・・

61年間、志を曲げずこの道を貫いてきた。これが唯一の誇りである。他には何も無い。私から修行を取ったら何も残らない。横道にそれず保ち続けてこられた、これが私の心であり、唯一の取り柄である。強烈な個性や深淵な志を持っていたわけではない。ごく普通の人間で、特別何か人に抜きん出た才能を持っていたわけでも無い。ウマズたゆまずコツコツと、が私の唯一の取り柄である。バカが一番!師匠はいつもこう言って居られたが、そうだな~!と改めて思う、この頃である。

投稿者 zuiryo : 15:14 | コメント (0)

会計逼迫

ながらく、京都から職人さんをお願いし、庭木の剪定を頼んでいたのだが、今年を以て修了させて頂いた。仕事ぶり、職人としての技量等々、申し分なく、うちには勿体ないような方々だったが、何せ会計逼迫状態で、諦めるより仕方なくなってしまった。残念無念である。世の中なかなか旨くいかないものである。仕事の腕も仕事ぶりも申し分なく、文句の付けようが無いのだが、肝心のお金が・・・・。というわけである。トホッホッ!まっ、僧堂だから、これからは雲水がチョキチョキやると決めた。早速、中には、では私がこれから勉強してチョキチョキやらせて頂きますと、力強い言葉を頂き、頼むぜ~ッ!と言うことになった。広い境内をいつも綺麗に保つと言う事は、想像以上に大変なことなのである。トホッ!

投稿者 zuiryo : 14:05 | コメント (0)

2023年10月06日

開山忌、無事円成

恒例の開山忌、お陰様で無事円成した。ほっと一息ついて、今はダラ~ンとしているところ。恒例の行事なので、特別緊張感があるというほどでもないが、1年で一番重要な法要なので、無事に終わってほっとする。この繰り返しをもう41年やって来た。まっ、これだけ積み重ねれば楽ちんと思われるかも知れないが何年やっても、無事に終わるとほっと安堵、一息着く。これは変わりない。いや、この緊張感と終わったときの安堵感が無くなったら、お仕舞いなのだ。修行中の我が身を試験する、重要なチェックなのである。誰とは申し上げにくいが、ある方が、何かというと、ことさらにふんぞり返っていたが、あんな見苦しい格好は決してすまいと思った。すべて、我が姿を写す鏡なのである。

投稿者 zuiryo : 16:33 | コメント (0)

2023年10月05日

葬儀へ

数十年ぶりに、葬儀を頼まれ旧友のお寺に出掛けた。遙か昔、私がまだ十代の頃、彼と親しくさせて貰い、ちょくちょく気晴らしに出掛け、大変お世話になったところである。その後次第に縁遠くなり、近年は殆どお目にかかることも無くなった。何十年ぶりかに、その友人の遷化で、葬儀を依頼され訪れたというわけである。境内と寺のたたずまいはほぼ昔の通りで、入った途端、怒濤の如く昔のことが想い出され、思わず涙がこぼれた。今では当時お世話になったご両親を始め様々な方々は亡くなってしまった。まっ、ご縁が無かったと言えばその通りなのだが・・。じ~と佇み、部屋を見渡し、ヒタヒタと押し寄せてくる数々の思い出に、深く胸を打たれた。

投稿者 zuiryo : 15:27 | コメント (0)

2023年10月04日

開山忌前で・・

ただでさえバタバタする開山忌まえ、急に常国寺の津葬を頼まれ、更にバタバタ度が増して、頭がクルクルパ~子ちゃんになった。これひとえに、我が身の老化である。こう言うことがあると、普段は何ともないと思っていたが、実は我が精神は危機的状態なのだと思い知らされる。ガックリだ。と言っても世間と違って私の精神の老化で、直ぐに日常困難を来たす事もないので、別に心配は無い。普段は想い出さずに済んでいた事を改めて想い出さずにいられなくなってガックリ来たっつわけだ。クドクドとつまらない事柄で、申し訳ない。物事は忙しいことがあると更に忙しい事柄が覆い被さってくるものである。トホッホッ!である。まっ、普段のんびり好き勝手なことをして過ごしているから、こうしてバチが当るっつわけだ!

投稿者 zuiryo : 16:18 | コメント (0)

2023年10月02日

有由有縁

うゆうえん、と読んだら良いのか、正確な読みは解らないが、最近こう言う言葉があることを知った。出会いに偶然は無い.全てに理由がある、と言うような意味らしい。なかなか深い言葉ではないか。誰でも数え切れないほどの出会いがあるが、殆どは無意味のうちに通り過ぎて行く。そんな積み重ねのうちに、やがて死を迎える。いちいち人生を振り返り、出会いの意味を考える事なんてない。しかしそれは間違いなのだ!と言う指摘である。確かに、人生どう言う出会いがあったかで相当な部分が決まると言える。出会いを疎かには出来ないのだ。人生の八割がた、ボ~ッと過ごしてきた私には、誠に耳の痛い言葉である。余命幾ばくも無い今になって、そんな事を言われても、どうしようも無いですよ!と言いたいが、そんな事を言ってる場合じゃ無い!つうの!ドタマ冷やして、良~く考えて、もっと地道に生きようと思った。

投稿者 zuiryo : 09:34 | コメント (0)

2023年10月01日

認知症気味

最近特に、私は認知症気味だと言う事が解った。自分では認め難いのだが、周囲の特に一老子から、ズバリ指摘されガクッ!ときた。言われてみれば確かに自分でもそう思っている。しかし嫌なことは思わないようにしているので、上手に避けて通ってきた。しかしこんな事、いつまでも続くはずもない。ついに、自らも認めざるを得なくなった。トホッ!このガッカリ感、半端じゃない。これで自分の人生も終わりだな~っ!目の前真っ暗!トホッホッ!なんて言ってる場合じゃないっつ~の!じゃ~どうすれば良いのだ!どうにもならない!絶望の二文字が目の前にちらついて離れない。暗~い話ばかり続いて、鬱陶しいから、もうやめにする。しかし止めても鬱が後から追いかけてくる。トホッホッ!

投稿者 zuiryo : 09:49 | コメント (0)