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2012年03月31日

今年は桜の開花が遅れているらしい。うちの寺でも以前は総門横に数本老木があって時期には満開の花を見せてくれて、それは華やかで美しいものだった。ところが数年前頃より枝が相向かいの家の屋根にまで伸び、枯れた枝が道路上に落っこちたりで、随分迷惑を掛けていたようである。ある時門前町内会より、枝を切って欲しいと言ってきたので雲水総出で道路上に伸びていた枝葉ことごとく切った。それから1,2年後、ふたたび枯れた枝が落っこちたようである。そこで町内会を開き、切る派と存続派が賛否を投票で問うたところ、僅差で切る派が勝利、代表がかくかくしかじかですので切って下さいと言ってきた。職人を頼み、作業中は道路を封鎖して一気に根元から切り倒した。お陰ですっきりして白土塀がすかっと目立ち、大変良くなった。ところが存続派は腹に納まらないらしく、「毎年桜の花を楽しみにしていたのに〜」と恨めしそうに言う。俺の知ったことか!ところが爾来桜の開花状況が全く解らなくなり、春を実感できなくなってしまった。桜は1年のうちたった1週間位楽しめるだけで、後はぱらぱら落ちる葉を毎日掃かなければならないのだから、相向かいの家の人達は、かなわんな〜!と言うことになるのだろう。良いことばかりではないのである。しかしぱっと咲いた満開の桜を眺められなくなると、何とも寂しいものである。

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2012年03月30日

股関節痛

これも老齢化によるものだろうが、このところやたらあっちこっちが痛くなる。既に半年ほど前から左股関節が痛み出し、坐禅がまともに組めなくなった。坐禅は毎日のことで、これがまともに組めないようでは師家はやってられない。私にとっては深刻な問題である。この話を知人にしたら整形外科の先生で名医が居るからご紹介しましょうと言ってくれた。どんな名医でもこれを治すのは無理だろうと思いながら出かけた。レントゲンを撮り骨密度も測って貰った。まず骨の方だが関節その他で突起が出ていたり痛みの原因と思われるようなところは無しと言われ、まずは一安心。次に骨密度だが足は総て問題なし、但し背骨の方は黄色信号という結果であった。と言ってもカルシュウムを摂るため煮干しや魚を食べるわけにもゆかず、目下思案中。そこで先生は、「では痛いところに注射を打ちましょう」。と私が示す痛いところ目がけてブスッ!ところが名医の注射は殆ど痛くないのだ。その晩すぐ坐禅があって効果のほどはいかばかりと坐禅を組むと痛い!やっぱりだめか!と半分諦め翌朝の坐禅に臨むと痛み半減、これには嬉しくなった。その後もずっと半減状態である。2週間に一度注射と言われているので、次回の注射でそこから半減すればぐっと楽になる。この劇的な効果はどういう注射か知らないが、兎も角有り難い注射があるものだ。

投稿者 zuiryo : 21:41 | コメント (0)

2012年03月29日

ノラクロのその後

嘗てハチの敵、ノラクロはハチ亡き後、寺中独壇場で悠々とのさばっている。毎日台所へ来てエサをねだるのはもう日常になってしまった。今朝も真っ暗闇の中散歩から帰ると、私を待っていたように暗闇にクロが「にゃ〜ん」と言うではないか。「お腹空いた!エサ頂戴!」。仕方なく台所の戸を開けて戸棚をがさごそやって居ると、クロが足下まで来て待っているではないか。すっかり内輪の人になりきっている。「しょめ!外へ出やがれ!」と叱ってひと掴みやると、うまそうにむしゃむしゃ食べている。日中庭で出くわしても嘗てのように逃げ隠れすることは全くない。こっちを向いて親しげに、「にゃ〜ご」となく。この厚かましさに腹が立つような、そうでもないような不思議な感じである。元来私は動物が好きだから、ノラクロでも眺めているうちに情がわいてきて、つい「ちょっちょっ!」と呼びかけ、それに答えて可愛らしく、「にゃ〜ご!」となかれると、いちころなのだ。何だかノラクロの顔まで可愛らしく見えてきた。真っ黒なのだが、毛並みが良く実につやつやして光っている。どう見ても野良猫には見えない。この状態本当に困ったもんだと思案中である。

投稿者 zuiryo : 21:14 | コメント (0)

2012年03月28日

前歯がボロッ

食事をしていたら前歯がボロッと取れてしまった。ニッと笑ってみるともろに歯が一つ無くなったので、鏡で見ると酷くおかしい。更にやめときゃ良いのに舌べろがその欠けた部分にやたらいきたがる。かかりつけの歯医者さんに事情を話すと、すぐにいらっしゃいと言ってくれたので出かける。欠けた歯を大切に持参すると、強力ボンドでくっつけますという。残った部分と歯が旨く組み合わされるように微調整して、ボンドを塗りがっちりくっつけた。「まっ、これで一応大丈夫です。1週間で取れるかも知れませんし、何年も保つかも知れません。暫く様子を見て下さい」。料金300円。酷く安い。兎も角これで元通りになったわけで、嬉しいのなんのって。歯は何事もなければ殆ど意識することはないが、一端こういう事にでも成ると、歯ぐらい始末の悪いものはない。80歳で20本以上、自前の歯が残っているのが理想だそうだが、柔らかいものを食べていてもこれでは先が思いやられる。朝晩、電波歯ブラシで入念に磨き込んでいるので、毎月の定期検診ではいつも綺麗ですね〜とほめられる。兎も角歯に感謝感謝である。

投稿者 zuiryo : 22:00 | コメント (0)

2012年03月26日

居士(こじ)

僧堂には昔から居士さんというのがいて、長い者では1年2年と雲水と一緒の生活をしながら修行をする。もう60年以上も前にうちの僧堂で居士をしていた方が孫娘を連れてやって来た。このお孫さん大変優秀な人で、奈良女子大を出てこの春岐阜市役所に就職できたという。住まいは岐阜から30キロ以上も遠く離れたところなので、いずれは市内に下宿して勤めると言うことになるだろうが、大切な娘さんなので親御さんは心配で、当面は遠路通うらしい。そこで今後何かとお世話になるかも知れないのでと、ご両親共々やって来たというわけである。嘗て居士をやっていた方は既に90歳になるが、数十年も昔のことなのに、当時の雲水の名前を言っては、あんなこともあったこんなこともあったと、懐かしげに話してくれた。会社を定年退職してからは、年頭の挨拶から始まって、うちのお寺のいろいろな行事に必ずお手伝いに来て呉れて、随分助けて貰った。僧堂修行というのは雲水は勿論だが、居士さんにとっても、忘れがたく心に染みこむもののようだ。改めて僧堂修行の懐の深さを再認識させられた。ところで昨年私は七五三のお祝いをしたのだが、地元の新聞に載ったのを見たらしく、わざわざご丁寧に祝儀を持ってこられた。引き物と言ってもお菓子のたぐいはもう無いので、その他の物を差し上げた。90歳になってもなお身体も頭もしゃきっとしておられたのには驚かされた。

投稿者 zuiryo : 21:22 | コメント (0)

2012年03月25日

メセナ

友人の会社は工場敷地内に美術館兼コンサートホールを建て、毎月音楽会を開催している。150人も入ると満員になるほどの規模だが、招聘するミュージシャンは皆一流どころで、それを会員に無料で公開しているのだから、企業のメセナと言うが友人のは本格派である。昨日は小室等の歌であった。ギターの弾き語りに、ピアノとのセッションで、これが実にあうんの呼吸というか、ご本人の歌もさることながら、ぴたっと決まっていたのには驚いた。そのホールのピアノだが、素晴らしい音色なのである。聞くところに依るとうん千万円もする代物で、そのピアニストもこういう良いピアノを弾かせて貰えるのはそうざらにあるこっちゃ無いと、気持ちよさそうに弾いていた。さて小室等さんは18年生まれと言うから私より一つ下、頭髪もひげも真っ白で、どう見ても年上である。2時間ほどたっぷり歌を聴かせて貰い大いに堪能した後、(友人は既に他界し現在は奥さんが美術館の理事長をされているのだが)奥さんに誘われ、小室等さんとピアニスト、女性ジャズシンガー(この方は篠田桃紅女史の姪、この美術館は総て桃紅作品)。以前からお目に掛かった方だったので気楽にご一緒させて頂いた。食事をしながらいろいろな話を聞かせて貰った。私の人生とはまるで異なった分野の方々なので、興味津々で、あっという間に2時間が過ぎた。既にこの道50年だという、特に変化の激しい業界で50年間も活躍し続けてこられたのには感服した。本人の努力は勿論だが、巡り会ってきた友人が素晴らしい方々なのだと感じた。

投稿者 zuiryo : 16:16 | コメント (0)

2012年03月21日

胆石痛

十数年ぶりに昨夜胆石痛が出た。以前は頻繁にあり、悩みの種だったのだが、近年はどういう加減かパタッと止んだ。この調子なら以後一生胆石痛とはお別れでやれ嬉しやと安心していたら、布団に潜り込んで間もなく、ジ〜ンときた。まずい!早速携帯の痛み止めを飲もうと探したら、ずた袋の中で永年揉まれているうちに、袋は破れ不整脈の薬と混ぜこぜになって、どれがどれやらさっぱり解らん。びりびりの薬袋を見たら平成9年と書いてある。ざっと15年物、呑むのは止めた。そのうち自然に旨く収まったので、そっと寝た。今日、午前中少々買い物に出かけたら、日曜大工店の入り口で再び胆石痛、こりゃ〜不味いことになった。昨日は一端収まったかに見えたが、本当はまだ収まっていなかったのだ。急遽ホームドクターを目指して車を飛ばした。昨日は彼岸の中日でお休みだったせいか、待合い室は超満員、受付の看護師さんに胆石痛で痛いからすぐ診て下さいと申し出た。ところが生憎心臓で相当危険な状態の老人が横たわり、救急車を呼んだりで、私の胆石どころの沙汰ではない。そのうち痛みも引いてしまった。ようやく診察して検査もやって頂き、血液を採取したりで、痛み止めの薬を貰って帰った。「先生こういう薬の賞味期限はどのくらいですか?」と尋ねると、「まっ精々2,3年っところですね」。そこで袋にばっちりと期限を書いた。午後は身体の調子を見るために葬儀場周辺を速歩で50分、一汗掻いてすかっとして風呂に入った。とまあざっとこんな小さなアクシデントがあって、少々肝を冷やしたという次第。

投稿者 zuiryo : 19:56 | コメント (0)

2012年03月19日

会食

昨日何十年来の友人に誘われて会食した。ご夫婦共々親しくお付き合いさせて頂き、何回も一緒に海外旅行などにも行った。数年前ご主人を亡くされ、今はたった一人きりになってしまった。既に80歳を過ぎさぞお寂しい日々をお過ごしのことかと案じていた。そこへ久しぶりに一緒にお食事でもしましょうと誘いが掛かったので、近況いかばかりかお尋ねしたい思っていたので、喜んで・・・と応じた。元来ご活発な老婦人なのだが、その性分は変わらず、会社も綺麗さっぱりたたんで、清々しい顔をしていた。男やもめにウジがわき女やもめに花が咲くと俗にも言うが、失礼ながら花が咲くという年齢はとっくに過ぎ去っているが、いつまでもぐじゅぐじゅ悲しんでいるのではなく、前向きに余生を精一杯楽しんで死んで行こうという気力に溢れていた。最近は一人でツアーにも参加して世界中を回っている。間もなく22日間北極航路のクルージングに行くのだと意気盛んであった。いや〜!驚いた!この溌剌ぶりには、参りました!私より10歳上なのだが、10年後の自分と重ね合わせ、私はとてもこういう具合には成らないだろうと思い、女性の強さを改めて実感した。この方のご主人は紳士で、人柄も素晴らしく、生前大変ご厚情を頂いた。老婦人と懐かしい昔話に花を咲かせて、久しぶりに心温まる一時であった。

投稿者 zuiryo : 10:29 | コメント (0)

2012年03月18日

高野山詣り

東京から坐禅会に参加した友人が、今日はこれから高野山へお参り行ってきますと言う。それほどの年齢でもないが彼は大変信心の篤い人で、1月はお伊勢さんに参ってからお寺にやってきた。龍の置物を土産に頂いた。ついでにお参りと言うにはうちの寺とお伊勢さんは相当方角が違うので、それなりに覚悟して早く出立してこないといけない距離である。お伊勢さんは亡くなられた母上が大変信仰していたところだと言うことで、母親に代わってお参りしたわけである。さて今回の高野山は、かねてから一度はお参りしたいと念願していたそうで、ようやくチャンスが訪れたと言うことらしい。お山の上はまだ相当寒い頃と思うが、岐阜からでもかなり時間が掛かるので、余程「行く!」と心に決めないと、ついでに行けるようなところではない。私が嘗て京都で小僧をしていた頃、いよいよ僧堂に掛搭というとき、「一端僧堂に入門したら私的に出かけることなど出来なくなるから、今のうちにいっぺん高野山へお参りに行ってきたらどうか」、と師匠に言われたことがある。自分でも高野山へは行ってみたいと思っていたので、早速許しを得て出かけた。その時師匠が、「他の寺は向こうから風が吹いてくると自分の身体の周りをすり抜けて行くが、高野山の風は身体の中を通り抜けて行くぞ!」と言った。「そうですか、身体の芯を風が通る!」。高野山に着いたのが午後、まずは本坊や巨大な伽藍が林立する境内をお参りし、沢山ある宿坊のうち行き当たりばったりで目に止まったお寺にお願いすると快く泊めてくれた。翌朝、約2キロの参道を歩いて奥の院へお参りした。樹齢何百年という大杉が林立する中、梅雨の雨間のうっすら霧が立ち込め、無人の参道を歩いて行くと、一陣の風が吹いて、すうっと身体の芯を通り抜けていった。な〜るほど!師匠の言ってたのはこれか!と思った。と言う話を彼にして、どうぞ身体の芯を通り抜ける風を味わってきて下さいと申し上げた。遙か半世紀も前のことだが、昨日のことのように想い出が蘇った。

投稿者 zuiryo : 14:02 | コメント (0)

2012年03月17日

光陽会

第1と第3の日曜日、定期的座禅会が開催される。3代前から続いているもので、私も住職するとすぐ後を引き継いで爾来30年続けている。参加者は平均20名ほど、門前辺の人たちが参加と思うとさにあらずで、意外と遠方の人が多い。名古屋・大垣・各務原など、車で30分以上はかかる距離である。早朝午前6時から坐禅が始まるわけだから、そう言う方々は起きるのは5時というようなわけで、せっかくの日曜日もご苦労なことである。この坐禅会に最近東京や福岡、金沢などから参加する人が出てきた。前晩岐阜入りしてホテルに泊まり、翌早朝抜け出して坐禅会に参加し、再びホテルに戻ってから帰るというコースらしい。もう2年以上このパターンが続いている。嘗て岐阜在住の老婦人が毎月東京で開催されていた円覚寺朝比奈宗源老師の坐禅会に永年通われたことがあった。この方はうちの光陽会の会員でもあったので、両方の坐禅会に参加されていたわけで、非常に熱心な方だった。ある時建長寺の行事で当時円覚寺管長だった足立大進老師と隣の席に成ったとき、この岐阜の老婦人のことが話題に登り、その真面目ぶりにほとほと感心しておられた。こういう方々は現地に到着するまでの道中も心の中で坐禅をくんでいる心境なのだろうか。それにしても時間も費用も馬鹿にならないと思うが、遠路やって来てもそれに見合うだけの得るものがあるのだろうかと心配になる。坐禅の後45分間ほど碧巌録を講本にして話をさせて頂くのだが、こうも真面目組が押し寄せて来るとそれがプレッシャーになって、話にも思わず力が入る。修行させられるのはこっちの方である。

投稿者 zuiryo : 15:14 | コメント (0)

2012年03月14日

総帰錫

2月1日から制間に入り1ケ月半、雲水は入れ替わり立ち替わり10日前後暇を貰って授業寺へ帰り英気を養う。私も知人に誘われて中国旅行へ出かけリラックスさせて貰った。それも今日までで全員戻る総帰錫である。明日からは小接心が始まり制中に準じ日程が組まれる。制間気分を一掃して、もう一回エンジンかけ直し、ゆるんだ気分を引き締めて行くのである。ウオーミングアップなしにいきなり走り出したら必ずあっちこっち痛んで故障する。修行も同様で、4月15日入制まで1ケ月半徐々に雰囲気を盛り上げて行き、入制大接心に繋げて行くのである。僧堂修行は朝の勤行・坐禅・喚鐘・日中は作務や托鉢・夕方からは坐禅・喚鐘、制間中は小接心中に1回講座、制中は2回講座、この繰り返しの中でスムースに大接心を迎えるというわけである。私が30年前この寺にやってきたときはいわゆる規矩は殆ど立って居らず、雲水はやりたい放題、余りの酷さに唖然とした。私のやって来た僧堂は田舎叢林で、そのままを此処でやるわけにはいかない。条件が様々違うからである。そこで親しくしていた街の僧堂2ケ所から、特別頼んで門外不出の規矩の記録を見せて貰い、新たに瑞龍寺型規矩を作った。数年かかって微調整を重ね、ほぼ現在の形に完成し、爾来これでずっと続けている。この間ずいぶん苦労したから、絶対にその時々の都合で曲げるわけにはいかない。人少でもこの規矩で通した。今ではすっかり浸透して、細かいことを一々こちらで指摘しなくとも自然に行われるようになった。人数的に困難の時はちゃんとOBの者が大接心に助っ人に来てくれた。有り難いことである。雲水が最も良く修行できる環境を整え、馬鹿みたいに繰り返し続けて行けば、雲水自身がその価値を理解して行くようになる。僧堂に遊びに来ている雲水は一人もいない。厳しいほど却って喜ぶものである。

投稿者 zuiryo : 20:56 | コメント (0)

2012年03月11日

スロープギャラリー

今日は知人の会社が永年取り組んできた「人間村」の施設が全て完成したのと、シャインズビルの1Fから2Fへあがるスロープ壁面に版画家の清塚氏の作品が完成し、そのお披露目のパーティーがあった。作品の題は「空路」、いわゆる現代美術作品で、銀メッキの鉄板とシンチューが組み合わされたもので、壁面にぴたっとフィットしている。長さ16メートルの通路が鍵折れになっており、壁面も上下の幅が少しずつ狭くなり、作家としても難題だったに違いない。それが見事に収まっている。作品全体が全てむくれており、そのボリュームも良かった。最後はピアノ演奏で締めくくられた。お昼には少々過ぎたが盛りだくさんのご馳走を各自で好きなものを取って頂いた。帰り清塚ギャラリーに寄って、完成されたばかりのユニークな彫刻作品をを拝見した。その後床暖房の聞いた温かな部屋でお茶を一杯頂き、午後4時前に無事帰山した。以前にもこの会社のことについては書いたことがあるので詳しくは省略するが、この会長さんの考え方は、一番の財産は社員、その社員のために関ヶ原の自然の美しさや総合芸術といえるアート作品の数々を心で感じて貰い、元気なとき、落ち込んだとき、悩んだとき、どんなときも人間村はあなたを優しく見守っていますよと言うメッセージが込められているのである。社員食堂は3階建てで、1階は食堂、食後くつろいで貰うために広々とした庭園があり、フランスの高名な彫刻家ピエール・セーカリーのヒューマニティーという巨大な手のひらがある。芝生に思い思い寝ころんだりお喋りしたりでくつろぐことが出来る。又2階にはワイガヤルームがあって、思い思いに好きなことをして過ごす。工場全体が芸術作品に囲まれたような会社で、社員寮の庭にさえ子供が好きなように乗っかって遊べる亀やカバや沢山の動物の彫刻が置かれ芝生が綺麗に整えられて、まるで公園のようだ。これらはすべて社員に快適に過ごして貰うことが結局会社を元気にする事に繋がるという確たる信念のもとに20数年の歳月を掛けて作り上げられたものである。しかもその発端になったのは、バブルがはじけ会社が最悪の危機的状況の時発願されたというのである。当に筋金入りである。

投稿者 zuiryo : 16:15 | コメント (0)

2012年03月10日

鼻水ズルズル

2月は生憎中国旅行が2回有って少々無理がたたり、又帰ってすぐに出張が続き、身体全体が疲れていたせいか、酷い風邪に掛かってしまった。今月4日頃から鼻水が垂れ、ムムッ、こりゃあ不味いかなと思っていたら案の定、猛烈な風邪にやられて今日まで殆ど寝て過ごした。咳が出る・熱が出る・身体はだるい・食欲はない、踏んだり蹴ったりである。38度は普通の人ならガタガタ騒ぐほどのこともないのだが、私の体温は35,5度が普通(身も心も冷たい男なのである)、だからこの38度は40度位に当たる。頭はボ〜ッとして身体からは火が出るよう。そこで冷蔵庫の氷では駄目だと思い、コンビニへ走ってもらいカチカチのを水枕に入れて、冷やして冷やして冷やしまくった。たびたび体温を測ると、中には36度5分などと言うときもあり、これで良しと思ったのもつかの間、又38度に逆戻り。最初にお医者さんから頂いた薬もなくなったので状況説明をすると、薬を変えましょうと言われ、新しいのに変った。これが効を奏したのかだいぶ良くなってきた。まあよくぞこれだけ連続して眠られるものだと我れながら感心する。咳が酷いときは、その咳のためにガックリ体力を消耗するほどであった。24時間何日も殆どずっと眠り続けたのだから、矢張り身体全体が疲れ切っていたのかも知れない。この風邪も考えようによっては私に休息を強制的にさせた良いことだったのかも知れない。さてお医者さん曰く、身体を冷やすのは良くないから止めて下さい。熱が出るのはその熱で風邪の菌をやっつけるためなので、コチコチ水枕はすぐに止めて、ドドット出るだけ出して下さいと言われた。大量に買い込んだコンビニ氷が冷凍庫に溢れんばかり有る。しかしもう一つも要らなくなってしまった。どうしてくれるんだこの氷の山!

投稿者 zuiryo : 08:07 | コメント (0)

2012年03月08日

闘う仏教

先日お願い事があり管長猊下にお目に掛かった。その折り最近出版された本を頂いた。曰く「闘う仏教」、えらい過激な題だな〜と思い、帰路車中で早速拝読させて貰った。この本は管長猊下と対本宗訓師の対談集である。この対本老師は以前佛通寺派の管長をされた方で、その後お寺の世界からは離れて大学の医学部に入り医者になった方である。一派の管長にまでなった方がどういう事情か知らないがポイッと捨てて今度は医者になるというのは理解できなかった。お坊さんをやってるよりお医者さんになった方が良いと思ったからこのように大変身をされたのだろう。まっ、医者になるのはそう簡単なことではないが、結局僧侶に魅力を感じなくなったと言うことであろうか。うちの近くにも和尚さんでお医者さんという人が居る。この方の場合は檀家が一軒もない小さなお寺のため、何とか他に生活手段を講じなければならないという事情から医学を志し、晩年まで勤務医となりお寺と家族を支えられた。しかし修行をやり上げ一派の管長に推挙されその地位に居られた人がこのような変身を遂げるというのは珍しいれいである。私はやや批判的に見ていた。家が寺だから何となく僧堂に行ったと言うのが本音なのかもしれないが。大変身して医者を一生の仕事として選んだのなら、以後は自分で見つけた医者としての生き方を貫いたらいい。ところが大学卒業してから妙に宗門にすり寄ってくる。又宗門の側でも、こいつは偉いやっちゃ、「僧医」などと言って、管長と医者が合体した希有な人物という評価をするようになった。とまあこういう先入観を以て彼を見ていた。そこでまずは虚心坦懐になって管長猊下との対談集を熟読させて貰い、話はそれからだと思い一気に読んだ。読後感を申し上げれば、医者としてもまだ卵、二兎を追う者は一兎をも得ずにならぬよう医者として一層の精進努力が必要だと感じた。まっ、決して浮ついた感じでないのが救いである。さてこの表題「闘う仏教」だが、意味は「行動する仏教」と言うことらしい。「はじめに」の文中にもあったが、葬送儀礼に専従し、社会活動が疎かになっている現代の仏教徒に、厳しく自己に問いただし広く社会に貢献できるよう意識を革める必要があると指摘している。この点についてはうちの寺の信者さんで何でもずばずば仰る方が居て、山門に柵をして一般参詣者はお参りすることも出来ないのはけしからんと言う。又歳末のホームレスへの炊き出しなども、やっているのはキリスト系ばかりで、仏教のお坊さんは一人も居ない。青年層の会というのが歳末托鉢を半日ぐらいやって、助け合い募金に充てるようだが、これぐらいのところでお茶を濁している。しかし一般の方には総じて門戸を閉ざし社会から隔絶しているあり方には不満があるらしい。昨年の東日本大震災、津波の襲来など不幸の極みであるが、我々はこの災禍から得た大きな教訓を学び後世に伝えて行かなければならない。これを転機に僧侶の社会参加への大きな転換になって行くことを希う。これは私自身への戒めでもある。

投稿者 zuiryo : 11:21 | コメント (0)

2012年03月05日

継承

一般寺院でもスムーズに次の世代へ継承して行くことは並大抵ではない。昔のように親の言うことは絶対で、嫌でもおうでも跡を継ぐのが当たり前の時代ではないから、師匠は頭を痛めるのである。ましてや僧堂ともなうと、法の継承が第一となるから、20年近く頑張って貰わなければならないわけで、そうざらにそんな人材が居るわけではない。育てるこちらも年齢や体力的なこともあるから、願心を持った弟子と旨く遭遇しないとスムーズな継承は成り立たない。では何処の僧堂もこの辺が旨くいっているかというと必ずしもそうではない。突然老師が遷化され、継承者を決めていないまま亡くなった。そうなるといったいこの僧堂の跡は誰が継ぐのかである。常識的に言えば生前はっきりとした意思表示がなければ後継者はいないことになる。本山にでも申請して然るべき人を派遣して貰うことになるわけだが、決してそんなことはしない。各僧堂にはいろいろな取り巻きが居て、自分たちで決めて行く。そうなると秘密のやりとりで法は伝えられるのだから、亡くなった老師と弟子の間でしか分からないわけで、いくら僧堂に頻繁に出入りしているからと言って、老師に代わって任命することは出来ない。しかしどういう経過をたどり議論されたかは知らないが次の老師が誕生している。何とも不思議なことであるが、それが現実である。私はだからそんな後継者はいい加減な者だと言うつもりはない。何故なら、では真に法を継承したとはどういう事を言うのかである。公案を一定数、数えたからOKと言う話ではない。極端な言い方をすれば無字一則でも良いのだ。つまり法を継承するとは法の如く修行の日々を一生掛けて忠実にやり遂げる決意をした者のことである。自分のことを言えば師家になりたての頃は未熟そのもので、振り返れば恥ずかしい限りである。運転免許を取ったばかりの新米運転手と同様、危なっかしくて見ちゃ居れん。雲水指導の上でも何度も痛い思いを繰り返しながら、自浄錬磨して行くのである。是は辛く長い修行である。初めて僧堂に頼みましょうを掛けて丁度50年になった。これを節目にもう一度あらたな気持ちで頑張りたいと思っている。

投稿者 zuiryo : 05:03 | コメント (0)