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2010年08月27日

つくばい

植木の剪定もだいぶはかどり隠寮の庭は全て終わって、禅堂・本堂あたりに差し掛かった。そこで今日は隠寮の庭にあるつくばい三つを綺麗に洗った。磨き砂で中をごしごし擦ってピッカピカ、水を調節して完了である。大汗掻いたが気持ちいいものだ。私が洗っているとメジロやムクドリやセキレイ、ジョウビタキ等が周辺の小枝にちょんちょん飛びながら、今や遅しと待機している。洗い終わると待ってましたとばかり、入れ替わり立ち替わり水浴びをする。小鳥も汚れたつくばいより綺麗なのが良いらしく、嬉しそうだ。嘗ては市内に小川が幾つも流れていて、それが小鳥たちの格好な水浴び場だったが、今は殆ど暗渠となり、上は道路になってしまった。こうなると水を飲むところさえない。この暑さだから小鳥たちも堪ったものではない。そこでお寺のつくばいは命の泉になったのである。以前、公園を通りかかったら、野良猫が噴水型の蛇口に吸い付いていたことがあった。猫も水を飲めるところがなくなったのだ。今回の剪定はつくばいの上に覆い被さるようなドウダンを丸刈り方式でやったため、つくばいに蓋を被せたようになって、小鳥が側にも寄りつけなくなった。そこでもう一度やり直して貰い、枝を半分ぐらいに空かしたところ、ドドッと水浴びに集まりだした。特にメジロなどの小型の鳥は団体でやって来て、ドウダンの枝に2,3羽がとまって周囲を警戒しながら、入れ替わり立ち替わり水浴びをするので、見通しよくしてやっておかなければならないのである。どうですこの気配り。私はいつも小鳥のお風呂当番をしているみたいだが、まっ、これも楽しいものである。

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2010年08月26日

ハチ

愛犬ハチのことではない。蜂の話し。私は部屋からの出入りは、通常は小玄関からだが、ちょくちょく隠寮の庭先の靴脱ぎ石からも出入りする。庭の隅に数段の石段があって庫裡の裏手に出て、典座の横を通り表に出る。この隅の石段の山側は高さ1メートルほどの石積みがしてある。ある時、この石の隙間に蜂が頻りに出入りする年と全く出入りしない年がある事に気が付いた。爾来何か因果関係があるのかずっと考えていたのだが、その内解ったことは、蜂が石垣の中に巣を作る年は必ず颱風がやってくると言うことだった。作らないときは、多分、山の中の木にでも作っているに違いない。つまり颱風がやってきたら山の中ではとても保たないから、相当前から察知して、石垣へと移動するのである。しかし1,2ケ月も前にその判断をするわけだから、どうして颱風がやがてやってくるかということが蜂に解るのか、全く不思議なことである。動物の本能なのだろうか?その後この蜂の予報は外れたことはない。で、今年だが、石垣から出入りしていないので岐阜地方には颱風はやってこない。これが蜂のご託宣である。この蜂、大きさはスズメ蜂ほどだが、体が少々黒く、人を刺すような気配はない。だから毎日側を通っても平気なのである。ところで一方のスズメ蜂だが、油断をしていると軒先にあっという間に巨大な巣を作ってしまう。以前は市役所に頼むと係の人が夜やって来て除去してくれ、然も無料だった。ところが近年財政難のためか、市役所に連絡すると専門業者を紹介してくれるだけで、後は全てこっち持ち。サイズにも依るのか知れないが、一抱えほどの大きさのもので2万円也。数分で取り除いてくれるのだが、それにしてもなかなか良い値段である。これに懲りて巣を作り出したら目敏く見つけて、雲水が竹竿ではたき落とすことにしている。巣は小さくとも何匹かは蜂が居るので多少危険だが、2万円には換えられない。この方式で以後は何とか出費を防いでいる。私が雲水の頃、僧堂の本堂の真正面軒下に巨大なスズメ蜂の巣が出来てしまい、沢山の蜂がうなりを上げて飛び交い、下を通るのも危険になってきた。大きな本堂だったから軒下と言っても相当な高さ、長い竹を繋いで巣に届く竿を作った。4,5人掛かりで巨大に成長した巣をはたき落とそうとしたが、丈夫でちょっとやそっとではびくともしない。いきなり巣の真ん中にぶすっと刺し引っかき回した。途端に何十匹というスズメ蜂が竿を伝って急降下、手にぶすぶすと刺した。竿を保っていた者は堪ったものではない。イテテテテッ!と悲鳴を上げ、竿を投げ出し逃げ回った。回りで様子を見ていた我々まで蜂に追い掛けられ、頭を抱えて逃げまどった。治療法は小便が良いと言われ、みんなで小便器に手を突っ込んだ。臭いだとか汚いなどと言ってられない、治療薬など何も用意していないのだから。今時の雲水にそんな危険なことをさせたら、何を言われるか解らない。当時はその程度の危険はごく当たり前で、兎も角自分の身は自分で守るというのが原則で、誰も助けては呉れなかった。今から思えば懐かしい思い出である。

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2010年08月25日

豆腐

うちの門前には市内で一番美味しい豆腐と評判の店がある。夫婦二人きりで間口1間ほどの小さな店だがひっきりなしに客が来る。わざわざ車で遠くからも買いに来る。先代のご主人は気骨のある方で、お寺とも土地の関係でいろいろ行き来もあったり、夕方豆腐や揚げなど余ると僧堂の雲水さんへといつも持ってきて下さったりで、親しくさせて頂いていた。今はその息子さんが後を立派に引き継いで奥さんと二人で頑張っておられる。僧堂へのご厚情も先代さん同様引き継がれ、また私とほぼ同年齢と言うこともあって、以前に増して交流が深まった。豆腐は実に簡単な製法で、ちょっと見には誰でも出来そうに思えるが、こういう単純なものほど奥行きが深く難しいものである。昔、知り合いの料理屋さんで大変繁盛していた方が、更に商売繁盛を考え、新たに豆腐料理屋を始めることになった。そこで数千万円もの投資をして豆腐製造装置を買い、試作を始めた。ところが幾らやっても旨い豆腐が出来ない。その失敗作を捨てるのも勿体ないと何十丁も僧堂に呉れた。度重なるうちに食い物なら何でも口に入れる雲水ですら、もう結構ですと音を上げたことがある。結局最後まで旨い豆腐は出来ず、その話しはパ〜になった。豆腐を見くびっていたのである。何事も端から見ているのと実際にやってみるのとは雲泥の差があるのだ。さて門前の豆腐屋さん、相変わらず繁盛し続けているのだが、後継者難、立派な息子さんが二人もいるのだが、それぞれサラリーマンとして安定した生活を送っているので、毎日午前3時に起きて、冬、身を切るような冷たい水仕事をするのは相当抵抗があるらしい。大体奥さん方が承知しない、ごもっともな話ではある。しかしこれだけ有名になった豆腐屋さんでもあり、幾ら日本人の食生活が変わっても、これからも豆腐は愛し続けられると思うので、何とかならぬものかと、他人事ながら心配している。

投稿者 zuiryo : 13:25 | コメント (0)

2010年08月24日

熱中症

熱中症などと言う言葉はつい最近聞かれるようになったもので、以前は日射病と言ったような気がする。これはちょっと頭がふらつく程度で、少し木陰で休んでいれば間もなく回復した。私も雲水時代、真夏の托鉢で、炎天下何時間も歩いたが、その為に体調を壊すことはなかった。先輩から途中喉が渇いたからと言って水を飲むと足が動かなくなるから、飲みたくなっても飲まずに歩き通すのが良いんだ!と教えられ、その通りに頑張った。今から思えば実に非科学的で、よくぞそんなことで熱中症に成らなかったものだ。まっ、当時は今より暑さも酷くなかったと言うこともあるかも知れない。また田舎僧堂だったから、街中のアスフアルトとコンクリートばかりのところと違って、周囲は田圃と畑と山ばかり、吹き抜ける風も涼しかった。ところでこのところの酷い暑さはどういうことだろうか。全くただごとではない。生粋の岐阜生まれの人に、昔はどうだったかと伺うと、大体30度を超える気温は希なことで、今よりずっと涼しかったそうだ。兎も角今の暑さは尋常ではない。僧堂でも外作務は午前中に済ませ、午後炎天下は内作務にしたりと工夫している。そうでもなしなければ、幾ら修行と言っても体が持たぬ。21日から例年の庭木剪定に、毎日10人位の植木職人さんが入っている。この人達は熱いからと言って半日で止めて帰るわけにはいかない。燃えるような炎天下終日仕事をしておられる。これが仕事とはいえ、本当にご苦労さまである。1,2時間もすれば着ているものは水をかぶったように汗でずぶ濡れになる。軒下の樋にハンガーで作業着が吊してあった。一層仕事の厳しさが伝わってくるようだった。

投稿者 zuiryo : 12:17 | コメント (0)

2010年08月20日

老い

最近、黒井千次の「老いるということ」を読んだ。まっ、要するに老年になったからと言ってガックリ来るな!と言うことがいろいろな例を引いて書いてある。逆に暴走しがちな若者より、年寄りの方がずっと良いぞ、と言うわけだ。しかしこれを読んでいてますますガックリ来た。幾ら言い訳したって若い方が良いに決まっている。負け惜しみも良いところだ。ところで今朝例によって早朝ハチの散歩に出掛け、いつもの通り元気よく帰ってきた。お寺に戻ると必ず隠寮の庭を一巡し、つくばいの水を飲んで、杉苔の上で腹這いになり、前足を後ろに曲げて鼻の頭をごしごし擦りつけしばしくつろぐ、これがいつものパターンである。それから台所の小屋まで戻り、一掴みドッグフードを食べさせるのだが、丁度黒い野良猫が近くを通ったらしく、いきなり外へ飛び出した瞬間腰が抜けた。両手両足を広げたまま立てなくなってしまったのだ。食い物には眼がないハチもドッグフードをちらつかせても腹這いのまま動けない。仕方ないので鼻先に餌を思って行くと腹這いのまま何とか食べた。これは困ったことになったものだ。腰の辺りを指圧したりさすったりしたが、痛がるわけでもなく、兎も角そのままで動けなくなったのだ。次の行事が差し迫っていたので、取り敢えずそのままにして置いた。40分後、一息付いたところで覗いてみると、何とすっくと立ち上がって歩き出したではないか。ほっと安堵の胸を撫で下ろした。近年は階段の登り降りなど、旨くできなくなっていたので、腰が悪いとは察していたのだが、ハチも遂に老化が顕著になってきた。人間ならさしずめ杖でもついて歩くところだろうが、ハチはそう言うわけにもゆかぬ。朝晩の散歩の時以外は日中殆ど横になってこんこんと眠っている。近くに行くと必ず足にまとわりついた頃のことが無性に懐かしくなった。私も老化傾向だが、ハチはもっと老化が激しく、お爺さんになったんだな〜としみじみ思う。

投稿者 zuiryo : 03:21 | コメント (0)

2010年08月17日

新聞少年

少し前までは、新聞配達と言えば少年の姿をよく見かけた。家計を助けるためや学費のために稼ぐ良いバイトだったのだ。ところが現在殆ど見かけなくなった。私はほぼ毎日午前4時過ぎからハチの散歩に出掛ける。歩くコースも殆ど同じなので、必ず新聞配達の人達と行き交う。その大半が40代から60代のおばちゃん達である。自転車に新聞を満載して、捻り鉢巻きも勇ましく、猛烈な勢いで走り去って行く。まあ、その元気なことと言ったない。中には乗用車で老夫婦が新聞配達している。私が小学生の頃、昭和20年代、ど田舎だったから、当時自家用車と言えば町長さんかお医者さんくらいなものだった。新聞配達は、専ら肩からたすき掛けをして、新聞の束を括り、元気よく走っていたものである。その頃、友達が、「アメリカでは新聞配達を乗用車でするんだぞ!」と言うのを聞いて、目を丸くしたことがある。国産車さえなかった時代で、車と言えばアメリカ車かフランスのルノーやオースチンだった。つまり贅沢の極みだったのだ。そんな時代に新聞配達を車でするなんぞと言うのは、考えられないことだった。だから目の前で老夫婦が車で新聞配達をしているのを見て、数十年前の事を想い出したのである。ところで山間僻地ならいざ知らず、市内のど真ん中の新聞配達に車とは、如何なものかと疑問に感じた。お見受けしたところご夫婦共に70代くらいだから、自転車も覚束ないのかも知れない。と成ると車なら何とかなるわけで、これなら雨降りの日でもへっちゃらだから、なかなかよく考えたものである。ところで、新聞配達ならぬ、猫餌配達のお爺さんが居るのは、困ったものである。自転車の前の籠に猫の餌を一杯入れて、あっちこっちに置いて行く。するとその辺りの猫どもが、待ってましたと群がり寄って来る。雨でも降ろうものなら余った餌が融けて腐敗し、悪臭を放つ。そんな始末はそのおじさんは見向きもせず、相変わらず毎日仕事のようにして配る。どこかの将棋の名人が同じようなことをやって非難されていたが、私も大反対である。野良猫が可愛いそうだと思うなら、責任を持って家で飼うべきで、いいとこ取りでは駄目だ。うちのハチももとは野良犬だった。それを飼って既に16年になるが、動物一匹飼うのも楽じゃない。可愛そうだからそれだけの労を惜しまず、死ぬまで責任を持って飼うのである。

投稿者 zuiryo : 11:22 | コメント (0)

2010年08月16日

大文字送り火

今夜、京都では恒例の大文字送り火である。18歳の頃からずっとこの時期はお盆の手伝いで京都の小僧寺にいることが多かったので、16日の大文字焼きはいろいろな想い出がいっぱい詰まっている。ある年、お盆行事も無事終わって今夜は大文字でもゆっくり見物に出掛けようかと一息ついた夕方、知人の和尚さんから急な電話、棚経で一軒忘れていたところがあって、先方から電話で、大文字の送り火が始まる前までにお経に来て欲しいという。自分は他用でどうしても行けないので代わりに行ってくれと言うのである。日頃から大変お世話になっている先輩なので、断るわけにも行かず、承諾した。ところが先方の家はごちゃごちゃした下町の真っ只中で、然も既に暗闇、家を探すのに大変苦労した。もう探し当てるのを断念して帰ろうと決めたとき、偶然解って何とか約束を果たすことが出来た。お経が無事終わり汗だくになって外に出たら、鴨川の向こうに大文字の送り火が赤々と燃えていた。あの時は降って湧いた災難のようなもので、夕涼みがてらゆっくり大文字を見物しようという目論見は見事打ち砕かれ、不満たらたらだったが、今にして思えば、あの時の大文字送り火見物が一番良い想い出になった。あれから40数年が経って、それを依頼した和尚さんも既に他界し、若かった自分自身も老いぼれ爺になって、ふっと当時のことが頭を巡り、無性に懐かしくなった。京都には10数年出たり入ったり居たわけだが、その間どれ程この大文字送り火を見たか知れない。しかし、他の年のことは記憶に何も残っていない。どうも懐かしさと言うのは、良し悪しは別にして、ノーマルでないのが良いようだ。そう考えてくると、人生も順風満帆より波瀾万丈の方が、いまわの際に、充実した我が人生だったと、満足のうちに死んで行けるのではなかろうか。安楽な人生ほどつまらぬものはない。

投稿者 zuiryo : 09:30 | コメント (0)

2010年08月14日

犬もお詣り

今日は信者さんのお宅へお盆の棚経へ出掛けた。個人的にも親しくさせて頂いている家なので、ご家族総出で迎えてくれた。先代さんの頃からなので、28年間には家族構成も随分違って、最初の頃小学生だった坊やが今では結婚してその子供も一緒にお詣りするほどになった。こちらのお宅は特色があって、ずっとラブラドール犬を飼っておられるのだが、必ず犬も隣に坐って、お経中も身じろぎひとつせずお詣りする。お仏壇には先代の社長さんの写真の隣に、先代のラブラドールの写真も飾ってあった。この様に犬を我が子のように可愛がっている。また猫も何匹か飼っているので、同じ部屋にいて喧嘩しませんかと尋ねたら、猫の方が先にいたので威張っているそうで、問題はないと言うことだった。静かにお経を聞くほどの犬だから、性格も温厚で優しいのだろう。しかし代々犬がお詣りするというのも、考えてみると不思議だ。犬どうして引き継ぎをするわけでもない。これは飼い主の躾というか、犬の方も主人の意に添うようになると言うことなのだろう。私も愛犬家と言うことになれば負けないが、我が家のハチは全く主人の言うことなど聞かない。躾というより小さい頃から常にゴーイングマイウエイで、散歩にしても自分の行きたい方にしか行かない。それに逆らって強引に別方向に引っ張ろうものなら、道路上何処でも横になって、手足を広げてびくとも動かなくなる。ある時横断歩道を横切ろうと歩き出すと真ん中で横倒しになって動かなくなった。もたもたしていたら信号が赤に変わるので仕方なく戻ると、その有様を見ていた停車中の運転手さん達が大笑いしていた。日常全てかくのごとしで、これは子育てを間違えたとも考えられるが、どうもハチの生来の性格のようだ。ともかく信者さんの家の犬は賢いったらない。羨ましくなってしまった。

投稿者 zuiryo : 12:30 | コメント (0)

2010年08月07日

御嶽滝行

先日久しぶりに学生3人連れて滝行に行ってきた。以前はうちの坐禅会員を沢山引き連れて、恒例夏の行事のようになっていたが、数年して止めた。理由は中に記憶喪失になる者が出たり、酷いときは救急車で病院に担ぎ込むなどと言うことがあって、怖くなったからである。矢張りこういうものはむやみやたら人に勧めるものではないと悟った。この滝行も私は平成3年5月に第1回目、東京方面の仲間に入れて貰ってから、丁度今年で20年の節目になる。そこで今年を最後に止めることにした。そんなことがあって、もう永久に滝には入らないのかと思ったら、急に惜しいような気がして、市内の大学生に話しをしたら、是非連れて行って欲しいというので出掛けることにしたのである。2日午前9時半、お寺に集合して貰い、先ずは坐禅30分、お茶を一服差し上げ、いざ御嶽山を目指して出立である。午後2時半民宿大又山荘に到着。一服した後、およその要領を説明し、胴衣に着替え、宿の前の広場で柔軟体操。車でおよそ5分、山際に駐車して、着替えの荷物や草鞋・塩・御神酒等を持って滝の現場に向け山登り。今年は気温は温かくて良かったのだが水量はいつもの3倍、猛烈なしぶきが辺り一面を覆い、佇んでいるだけでずぶ濡れになるほどであった。少々初心者には厳しいかなと感じたが、事ここに到って引き返すわけにも行かぬ。滝に向かい懇ろに塩と御神酒を撒いて、各自の体を塩で清め、般若心経を詠んだ。みな初めてなので滝の下で入り方を説明しながら浴びることにした。案の定、直下に佇んだだけで恐怖心が湧き、がたがた震えだした。こうなったら気合いである。ところが意外なことに、二人の女子学生は何度も挑戦しているうちにだいぶ良い格好で入れるようになったが、男子学生はまるで根性なし。いざと成ると女は強いものだ。翌朝もう1回滝に入って無事帰路につくことが出来た。感想を聞いてみると3人とも大変良い経験だったと喜んでくれた。兎も角事故なく、無事に円成出来たのが何よりであった。もうこんな事は二度とないので、私にとっても滝行締めくくりの良い想い出になった。

投稿者 zuiryo : 14:32 | コメント (0)

2010年08月04日

百日紅

隠寮庭の隅、山際に百日紅の古木がある。どうも斜面に生えてあるせいか毎冬寒肥はしっかりやっているのだが、イマイチ花の付きが悪い。ところが今年はびっしり花が咲いて誠に美しい。禅寺の庭だから余り花の咲くものは植えてないのだが、はじっこであでやかな紅は炎暑の中、不思議にマッチしている。今日ラジオで言っていたが、このサルスベリ、幹がすべすべで、サルでも滑り落ちそうな感じからこう言うのだそうだが、サルは滑りそうなときはあらかじめ滑らない工夫をするそうで、落っこちることはないそうだ。ごもっともな話で、サルのみ成らず、人間だって危ないときはそれなりの方法を工夫するわけで、解ったようなわからない話であった。兎も角満開のさるすべりは庭の紅一点、見事で良い。百日咲き続けると言うが、これは確かなようで、しばらく楽しませて貰える。ところで先月15日以来随分長い間ブログをご無礼した。僧堂は7月で夏修行が終わり、8月から冬修行に入る。真夏に冬修行とはこれ如何にと思われるか知れないが、一年を二つに割って夏制・冬制、とするからこうなるのである。いずれにしても制末は締めくくりの諸行事が錯綜して大変忙しい。私の場合は尼僧堂もみているので、行事は全て二倍となり、さらに忙しさは増すというわけである。少々言い訳がましくなったが、そんなわけで何となく気持ちにゆとりがなく、ばたばた日を過ごしている間に、半月以上もお休みをしてしまった。五年後、僧堂を創建された隠山禅師の二百年遠忌があるため、その準備もぼつぼつ始まりだしたので、関連の仕事も増え、さらに忙しさが倍加した。十七年前、開山国師の五百年遠忌をやって、へとへとになりやれやれと思ったのも束の間、私一代の間に二度も大行事をすることになった。有り難いと言えば言えるが、誰か別の人にやってよ!と言いたい気持ちもある。ところがいざ話を進めて行くと、関係の方々は大変協力的で、本当に申し訳なく有り難いことと思っている。以上ブログ長期休暇の言い訳。毎度のことで気が引けるが、愛犬ハチは今年人間年齢で九十歳、ほぼ同年齢の親しい友達犬がこのところばたばた倒れる中、ハチだけは尚矍鑠として、散歩に拾い食いに溌剌として居る。ただ二,三日前から皮膚におできが出来て、医者に連れて行ったところである。毎度のことで、どうも夏になるといつもこうなのだ。さすが元気印のハチも日中は殆ど横になってずっと寝ている。ところが朝晩の散歩になると俄然勢いが出て来る。これはひとえに公園のおじさんからパンの切れ端を貰いたいためなのだ。この凄まじい食い気、ほとほと感心させられる。これがハチの命の源泉なのである。

投稿者 zuiryo : 19:27 | コメント (0)