« 2013年08月 | メイン | 2013年10月 »

2013年09月19日

睡眠時無呼吸症

去年の9月から睡眠中機械を装着して寝ている。まず顎が下がらないようにバンドでしっかりつり上げ、鼻にジェット戦闘機のパイロットが着けるようなマスクを着ける。そこから蛇腹のホースで、ポンプアップして気道を広げる機械に繋がっている。マスクが寝ている間に外れぬよう三カ所バンドで頭に括り付ける。つまり顎のバンドと合わせて合計四本のバンドで頭を縛り付けているわけである。大抵の人はこの格好をさせられた途端に拒否反応を起こして、医者の指示通りにやらない人が多いそうだ。しかしサボると機械に記憶装置がセットされていて、睡眠中の使用状況が逐一お医者さんに報告される仕組みになっている。常に監視付きというわけである。さて私だが、さすがに最初のうちは頭を締め上げられているようで寝にくかったが、暫くすると殆ど気にならず、それよりも寝起きの気持ちの良さと言ったらない。いつも午前三時起床だが、起きた途端に頭は冴え渡り身の軽いのに驚かされた。いままで何十年と起き上がってしばらくは頭がぼ~として地獄のような気分だったから、その変化に驚いた。私は起床後洗面を済ませると、部屋の窓を全開して、直ぐに掃除機を掛ける。冬などは冷気が部屋を通り抜け、実に気持ちが良いのだが、体の重たいと言ったらなかった。それがこの機械を着けてからは、気分爽やかで、ハミングしながら掃除機を掛けるようになった。睡眠の質が良くなったのだ。いままでは4時間半の間に五百数十回も呼吸が止まっていた。一番無呼吸状態で永いのは1分10秒だった。これらがすべて解消され、十分酸素を取り込んで寝ていられるようになったわけだから、寝起きが爽やかで身が軽いのは当たり前というわけである。それにしても、自分が睡眠時無呼吸状態だとどうして知ったのかである。まっ、これが永年修行を続けてきた御利益ってもんですね!

投稿者 zuiryo : 20:46 | コメント (0)

2013年09月16日

滝行

9月中頃の三連休を使って、毎年滝行仲間と大滝村御嶽山三合目の民宿、大又山荘に集う。今年は9月雨が多く、道中のダム湖もほぼ満水状態、新滝へ行ってみるとまるでナイヤガラ瀑布の様相を呈している。幸い気温は高いため水量は多いがさほど冷たくなく体が冷え切ることはなさそうだ。全員で10名だが、リーダーの人と私はすでに20年続けたので卒業、後の人たちが滝に入った。見るからにすさまじい滝で、入っている姿を見ると、水の勢いに抗しきれず、体が前後左右に揺れている。今回初めてという若者も居たので、怪我でもしたら大変と心配したが、何とか無事に出てきた。どうでした?と聞くと、水の勢いが猛烈で、落ち着いて入っていられなかったという。滝行も適正な水量というのがある。自然相手で水道の蛇口をひねるようなわけには行かないから、こういうこともあるのだ。周囲は水煙が立ち上り、佇んでいるだけでもしっとり濡れてくる。しかし辺り一面に漂う清々しさ、これはいつも変わらず、たとえ滝に入らなくとも心が洗われる。宿に戻って入浴・夕食。その後、談話室に再び集まって一杯やりながら、深夜に至るまでいろいろ話をするのが楽しみの一つである。仕事も様々、長い付き合いで気心が知れているので、遠慮のないのが一番だ。朋遠方より来たるまた楽しからずやである。

投稿者 zuiryo : 16:49 | コメント (0)

2013年09月13日

ブータン旅行

8月末から8日間、仲間10人とブータンへ旅行してきた。そもそもこの旅行を思い立ったのは、新聞に掲載されていた元世銀副総裁西水美恵子氏の文章を読んだからである。「・・ブータンへ旅して懐かしかったという人が多い。世界銀行の仕事で初めて訪れてから15年、細胞からにじみ出てくるようなあの懐かしさは、いまだに体に残っている。私のDNAが先祖の故郷を覚えているのだろうか・・」。これを私も是非実感してみたいと思った。国土は日本の九州とほぼ同じ大きさ、南はインド、北は中国という大国に挟まれた多民族多言語国家、国土の大半は標高千数百メートル以上の高地、川に沿ってわずかな平地があるという、誠に厳しい環境である。首都ティンプーは小さな集落と言うほどのもので、街を端から端まで歩いても2,30分もすれば行き着いてしまう。市街の道路には信号機は一つもない。狭いところにひしめきあうようにして暮らしている。観光は主にゾンという巨大な城塞兼寺院の見学とお詣りである。中でも標高3000メートルにあるタクツアン僧院への路は大変厳しく、午前9時から登り始めて戻ってきたのが午後4時であった。仲間で一番の高齢が73歳の方、若い方といっても60代半ばの老人組である。もうヘロヘロ、僧院でお経を読み三拝したら脳貧血に襲われ、一瞬よろけた。旅行中の食事はほぼ現地の人たちが食べているもので、どうも我々の口には合わない。格別素晴らしい景色があるわけでもない。それなのに不思議にこころが安らいで、ほかほかと温かくなってくるような旅だった。その根底に、ブータンの人々の篤い仏教信仰があり、日常のすべてがそこを中心におこなわれているからではないかと感じた。ブータンの人々の得も言われぬ優しさにあい、信心について改めて考えさせられた。

投稿者 zuiryo : 09:28 | コメント (0)

2013年09月12日

アサガオ

猛烈な暑さの夏も終わり、朝晩はだいぶ凌ぎやすくなった。一昨年・昨年と節電が喧しく言われたときは、緑のカーテンで窓の外はすべて覆った。最初の年はゴ-ヤ、翌年はアサガオ。しかし今年は簾にした。ゴーヤの時は実を収穫するのに日々追われて閉口したこと、翌年アサガオは肝心の窓の外はあまり茂らず屋根の上ばかり蔓が固まって、日陰効果も花を楽しむこともあまり出来なかった。それに毎日朝夕の水やりも結構仕事で、それなりの設備はしてあるのだが、相当長い期間なので参った。結果今年は一番手のかからない簾になったというわけである。それにあれだけ喧しく言われた節電も影を潜め、むしろ節電のあまり部屋で熱中症にならないようクーラーを使いましょうなどと言う。原発停止で電力不足が叫ばれて居たのが、石油やガスや石炭などで代わりに発電しているらしい。昨日ふと窓から外を眺めたら、槇の生け垣に一輪、赤紫の朝顔がきれいに咲いている。去年のこぼれた種から独りでに芽を出し育ったのだろう。あんな弱々しい朝顔が、誰の手も借りず、けなげに美しい花を咲かせたのには驚かされた。緑の生け垣の頭に乗っかるように咲いているので一層鮮やかである。

投稿者 zuiryo : 10:15 | コメント (0)