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2010年09月27日

ハチの死

昨日午前3時に起床、間もなく副司さんよりハチが非常に苦しそうで危険な状態ですという。すっ飛んで台所へ行くと、確かにうめき声をあげて、尋常ではない。医者に連れて行こうにも早朝でもあり、その日は生憎日曜日であった。仕方ないのでだっこをして体をさすってやると、安心したらしくすやすや寝息を立てていた。しかしそれも一時で、再び苦しそうな悲鳴を上げる。それでもどうしようもないので、ハチに話しかけ我慢しなと言い続けた。午前6時、かかりつけの獣医さんに電話をすると、すぐに連れてきなさいと云う有り難いお言葉、車ですっ飛んで行った。犬は自分の病状を言葉で表現できないので、何が原因なのかを調べるため血液を採り、約30分後、数値は殆ど良好なのだが、頭部に異常があることが解った。元気を取り戻したらMRI検査で何が原因なのか調べましょうと云うことになった。取り敢えず苦しむのだけは緩和しなければ可愛そうなので、安定剤の注射をして貰い、すやすや寝入ったので先生に預けて一端寺に戻った。私は近くの寺の法要があり出掛けなければならないので、後を副司さんに任せた。10時過ぎもう一度ハチの様子を見に行くと注射が切れると矢張り苦しみ出すので再び緩和のための注射を打って貰った。先生の話では全体的には坂を下るように弱っているということである。この頃にはハチはもう駄目かも知れないと頭をよぎった。午後4時前、先生から緊急の電話があり、一時心肺停止、目下人工呼吸器を付け、心臓マッサージを施しているという。駆けつけると、ハチは殆ど仮死状態で、先生が繰り返し心臓のマッサージを続けて下さったが、遂に戻らず4時半死んだ。ハチを一番可愛がってくれた台所のおばさん・副司さん、私と3人で今、あっけなく死んでしまったハチを目の前にして、ただただ呆然として涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。寺に連れて帰りいつものベットに横たえると、まるですやすや寝ているようだった。このベットは副司さんが日曜大工で作った特製のものである。まだ体も温かくハチの優しい顔をじっと見ていたら、15年5ケ月の様々なハチとの思い出がよみがえり、また涙がぽろぽろ落ちてきた。ハチは阪神大震災の孤児で、平成7年5月中頃、片道を延々7時間も掛けて貰い受けしてきた。両手の平に載るほどの大きさで、真っ白でもこもこだった。爾来、その時々の雲水にも可愛がって貰い、ハチは本当に幸せな一生だった。ハチのお陰で雨が降ろうが風が吹こうが、一年中変わらず、盆も正月もなく散歩出来たのが、今の私の健康に繋がっている。昨日のお通夜、今日の葬儀も滞りなく終わり、お地蔵さんの傍らに埋葬した。ハチが一番好きだったパンをお供えし、ハチを知る沢山の人から贈られた綺麗な花をいっぱい飾った。午前中は晴れていた空も午後から曇りだし、夕方頃より本降りとなった。降りしきる雨音を聞いていたら悲しみが一層身に染みてきた。

投稿者 zuiryo : 19:58 | コメント (0)

2010年09月24日

まくら

私の枕はそば殻とクッションを合わせたもので、近所の布団屋さんに注文して高さを調整して貰ったオリジナルである。これが大変寝心地が良く重宝している。だから出向で泊まりの時は出来るだけこの愛用枕を持参することにしている。以前、ある会で数人と宿に泊まったとき、枕がやたら堅くて高く、低い枕好みの私には嫌だな〜と思ったが、仕方なく寝た。ところが、翌朝首から肩に掛けてコリコリに凝って痛くて首が回らなくなってしまった。寺に戻ってから湿布を貼ったりしてみたのだが思わしくなく、整形に診せたり近所の整体治療院へ行ったりと、いろいろやってみたが首は益々痛くなりただ事ではなくなった。ある人から少し離れたところだが、非常に良いからと勧められ出掛けた。結果的にはそこで数回の治療後無事治ったのだが、1回七千円も取られ目から火が出た。たった一晩堅い枕に寝ただけでこの始末、本当にひどい目に遭った。爾来枕には特にこだわるようになり、漸く今の良い枕にたどり着いたというわけである。ところで、またハチの話しで恐縮だが、我が愛犬ハチ君も枕が好きで、ずっとそば殻の枕を愛用している。人は、「えっ!犬が枕するんですか?」と言うが、小さい頃から枕をして寝る。そもそも幼犬の折り買った犬小屋が小さくなったので、私がハチの寸法に合わせてオーダーメードの箱形ベットを作ってやった。日曜大工店で材料を買って来て、トンカン器用にやるので、ハチも近くて見学していたが、瞬く間に出来上がった。早速手製の敷き布団を敷き、「ハチ、入ってごらん」と言ったら、すっと入ってごろんと横になり、如何にも嬉しそうにしていた。そのうち低めのそば殻枕を作ってやると、これまた嬉しそうに顎を乗せたり、横向きに寝たりで、気に入ってくれた。それからはずっと、敷き布団・そば殻枕・掛け布団という三点セットで寝ている。

投稿者 zuiryo : 17:50 | コメント (0)

2010年09月22日

鵜四羽

今朝、ハチと散歩に出掛けたとき、繁華街の近くにある金(こがね)公園の半円形の池に大きな鵜が四羽、バタバタと激しく水面を叩き、次ぎに水中に潜る動作を繰り返しやっていた。長良川の鵜飼は全国的にも有名で、夜篝火に照らされた鵜が、水中に潜っては鮎を飲み込む姿を見物された方も多いと思うが、公園の小さな池で、然も翼を広げると1メートルはあるようなのが、四羽もバタバタ水しぶきを辺り一面にまき散らしながら、暴れ回っていたのには驚ろかされた。いつもハチはその池に入って腹を冷やし水を飲むのがパターンなのだが、今日ばかりは鵜4羽に圧倒されて、入ることも出来ない。しかしこんな早朝に、巨大な鵜が4羽も、繁華街のど真ん中の小さな池にやってくるとは不思議な光景だった。聞くところに依れば近年、長良川に海鵜が大挙押し寄せ、川の鮎を食べてしまうので困っていると聞いた。河口から約60キロほどが岐阜市内になるので、川沿いに北上してくるらしいのだ。金公園は長良川から2キロほどだから、鵜にしてみればひとっ飛び、公園の池を見つけてひと浴びしたということらしい。この池はコンクリート製で深さも30センチほどの人工的なもので、鵜が居ること自体不似合いな池なのだ。また水浴びの仕方がもの凄い迫力で、魚なんか1匹もいないのに、習性なのか必ず水中に潜る動作が可笑しかった。私とハチと数人の散歩中の人が立ち止まってしばし見物した。いつまで待っても飛び去る気配はない。「本当は池に入りたいんだけどな〜!」、ハチは眉を八の字にしながらすごすごと帰ってきた。

投稿者 zuiryo : 20:28 | コメント (0)

2010年09月21日

滝行20年

先日2泊3日、御嶽3合目新滝へ行ってきた。平成3年5月8日、第1回目の滝行以来、今年で丁度20年になる。滝は特に頭を激しく撃つ行なので、仲間とも相談してこの辺が潮時ではないかと言うことになった。毎年7,8人の仲間と一緒に続けてきたのだが、ほぼみんな20年になるのでこの際一斉に卒業式にした。1日目・2日目は最後の滝行、3日目は場所を開田高原の温泉宿に変えて打ち上げ祝賀会である。さて20年間で一番思い出深いのは、第1回目である。5月上旬とは言え、前日小雪が舞うほどの寒さの中、然も午後5時過ぎで、真っ暗闇の滝に撃たれた。山道から10分ほど登ったところに滝はある。辺りは鬱蒼とした森林に覆われ、落差30数メートルの水が激しく岩に当たって、辺り一面水しぶきに覆われている。水温は5,6度、冷たいなんて云うものではない。ちょっと飛沫が掛かっただけでも身を切るほどである。滝の直下の周辺に佇むだけでも、頭を鉄のたがでギリギリと締め上げられるような痛さで、体は寒さで硬直し、平衡感覚が失われ、まるで自分の体ではないようになった。私は生憎2,3日前に酷い腰痛に襲われ、金剛杖に寄りかかるような状態で出掛けたのだから、もう無茶苦茶だった。そんな最悪な滝行だったが、不思議に心は爽やかで、何とも言葉では表現できない不思議な魅力に取り憑かれてしまった。爾来毎年2回、ずっと続けてきた。この間良き仲間と、まるで兄弟のような交友が持てたのは、何より得難き副産物であった。私は平生、寺の中に閉じ籠もって生活しているので、滝行仲間は一層有り難く幸せなことだった。2日目朝の滝でいよいよこれで最後、ちょっと冷たかったが、出てから濡れた体を拭い着物を着てほっと一息付いたとき、ジ〜ンと心の奥の深みから沸き上がってくる心地良さは、何にも代えがたいものであった。よくぞこの20年間一度の事故もなく無事に円成出来たものである。佛天の加護に感謝した。

投稿者 zuiryo : 19:47 | コメント (0)

2010年09月16日

ぼけの皮

ばけの皮というのは当人がひそかに被り、他人によって剥がされるものだ。ところが「ぼけの皮」はなかなか重宝なもので、老人がまわりから面倒な仕事や嫌なことを強いられたとき、ちょっとぼけの皮を被ると、当たり障りが無くて便利である。また呆けたと思われ、いい加減に扱われそうになった時には、ちょいと皮を脱いでやるとうまくゆく。この話は80のお婆さんから聞くから面白いので、もし年が近ければ、話す側にも聞く側にも嫌な後味が残り、お婆さん同士ならこんな手の内を明かすような話しはしない。お婆さんと若い娘という女同士の組み合わせが話しの興を盛り上げるのだ。ちょいと脱いだりちょいと被ったりする、その「ちょいと」の軽妙さが良い。しかしそれは真似をして出来ることではない。これは矢張り人柄である。然も60代70代ではなく、80代に差し掛かったお婆さんだからリアリティーがある。そこには老いの功徳とでもいったものが隠されているように思える。老いが老いを逆手にとってより若い周囲に復讐する。その戦術を未来のお婆さんである若い娘に伝授する図と眺めれば、これもまた愉快な老いの光景の一つであると言える。と、幸田文がコラムに書いている。大変面白い話しなので引用させて頂いた。                               

投稿者 zuiryo : 21:09 | コメント (0)

2010年09月12日

岩瀬文庫

先日、ともしび会(毎月1回講師を招きいろいろな分野の話を聞く会)で、名古屋大学の塩村先生の大変貴重はお話を聞くことが出来た。先生は愛知県西尾市の岩瀬文庫の蔵書や書簡を十数年来研究されており、特に手紙は大変興味深いものであった。幕府天文方の高橋作左衛門景保の帚星に関する事などは、江戸時代の科学水準の高さを知る。また太田垣蓮月書簡では、文中の歌といい、流れるような運筆と合わせ、品格と教養の高さが窺われる。そんな講義の中で、こういう話しをされた。江戸時代の日本人は人間界と神仏界を二つの円に描き、双方の円の重なる部分に生きる人間を、盲目の人・狂人・童子としたそうだ。この人達は今日の感覚では、自分たちより劣る者という見方をするが、決してそう言う考え方をしなかったという。むしろ純粋で一途で心の汚れていない貴い人と見たのだそうだ。目が見えないから、我々が見ることの出来ない世界を見る人、また狂人も単に精神を蝕まれた病人として見ず、より崇高な精神界を生きる人と見たのだという。子供にしても自分の所有物と見るのではなく、神仏の子と考えたのだそうだ。たとえばお能にしても、「櫻川」に登場する狂女のように、一途で純粋な心に、我々俗界に住む人間が失ってしまった気高さと真実の姿を見たのである。近年子供に対する親たちの対し方でも、独りよがりで横暴で、何でも自分の勝手に出来ると思っている。これは神仏に対する冒涜なのである。社会的弱者に対して支援の手を差し伸べることが大切なのは解るが、その発想の原点にあるものが少し違うのではないかと思う。弱いから可愛そうだから助けるのではなく、我々のように世俗の垢にまみれていない貴い人達だから、そこから我々は大いに学ばせて頂かなければならない存在なのだと、江戸時代の人達は考えていたのである。科学技術の発達は目覚ましく日進月歩で、江戸時代の人達がタイムスリップして現代を見たら仰天するに違いない。しかし精神界を見たらどうだろうか。何と酷い、落ちぶれ果てた人間になってしまったかと仰天するに違いない。

投稿者 zuiryo : 20:47 | コメント (0)

2010年09月08日

颱風直撃

以前ハチが崖に巣を作らなかったから、今年は岐阜に颱風はやって来ないと書いたが、何と台風9号が岐阜を直撃、目が大垣を通ったということである。最初の予報では能登半島当たりに上陸、その後東北方面を通過と言うことだったので、ハチのご託宣は当たるわい!と安心していたら、急に角度を変えてこの有り様、すっかり自信を失ってしまった。ところがいつまで待っても、何処に颱風があるのだ!というようなもので、雨も少々降っただけ、風に到ってはそよともふかない。またまた自信を取り戻し、やっぱりうちのハチは正しかった。しかし直撃されて殆ど木々の葉も揺れないという颱風も珍しい。兎も角被害ゼロで目出度しだったが、夜のニュースを見ると、関東甲信越地方では猛烈な雨で、濁流に車が何台も押し流されたり、木にしがみついて難を逃れている人が居たりで、大変なことになっている。直撃されたこっちは何もなくて、遠く離れたところで酷い被害を被るというのも変な颱風だった。ところで話は変わるが、私より5つ位年下の方で、最近軽い脳梗塞に襲われ目下治療中の友人がいる。大事に到らずほっと安堵の胸を撫で下ろしたわけだが、後遺症で声がかすれ、気管支に水分が入ってしまうらしい。徐々に回復しつつあり、脳のMRI診断を時折する程度で納まっているようである。私も毎年年末にMRIを受けているのだが、友人はどうも閉所恐怖症気味のようである。初めての時、狭いドラムに頭から入り、ガラガラ・キンキン音がした途端、棺桶に入って焼き場の釜に入れられる気がして、思わず緊急停止ボタンを押したそうだ。係の人が、「どうしましたか!」と、飛んできたので、「何だか変な気分になってしまいましたので。」と言うと、「では止めましょうか?」と言われたが、止めるわけにもゆかず根性を決めて再度挑戦、何とか検査が終了したという話しであった。しかしMRI検査で棺桶に入ったようだという連想も可笑しかった。私何ぞは鼻歌交じりで、イヤホンから聞こえる音楽をハミングしながら、実にゆったり気分で終わった。人によって随分違うものだと始めて解った。

投稿者 zuiryo : 20:05 | コメント (0)

2010年09月04日

水泳

夏と言えば水泳である。私は生まれたところが比較的海に近いところだったので、泳ぎは得意のはずだが、それがまるで金槌。小さい頃ガキ大将に連れられて川にも泳ぎに行ったが遂に犬かきで終わった。そうこうしているうちに雲水修行がずっと続いたから大人になっても結局水泳は駄目。10数年前、友人に誘われてプールに通うようになった。ある時、何とかごまかしの平泳ぎでぷかぷかやっていたら、60過ぎと思われるご婦人が私の横をクロールでかっこよく泳いでいった。ムラムラと私の闘争心に火がついた。こんな女に負けてなるものか!それからというものインストラクターに教えを請い、先ず基本の「蹴伸び」を繰り替えしやって、次は「面被りキック」、次はビート板を使って「キック」の練習、てな具合でしゃかりきになって練習に練習を重ねた。遂に1ケ月後、何とクロールで泳げるようになったのだ。先ずは五百メートル、次には八百メートル、遂に1キロを泳げるようになった。爾来夏は水泳を楽しんでいる。その後も友人で綺麗に泳ぐ人の泳法を盗見て、初期の頃より大分私のクロールも旨くなった。運動は何でもそうだが、やっているときは結構しんどいが、後が誠に気持ち良い。心地よい疲労感というか、裏山歩きも同様だが、大汗掻いた後というのは体がスッキリする。知人で減量のために運動をしている人が居るが、これは駄目。運動したって減量は出来ない。腹が減るからかえって沢山食べて太るのだ。日中37度という酷暑だが、こう言うときこそどっと汗を掻くとスキッとする。

投稿者 zuiryo : 21:49 | コメント (0)

2010年09月03日

スイカ

今年の夏の暑さは格別、9月に入ってもその勢いが続いて、まるで今年の阪神タイガースみたいだ。岐阜では連日35度、明日は38度と予報されている。8月末、夏風邪を引いて酷い下痢、トイレに入ったり出たり、更に尾籠な話しで恐縮だが、トイレに駆け込むのが間に合わず、パンツにまで染み出して、今度は洗濯が大忙し。熱も少々出て、氷枕で24時間冷やしっぱなし。食欲は全然無し、2日間ろくな物は食えなかった。お陰で体重が激減、一気に1,5キロも減った。まっ、これは大歓迎で大いに喜んだが、食べる楽しみがなくなるという事ほど悲しいことはない。ともかくとんだ目にあった。しかし昨日頃より元気復活、飯ももりもり食べられるようになって一安心である。ところで夏の果物と言えば王様はスイカである。毎年、神奈川県の三浦半島の和尚が大きなスイカを2ケ送ってきてくれる。雲水共々美味しく頂いたが、それっきりで、全くスイカを食べる機会がない。この酷暑、妙にスイカが食べたくなってきた。意地の汚い話しだが、食べたいと思いだしたら無性に食べたくなって、待っていてもくれる気配はないので、遂に堪らずスーパーに買いに出掛けた。ところが梨やブドウ、ミカンなどは堆く積んであるが、スイカのスの字もない。な〜るほど、もうスイカのシーズンはとっくに終わっているのだ。いつもの年はこうも食べたいとは思わないのだが、やはりこの暑さの為せるわざと感じた次第。どうも食い物の話しばかりで具合が悪いが、私は特にグルメではない。口に入るものなら何でも良いというタイプだが、友人で大変舌の肥えた人が居る。特に蕎麦にはやかましく、同じ店でもちょっとでも味が落ちると、「ここはもう駄目だ!」、と言っては新しい店を探してくる。言われればそうかな〜と思う程度で、格別変わったとも思わないが、一応話しを合わせて、「うっ!これは旨い!」などと適当なことを言う。その程度の舌しか持っていない。戦後食い盛りの頃、ガツガツしていたからどうもその後遺症がいまでも残っていて、何でも腹さえ膨れればいいやと言うのが本音である。犬は飼い主に似ると言うが、ハチが全くこの通りなのである。

投稿者 zuiryo : 19:30 | コメント (0)