« 2024年04月 | メイン | 2024年06月 »

2024年05月29日

土屋禮一展

高島屋10階で、土屋禮一展、「有由有縁」。久し振りに土屋先生の個展とお話の会へ光芳堂さんと出掛けた。素晴らしい先生の作品と約1時間ほどのお話に感銘を受けた。先生のお話は何時聞いても、深みを感じる。矢張、先生の心境の深さ、人柄の良さがにじみ出ているようであった。中味の濃い2時間だった。私の普段は殆ど独りぽっちだから、たまにこうして、いろいろな人にお目にかかり、良い刺激を受けることが出来て、有り難い催しだった。

投稿者 zuiryo : 16:30 | コメント (0)

2024年05月26日

終日ノ~ビリ

骨休めの日なり。居室の窓越しに向いの山の木々が風にユラユラ揺れて、それをジ~ッと飽きずに眺めている。この時が私は一番心安まる。穏やかな一日が過ぎた。ふっと過去のいろいろな出来事が走馬灯のように巡る。まっ、過去ばかり振り返っているようでは少々老化、淋しい限りだが、これが今の私なのである。日々我が身の衰えを実感する。と言っても未だ僧堂現役に変わりは無いので、やることはやらなければ勤めは果せないので、頑張ってはいるが・・・。老骨に鞭打って、と言っては少々オ~バ~だが。しかし、こうして僧堂に居らせて頂いているお陰で、82才を過ぎてもなお、元気に毎日過ごしているのだ。ふっと机の前を見ると、「頭パ~、中味スカスカ脳足りん」と、紙に書いて張ってある。その通りである。自らこうして紙に書いて目の前に張っているくらいだから、パ~度も本格的、トホッ!

投稿者 zuiryo : 15:42 | コメント (0)

2024年05月25日

傍らでタマが・・・

今、午後三時半、机の傍らでタマちゃんが気持ちよさそうにすやすや寝ている。ジ~ッと飽きずに眺めている。窓の外、向いの山の木立が風にユラユラ揺れて、日差しにキラキラ輝いている。静寂、無為に時を過ごして、心地よさを満喫している。私はこう言うときが一番好きだ。

投稿者 zuiryo : 15:39 | コメント (0)

終日無為

半夏大接心も首尾円成して、この所、ゆったり過ごしている。と言うと聞こえは良いが、老齢化で、一回大接心をやると、しばし休憩である。陽がさんさんと降り注ぎ、微かに山の木々が揺れている。窓越しにジ~ッと飽きずに眺めている。無為、これが一番癒やされる。机の上で、愛猫タマちゃんが、丸くなって気持ちよさそうに寝ている。開け放った窓から心地良いそよ風が吹き抜けている。無音、これが何より癒やされる。老化と言う事もあるのかも知れないが、時折ふっと遙か昔、京都で小僧をしていた頃のことを想い出す。僧侶になったとは言え駆け出しで、万事、未熟だった。師匠には随分迷惑を掛けたが、辛抱して、相手をしてくれた。そのお陰で今がある。感謝の気持ちを伝えたいと思った頃には、既に他界してしまった。生きている限りはこの思いだけは忘れずに保ちたい。

投稿者 zuiryo : 14:15 | コメント (0)

2024年05月23日

万事、物忘れ

老化と無刺激の日々で、頭の衰え著しく、日々物忘れと戦っている。ボツボツ精神寿命の限界点に達したようだ。明らかな認知では無いようだが、ジワジワ忍び寄ってきている。大らかに考えれば年相応とも言えなくもないのだが、何せ一人住まいで、日常殆ど会話が無いのがいけない。さりとて愛猫「タマ」相手に喋ってもほぼ無反応だし、どなたか独居老人用お喋り機でも開発してくれないかな
~。今も机の隅っこで、タマちやんがゴロンと寝ている。じ~と見ているだけでも癒やされる。

してくれないかな~

投稿者 zuiryo : 20:06 | コメント (0)

2024年05月22日

昨日、無事接了

半夏大接心も無事円成、ほっと安堵。もうこの繰り返しを、62年間続けてきた。だから何もかも普通、当り前のことの繰り返しである。お陰様でこの間、大病もせず、やって来られたのが何より有り難い。机の傍らで、愛猫タマがすやすや寝ている。時折目を覚ましては窓の外の景色を眺めている。それを傍で眺めている私は、実に幸せな気持ちになる。向いの山の木立が、ユラユラ揺れている。夕日に照らされてキラキラ輝いている。何の変哲も無いこの日常が、何より心癒やされる。

投稿者 zuiryo : 15:59 | コメント (0)

2024年05月20日

明日接了

半夏大接心、明日は接了、まっ、これを62年間も続けてきたのだから・・・。頭パ~、目はショボショボ、脳タリン、になってしまった。トホッホッ!なんて言ってる場合じゃないっつ~の。お陰様で大病もせず、よくぞここまでやって来たもんだ。まだまだあの世へ逝くまで、これが続くので、油断せず、日々頑張ろう!修行が日常になって、殆ど修行している感じはしない。何時もこれが普通なのだ。何より健康なのが有り難い。この道は病気したらお仕舞い。健康は気を付けようと思っても、その通りには成らない。健康な体に産んでくれた親に感謝。時折、ふっと、あと何年これを続けられるのかな~と思うことがある。しんどくとも、これを続ける以外に私の生きて行く道は他に無いのだから。

投稿者 zuiryo : 19:14 | コメント (0)

2024年05月09日

向いの山の木立が・・・

山の立木がユラユラ静かに揺れている。ジ~ッと眺めていると、不思議に心癒やされる。人に依ると、矢鱈客を招いて、お喋りをするのが大好きという方も居られるが、私にはああ言う神経は全く理解できない。そもそも人嫌いなのだ。ボ~ッとしているときが至福の時間なのである。だから、こう言う禅寺は私には実に心地よいのである。有り難いことだと何時も感謝している。世知辛い世の中、私のようなボ~ッとしている者では、とても生きちゃ居れない。お寺成ればこそ何とか、生きさせて貰えているのである。有り難いことである。

投稿者 zuiryo : 10:55 | コメント (0)

頭パ~ッ、眼はチカチカ・・・

と言うようなわけで、最近特に老化現象著しく、この調子でゆくと、遠からず認知症まっしぐらなのだ。トホッホッ!なんて暢気なこと言ってる場合じゃ無いつうの。今はまだ自分でこう言ってるのだから、いくらか自覚があるわけだが、遠からず「完パ~ッ!」間違いなし。これは幾ら頑張っても坂道を転げ落ちるように「パ~街道」まっしぐら。残念至極だが、避けて通ることは出来ない。普通はこう言う自分の恥を公にさらすという者は居ないのだが、私はバカだから皆言っちゃう。言おうが言うまいが、そうなっちゃうのだから仕方ないのだ。故に、そうなったとき周りに迷惑掛けなように、予め手を打って置くことが必要である。その為にはどうするか、目下思案中なのである。と、ここまで自分で書いてきておきながら、目の前真っ暗、トホッホッ。まっ誰でも通る道、人間最後まで一生懸命頑張らなくっちゃ。ものは考えようで、この自覚があるうちは、まだましかな~っ。

投稿者 zuiryo : 09:34 | コメント (0)

2024年05月08日

終日、ゆったり・・

連日ゆったりで、今日に限ったことでは無いのだが、他にすることも無いので、ブログを書くのを義務のように感じている。ボ~ッと一日過ごした。「無為」という文字が目の前を飛び交っている。負け惜しみに聞こえるかも知れないが、近頃私は、「何もしないこと」に価値を感じている。それって、ただのバカじゃないの!と言われそうだが、私の中では、いや、そうではない!「価値」なのである。まっ、そんな事はどうでも良いが、部屋の傍らで、愛猫タマちゃんが、スヤスヤ寝息をたてている、ジ~ッと眺めていると、不思議に心癒やされる。窓越しに、向いの山の木々が風にユラユラ揺れて、夕日に照らさ、キラキラ輝いている。部屋でこして過ごしている時が、私は一番幸せなのである。

投稿者 zuiryo : 16:34 | コメント (0)

2024年05月03日

ゴ~ルデンウイ~ク 

世間では今日からゴ~ルデンウイ~クでさぞかし行楽地は賑わっていることだろう。僧堂では勿論そんなのは全く関係ないことで、今日も朝から境内の掃除で、皆忙しく頑張っている。うちでは半夏大接心は十五日からなので、落ち葉や草引きで大忙しである。5月の強い日差しで、外作務もらくじゃない。一方私はそう言う忙しさを尻目に部屋に籠もって勉強?と言うと一寸格好良いが、引き籠もりっつわけ。こうして暢気にブログを書いているのである。トホッ!ところで、話は変るが、広い境内の立木の剪定業者に困っている。一般の民家と違ってお寺の境内は広いうえ、立木も背の高いのが多いので、危険も伴い、職人さんも近頃、若手はなり手が無くて皆高齢化、落っこちたりしたら、大ごとである。親方もいろいろ大変なのである。まっ、僧堂によれば、こう言う剪定も雲水にやらせるところもあるようだが、うちでは昔から出入りの業者が決まっていて、専らその人達の仕事なのである。時代も変化して、植木職人さんも老齢化と人手不足らしい。さりとて雲水に高い木の上によじ登って剪定というわけにもゆかぬ。

投稿者 zuiryo : 11:01 | コメント (0)