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2011年07月30日

割烹

お寺の近くで夫婦二人きりで小さな割烹店をやっている人と親しくしている。把針灸治の折に時たま利用させて貰い、安くて心のこもった料理に舌鼓を打っている。たいしょうは私より一つ下で、いたって元気な方だったが、2,3年前癌を患い、回復してその後元気に元通り働いていたのだが、また最近再発して2度目の手術をした。回復の具合はどうなのか大変心配したのだが、すこぶる順調で、抗癌剤も殆ど副作用もなく、2,3日前から再開した。人生の大半を板前としてやってきたので、仕事をしているのが一番心身共に楽なのだそうだ。「いや〜、仕事もせずにぶらぶらするくらいしんどいことはありませんな〜!」と言っていた。聞くところに依ると、手術が無事済んで、まだ麻酔が効いていて朦朧としているとき、無意識のうちに料理を作る所作をしたり、何々を仕込まないと間に合わないから・・・などとうわごとを言ったそうだ。意識が回復してから看護婦さんにそれを指摘され、「そうだったですか〜!」だったと言う。道一筋と言うが、体に染みこんだものは、こんな緊急場面でも、自然に出てくるのだろう。禅では正念相続というが、生きている道は違っても、禅僧もこれくらい体に染みこんだら一人前と言える。気の置けない友人と茶飲み話をしても、自然に修行の話しになるようでなければ駄目だ。割烹のたいしょうの話しからとんだ横道にそれてしまったが、世の中のどんな事柄を見ても直ぐ修行に結びつけて考えてしまうのだ。

投稿者 zuiryo : 11:11 | コメント (0)

2011年07月28日

ハチの墓

ハチが死んで9月末には1年になる。1周忌法要までには土葬した上に何か印の石に、「ハチの墓」とでも書いて据えてやろう。長良川の河原から適当なのを拾ってきて、石屋さんに彫って貰おうかな〜、と考えているうちにどんどん日が経ってしまった。まあそれなりの大きさの石を拾ってくるとなると、人力でやれるものか、厳密に言うと勝手に石を持ってくるのもいけないのかも知れないな〜、などぐずぐず思案していた。そんな折り、ふとある方のことを想い出し相談してみたところ、老師の可愛がっていたワンちゃんですからと、六方石という自然な感じの良い石を選んでくれて、デザインまで配慮して下さった。勿体ないような話しで、わざわざ石の写真をご持参頂き、場所も見て貰い、ほぼ決定した。幾ら愛犬と言っても犬には違いないので、人間のようなお墓は相応しくない。そう言う点でも実にハチに似合いの、しかも立派なのが出来そうである。嬉しくて堪らず、早速ブログを書いたという次第。埋葬した場所は生前日向ぼっこが好きだったハチがいつもごろんと寝そべっていたところで、きっと喜んでくれるだろうと思っている。さて緑のカーテンその後、毎日水を遣り肥料も欠かさず施しているので、成長振りは著しく、先端は屋根の上まで伸び、びっしり茂った葉っぱは当に緑のカーテンそのものである。開けはなった窓からそよそよと涼しい風が吹き抜け、節電に大いに貢献する日々である。またゴーヤが次々に実り、目下収穫真っ盛り。私が窓の内側から実を見つけ指さすと。外側から雲水が梯子によじ登りちぎるという次第。連日ゴーヤづくし、何だかおならまで苦い匂いになってきた。

投稿者 zuiryo : 16:46 | コメント (0)

2011年07月18日

すべてのものは無

あらゆる物質は分子によって構成されている。例えば水の分子はH(水素)2個と0(酸素)1個の原子が結合して出来ている。原子とはもともとこれ以上分割できないものを意味するのだが、実はさらに分割でき、原子の中心の原子核とその周りを回る幾つかの電子で成り立っている。原子核をさらに分解して行くと陽子と中性子になる。と言うことはあらゆる物質は陽子・中性子・電子の3種類の粒子で構成されている。この陽子・中性子・電子を総称して素粒子という。その素粒子もミクロ世界の終点ではなく、陽子と中性子は、それぞれ3つのクオークで構成されている。このクオークの実体は波動エネルギーそのものだと言う。これが現代物理学が追究してきた物質の究極の姿である。これはどういう事かと言えば、つまりエネルギーには形はないということである。形のないものを無とすれば、あらゆる物質は無から生じたと言える。まさに、般若心経で言う、「色即是空、空即是色」なのである。さて人間だが、細胞を顕微鏡でのぞくと、毛糸の絡まり合ったような染色体が見える。染色体はタンパク質とDNAから出来ている。染色体を1本取りだしタンパク質を除いて水に浮かべると切れ目ない細くて長い繊維のようなものになる。これがDNAの分子で、長さは180センチ、是が人体の60兆個ある細胞の中にたたみ込まれている。一人の人間のもつDNA全体の長さは、60兆×180センチだから、約1080億キロメートル、光が走って5日もかかる。DNAは家の設計図、タンパク質は家の建築材料にあたる。この様に生物の遺伝情報は設計図であるDNAに全て書き込まれている。生きとし生けるもの全ての設計図はわずか4つの文字、アデニン・チミン・グアニン・シトシンと言う4つの遺伝文字(塩基)で書かれている。人間もブタもサクラも、その他あらゆる生物は基本的には構造が全く同じなのである。当に全ての生物の生命は根源に於いてただ一つなのだ。今日の分子生物学ではそればかりかあらゆる生物はこの4つの共通遺伝文字を通じて相互に関連し合い、助け合って生かされている事も明らかにしている。どの生物も他の生物なしでは生きてゆけないのだ。生あるものは4つの遺伝情報で繋がっていて、相依相関の関係にあり、自分だけで生きている生物は何一つない。当に仏教で言う「諸法無我」である。動物も虫も草や木も、命の根源に於いて皆深い絆で結ばれている兄弟なのである。以上は岸根卓郎著、「見えない世界を超えて」より引用させて頂いたのだが、現代科学の最先端を見て行くと、全て仏教に話しが繋がっていることが解る。

投稿者 zuiryo : 10:14 | コメント (0)

2011年07月17日

緑のカーテンその後

先月早々にプランタンや堆肥、ゴーヤの苗を買いそろえ、居室のまわりに植えた。今ではすっかり成長して、軒にからみつくまでになり、まだはい登る勢いである。毎朝の水やり定期的な施肥と、万端怠りなく手入れをしているから、葉っぱもびっしりと茂り、当に緑のカーテンになった。その上ゴーヤの実が次々になり、みるみる大きくなって収穫の時期を迎えた。ところがサイズは申し分ないのだが、表面のつぶつぶが小粒で、しかも実自体がしなしなで、色につやもなく、美味しそうではない。だから私は食するのを遠慮して、雲水の味噌汁に入れている。猛烈に苦いと言うから、ゴーヤの性質は変わり無さそうだが、期待していただけに少々がっかりだ。一口にゴーヤと言っても種類があるのかも知れない。来年はもう少し研究して、折角なら美味しい奴を作ろうと思った。さて今日は第3日曜日、光陽会坐禅の日である。今回はいつもの参加者に加え、東京方面から二人、九州福岡からも一人参加した。よくも遠方よりはるばる遣ってきたものだ。また市内で初参加の方が居られ、ブログを見て参加されたのだが、犬の散歩の途中で参加と言うこと。おとなしい犬ですから、どこか隅っこにでも繋いでおけばご迷惑お掛けしないと思いますと言う。こういう例は今までなかったが、私も犬が大好きなので愛犬家には少々甘く、結構ですと申し上げた。講話も済んで会員が雑巾掛け中に、繋いである台所へ、その犬を見に行った。小さな可愛らしい洋犬で、手を出したら、「ウ〜ウ〜!」、と唸った。見ず知らずのところへいきなり連れてこられ、大の雲水連中が前を右往左往するから怖くなったのだろう。それは兎も角、連日この暑さには参った。これからが本番なのだから今からそんなことを言っていたら、8月は乗り越えられないと心配している。春に掛搭した雲水で、鎌倉から遣ってきたのが居るのだが、何が大変か?と聞いたら、この狂気的暑さですと言っていた。ごもっとも!私も約8年間、鎌倉に住職していたことがあったが、鎌倉の中でも特に涼しい地域で、通称「鎌倉の軽井沢」と言われていた。勿論クーラーなどは使ったことがなく、扇風機さえちょっと回せば直ぐに止めるほどである。岐阜へ遣ってきた10年間は暑さ負けして、9月はぼ〜と、抜け殻のような日々を送っていた頃のことを想い出した。山紫水明の実に良いところなのだが、この暑さが玉に瑕である。

投稿者 zuiryo : 20:27 | コメント (0)

2011年07月09日

サーチュイン酵素

私は小心者だからやたら健康のことが気になる。だからNHK「ためしてガッテン」は欠かさず見ている。先日、老化防止の話題で、サーチュイン遺伝子が働くと、人間は百歳ぐらいまでは難なく生きられるという、ビックリするような話しだった。この老化を防ぐ遺伝子は誰でも持っているそうで、それをいかに効率よく働かせるか否かが鍵で、解ってきたことは「飢える」事だそうだ。人間飢餓に陥れば、眠っていたこのサーチュイン遺伝子が俄然活躍しだして、老化を防ぎ長寿延命を得るのだそうだ。ということは、現代の飽食はこれと全く反しているわけで、グルメなどは自ら寿命を縮めているようなものである。そこで気がついたことは、僧堂の食事の粗末なことである。しゃびしゃびのお粥が朝食、作務が始まる頃には腹はぺこぺこ、へそが背中に飛び出すのではないかと思うほど。途中、茶礼があって、しばし一休だが、センブリのようなお茶に沢庵の千切りが出てくるだけだった。斎座は無我夢中で食べた。麦飯に味噌汁、沢庵だけだが、世にこんな美味いものがあるかと思うほどだった。持鉢に4杯、てんこ盛りにして食べた。薬石もほぼ同様、こういう食事の繰り返しで、過酷な労働の日々、体が持つかと心配になったが、そんな心配は全くなく、元気溌剌却って健康になったくらいだった。栄養がどうのカロリーがどうのという難しい話しは分からないが、兎も角健康で10数年過ごすことが出来た。この不思議がこの番組を見て解ったのである。人類が単細胞から長い年月を経て進化する過程で、幾度となく飢餓に襲われた。その危機を乗り越え生き延びるために「サーチュイン遺伝子」を獲得したのである。つまり粗食こそ長生きの秘訣というわけ。そう言えば先住の大心老師はいつも、「粗食が良いんだぜ!」と言っておられた。嘗て97歳まで現役管長として活躍された古川大航さんは、秩父の山奥の生まれで、平地のないところだったからお米が出来ない。そこでそばが主食だったそうだ。当時、いよいよ臨終という間際、竹筒に入れたお米を振って音を聞かせて、あの世に送ったという話しが残っている。せめてお米の音だけでも聞かせて冥土の土産にしたのである。こう言うところで育ったから、終生粗食を旨とし、晩年に到るまで、「おじや」だけで過ごされたそうである。現在の僧堂のシステムは、ほぼ江戸時代末頃に完成したのだが、科学的知識など殆ど無かった時代に、この食事も考えられのだが、結局最先端だったわけである。食事のみ成らず、僧堂全体のシステムは実によく考えられている。永年生活ししてみると、そのことが身に染みて解る。

投稿者 zuiryo : 10:14 | コメント (0)

2011年07月08日

雀にパンくず

この間友人からパンを沢山頂いたので粥座はパンを食べている。はじっこが残るので廊下から庭に撒いたら、忽ち雀がやってきてしきりに啄んで、「うめ〜!」と言ってるように感じた。2,3日続けていたら、撒かない日は催促するように何羽も集まってチュンチュン囀る。特に雨の日はずぶ濡れになって囀っている姿を見ると、何だか可哀想になって、遣らないわけにはいかなくなってしまった。こうなると義務感が湧いてきて、友人からのパンはもうとっくになくなったが、近くのサウンドウイッチ屋さんから切れ端を貰い、毎朝・夕、廊下から撒いている。最初の頃は近くを通っても驚いて飛び去っていたが、だんだん慣れてきて、何羽も並んで啄んでいる。その姿の可愛いことと言ったらない。昔、建長寺に居られた素堂老師は、雀に餌を遣りながら、窓からそれをスケッチして、実に上手に墨絵を描いておられた。今私が使わせて頂いている朱扇にも、雀同士で綱引きをしている絵が描かれている。しきりに啄む雀たちを眺めていたらふっと、素堂老師の気持ちの一端が解ったような気がした。

投稿者 zuiryo : 22:03 | コメント (0)