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2020年11月27日

草引き

連日草引き作務が続いている。広い境内人少では大変である。最初庭造りの時、これを考えて随分工夫したのだが、矢張り必要最小限は手で一本一本引き抜いてゆくより仕方がない。にっくき草め!である。京都で小僧をしていた頃、やっぱりこの草引きでは苦労させられた。当時師匠は積極的に除草剤を散布していたので、まだ楽だったが、それでも結構草引きは大変だった。私が此の道場にきたときも雲水は連日良く草引きをしていた。ところがよく見ると,ほとんどの者は片手に漫画本を広げながら,ただ坐って草引きの格好をしているだけだった。開いた口が塞がらなかった。此の道場は一体何をしているのか!こんな事が堂々とまかり通っている現状に唖然とした。馬鹿か~!此の道場の緩みきった現状を目の当たりにする思いだった。そこで徹底的に根性入れ直しをやったら全員帰ってしまった。さて小僧時代からず~とこの草引きにはいろいろな思い出があるが、根気よく草に負けずに引き抜いてゆくことは修行そのものだと思っている。妄想と相戦ってゆく坐禅修行と同様なのである。

投稿者 zuiryo : 17:48 | コメント (0)

2020年11月25日

絵を送る

姪っ子夫婦が家を新築した。土地を取得し家を新築だから、かなりお金もかかったと思うが、パソコンで送られてきた写真を見ると相当立派な家である。そこで新築祝いにさる高名な画家の絵を送った。送るのも自力では難しいので画廊の方にお世話になった。私も此の寺に住職したとき,隠寮がなかったので、奥の西側に建てた。二部屋に台所、風呂場、東司を備え、大変機能的で便利にした。家と女房は新しいほど良いなどと下世話では言うらしいが、新築の家に住む心地よさはまた格別である。その後寺の大改造などもあって,結局隠寮的な部屋が3つ出来た。3つも作ってどうするの~!と最初は思ったが、後になっていろいろ部屋の活用法が出来てきて、決して無駄ではなく、良かったと思っている。まあ何というか家の新築というのは独特の嬉しさがあるものだ。私自身がそう言う経験を積んでいるので姪っ子の嬉しさも察せられ、こっちも一緒に嬉しくなった。

投稿者 zuiryo : 15:29 | コメント (0)

2020年11月24日

巨大洗い熊闊歩

子牛ほどもある巨大な洗い熊が裏山に生息していて、ちょくちょく寺の建物の中に入り込み、猫の餌を喰い荒らしている。廊下には大きな足跡が転々としており、寝静まる頃を見計らって歩き回っているようだ。飼い猫たちも恐怖におののき、困り果てている。サッシの重たい戸も力任せに開けて、部屋にどんどん入ってくる。そして猫の餌を食い荒らしてゆく。この強引さ!寺中我が物顔に歩き回り、やりたい放題である。まさに「害獣」である。しかしこれを食い止める手段はない。人間だって鉢合わせでもしたら噛みつかれてしまう。どなたか駆除の方法があったら是非教えて頂きたい。

投稿者 zuiryo : 18:32 | コメント (0)

人生の価値

毎年時期になると必ず柿を送ってくれる人が居る。今年もダンボーりいっぱい送ってくれた。!この方とは、づ~っと以前、アライグマの子供を差し上げたのがきっかけで、爾来時期になると柿を送って来てくれる。今年も美味しい柿をいっぱい送ってくれた。中に近況報告の手紙があって、以前発行していた「瑞龍たより」、平成29年5月1日第88号「人生の価値」をいつも肌身離さず持っていて繰りかえし読んでいるのだそうだ。そこでその文章は一体どんなものだったか確認するために探してもらい改めて読んでみた。な~るほど~!我ながら良く書けている。当時定期的に発行していたもので(現在は止めてしまった)、読者の中にはこういう人も居るのだと知り、文章一つでもおろそかには出来ないな~と感じた。

投稿者 zuiryo : 03:36 | コメント (0)

2020年11月23日

プロ野球日本シリーズ

昔道場で修行していた頃、巨人軍の川上監督や国松コーチという、超有名人が座禅修行に来ていた。そんな縁で野球は巨人!になった。爾来ず~っとファンで、シ~ズン中は勿論、今やっている日本シリーズでも、テレビにかじりつくようにして応援していた。当時は毎年破竹の勢いで勝ち続け、大いに溜飲を下げた。しかし月日が経って、一応今でも強いチームだが、昔に比べると見劣りする。また当時親しくさせて頂いた方々も亡くなったり、超老人になったりで、だんだん野球そのものに興味がなくなり、日本シリーズやってるんだ~!になってしまった。尤も野球に限らず万事に興味は薄れ、手に汗握るなどということ自体なくなった。もうどうでもいいや~、になってしまったのだ。これは一個の人間としてはあまり良い傾向ではないと思うが、老齢化というのはそういうものなのだ。毎日健康で雲水と修行できれば、それが一番!

投稿者 zuiryo : 10:32 | コメント (0)

2020年11月22日

脳足りん

最近私は脳足りんになった。年齢によるものだと思うが、日々実感しているので少々憂鬱になる。こんなこといくら考えても良くなるものでもなし、なるべく考えないようにしている。が、考えてしまう。こんな辛気くさいことを繰り返し書くということ事態、「脳足りん」だ。ところで愛猫「タマ」は、巨大なアライグマの襲撃におびえ、廊下の小屋には寄りつかなくなり、中は空になった。木小屋の裏の棚にある小屋に緊急避難し、そのまま居着いてしまった模様。聞くところによるとこのアライグマ、図体はやたらでかく、小熊ほど有るそうだ。これではタマでなくとも緊急避難したくなる。うちは裏が山になっていて、ず~っと奥まで続いているから、侵入を防ぎようがない。一応電柵で囲っているのだが、その程度は軽々くぐり抜けてしまう。自然に囲まれて良いところなのだが、こう言う悪いことも同時にあるのだ。

投稿者 zuiryo : 12:40 | コメント (0)

2020年11月20日

屏風絵

土屋礼一先生の屏風絵が皇室に献納され、そのお披露目が京都国立博物館で催された。同時に皇室のいろいろな宝物なども沢山展示され、それらも併せて見に行ってきた。私の目的は先生の屏風絵で、巨大な屏風に京都の四季が色とりどりに描かれ、それは見事と言うほかない。一端皇室に収まってしまったら永久に我々は見ることが出来ないので、前にしばらく立ち止まって穴の開くほど見てきた。それにしても土屋先生はこう言うチャンスに巡り会い奉納できるというのは何と運の良い人かと思った。歴代の日展作家でも、そのときトップにいなければこう言う話はやってこない。そう考えると奇跡的巡り合わせと言うほかない。その同じ先生の障壁画がうちの寺に奉納され、私は毎日見られるのだから幸せなことである。現在の先生ではとてもお忙しく、うちの寺でお願い出来る話ではない。そう思うとうちの龍もまた一段と光彩を放ってきた。

投稿者 zuiryo : 19:27 | コメント (0)

お金が逼迫

この所やたら支出が多くて現金が逼迫してきた。出るときにはやたら連続して現金が出て行く。会計は大丈夫だろうか心配になって、会計係にたずねると、大丈夫です!と心強いお言葉。ほっと安堵の胸をなで下ろした。出るときはやたらじゃんじゃん出てゆく。入ってくる方もこう願いたいが、そうはいかないのが現実、厳しい~。うちのお寺の場合はあまりコロナの影響はないのだが、何となく気分がこう言う世俗の空気に影響を受けて、うちは大丈夫かしら?と思ってしまう。それと私も老齢化で、やたら心配性になった。もっとで~んと構えておれれば良いのだが、生来気が小さいからこう言う時期は余計取り越し苦労が頭をもたげる。困ったもんだ!まっ、お寺は世間と違って倒産なんぞと言うことはないから、ガタガタすることはない。

投稿者 zuiryo : 11:23 | コメント (0)

2020年11月19日

干支の色紙

毎年この時期はお正月に配る干支の色紙作りに頭を悩ます。まっ、強力な助っ人がいるので、私は忠実に稽古を積めばそこそこの色紙ができあがる、と言うのが例年の習いだったのだが、今年は馬の親子がどうにもうまく描けない。線が固くぎこちない。親子の馬が突っ張っちゃって、まるで木馬!あまりに酷いので、先生が手直しして下さった。まっそれで何とか今年も出来上がり、安堵の胸をなで下ろしたところである。これも老齢化によるものなのかな~。年々下手っぴ~になってきた。この調子で行くとやがては干支の色紙も無理かもと思うようになった。そのときは止めにする。年々いろいろなところに老化現象が出てきて、お前も認知症一歩手前だぞと言われているような気がする。

投稿者 zuiryo : 20:12 | コメント (0)

2020年11月16日

墓地整理

裏山の一角に各世代の墓が横一列に並んで石垣で囲ってある。左側から横一列に並んでいる。この繰り返しで行くと、あと一人分で満杯になってしまう。そこで最後の囲いは歴代塔にして、以後はすべてこの中に入ってもらうことにする。いずれにしても限りあるスペースだからこうせざるを得ない。うちでは伝統的に石塔は建てずに土中に埋葬しそれを石垣で囲むという方式である。これは意外とスペースをとり、だから後一基立てたら敷地はなくなると言うわけ。悪いが私以降の人は寄り合い所帯になって入ってもらう。何にもないところから生まれ、何にもないところへ去って行くのだからこれで良い。それにしても一応骨を埋める場所くらいはないと困るので、以降何人死んでも相い墓でいく。私もそろそろこういうことを考えないといけない年齢になったわけだ。なんとも寂しい話だがやむを得ない。できるだけ後の者に迷惑かけないようにやって置くことは全て済ませ、すっとあの世に行きたい。

投稿者 zuiryo : 10:36 | コメント (0)

2020年11月15日

万事億劫

最近は万事、億劫になった。要するに細かいことはエイッ!めんどくさい!になった。つまり頭がパ~!になってきた証拠である。まっ、これは老化現象の一つと考え、あまり神経質に考えないことにした。年寄りになればみんなこんなもんだ!と思うようにしている。と言いながらも一方では、あ~おれもこれまでか~!と、酷く落ち込むのが本音。日々此の葛藤である。もっと一気に認知症にでもなれば、こう言う自覚症状もなくなり、日々平和に暮らせるかも知れないな~。こんな話は辛気くさいのでもうやめる。どういう状況になってもそこで踏ん張って生きるより仕方がない。どうも私にはその覚悟がまだ出来ていないのである。

投稿者 zuiryo : 11:26 | コメント (0)

2020年11月14日

タマ

愛猫「タマ」がこの所私の部屋に良くやってくるようになった。勿論元野良なのだが、何年も餌をやり続けて居るうちに飼い猫になった。しかし年月を経ても元野良という性分は変わらず、イマイチ馴染まない。廊下のダンボール小屋に身を潜めている。そんなところより、こっちの陽の当たるところへおいでと言っても来ないのだ。特に元野良という境遇の猫にとって一番は安全なこと、だから万事慎重で、うっかり誘いに乗って酷い目に遭ったときのことがトラウマになっていているのだろう。可哀想だが仕方がない。こう言うのも猫の性格に依るのかも知れない。別の猫クロ(これも元野良)は比較的大胆で、悠々と私の部屋で昼寝してゆく。

投稿者 zuiryo : 10:53 | コメント (0)

2020年11月13日

運命

運命などと言うと少々後ろ向きな感じだが、矢張り有ると思う。人生をただ漫然と流されて生きていては,それはないと思うが、少しでも前向きに生きようと願う者ならある。運は「運ぶ」とも言うが、矢張り自ら運ぶものである。今までの積み重ねの結果として次の運命が決まる。偉そうなことは言えないが、自分の今まで歩んできた道を振り返ると、自然にそんな気がしてくる。今は過去の結果として存在するのだと思う。最近嘗てうちで修行し,その後、寺に入り頑張ってきた者が、思いもよらぬ事態に遭遇し、退かざるを得なくなった。全く気の毒千万なことである。何とかそこから挽回のチャンスを見つけてやらなければと思っている。世の中にはこういう理不尽なこともあるのだと改めて思った。ピンチはチャンスと言う。次ぎにやってくるチャンスをうまく捕まえることが出来るように、心の準備を調えておくことである。捨てる神も有れば拾う神もある。

投稿者 zuiryo : 15:45 | コメント (0)

2020年11月11日

程度の低い和尚

お寺はいったん住職になってしまえば、こんな馬鹿が~!と思ってももう交代はない。どこかに監察官みたいな人が居て、あまりに酷い住職は罷免できるという制度がないものかと思う。法人の代表役員になってしまえば,後はやりたい放題が実態だ。こんなズボラな組織は他にない。宗教法人代表役員を取り締まる組織が必要だと思う。世間的にも法人として恩恵を受けているのだから。どの組織にも監察官のようなのがあって、常に目を光らせている。これがないから歯止めがきかず,やりたい放題な者が出てくる。いったん代表役員の地位に就いてしまえば後はこっちのものと言わんばっかり!である。こんな実体を世間の人が見たらさぞあきれかえることだろう。いつかは仏様の鉄槌が下されると思う。 

投稿者 zuiryo : 21:27 | コメント (0)

馬鹿

人間馬鹿ほど救いようのないものはない。此の一番の責任は本人自身なのだが、そう言う程度の低い頭を持たされて生まれてきたという、生んだ側の責任もある。だから、可哀想だな~と思う。人間誰でも努力次第でどれだけでも成長できるという考え方も成り立つが、それだけでは成り立たない場合もある。たとえは良くないかも知れないが、ブスに生まれた女性の顔みたいなもんだ。いくらお化粧をしても自ずから限界はある。何故こんなことを言うかと言えば、何人も入れ替わり立ち替わり多くの雲水を見てきて、しみじみ思う。可哀想だな~!と。それなりに努力もし、頑張ってやってきても、お坊さんとしての資質に欠けた者は救いようがない。それを救ってゆくのがあなたの仕事じゃないですかと言われると返す言葉はないが、出来ないこともあるのだ。私も僧堂を預かって38年にもなり,いろいろ経験も積ませてもらってきたが、私の指導なんかより数倍も本人の持って生まれたものほど重いものはない。こうなると運命というよりほかはない。修行僧として生涯生ききるというのはそう言う目には見えない本来備わっている資質が大きいのである。

投稿者 zuiryo : 11:04 | コメント (0)

2020年11月10日

全身マッサージ

車で1時間ほど離れたところからわざわざ私の体のケアーのために弟子がやってきてくれた。既に小庵の住職なのだが、こうして時々全身マッサージに来てくれる。有り難いことだ。此のマッサージ、痛いのなんのって、ヒ~ヒ~うめき声が出てしまうほど。まっ、後がスッキリするのでいいけど。行ったり来たりだけでも大変なのに・・・。ところで話は変わるが,廊下の猫小屋に,最近何と「タマ」が住み着いた。どういう風の吹き回しか???喋れるなら一度理由を聞いてみたいものだ。今日は午前中耳鼻咽喉科へ出かけ,午後からもいろいろあって,結構忙しい一日だった。

投稿者 zuiryo : 17:51 | コメント (0)

2020年11月09日

耳鼻咽喉科

睡眠時無呼吸症という厄介な病気にかかり、睡眠中呼吸が止まらないように,強制的に口の中に空気を送り込む機械を装着して寝る。この機械が保険適用のため、毎月診察を受けなければならない。機械一式レンタルで,わずかな使用料を支払えばOKというわけ。何ならこの機械一式を購入すれば良いのではないかとも思うのだが、どうなんだろうか???いづれにしても面倒なことに毎月一回診察に行く。此の繰り返しがもう10年くらいになる。多分生きてる限り一生此のパターンが続くことになるのだろう。トホッ!故に外泊の時はやたら面倒なことになる。機械一式結構がさ張るのを持って行かなければならないからだ。まっ一晩くらいなら口中にマウスピースを装着してOKと言う方法もあるが。特に何泊かの外国旅行などは変圧器も持って行きこの機械一式併せて結構な荷物になってしまう。と言うわけで本日は耳鼻咽喉科診察になった次第。

投稿者 zuiryo : 14:50 | コメント (0)

2020年11月08日

大接心明け

朔日からの入制大接心も明けて今日は把針灸治、朝も寝忘れでゆっくり休ませてもらい、日中雲水は辨事をもらい、一斉に外出である。私もいつものスポーツジムへ行って一泳ぎ、入浴も済ませ、サウナにも入って、さっぱりした気分になった。薬石は近くのカレ~屋さんのテイクアウトで舌鼓。この所美味しい柿を頂き、柿カレーだ。私ももう78歳で決して若くはないが、長年やってきたことなので、体に染み込んでいるせいか、さほど負担を感じない。まっ、ほっと一息というところである。話は変わるがうちのクロちゃん(ねこ)、一時の悪かった体調もスッカリ癒えて、黒い毛並みも艶々してきた。長年飼っていると、何となくネコ語が解るようになった。結構おしゃべりで、表情で意思の疏通が出来る。可愛いもんだ!

投稿者 zuiryo : 16:57 | コメント (0)

2020年11月07日

入制大接心最終日は雨、今年78歳になるのだが、年々この大接心が負担に感じるようになった。と言っても長年やり慣れたことで、特別どうっつ事ではないが、部屋での動き一つでも、何となくもたもたしているな~と我ながら思う。その代わり頭の方の回転もゆっくりになったので、全体としてはこれでバランスがとれてる。しとしと降る雨を窓越しに眺めながら、38年間、長いことやってきたな~と、ふっと感じた。まっ、自分の好きな道で日々過ごせるのだから、これ以上文句は言えない。我々同世代では、ほとんど現役を退いて、隠居さんの身分、数年前高校時代の友人が3人やってきた。もちろんサラリーマン組はすでにリタイヤ、話す事が過去のことばかりで、世間はこういうことなんだな~!と思った。それに比べれば私は未だ現役バリバリ、むしろ老齢の方が珍重され、やや骨董品に近い感じだが、気力のある限りは何時までも出来るのは幸せだ。そう思ってますます頑張らねばと改めて感じた。

投稿者 zuiryo : 14:33 | コメント (0)

2020年11月05日

チャイちゃん

私の部屋の廊下の隅に段ボールに中は暖かな布を敷いた小屋をチャイちゃんのために置いた。とても喜んで愛用していた。そこへ「タマ」の馬鹿が、おめ~何だよ~・・・!と言いがかりをつけて、そこから追い出してしまった。タマを張り倒してやりたいと思ったが、チャイちゃんがいなくなったら、ヘッヘ~!どうだ~!これで用は済んだとばかり来なくなった。どういう悪い性格をしているネコなんだ!改めてタマの顔を見ると確かに人相が悪い!まっネコ社会にはネコの仁義ってものがあるのだろうか?この寒空にブルブル震えてどこかにいるのかと思うと可哀想でたまらない。こう言うときネコ語しゃべれたらな~と思う。マッ!典座寮の外に段ボールのネコ小屋がいくつかあるのでそこへ入っているのだろう。タマの馬鹿にはちゃんと部屋があってそこでヌクヌクと過ごしているのに、他猫に対してこの態度!許せない!

投稿者 zuiryo : 14:19 | コメント (0)

2020年11月04日

大接心なかび

連日の講座は、今日は中日でお休み、四九日掃除となる。こちらはその分一息つける。同じ繰り返しはそれはそれでペースが出来て良い面もあるのだが、ない日もこれで良い。お日様がさんさんと降り注いだと思ったら突如としてにわか雨、今日は変化の多いお天気になりそうだ。思えば私もずいぶん長い間このペースで来たものだ。80を目前にすると、さすが少々しんどいな~と思う日もあるが、体の中に染み込んで、何もかも当たり前のことになった。私の兄弟は皆在家で、皆商売をしている。ちょっと話していてもすぐにお金のことが口をついて出る。遙か昔母もそうだった。そういう話に差し掛かると私は母の目の前でそろばんを弾く所作をして茶化した。するとニコッと微笑みながら、「・・だってこれで一生やってきたんだからね~!」と言っていた。今思い出すと、そう言う母の顔が無性に懐かしい。何でもっと優しくしてやれなかったのかな~。

投稿者 zuiryo : 09:52 | コメント (0)

2020年11月03日

入制大接心

一日から冬期の接心が始まった。私はもう38回目になるが、八月制間以来の久しぶりの緊張感は心地よい。しかし連日ぽかぽか陽気でいまいち気分は盛り上がらない。木枯らしが待ち遠しい。連日午前中は講座がある。聞く側の雲水はどうなのか解らないが、こっちは,喋っているうちに気分が盛り上がってきて、嘗て聞く側だった雲水時代を思い出し、師匠のことが頭に甦ってきた。まあ人が変われば当然話も変わるのだが、よくまあほぼ同じ事を繰り返し飽きずに喋っていたな~と思い出した。そう言ってるおまえだって似たようなもんだぜ!ところで知人で、同じように師家になったものがいた。まっ、他宗では制度の違いがあるから一概には言えないが、成って数年もしないうちに、トップが変わったらお払い箱になってしまった。気の毒というか、面子丸つぶれというか、そこはそういう家風なのか?ともかく変な感じだった。余分な憶測は控えた方が良いのでこれでやめるが、どうして?と言う感じは未だに残っている。今どき,午前3時から起きて雲水と一緒に勤行から始まり,座禅、喚鐘、講座等々一連の行事が目白押し、振り返ってよくまあ38年間も繰り返しやってきたな~!である。

投稿者 zuiryo : 14:09 | コメント (0)

ネコの攻防

うちではどこからともやってきて住み着いた元野良猫が合計5匹いる。まっ、お寺は広いので,5匹くらいの猫は適当にどこかに住み着いている。しかし生き物だから餌はやらなければならない。、餌と言ってもカリカリの粒状のものを、皿にでも盛っておけば自然になくなる。犬と違って毎日散歩に連れて行かなければならないと言うこともないので、そう手がかからない。ただ問題は5匹がお互い決して仲良しではないことだ。だから寝る段ボール小屋は適当に離して置かなければならない。まっ、お寺は敷地が広いので場所はいくらでもあり、この問題も解決。ネコもそれぞれ個性があって、それが見ていて楽しい。やたら威嚇する者、何時もちいちゃくなって、逃げ回ってばかり居るものなど、それでいて全体としてはうまく収まっている。だんだん慣れてくると自然にネコ語が解るようになる。まっ、解ると言っても人間の言葉のように解るわけではないが、一応会話は成り立つ。

投稿者 zuiryo : 11:12 | コメント (0)

2020年11月01日

姉の介護施設入り

姉には子供が二人いるのだが,二人とも娘でそれぞれ嫁いでいる。主人は数年前亡くなり,独居老人だった。それがこのところ急に弱りだし,娘の家に転がり込もうと思案したが,軽く拒否され,ガックリ。そこで介護施設に入居となった。大変良い施設で,兄弟も近くにいるし、何の文句もないのだが、腹の中では上の娘のところへ転がり込もうという算段をしていて、それがあっさり蹴られてショック!で、頭にきて文句の嵐。と言ってもこの厳しい現実は変えられない。しばらくすったもんだしていたがついに観念した。漸く治まるところに治まって周辺の関係者も安堵の胸をなで下ろしたところである。私も独居老人の一人なので他人事ではない。尤も子供がいるわけでなし、頼るところは最初から何処にもないから、スッキリと介護施設に直行だと思っている。昔なら弟子が責任を持って最期を看取るというわけだが、大抵は病気をするし、まあ病院行きだろう。人生のお仕舞いまで幸せで満足などということは絶対ないのだから。

投稿者 zuiryo : 20:08 | コメント (0)

入制大接心

いよいよ11月1日から入制大接心が始まった。毎年の事ながら気持ちの良いものである。私は20歳の時から今年78歳になるが、づ~っとこの繰り返しを続けてきた。何年経ってもこの爽やかな気分は変わらない。健康でこのときを迎えられる幸せを実感している。こう言うのは理屈ではなく実感である。爽やかな朝の空気を吸って、スッキリした。人にもよるが、師家もちょっと慣れてくると横着構えて、適当に自分で規則を作って、雲水が文句一つ言えないのを良いことにして身勝手なことをやり出す輩がいる。雲水時代私は悪い例を体験させられたので、反面教師で、自分は絶対にそういう身勝手なことはすまいと心に決めた。こう考えれば、何事も良い教えになるものだ。話はガラッと変わるが、元野良のチャイちゃん(ネコ)は廊下に備えた布小屋にすっかり慣れて、いつも丸くなって寝ている。出口辺に餌を置いてやると、好きなときに小屋からのそっと出てきてポリポリ食べている。気の弱い猫で、いつも他のネコにはおびえている。だからこっちも相当気を遣って大切に育てている。

投稿者 zuiryo : 09:59 | コメント (0)