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2010年01月30日

美濃佛国

今日も用事で出掛けた折り、丁度総門前で老夫婦が遙か彼方の本堂に向かって深々と頭を下げて祈っている姿を眼にした。こういう場面は良くある事で、岐阜で長く住んでいると当たり前なのだが、考えてみると、ここの人達は本当に信心深いと思わずにはいられない。私が街中でちょっと佇んでいても、行き交う人は皆決して前を横切らず、わざわざ後ろを通って行く。こう言うのを見るに付けても美濃の国の人達の長い伝統に支えられた仏教信仰の深さを感ずる。つい最近もこういう事があった。山内寺院で、瑞龍寺中興の祖、隠山禅師の関係寺院で、現在は廃寺同然のお寺から大涅槃図が寄進された。縦横1間半以上はある大きな物で、然も画像の保存状態も究めて良く、素晴らしいものであった。いろいろな経緯からずっと在家の方が保持しておられたのだが、矢張りこういう物はお寺で守って貰った方が良いというので、今回の寄進となったわけである。畳の上で広げて見たときは画像の素晴らしさに目を奪われて気が付かなかったのだが、本堂中央に掛けてみたら、軸の芯が先ず落ち、裏うちも相当傷んでいる。早速表具師を呼んで修理について相談すると、完璧にやると三百数十万円はかかるという。これには驚き、ちょっと待って貰った。何だったらカーマへ行ってのりを買ってきて、雲水にでも張らせたら安く付くかなとも思ったが、そんな無謀な事は止めて下さいと言う話しだったので思いとどまった。兎も角こういう有り難い寄進なので、施主家の気持ちも考えて、大切に保存しなければならないと思った次第。しかしお金の要ることである。

投稿者 zuiryo : 20:09 | コメント (0)

2010年01月26日

おえっ!の原因

以前愛犬ハチが連日おえっ!と吐くので、胃が悪くなったと思い、医者に診せ、胃酸を抑える薬を貰ったという事は書いたが、その後薬を変えて貰い呑ませても、以前としておえっ!は止まらずほとほと思案に暮れた。これはどう考えても変だぞ。そのことをずっと考え続ける内に、はっ!と気が付いた。一言で言えば、甘やかし過ぎ。私が特製ベットを作ってやり、そこに毛布の敷き布団、そば殻の枕、毛布の掛け布団で寝ている。さらに昨年12月頃より、日中殆ど石油ストーブの前でごろごろ寝転がっているという有様。猫よりも上手を行っている。寒がってぶるぶる震えるので、可哀想に思ってそんな特別待遇をするから、熱し過ぎとなり気持ち悪くなったのだ。犬なんて〜ものはその辺へほっぽらかして置いてもどうっつことはない。寒ければ自分で考えてまるまっちく寝るだろうし、その為に体中毛が生えているわけだ。犬を恰も人間のように思っていたことが大いなる間違いで、今日からは火の気一切無し、勝手に寝ろ!と言う事にした。間違った愛情のそそぎ方をしていたわけで、今大いに反省している。今年で満15年、人間年齢で90歳のハチ、ちょっと気づくのが遅かったよな〜、と臍をかむ思いである。

投稿者 zuiryo : 19:29 | コメント (0)

2010年01月25日

骨を折れ!

私は雲水が参禅に来るたびに、「骨を折れ!」と繰り返し言い続けている。室内での指導に余分な言葉は却って雲水を迷わすことになるからだ。己事究明に他人のアドバイスなど要らない。ひたすら自己の内に向かって究めて行く事が唯一の方法なのである。人間は元々弱い者だから、「溺るる者は藁をむ掴む」で、藁にしがみついたって助かる見込みなど皆無なのに、それでも掴みたくなるのが人情である。だから指導者としては世俗の情などかけらも見せてはいけない。そこで、「骨を折れ!」の一点張りとなる。そうしていたら、年末大掃除に踏み台から落ちて、本当に骨を折った雲水が居た。そこまで忠実に実行しなくとも良いのにと言ってやりたいぐらいだが、笑い事ではなく、打ち所が悪く複雑骨折、ドリルで穴を開けボルトで締め付けるという手術になったそうだ。全治数ヶ月の大事故になってしまったのだ。大切な弟子を預かっておきながらこういう事になったのは本当に申し分けない事で、お詫びのしようもないが、よくよく注意して作業をするように皆に注意したところである。で、少し方針を変えて、「骨を折れ!」は止めにして、これからはひたすら、「ど阿呆!バカ!間抜け!」と言うようにする。これなら骨を折られる心配がない。近年は子供の時に野山を走り回ったり、川遊びをしたりと、自然の中で五感を訓練して行く事が無くなったので、どうも平衡感覚が鈍い。何もトビ職が軽業師の如く作業をするような事をせよという訳ではないので、ちょっとした梯子の上での作業くらいは出来無ければ駄目だ。寺では行事には高いところに幕を張ったり、大掃除では梁にしがみついて雑巾掛けをしたりということもある。猿ほどでなくともいいので、準サルくらいにはなって欲しい。まっ、兎も角僧堂ではいろいろな、思いも寄らぬ事があるので、油断もスキもないのである。

投稿者 zuiryo : 19:40 | コメント (0)

2010年01月17日

光陽会坐禅

今日は第3日曜日だからいつもの光陽会があった。以前は寒風吹きすさぶ酷寒の候に成ると、1人減り2人減り、大体7,8人がいいところで、酷いときは3,4人などと言うこともあった。今年は特に寒さが一段と厳しいので、参加者が減って良いのに、どういう訳か却って益々増えてきた。ざっと20人は参加、良くもまあこんな寒いのに早朝6時からの坐禅会にやって来るものだ。名古屋から毎回参加される人もおり、遠方は神奈川からも2人来た。真夜中出立して、高速を走り抜けて来たというのだから驚く。こういう奇特な人が居る一方、門前辺からは余り参加がない。これはどういう訳なのだろうか?うちの信者さんのお婆さんは、近くのうちへはやって来ず、わざわざ京都まで出掛けて法話の会に参加すると聞いたことがある。うちでも法話の会は催しているのにだ。話しをする和尚の玉が悪いからだと言われると、返す言葉はないが、そうたいして変わらないがな〜と思っている。してみると、このわざわざ遠方まで足を運ぶことに意味がありそうだ。新年を迎えるとどなたも神社に初詣に出掛ける。これなども町内の神社でも良かりそうなものを、車に乗って渋滞の中遠方の神社へ行く。山内の和尚さん一家は、新年初詣は八日市の多賀神社まで行かれる。奥さんの在所が近くと言うこともあるのだそうだが、雪の多いときは随分大変であろう。知人も初詣は必ずお多賀さんへ行くと聞いたことがある。町内の橿森神社は歩いて5分のところにあり、明治6年までは瑞龍寺が管理していた神社なのだから、うちとは大変縁の深い神社なのだが、私もその前を素通りして、30分も歩いて伊奈波神社まで初詣に出掛ける。人のことは言えないのである。つまりそこに至る道程が大変なほど、目的の価値が上がると言うわけだ。不思議なことだが、合理的だとか、効率的とか言うこと以外に、一見無駄なように思えることに、価値を感じるのだろうか。

投稿者 zuiryo : 19:51 | コメント (0)

2010年01月16日

阪神淡路大震災

明日は大震災から15年目である。去年の日記を見ていたら、午前5時半、神戸の方向に向かってハチに合掌させようと両手を持ち上げたら、ウ〜!と唸ったので、止めにして黙祷させたと書いてある。ハチは震災孤児なのだから、本人は全然解っていないが、明日も例年の如く、合掌させようと思っている。午後山歩きのためズックを履こうとしたら、上がりがまちに見たこともない小鳥がいた。側に行っても動こうともしない。余りの寒さに固まってしまったらしい。1時間ほど歩いて帰ったらもういなくなって、糞だけを落として行った。今日は事務方3人で土屋先生の祝賀会について打ち合わせをした。偉い人は勝手なことを言うから、こっちはその度に振り回されて良い迷惑をする。尤もこれも先生の祝賀会を少しでも良くしようという親切心から出ているわけで、文句ばかり言うわけにはいかないが、一つ事を行うというのは大変なことである。丁度打ち合わせ場所が画廊で、新年最初の名品展が開催されていた。いや〜、さすが素晴らしい作品ばかり、こっちはゲロピンだからとても手が出ないので、せめて眼だけ楽しませて貰った。

投稿者 zuiryo : 20:35 | コメント (0)

2010年01月10日

おえっ

昨日、今日と、ハチがおえっ!どうも胃の調子が悪いらしい。胃酸過多症か胃炎か?そのくせ散歩中はいたって元気なうえ、拾い食いも全く衰えていない。相変わらず電光石火、あっという間に何でも口に入れてしまう。早朝のことで薄暗いから一体何を食ったのか解らないが、兎も角もぐもぐやっている。屹度いつか、毒饅頭でも食って哀れ死ぬのではないかと思っている。まっ、自業自得でしょう。さて、今日は松尾流岐阜松蔭会初釜の日、午前10時、山内K院で、まず家元のお手前でお茶を一服頂く。昨日名古屋で家元主催の流派の初釜があり、知人と三人で出かけ、今日は家元に岐阜までお出で頂き、岐阜支部の初釜というわけである。心配したお天気具合も良く、しかも大変温かで、お出かけ頂いた社中の人達には、良い初釜日和であった。ご婦人方は大抵着物で来られるから、雨や雪では困るのである。今までは脇席と点心席はそれぞれ別の山内寺院をお借りしていたのだが、皆さん老齢化で、あっち行きこっち行きするのが大変というので、うちで両方を受け持つことになった。少々暖房の効きが悪く、小寒かったのが難点だが、取り敢えず大過なく円成した。何事も初めてというのはいろいろ問題が出てくるもので、点心で汁物がなかなか出てこなかったが、屹度来年はもう少しスムースにいけるだろう。

投稿者 zuiryo : 21:20 | コメント (0)

2010年01月06日

初月忌(はつがっき)

今日は恒例の初月忌。山内・役刹・会下・関係寺院の和尚さん方が集まって、今年初めての開山さんの毎月忌法要のお経を読む。その後は書院で正月お節料理の献立の食事を頂く。午後12時半頃には終わって、それぞれ下山。雲水はその後、自分たちの食事を済ませ、正月用の荘厳を全て片付けた。本堂・総門・山門などの幕、各所お供えのお鏡など、境内中を走り回って、通常のスタイルに戻す。年末に何日もかかって支度したものを、一気に片づけるわけだから、相当手間が掛かる。終わった頃は早や夕方になってしまった。これも毎年のことなので、手順は慣れているとはいうものの、寒い最中の外仕事は堪える。明日はまた雪らしい、折角正月の雪が解けて、やれやれと思ったのも束の間、また雪かよ〜!夕方関ヶ原の知人に会って話を聞いたら、岐阜市内に雪が殆ど無いのでビックリしたそうだ。関ヶ原辺は、まだ1メートル近く積もっているという。大体岐阜の場合、西へ行くほど積雪は多いのだが、今年はそれが特に極端のようだ。小さかった頃、関東で雪は大変珍しく、ちらちら雪が舞うと、「♪ゆ〜きやこんこん、あられやこんこん・・・・」などと歌って、沢山積もればいいな〜!と、空を見上げたものである。それが今では、雪が降り出すと、後の庭掃除が大変だな〜、と憂鬱になる。雪も10センチくらいで止まって貰うと良い。枝に雪がうっすらと積もって細い先端まで網の目のように雪の枝で張り巡らされ、それは美しいものだ。何事も丁度良いというのはないものである。

投稿者 zuiryo : 21:57 | コメント (0)

2010年01月05日

癌の事について既に何回か書いてきたので、またか、と言う感じだが、年末年始に掛けてNHKテレビで度々取り上げられた。国民の半分は癌に罹り、その3分の1は死ぬと言うのだから、今や癌は単なる病気の一つと言うだけではなく、国民的大問題である。それが職場にも影響を及ぼし、個人的問題に止まらなくなってきたのである。現在分かったことは、いかなる方法を以てしても、癌は治らないと言うことである。様々な抗癌剤も結局直ぐに癌の方がそのうわ手を行ってしまう。そもそも本来人間を守るべき免疫細胞が、何と癌の手先に変身して、癌の増殖に手を貸しているのだという。まったく開いた口が塞がらない。癌そのもののゲノムを解読し終わるのには、これからどの位掛かるか予想も出来ないのだそうだ。ある学者は早くて100年後という。癌は調べれば調べるほど正体が分からなくなるのだ。ここまで聞いてきて、私などは早や絶望の淵に佇んでいる。だからそう云うことは考えないのが一番良い。私の知人で、検査は一切しない、生きられるだけ生きればそれで結構と達観した方がおられるが、小心者の私などは爪の垢でも煎じて飲みたいくらいだ。どうもこの生き方が一番合っているような気がしてきた。

投稿者 zuiryo : 20:43 | コメント (0)

2010年01月04日

餡まん爆発

正月はいつもお節料理の入った重箱2ケと切り餅20ケくらいを貰っておいて、隠寮で一人過ごすのが通例である。年末大掃除、大晦日の除夜と、雲水もくたくただから、3ケ日は寝正月をして貰う。しかし冷えたお重に焼き餅ばかりではさすが飽きてきた頃、年末横浜の友人から頂いた、中華の餡まんを想い出した。そうだあれをレンジでチンすれば、趣向も変わって良いぞ!とこれは名案だ。そこで冷蔵庫から餡まん2ケを取り出し袋のままレンジのスイッチを入れた。暫く他のことをしていたら、突如バア〜ン!と凄まじい音がした。密閉状態の袋に入れたままだったため、風船のように膨らみ、ついに耐えきれなくなってパンクしたのだ。見るとレンジの中は姿形のなくなった無惨な餡と皮があたり一面飛び散って悲惨な状態になっている。これで美味しいはずの中華まんは全てパーになってしまった。人間慣れないことはやるもんじゃ〜ない。後掃除の大変なことと言ったらない。とまあ、こんな具合の新年だったが、元旦から猛烈な雪で、年始の客も誰一人来ず、静かに過ごすことが出来た。ところでまたハチのことを書くのは本当に気が引けるのだが、台所辺を覗くと、ハチがガタガタ震えて居るではないか。「ハチ!寒いの?」と聞くと、「うん」と力無く答えた。じゃ〜正月だから特別サービスだと、ストーブをつけ前に毛布をひいてやると、待ってましたとばかりごろり横になり、いかにも気持ちよさそうである。「ハチの前世は屹度猫だったんだね〜。」と言ってやった。

投稿者 zuiryo : 11:00 | コメント (0)

2010年01月01日

謹賀新年

昨日から降り出した雪が今日も止まず、今も猛烈な勢いで降り続いている。目の前に見える板塀の瓦に既に30センチは積もり、みるみるうちに厚みが増していくのが分かる。これでは何時も遣って来る年始の客も足止めをくって来られまい。さて、毎度私のブログを見て頂いている方々に、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。今年も頑張って一回でも多く書こうと思っておりますので、何卒よろしくお願い致します。矢張り元日の第一声は我が愛犬ハチのことから始まります。午前三時からの祝聖(しゅくしん)・大福茶礼・祝餅と立て続けに行事があって、ここで一息。普通なら暫くゆったりと新年の朝を迎え新聞でも広げると言うところだが、私の場合は違う。着物に作務着、毛糸のマフラーで首をぐるぐる巻きにして、頭には毛糸の帽子を耳が隠れるほど深く被って、分厚い手袋をし傘を差し、いざ出陣である。ハチも雪は嬉しいのかいつもよりはしゃいで、引き綱を括り付けるのも難しいほどはね回っている。喜んでいるのはハチだけで、私はちっとも嬉しくないのだ。しかし可愛いハチのためならどんなことでも厭わず、長靴が埋まるほどの中を市中に繰り出した。車は道路が凍結しているためゆるゆると走っている。その中を信号無視、広い道路をあっち行きこっち行き、やりたい放題である。うんちもしたしオシッコも済んだので、早く戻りたいのだが、こういう日に限ってやたら元気で、一時間半、大汗掻くほどに、引っ張り回されてしまった。今年一年を暗示するような元旦雪中散歩であった。

投稿者 zuiryo : 10:17 | コメント (0)