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2014年04月30日

観音様は女性?

今日はいつもの習字の稽古日で、たまたま仏像の事が話題になった。ある人が、「へ〜!観音様は女性ではないんですか!」、と仰った。たしかに観音像を普通に見れば女性に見えるので、こういう感想はごもっともである。しかしどういう仏像でも仏の慈悲を形に表したものなので、人間の姿はしているが、それは仮の姿で、形を通してその中に込められている慈悲を観なくてはならない。慈愛は現世では両親をイメージする。中でも母親の慈愛はどなたでも感ずるところで、窮したときには、必ず自分を助けてくれるのである。だから観音様が女性に見えるというのは自然な気持ちである。こう考えると同じ親でも,父親は随分損をしているように見えるが、もっと窮したときに、頑張れ!と励ましてくれるのが親爺である。いずれにしても親ほど有り難いものはない。自分の好きな仏さんを拝すると、何処かで親に重なるところがある。人はいつも心でものを観ているのだと言うことである。

投稿者 zuiryo : 14:54 | コメント (0)

2014年04月29日

花は散っても・・・

近頃のもうろくぶりは酷いもので我ながら呆れかえっている。昨日久しぶりにブログを書いて、さて前回はどんなことを書いたかな〜と見たら、何とほぼ同じ事を書いていたではないか。ガックリきたが気を取り直して書く。1年にたった3回だが、檀信徒向けに「たより」を出している。あるとき法要があって、僧堂の老師さんが見えた。床の間脇の棚に積んであった「たより」をご覧になって、頂いても良いですか?と仰ったので、どうぞと差し上げた。爾来失礼ながらその老師さんにだけ、たよりをお送りしている。すると必ずご丁寧な感想をマンガ入りで寄せて下さる。今回は、桜の木の傍らに美しい女性が佇み(リケジョ)涙をこぼしながら、左手にはらはらと散る桜の花びらを指し、「花は散っても・・・」,右手は根っこを指し「根っこは存在します!」と台詞が書いてある。ご存知、割烹着のお姉さんである。思わずのけぞってひっくり返った。この老師さん、境界がいいな〜!

投稿者 zuiryo : 09:25 | コメント (0)

2014年04月28日

坐禅会のお話し

28年前にある人から依頼され、毎月2回、うちの大衆禅堂を使って坐禅会を始めた。午前6時に集まって、1時間坐禅・25分お話し・お粥の朝食・書院でお菓子、おうすを差し上げ散会、参加者はそれぞれ会社へという次第。僧堂でいつもやっていることの在家版を月2回させて頂くというわけである。この会で一番頭痛の種は25分ほど何か話をすることである。メンバーは28年間殆ど変わらないから、1年15回、それが28年となると、ざっと計算しても420話になる。手を変え品を変え、あらゆる分野の書物から引用させて頂く。いわゆるコピペ、まっ、私は出典をはっきり申し上げるので問題は無いと思うのだが、いつも後ろから追いかけられているような気分である。お陰で読書が良く出来るし,私自身の良い勉強にもなる。それが何処かで禅と繫がっていなければならないから、頑張って読破しても結局使い物にならないと言うことも沢山ある。しかしものは考えようで、その気になって読んで行くと、思いも掛けず禅とぴたっとするという発見もある。何事も崖っぷちに佇まないと馬力が出てこないのも真実である。

投稿者 zuiryo : 12:53 | コメント (0)

2014年04月13日

般若会

明日から28年目の般若会が始まる。11月まで毎月2回、坐禅のあと30分くらい必ず何か話をしなければならない。ほぼ参加者の顔ぶれは一緒だから、手を変え品を変えである。何か講本でもあれば,それに従って話をすればいいわけだが、一般の方々に参考になればという話だから、これが結構大変である。毎年4月を迎えると私の頭は重くなる。近年は全て原稿に起こし、それを片手に話すようにしているので、合計15話、何が何でも作らなければならない。ところが今年はどういう訳か誠に順調で、2月中くらいには15話全て完成、こんな気楽なことは嘗てない。外はどんより曇り空だが,私の心はスカッと日本晴れである。先ほど明日の分をプリントして予行練習をしたところである。人間何事も追い詰められないとのほほんと過ごしてしまう。私は般若会のお陰でいつもお尻を叩かれているから、必死になってあらゆる分野の読書をする習慣が身に付いた。

投稿者 zuiryo : 14:51 | コメント (0)

米寿の茶事

昨日は知人が米寿を迎え、そのお祝の茶事が催された。総勢5名という本格的茶事である。主催者の米寿にちなんだお道具類の数々、その配慮のきめ細かさに深く感銘を受けた。このために相当以前より心に掛け着々準備をされたに違いない。もちろんいろいろお道具類をお持ちと言うことがあってのことだが、只それだけで出来ることではない。やはりご主人の心根の深さである。こういうのを本当の茶事というのだと改めて思い知らされた。ご一家挙げて歓待されている様子等々、寸分の空きもなく、さすが旧家の伝統を護持されている家柄である。近頃は大寄せの茶会が多く、こういう本格的なのは滅多にお目にかかれない。たまたま私は主催者の方に日頃から引き立てて頂いているので,こういう良い思いもできたわけで、何とも幸せな一日であった。

投稿者 zuiryo : 04:33 | コメント (0)

2014年04月10日

あっという間に桜が散って

4月に入って直ぐ、晴れ渡った気持ちの良い日、恒例の市営墓地の花見へ出掛けた。往復小1時間なので適度な運動にも成り、人っ子一人いない静かな場所でゆったりと花見が出来るので、此処が私の唯一の花見處である。今年も一番奥の山際、クリスチャン墓地まで登って行き、「汝、地の塩たれ」を見てきた。以前初めてここまできたとき、墓石に刻まれたこの文字を,何を間違えたのか、「汝、バカたれ」と読んでしまい、クリスチャンにも禅を心得ている人が居るんだ!と早合点し、独りで大笑いしたことがあった。この墓石、今年もきっちり拝見してきた。そよそよと温かな春風が頬を撫で、はらはらと散っていく桜は,何とも良い風情である。お寺の楓は早くも新芽を吹き、ドウダンに真っ白な花が咲き始めた。鶯がしきりに鳴いている。これから暫く滴るような緑が目に染みる好時節である。

投稿者 zuiryo : 14:23 | コメント (0)