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2012年01月28日

起単留錫

今日は制末の起単留錫である。午前8時半から講座、その後に行われる。一制中修行の総括である。自分で自分の顔を見ることが出来ないと同様、自分の欠点は自分では気が付かないものである。それを上の物から指摘して貰い、次の修行に役立てるのである。人間は誰でも知らぬ間に我見で一杯になって、しかも凝り固まっている。丁度升の中にがらくたがてんこ盛りになっているのと同じで、後からいくら良いものを注ぎ込んでやろうと思っても、そばからこぼれてしまう。これではいくら周りに良いものが溢れかえっていても、その人の中へは一つも入っていかない。参禅でも同様なことが言える。頭が馬鹿だからこっちの言うことが分からないのではなく、自分の考えで凝り固まっているから、こっちの言うことが入って行かないのである。ではこのがらくたをどのように捨てるかだが、難行苦行以外にはない。苦しむことが捨てることになるのだ。坐禅を組むと悟れると思っている人が多いが、坐禅を組んでも悟れない。坐禅は心の中を全て捨てきって空っぽにするだけである。そうすると知らぬ間に周りの良いものが身体の中に入ってくる。だから自然に真理に近づくのである。言うは易く行うは難しで、苦しむことが大好きなどと言う人間は誰もいない。しかもこの苦行はこれだけやったらこれだけ良い結果が得られたという具合にはいかない。進んでいるのか退いているのかさえ分からない。こういう暗闇の真っ直中で真っ向前進する気概が何より大切なのである。今日の起単留錫で雲水一人一人にこういう想いが伝わってくれたら嬉しいな〜と思っている。

投稿者 zuiryo : 11:12 | コメント (0)

2012年01月27日

死ぬのどこ?

いきなりへんな表題でなにごとぞ!と思われるかも知れませんが、辛抱してお読み下さい。近年親しい人が次々にガンで亡くなり、又現在闘病中の方もいる。全く人ごとではない。明日は我が身である。世界中の学者がガン研究に日々努力しているにも拘わらず、未だ決定的な治療薬は見つかっていない。ガン克服の道程は果てしなく遠く、この先百年はかかるだろうと言われている。となると現在の我々は自分がもしガンに罹ったとき、いかに自分の生活の質を落とさず、これで良いと思える最期を迎えるかを予め考えて置かなければならない。これが現在我々の出来るせめてもの工夫である。そこで一つの死に方として非常に参考になる本があるのでご紹介する。徳永進著「野の花診療所の一日」。ガン終末医療の一つのあり方を示している。一部を引用させて頂く。『「どこ?」という言葉はよく使う。「どこで食べる?」中華料理店、そば屋、回転ずし、レストラン、ハンバーガーショップなどと答える。「旅はどこ?」すると、グアム、シドニー、プラハ、パリ、などと答える。「死ぬのどこ?」と聞かれても、みんな「ええっ??」と言ってそこから先はモゴモゴとなる。それを質問する人がそもそも極めて少ない。「縁起でもない」「自分は死にはせんだろう、他人は死ぬけど」と思ったりする。・・・・でも、ガン末期になったときなら、何処で死ぬというのは考えて置いても良いと思う。家庭の事情というのはいろいろあるので、一概には言えないが、お勧めは「家」だ。家には病院にも負けないし、ホスピスにも負けない良さがいくつもある。昔と違って、家にもベットや酸素吸入器や吸引機、それに点滴だってあっという間に用意できる。住み慣れて我が家の一室で、使い慣れたスタンドやコップや机、見慣れた庭や天井、聞き慣れた犬の声、豆腐売りのラッパ音、そこで自分の好きなCDやラジオ番組、テレビを見ながら時を過ごす。手助けをしてくれる人が常時居る。それが絶対必要条件となるが、それが可能になると、そこはとても居心地の良い解放区になる。そこはその人に一番ふさわしい空間になる。まるで蚕のマユの世界のよう。懐かしい時間が満ちているからだろう。・・・生活の場、暮らしの場である家は死をも受け入れる。家は死が似合う場、死は家が似合う事象。死は生活の一部、暮らしの一部だから。』以上印象に残ったページの抜粋である。死生観はひとさまざまだから、これが良いと断定は出来ないが、私はこのように死を迎えたいと思っている。そのためにはまず親身になって世話をしてくれる良い弟子を持つことが先決である。知人でほぼ寝たきりのお師匠さんを15年間の長きにわたりお世話した奇特な方が居るが、これは弟子も立派だがそういう弟子を育てた師匠が立派な人だと言うことである。そう考えると、ところでお前さんはどうなんだねと問われている気がして、グラッときて、こりゃ〜儂には無理か!

投稿者 zuiryo : 14:58 | コメント (0)

2012年01月25日

クオリティーオブライフ

足腰ガタガタ心臓ガタガタになったので、中国鍼灸医の先生に意気消沈ですわと言ったら、クオリティーオブライフで過ごしなさいと言われた。「先生それって何ですか?」とお尋ねすると、「その人がそれで良いと思えるような生活の質」を保つことだと言う。病気や加齢によって生活に制約が出来たり、苦痛を伴ったり、その人らしく生活が出来なくなってしまうことがある。そんな時そのガタガタを当然のこととして引き受け、その中で折り合いを付けて上手に不完全な自分と付き合って行く。物事の根本原因を敢えて追求せず、現れた現象に沿って緩やかなケアーをして行く。人間誰でも老化によって心身が衰えてくるのだが、何時までも昔のイメージが残っていて、現実とのギャップに苦しむ。こんなはずじゃなかったのに!そんな時は、古くなって傾いた家を根本的に建て直そうなどと考えず、傾いたまま、立て付けの悪くなった戸障子はちょっと修理してすきま風が入り込まないように手直しして使って行く。万事これでゆくことがクオリティーオブライフという意味だそうだ。西洋医学は病気の根本を追求して元から直そうとする。つまり病気と徹底的に闘って行くやり方だが、東洋医学は病気と決して喧嘩しない。病気によって現れた苦痛を緩やかに沈め取り除く方法である。これによって本人の生活の質を落とさないことを考えるのである。これに反して抗ガン剤治療などはその典型で、激しい副作用により苦しみ、延命効果はそれほどでもない場合、果たしてそれが治療法といえるのか。次々に新薬が開発されそのたびに画期的と騒がれても、投与した人と投与しない人の生存の差はほとんど無いという。つまり生活の質を下げてまでも僅かな延命をはかっても、それが本当に幸せと言えるのかと疑問を持つ。私のような門外漢がこんな事を言うと、日々ガン研究に懸命になっておられる多くの研究者に申し訳ないと思うが、しかしこれが今日の現実である。さらなる研究の進歩を期待しながら、クオリティーオブライフで生きてゆきたいと私は思っている。

投稿者 zuiryo : 21:08 | コメント (0)

2012年01月18日

足腰ガタガタ

昨年暮れごろから急に坐って立ち上がるのに腿のあたりが酷く痛く、どこかに手をついて勢いで立ち上がらないと駄目になった。そうこうしているうち、更に左股関節と左膝が痛み出し、坐禅も正座も不自由になった。坐るのが仕事の我々にとっては重大問題である。どうして急にこうなったのか良く原因は分からないが、ひとつは体重が増えてきたためと思われる。その体重だが以前にも書いたように、昼抜きダイエットに失敗し、従前通り3食普通に食べるようになったのだが、不思議なことに献立は殆ど変わらないのに、体重増加に歯止めが掛からず、毎日増え続いているのだ。あっという間に3,5キロも増えてしまった。こんな不可解なことはない。どなたかこの訳を知っている人があったらお聞きしたいと思っている。無い知恵を絞って考えたのは、基礎代謝量が老齢化によって減ってきたからその分増えたとも考えられる。それにしても増え方が急激ではないか。たまに遭う人ごとに、「肥りましたね〜!」と言われ、ガクッとくる。まっ、我々のように日常着物で過ごしている者は、小太りぐらいが貫禄があって良い。初詣などでその時だけ着物スタイルと言う男の人に会うが、針金に着物を巻き付けたようなのは、何ともみすぼらしい。肥って良いのはそれぐらいで後はろくな事はない。ところで、夕方頃、また不整脈におそわれた。2,3日前から軽い不整脈はあったが、静かにしていたら自然に治ったので、まっ、良いかと思ってやり過ごしていたのだが、今日のはちょっと今までと様子が違う。一端禅堂に坐りに行ったが、あまりにも動悸が激しくなったので救急車を呼んで、ハートセンターへ運んで貰った。心電図をとって波形を見ながら、あっ、これはたいしたことありません。気になるならこの薬を飲めばすぐ納まりますわ!で帰されてしまった。しかしもう2時間ぐらいは経っているが依然として不整脈は続いている。気にするなと言われても心臓が不自然な動き方をすれば矢張り気になる。もう一度精密な検査をして貰おうと思っている。足腰ガタガタ心臓もガタガタでは、全く目の前真っ暗だ。

投稿者 zuiryo : 14:17 | コメント (0)

2012年01月09日

断念

およそ2ヶ月前、昼抜きダイエットを始め、絶対に頑張ると声高らかに宣言したのだが、早くも挫折の憂き目を見ることとなった。いい訳がましいが、昼抜きが空腹のためつらくて止めたわけではない。たしかにちょっと腹はすくが、そんなものはお茶でも1杯飲んでおけば難なく乗り越えられた。それよりもこのダイエットを始める前より肥ってきたのだ。これには体重計の目盛りを見る我が目を疑った。何度目をこすって見直してみてもやはり確実に増えているのである。ホームドクターの先生に聞くと、これを相撲部屋といい、肥りたい人がやるのだそうだ。人間の身体は実に複雑に出来ていて、食う分量を減らせば減量できると言うのは浅はかな考えで、減れば身体の方で自動的に調節機能が働き、体重を維持するようになるのだそうだ。難しい理屈は分からないが、いずれにしても昼抜き以前より肥ったことは確かである。そこで本日を期して止めることにして、以前同様にそばを食べた。本心はかくもはかなく挫折することになった無念さで心は暗〜く、涙ながらの挫折である。先日名古屋である新年会があって、親しい方にこの話をしたら、「そうでしょう〜!あれはぜったいだめなんです!」と太鼓判を押されてしまった。すでにこの道の先輩がいたのである。とほほっ!

投稿者 zuiryo : 16:18 | コメント (0)

2012年01月08日

水〜!

年末に掛けて何人かの方から鉢植えの花を頂いた。寒牡丹・シクラメン・シンビジューム等々、私には勿体ないような豪華な花々である。ところが私は花類は全く駄目!今までにもずいぶん頂いてきたが、どれも生き生きしていたのがしょぼくれてついには全部しなだれて息も絶え絶えという風になる。私としてはそれ相応に陽に当てたり水をやったりとこまめに世話をしている積もりなのだが駄目なのだ。これでは贈って下さった人に申し訳ないと思い、最近はもっぱら雲水に世話を頼んでいる。中には花の好きなのもいてそれなりに世話をしてくれていたのだが、このところめっきり花好きはいなくなり、シクラメンが全部しなだれてペッタンコになってしまった。どう見ても弱ってる様子で、「お〜い、シクラメンが全員眠ったから、水でもやった方が良いんじゃないか!」すでに半死状態のは引き抜いて何とか生き延びたのを残した。暫くすると元気にピンと立ってきた。つまり、{水〜!」と言うシクラメンの叫びが聞こえていないのだ。昔鎌倉に住職していた頃、台所のお手伝いをしてくれたおばさんに、大変花好きの方がいて、鉢植えをほったらかして置くと、「綺麗な花をありがとうね!」と花に話しかけながら水をやったり肥料を施したりしていた。へんなおばさんだな〜と、当時は若気の至りで何も分からず思っていた。「花に話しかけるとちゃんと答えてくれるのよ。」と言っていたが、今にして思えばその通りで、別に変なおばさんではなかったのだ。動物も同様で、ものは言わないがこちらの心はちゃんと理解している。口答えしないだけ、却って人間より花や動物の方がましだと思うことがある。愛情を注げばちゃんとその分返してくれるのだから。真っ赤な寒牡丹の蕾が3つふくらみ始めた。シンビジュームも元気に咲き誇っている。しなだれたシクラメンも生き残ったのが頑張って綺麗な花を咲かせてくれている。花は寒いからと言って勝手に歩いて日向ぼっこは出来ない。花の声なき声に耳を澄ませて、どうして欲しいのか聞かなくては成らないのだ。

投稿者 zuiryo : 21:05 | コメント (0)

2012年01月07日

焚き火

僧堂では特別な部屋をのぞいてどこにも火の気はない。だから冬の寒さは身に染み、さらに足袋を履くことが出来ないので、氷のような板の間に立つと、脳天まで突き抜けるような寒気に震え上がる。しかしだからといって僧堂は無慈悲な所ではなく、時と場所を決めて焚き火で暖を取ることが出来るようになっている。早朝午前3時に起床、朝の勤行・坐禅・喚鐘・雑巾掛け・粥座と、一連の行事が終われば、作務出頭までの小一時間お待ちかねの焚き火となる。禅堂北側に、東司・洗濯場・焚き火小屋と仕切って、全体がひとつの小屋になっている。危なくないように特製の鉄釜があり、後の始末も蓋で覆って火の気が飛び散らないように安全に配慮して作ってある。燃やす薪類は裏山の枯れ木を集めてきたり、廃材を切って堆く積んであり、あとは火を付ければ皆が車座になってあたることが出来るというしだいである。ところが近年岐阜市では煙を出してはいけないという厄介な条例が出来、この焚き火もピンチを迎えた。しかし幸い僧堂は門前市街地からずっと奥まったところにあり周囲は鬱蒼とした山に囲まれているので、上手に燃やしてなるべく煙が出ないようにやればOK!何と言っても冷え切った手足には木を燃やして暖を取るのが一番である。犬山のモンキーパークの猿も、焚き火にあたってから、焼き芋を食うのが楽しみである。焼きたての芋を小脇に抱えて他の猿に取られまいと脱兎の如く走りさる姿は風物詩になっていて、毎年テレビで放映される。猿でもあたる焚き火を今年はこの寒さにも拘わらずしないというのである。いったいどうしたのか不思議に思って尋ねると、生まれてこの方凡そ焚き火をしたことが一度もないので(暖房は全てエアコン)、火が怖いというのだ。これには驚かされた。確かにスイッチ一つでぴたっと止まるエアコンに比べれば、焚き火の火は瞬間に消えることはない。しかし管理さえきちんとしていれば、火は決して危ないものではない。一回一回水を掛けて消すので、次に付けようとするとくすぶって旨くいかないので、こんな厄介なのは止めておきましょうと言うことらしい。時代もここまで来たかと唖然とした。雲水時代、焚き火小屋であたりながら、頂いてきた大きな鏡餅を一人1ケづつあてがわれ、それを燃えさかる火中に投げ込んで、黒こげになったのを引っ張り出して、上の柔らかな部分にかぶりつく。これを繰り返し1ケ食い尽くす。口の周りは黒こげの炭で南洋の土人のようになった。こんな昔のことがふと蘇った。

投稿者 zuiryo : 16:07 | コメント (0)

2012年01月04日

初詣

毎年正月は決まった年始の客が3,4組やって来るだけでいたって暇、とり貯めて置いたビデオを見たり、読書をしたりと優雅に過ごした。木下恵介監督の「楢山節考」は素晴らしかった。またなでしこジャパンのドイツ戦と決勝のアメリカ戦、これも結果が分かっている安心感もあって、何度見ても感激する。良くもあれだけ走り回るものだ。あの執念とスタミナには脱帽である。3日は誰も来ない日なので、お天気も良く温かかったので伊奈波神社まで歩いて初詣に出かけた。いや〜!人出の多いことと言ったらない、押すな押すなの超満員、東宮司のほくそ笑む顔が目に浮かぶようだ。いつの年だったか、冷たい雨がそぼ降る中、初詣に行ったら閑散として、露天のおばちゃんが背を丸めて居眠りしていたことがあった。これじゃ〜神社も大はずれで、しょぼくれた宮司の顔を想像して「お気の毒ですな〜」と声を掛けてやりたくなった。何と言ってもお天気が良いのが一番である。今日も神社のすぐ側の和尚さんが年始に来られて、「神社に一家揃ってお参りし、その足でうちの寺に来るので、8,9人固まりで来るから大忙しです」と仰っていた。昨年は東日本大震災でひどい目にあったから、今年は1年無事で過ごせるように心から祈った。僧堂は早朝より年頭回禮で、雲水は皆一斉に出かけていった。天気予報では曇り時々雪と言うので心配したが、少ししたら晴れ上がってきたのでやれやれである。冷たい風が吹いて少し寒いが、これくらいは辛抱である。自転車で回るので雨降りが一番の大敵、折角の大般若札がびしょびしょに濡れたらおおごとである。雲水時代、大雪に見舞われ、自転車の輪が半分位埋まるほど、道と側溝の区別が付かず、はまりでもしたら大変、死にもの狂いでこいだことを思い出した。ぼた雪が目に刺さって見えなくなるわ痛いわで、半泣きだった。雪が溶けて法衣がだんだん濡れてきて、冷たいったらない。夕方まで走り回り、風邪一つ引かず帰ってきたのだから若さというのは凄いものである。今やその私も立ち居振る舞いでもよろついて膝がギシギシ痛むのだから、情けないったらありゃ〜しない。出版した本「あとみよそわか」が好評で嬉しい次第である。尤も中味の文章ではなく、表紙の装丁や土屋先生の挿絵が良いという話で、これにはガクッと来た。兎も角今年は元旦からお天気も良く温かな三が日で、この調子がずっと続いて欲しいものだ。

投稿者 zuiryo : 12:02 | コメント (0)