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2006年04月27日

伽藍落慶式

関係寺院で個人的にも旧知の寺の本堂・位牌堂・庫裡・書院等の落慶式があった。早暁ぱらぱら雨が降ってきたので心配したが、間もなくやんで温かな春の日差しが差し、誠に良い雰囲気の法要であった。和尚とは僧堂時代、その後住職になってからも親しくお付き合いさせていただいた仲なので、こうして立派にお寺が再建されるとこちらまで嬉しくなる。10年前頃ちょっと体調を壊し心配したが、病を克服しての頑張りで頭が下がる。最近は世の中の景気もやや持ち直してきたとはいえ、計画当初の頃はそんな情勢ではなかったわけで、よくぞ壇信徒の心をまとめてここまで辿り着いたものだ。彼の僧堂修行10年が決して無駄ではなかったという証明のようなものだと痛感した。明後日まで行事が続くようだが、無事円成を心から願った。

投稿者 zuiryo : 17:06 | コメント (0)

2006年04月25日

新入行員研修会

今日明日と地元銀行の新入行員坐禅研修、4回に分けて計約200人である。私が僧堂修行中の頃は、やたら坐禅修行が流行って4月は殆ど1ケ月間、研修会の指導ばかりさせられて閉口したことがある。その後、世の中の状況が変化してこういう研修も近頃は珍しい。1回が坐禅と話しで2時間という短時間だからさほど修行の邪魔にならないので有り難い。さすが有力銀行の新入行員だけあっては坐禅も話しも真面目に取り組んでくれるのでやりやすかった。昔は東京オリンピックを挟んで高度経済成長の真っ只中、猛烈社員とか根性が盛んに言われ、そう言う気風の中で禅の修行がもて囃されたのである。現在は当時と違って、働く者の考え方も大きく変わり、企業側も熾烈な競争にさらされ、一寸先は闇という感じだ。一層個々の自覚が求められるわけで、一つ喝を入れて貰いたいということなのだろう。

投稿者 zuiryo : 17:10 | コメント (0)

2006年04月24日

ピカピカ一年生

午前3時起床、朝の勤行、坐禅、参禅。6時から般若会坐禅の指導、本日は31名の参加。皆にこの間観てきた映画「イノセント・ボイス」を薦める。午前10時半から90分、臨床心理学の授業を受ける。40人ほどの小さな教室に20歳前後の女子学生に囲まれての受講である。まだ基本中の基本だが、結構思い当たるふしのある言葉が幾つかあった。矢張り何事も系統立てて学ぶことが大切だ。内観法(身調べ)などはそもそも仏教から出てきたもので、いろいろ通ずるところもある。これからが楽しみだ。午後は山登2時間、黄砂で岐阜城からの眺めは霞んで殆ど見えなかった。こんな空気を吸ってるのかと思ったら山の清浄さはすっ飛んだ。その後、数年来通院している整形外科へ、これは慢性的膝痛治療。開板後は講座、8時過ぎ一日の仕事がようやく終わった。

投稿者 zuiryo : 21:02 | コメント (0)

2006年04月23日

イノセント・ボイス

昨日は大接心明けの把針灸治だったので、映画「イノセント・ボイス」を見に出掛けた。以前から注目していた映画で上映されるのを待っていた。エルサルバドルでは、1980年代12年間に及ぶ内戦で75000人の犠牲者と100万人近い亡命者を生んだ。政府軍とゲリラの境界線に閉じこめられた小さな街クスカタンシンゴが物語の舞台である。11歳の少年チャバが主人公で、生死の境を生きながらえ、遂にアメリカへ亡命し綴った実話である。世界中には現在でも未だこの物語同様なことが起こっている。平和の真っ只中で太平の夢をむさぼっている日本人はこれで良いのかと思う。極貧の中で親子が必死に支え合っている姿は胸にひびく。いろいろ考えさせられた映画であった。皆さんも是非見ていただきたい。

投稿者 zuiryo : 10:34 | コメント (0)

2006年04月22日

新緑の候

ご無沙汰しました、1週間ぶりです。別に病気をしていたわけではありません。昨夜まで大接心でした。集中的に坐禅修行する期間で雲水も私も大忙しでした。漸く今朝はスッキリ、お天気も良し爽やか気持ちです。この感じは僧堂で修行した者でなければ絶対解りません。ついこの間まで枯れ木のようだった庭木があっという間に新芽を吹き出し、瑞々しい新緑で鬱蒼としてきました。いつもながら自然の生命力の素晴らしさを感じ、こちらまで元気が出てきます。一年くらい前から大接心に入ると途端に偏頭痛に襲われるようになりました。原因は参禅で雲水と一緒になってこちらも共に苦しむからだと分かってきました。しかし幾つになっても老け込まずにいられるのは、この格闘があるからだとも思うようになりました。

投稿者 zuiryo : 08:20 | コメント (0)

2006年04月15日

入制大接心(にゅうせいおおぜっしん)

今朝は午前2時半起床、祝聖・総茶礼から一日が始まり、一週間入制大接心である。普段は朝晩だけ坐禅を組み日中は作務や托鉢なのだが、大接心中は一切の作業は止めてひたすら坐禅を組み続ける。短期集中的に公案の拈提工夫をさせるために設けられているのである。勿論普段でも朝晩参禅はあるのだが、根を詰めてやるのはこの大接心であり、努力次第では大きな心境の変化を獲得できる。だから雲水は皆目の色を変えて頑張る。特に見性(けんしょう)寸前の者などは殆ど一週間横に成らずに坐る。こういう苦労の末得られたものは生涯を通じて自分を支える大きな力になる。厳しい試練に耐えられるのも若さで、幾つになってもこういう若者と取っ組み合いできるのは幸せなことである。

投稿者 zuiryo : 03:03 | コメント (0)

2006年04月14日

大忙し

今年から入制を半月早めたため4月に入って行事が錯綜した。今日も10時、新到隠寮相見・習字の稽古・11時東京、龍源寺団参22名(瑞龍たよりでいつもご寄稿下さって居る松原泰道師の自坊)・午後2時山内天澤院新命入寺挨拶・ハチの散歩・4時隔宿諷経・6時半総茶礼、とまあざっとこんな一日。龍源寺さんの団参は西国33番巡拝の途中寄って下さった。泰道師が嘗て修行した禅堂を是非一度見たいというご要望で、壇信徒の皆さんも喜んで帰られた。間もなく百歳に成られる師はいつもたよりの原稿の升目にきちっと楷書で書かれ、その律儀なことと言ったらない。さすがに足腰は弱ってきた様子だが、頭脳は全く衰えを見せず益々冴えている。生涯現役を文字通り実践されている姿には只々敬服する。

投稿者 zuiryo : 15:48 | コメント (0)

2006年04月12日

般若会

10日(月)、今年初めての般若会坐禅があった。20年目になる。会員は69人だが大抵半数は欠席で今回も37名であった。午前6時、84歳の高齢の方から30代まで会員が続々と集まってきた。この会の誇りは前県知事さんや市長さんを始め岐阜経済界の主な方々が参加されていること、専用の本格的禅堂で坐ること、さらに直日(じきじつ・坐禅指導者)を私が自らやると言うことである。全国広と雖もこれだけ好条件が揃った座禅会は外にないと自負している。坐禅中は一段と気合いを入れ、警策も手加減無しにビシバシとやる。1時間の坐禅後、その場で30分くらい話しをする。聴衆はいつも同じだから毎回新しい話しを考えなければならない。計算すると既に300話以上している。今年も使い切った歯磨き粉のチューブを絞り出すような思いで頑張る覚悟だ。

投稿者 zuiryo : 21:49 | コメント (0)

2006年04月11日

上求菩提下化衆生

一昨日知人の娘さんの結婚披露宴で京都へ出掛けた。奈良薬師寺の安田暎胤貫主さんと隣席だった。暎胤師とは高田好胤前貫主さんの頃からの知り合いで、特に岐阜のご出身でもあり親しくさせて頂いている。明日は岐阜市内2ケ所でお話をされる予定だそうで、帰りは一緒だった。日頃のご活躍振りを伺うと文字通り東奔西走である。よく体が持つものだと感心させられた。我々はひたすら寺に籠もって坐禅修行に明け暮れるわけで、意識は常に自分の内側にだけ向かっているのだが、暎胤師を始め薬師寺の方々は民衆の中にあってこそ僧侶の役目は果たせるのだという考えで居られる。上求菩提下化衆生(じょうぐぼだいげけしゅじょう)と言うが、その双方を全うすることは至難のわざである。万事内向きになる我々には暎胤師と話していると本当に良い刺激になる。

投稿者 zuiryo : 05:06 | コメント (0)

2006年04月08日

お釈迦様のころの僧団組織は合理的で且つ気配りが行き届いていた。その目的はただ一つ、ひたすら修行を完遂するためである。お経や哲学書は仏教の精神を語るもの故、頭で仏教を理解する人には役立つが仏教の世界で生きてゆくためには何の役にも立たない。それには「律」を学ばなければならない。しかし日本仏教は律を取り入れることが出来なかったために極めて特殊な、「教団」つまり信者集団となった。つまり律に従って生活する純粋な出家者集団は日本にはない。スリランカ、東南アジア、韓国、台湾のお坊さんは律に従って生活している。ここに日本仏教とそれ以外の国々の仏教との決定的な壁が出来た。とまあ、これは佐々木閑氏の文より引用させて貰ったのだが、これは単なる形の問題だけではない。現在僧堂に起こる様々な不愉快な問題は遡れば此処に行き着く。ちょっと愚痴っぽくなったが、なかなか根は深い問題である。

投稿者 zuiryo : 11:55 | コメント (0)

2006年04月05日

運 動

私は体質的に常に運動をしていないと調子が悪くなる。だから止まったら死んでしまうマグロと同じだな〜と思っている。岩戸公園登山口から岐阜城まで往復1時間半・水泳1時間・伊奈波神社までお詣りを兼ねてウォーキング1時間、この何れかを毎日実行している。その外午前中に1時間愛犬ハチの散歩が加わるため運動量としては相当なものである。同僚の老師で雲水といつも托鉢に出掛け、それが良い運動になっていると言う方もおられる。役目柄どうしても机に向かう事が多いため、余程意識して運動をしていないと糖尿病になり易いから用心が大切。しかし何事もほどほどが良いようで、私はどうも極端なところがあり、2回ほど救急車で病院へ担ぎ込まれたこともあった。しかしこの程度で止めるような私ではない。益々頑張って運動を続けている。後のスッキリ感が実に気持ち良いのだ。

投稿者 zuiryo : 18:25 | コメント (0)

尼僧堂開講

今年から夏安居(げあんご)入制を4月15日からにしたため、例年より半月繰り上げ4日が尼僧堂・6日がうちの開講・8日が降誕会(ごうたんえ)とたて続けに行事がある。先ずは昨日は尼僧堂の開講である。世間でも新年度の始まり、学校は新学期、姪の息子もぴかぴかの一年生になった。僧堂も新到さんが入門し、夏の修行に入るいわば始業式が開講である。こうして初々しい新参者を見ていると何十年も前の自分の入門当初のことが想い出されて懐かしくなる。石の上にも20年が禅修行である。これで漸く一人前と言うわけで、芸術家や職人の世界に近い。この間或る寺で中国の水墨画家の障壁画を見た。一見して「パン画」であった。坊さんも易っぽくなってはいけない。「漸く入れば漸く深し」である。

投稿者 zuiryo : 05:00 | コメント (0)

2006年04月03日

七回忌法要

神奈川県の愛川町という、新横浜から電車で35分、車で30分ほどの山間の寺へ出掛けた。30年も前のことになるが、私が初めて鎌倉に住職し、間もなく建長僧堂へ掛搭した時、彼は幹部役の知客寮で、随分気を使って頂き恐縮した。7年半後、岐阜へ転住すると決まった時、わざわざ何人かに呼びかけ箱根の温泉宿で、一夜送別の宴を設けてくれた。体は小さかったが心は大きな男で、いつも沢山の友人に囲まれ、慕われる不思議な魅力の持ち主であった。50半ば、これから大いに活躍が期待されていたのに本当に惜しい死であった。早や6年の歳月が流れたわけだが、今日の法要にも沢山の嘗ての友人達が馳せ参じていた。人の真価は棺を覆うて解ると言うが、私が死んでもこうも来てくれまいと、少々羨ましくなった。徳の無い者は精々長生きして延べ時間勝負で行くより仕方ないかな〜、と思った。

投稿者 zuiryo : 17:00 | コメント (0)

2006年04月02日

光陽会

今朝は光陽会坐禅の日である。この座禅会は三代前の老師から始められ既に数十年間もずっと続いている。開催日は第一と第三日曜日、午前六時からである。ベテラン組の中には既に四十数年間も、こつこつ続けて通われている方もある。坐禅の後の講話は碧巌録第八則、雲門の「関」で有名な則である。我々修行上でもこの関を透過するのは容易ならざることだが、一般の方々も次々に越え難き関所にぶち当たる。しかしそれを乗り越えた者は、更に飛躍し新たな広がりと深みを持った人生を歩むことが出来るのである。左手だけのピアニスト舘野泉氏・「生きて死ぬ智慧」の著者柳沢桂子氏など、みなこの関を透過された方々だ。襟を正して手記を拝読し、一層精進せねばならぬと肝に銘じた。

投稿者 zuiryo : 20:41 | コメント (0)

2006年04月01日

佛式結婚

特別ご昵懇頂いているS氏のお嬢さんがアメリカ在住の日本の方と縁あって結婚されることになった。以前ご長男の結婚式をお引き受けした事があり、図らずも兄妹共にうちの本堂で式を挙げることになったわけである。そもそもS氏とは本堂障壁画が取り持つ縁で、爾来ご一家と大変親しくさせて頂いている。不思議な巡り合わせである。父上は遠いアメリカへ娘を嫁がせることに最初躊躇したそうだが、娘の幸せを第一に考えて送り出す決心をされたそうだ。「親というものは丁度親芋と小芋の関係で、小芋は親芋の養分を吸って生長し、親芋はごりごりになって朽ち果てて行く。」と、いつも師匠が言っておられたが、幸せそうな新郎新婦を見ていたら、ふっとそんなことが頭を巡った。家庭を持たぬ私にはこういう心境は解らないが、喜びも悲しみも幾く年月を重ねて、人生の深みを見てゆくのだろう。

投稿者 zuiryo : 10:41 | コメント (0)