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2020年10月31日

入制の前日

今日は明日からの大接心に備え、境内中掃除したり、午後からのお経に備えたりで、なかなか忙しい。その中をぬって、いつもお世話になっている内科医の先生のところへ出かけ、1ケ月分の薬をもらってきた。良いお天気でお日様がさんさんと照り、日当たりの良い部屋にいるとつい居眠りが出てしまう。三時半からは隔宿諷経、六時から総茶例、と言う具合で行事目白押し、いつもの事ながら入制前日は結構忙しい。ところで昨夜は「葦の会」があって近くの食事処へ出かけた。この時期という事もあって館内は静まりかえって、我々のグループ10人のみであった。これじゃ~やってゆけないだろうな~!と心配になるほど。何事も極端に走るというのが日本。コロナと言えば、日本国中静まりかえってしまう。そんな中でいつもと変わらず混んでいるのがお医者さん、まっ、だから余計混んでいるのかも知れないが。

投稿者 zuiryo : 14:09 | コメント (0)

2020年10月30日

把針灸治(はしんきゅうじ)

言ってみればお休みの日と言うこと。本来は月末日なのだが、明日は入制前で午後から隔宿諷経があったり、晩には総茶礼というわけで、なかなか忙しい。で、その前日を休息日にしている。それが把針灸治である。本来は文字通り繕い物をしたりお灸で体を治療したりというわけだが、実際は休日、自由行動日である。これは雲水にとって大変嬉しい日で、心も体も十分伸ばしてリラックスする。このように硬軟取り混ぜて道場は出来ている。近くにお風呂に入れて、手足を伸ばして休めて、食事も出来るところがあるらしい。それが意外と安くて、金のない雲水にはうってつけなのだ。まっ、健康的で骨休めも出来ていいところなのである。明日からはバタバタ忙しく働き、その翌日からは入制大接心、寝ずっこで頑張らなければならない。

投稿者 zuiryo : 16:57 | コメント (0)

2020年10月28日

元野良のタマ

10年前くらいだったか,一匹の野良猫がやってきて,茶室の濡れ縁にうずくまっていた。そこは午前中さんさんと日の当たる場所で、周辺には人の気配もない静かで絶好の場所だった。可哀想だったので少し餌をやった。喜んで食べて、爾来毎日くるようになった。やがてネズ・シロまだら模様のその猫が可哀想になって,猫用布製小屋を買ってきた。喜んでその小屋に入って喉をゴロゴロ鳴らした。しばらくその状態が続き,やがて奥の方にもっと幸せな場所があると気づいた。途端にその小屋はほっぽり出して奥のもっと居心地の良い部屋にずんずん入ってきた。やがてそこの主になってしまった。この辺は少々厚かましいというか押しが強いというか、最初の遠慮がちだった頃をかなぐり捨てて、堂々たる飼い猫になってしまった。今ではボスのような顔をして歩き回っている。たまに私の部屋も覗くので、頭を撫でてやると、気安く触るな!と言うような態度、張り倒してやりたくなった。

投稿者 zuiryo : 20:45 | コメント (0)

2020年10月27日

脳足りん

新到の者で、こりゃ~どう見ても脳足りんだと思っていた者が,良~く見てみると必ずしもそうではない場合がある。万事に慣れないところから気後れしたり、遠慮がちになったりで,結果良い印象がないのだ。だから少し長い目で見てやる必要がある。人を育てるというのは根気のいるものだ。こう言うのも本当に人様々で,すぐに相手の懐に入れる者と、気後れして引っ込み思案になって、もたもたして相手を怒らせ、こいつは駄目だ~!となってしまう者と、いろいろである。要は結果良くならなければならないと言うのが一番で、そのためにはある程度じ~と成長を待つ根気がいる。私が仕えた師匠は短気な方で、じ~っとなんか待ってくれなかった。まっそれはそれで良いところもある。要はどういう場合でも負けず挫けず頑張る心構えが何より大切だと言うことである。

投稿者 zuiryo : 18:10 | コメント (0)

頭がぼ~っ!

老齢化のせいか、最近はいつも頭がぼ~っとしていて、俺も年取ったな~と,いやでも思い知らされる。思いたくないがそうなのだ。これは誰でも年をとれば避けられないことである。解っちゃいるが、ふっと絶望的になる瞬間である。ものは思いようで、そういう自覚があるだけまだましだとも言えるが。内々の話であるが,私より八歳上の姉が一人老人になり、自分の事が自分で出来なくなり,娘たちに半ば強引に介護施設に入れられてしまった。1週間だけお試し入居てな事だったが、結局すったもんだした結果そのまま本格的入居となった。それぞれ嫁いだ二人の娘は,それぞれ嫁ぎ先の人間になってしまい、亭主に先立たれれば自ずから一人っきり老人なのだ。そう観念するまで多少時間がかかったが、漸く本格的入居も決まり、全体が平和になった。他人事ではない,私なども姉と一緒で、私もいつかはそうなる。こう言う問題は日本国中何処にもあって、他人事ではない。あまり思いたくないが、もう目の前の問題である。

投稿者 zuiryo : 13:29 | コメント (0)

2020年10月26日

講演会

ある講演会に入会した。爾来毎月会場に出かけて話を聞いている。講師は多分野にわたり,私の日常とは全くかけ離れた話を聞くことが出来て、まっ、それはそれで面白いのだが、あまり心には響かないのが多い。世俗的知識は多少増えるが、深く感銘を受けることはない。この種の会はそれで良いのかも知れない。どうも私は偏屈な性格で、少々オーバーかも知れないが深く魂に触れる話でないと聞いたぞ~!とは思えないのだ。つまり一般的知識の羅列では、それでなんだって~の!でお仕舞いとなる。ガタガタ言うな!だが、人間依って立っている処が違うと、こうもこころのすれ違いが生ずると言うことである。安っぽい坊さんの説教よりは数段ましですがね。

投稿者 zuiryo : 15:14 | コメント (0)

2020年10月25日

尼僧の出家志願

近年尼僧の出家志願がある。世俗を捨て生涯尼僧となって生きる覚悟を決めるというのは並大抵のことではない。男僧の場合も在家から出家して僧になる者も多く居るが、尼僧との決定的違いは、男の場合僧堂で修行して何年かすると、いずこから、是非うちの寺の後を継いで頂きたいなんぞという話があって、双方で納得すればこの話すぐに成立する。そのうちうちの娘と是非・・・、てな事になり結婚。こう言うコースは一種のパターンとなっている。これなら世俗一般の就職活動と基本的には変わらない。それに比べて尼僧の場合は、生涯独身を貫き、一人で生きる覚悟が居る。これは決定的な違いで、そもそも出家の志がまるで違う。処がここで問題なのは,その出家の志の中味である。数としては結構な割合で、言ってみればいい加減な考えで為る者が多いのが実体である。そんなのならわざわざ尼僧になって頭を丸めることもないではないかと思う。つまり覚悟が決まっていないのだ。志を貫くことは並大抵ではない。問題はなぜわざわざ出家したのかと言う、志の深さである。

投稿者 zuiryo : 16:36 | コメント (0)

2020年10月24日

語録

高名な祖師方が残された語録が関係寺院の努力によって解説付きで出版される。大抵は何百年遠忌の記念に出版される。こう言うのは一つのパターンになっていて、頂くこちらは、恐縮この上ないのだが、語録類にはめっぽう弱い私などでは、大抵そのまま書庫に並べるだけで、これで勉強しようなんぞとは思わない。こんなことでは駄目なのだが、無学な私では歯がたたぬ。ご苦労されて出版した方々には甚だ申し訳ない。他人に責任転嫁するようで言いにくいのだが、私が仕えた二人の老師は、共に無学な人だった、この馬鹿野郎!とお叱りを被る話だが、およそ向学心なんぞはなく、もっぱら金集めに奔走される日々で、口を開けば金・金・金ばかりだった。禅の学問なんぞ俺の知ったことか!そういう人の元で修行してきた私だが、だからといって一緒になって金、金、金というかと思うと、そんなことはない。よく世間で聞く話だが、大酒飲みの父親を持った息子は決して酒は飲まない。そこまでは良いのだが、次ぎに語録や祖録に興味を持って一生懸命勉強するのかというとしない。これじゃ~猶悪い!一つも取り柄はない、大馬鹿者である。唯一私の取り柄は、馬鹿みたいに僧堂の規矩に従い、日々黙々と、やるべき事を続けること、この一事に尽きる。

投稿者 zuiryo : 14:42 | コメント (0)

クロ突然の家出

ず~と私の部屋にべったりだったクロが突然家出した。何の不満があったのか解らないが、突然姿をくらました。人間なら、ど~して・・・?と聞きたいところだが、ネコだからニャンとも言わない。まっ、適当に気の向くまま・・・でしょう?と思うかもしれないが、決してそんなことはない。猫でも明確な意思を持って行動している。づ~と、寝るときは私の布団の裾のところで丸くなり、日中でもほとんど同じところで丸くなっている。其れが突然姿をくらましたのだ。ショック!言葉が話せるならその理由を聞いてみたい。まっ、犬と違って猫の場合は独立志向が強く、飼い主にべったりというのはない。そのうち気が向いたらまた帰ってくるだろう。

投稿者 zuiryo : 13:58 | コメント (0)

2020年10月23日

クロ

お寺には自然に住み着いた猫が一応公認が5匹いる。そのうち3匹は家の中で飼い,後二匹は境内のどこかで寝泊まりし,時間になると餌だけ食いにやってくる。そのうちの一匹、一番古参のクロが,どういうわけか今朝から私の部屋の布団の上ですやすや寝ている。聞いてみるとやや体調不良らしい。静まりかえっている私の部屋の空気が気に入ったらしいのだ。このクロは、こうして部屋で飼ってもらえるようになるまでには,幾多の困難を乗り越え、漸く掴んだ幸せなのである。一番賢い猫で、一番性格も良く、私も一番好きな猫である。猫を飼って解ったのは、人間のように喋ることは出来ないが、ちゃんと意志は通じ合える動物であることだ。ニャンとも言わないが、ちゃんと解る。

投稿者 zuiryo : 10:55 | コメント (0)

2020年10月21日

管理会社のリニューアル

管理会社の機器リニューアルが無事終わり、一発目のブログでも書くべ~とパソコンを開いたら、たちまち訳がわからなくなった。悲しいかなこれが私の能力の限界値。そこでパソコンに精通した雲水を呼んで指導してもらう。漸く今このブログを書いている。ところで話は変わるが、今日丹波から黒豆枝豆が送られてきた。鈴なりに枝豆がぶら下がっているのを枝ごと梱包して送られてきた。かってうちの道場で修行していた男で、暫暇後、毎年時期になると忘れずに送ってくれる。この枝豆大きくてうまいのなんのって、グビ~ッと冷えたビールで頂きたいところだが、僧堂ではそういうわけにもいかず、ひたすらむしゃむしゃ頬張る。雲水にも当然分けてウメ~!てな具合。有り難いことだ!暫暇してもう何年にもなるのに、忘れずに送ってくれる。こんな男は他にいない。帰って行った雲水がみんなこのように地方の名物を送ってくれたら,僧堂はどんなに幸せか解らん!あっ、そうだ静岡辺はいつもミカンを送ってくれてたっけ。

投稿者 zuiryo : 20:00 | コメント (0)

日に日に馬鹿

ごく最近なのだが、自分の頭が日に日に馬鹿になってゆく。其れは恐ろしいほどで、この調子で行くと間もなく認知症だ!笑い事ではない!一般家庭と違い、僧堂では私が馬鹿になったからといって、誰も手助けはしてくれないし、自己責任。自分のことだけならそれですむが、一応僧堂の主催者だから、この馬鹿に雲水を共連れにするわけにはいかない。つまり私の賞味期限はもうとっくに過ぎたと言うことである。食べ物ならポイッ!で、捨てれば済むが、人間だから捨てるわけにもいかず、むなしく空中に浮いてる。自分で言うのも何だが、私は一生懸命が取り柄で、それだけで今まで生きてきた。しかしこの老化には逆らえず、どうもこの一生懸命にほころびが見られるようになった。まっ良いか!これではお仕舞いだ!僧堂に一生を捧げるような者は出てこんものかな~!

投稿者 zuiryo : 10:16 | コメント (0)

2020年10月19日

蔵整理

このところ何日も蔵整理に追われている。出てくるわ出てくるわ、どうしてこんな物を後生大事にとって置いたのかと首を傾げたくなる。特に近年は朱塗りのお膳物一式類は全く無用の長物となった。あっちこっち縁が欠けて、いざ使おうとしたら、相当修理を施さないと使えない代物。勿体ないようにも思えるが、処分することにした。総じてこの調子で、この際徹底的にやろうと決め、連日蔵の中を捜索、使えない者は外に放っぽり出した。処分品は軽トラの荷台に積み上げ、落っこちないように縛り上げ、市の処分場にいくらか払って捨てた。ま~!蔵の中がスッキリしたことといったらない!こんなに広かったのかな~?この場所に蔵を移動したのが二十数年前だから、その間にこれだけ不要品が山積みになったわけだ。何でも取り敢えず蔵に入れとけ!方式がこの結果である。こういうのは誰かがいつか決断しないと処分できない。まっ、その時期が今だったわけだ!.

投稿者 zuiryo : 16:50 | コメント (0)

ひたひたコロナの・・・

世の中コロナの影響であらゆる行事がなくなり、静まりかえっている。お寺は特に秋に行事が多くあるのだが、いずこの寺もすべて行事はなくなり、なんだか拍子抜けしたような感じである。暇なら其れは結構なことなのだか変な感じだ。行事が立て込んで忙しくなると、ああ~忙しい!と愚痴をこぼし、逆に暇になると、また愚痴をこぼす。人間、ほどよく刺激のある方が良い。刺激がなくなると馬鹿になる。反面じっくり物事を考えるようになった。これは良いことで、万事スピードが大切という風潮で、早ければ早いほど良いように思われがちだが、そんなことはない。ほかのことは知らないが、我々の修行では馬鹿で鈍重で遅々なのが良い。目から鼻に抜けるような奴は何処か怪しい。じっくりと練り鍛え、境地を整えてゆくことが何より大切だからである。頭より腹なのだから。

投稿者 zuiryo : 10:02 | コメント (0)

2020年10月18日

転倒打撲未だ癒えず

大分前のことになるが部屋でどういう弾みか左側にもろに転倒、左側胸を強打、爾来痛くてしょうがない。肋骨が折れているほどでもないので、とりあえず湿布。しかし何日経ってもこの痛みが取れない。ひたすら温和しくして自然治癒を待った。今日もまだ痛むのだが、大分痛みも和らいできた。場所柄自分で湿布を張ることができないので毎日雲水に頼む。これが厄介で、また申し訳ないと思う。何であのときもろに横倒しになったのか、今でも理解できないのだが、要は足の踏ん張りがきかなくなったことである。体の老化はことあるごとに感じてはいるのだが、何かに蹴躓いたわけでもないのにいきなり真横に転倒とは、我ながら不覚の一語に尽きる。この年齢で早くもこんなことでは、先々大いに心配になる。今回はたまたま畳の上だったからこの程度にすんだので、これが路上だったら完全に肋骨何本か折れている。まだ杖をついて歩くのも憚れるしな~!

投稿者 zuiryo : 19:59 | コメント (0)

2020年10月17日

言うことがコロコロ変わる

最近の私の言動は実にコロコロ変わる。雲水はその度に右往左往する。迷惑甚だしい!其れは解っちゃいるのだが、どうにもこの悪~い性癖は直らない。良く言えばそれだけ試行錯誤を繰り返しながら、一番良いのはどれなのかを慎重に見極めているのだ。こう言う厄介な年寄りの元で修行しなければならない運命なのだと諦めてもらうより仕方がない。このスイッチバック型思考は好んでそうなったのではなく、人間皆老いるとこうなるのだ。しかも悪いことに日に日に激しさを増すことだ。よく考えてみれば、自分の日常もこの通りで、行きつ戻りつ、戻りつ行きつ、三歩進んで二歩下がる、なんだか昔こんな歌謡曲があったような気がする。

投稿者 zuiryo : 19:40 | コメント (0)

かーどを勝手に使われる

カード会社から急なお知らせがあり、あなたのカードが勝手に使われているという。へ~っ!人のことだと思っていたら自分が被害者になるとは夢にも思わなかった。早速カードを持って発効の店に行き事情を話し、カードを無効にしてもらった。次からはカードを使わず現金で直接払いにした。被害額はたいした額でもなくほっと安堵。世の中生き馬の目を抜くと言うが、本当にそうだ。財布の中は何種類ものカードだらけ、そもそもこれが間違いの元である。自分で望んでそうしたわけでもないのだが、世の流れに身を任せていると結果こうなる。しかしセキュリティーがシッカリしているもので、こっちはのほほんとしていてもちゃんと見張っていてくれる。有り難かった。

投稿者 zuiryo : 16:19 | コメント (0)

2020年10月16日

蔵整理

今日は蔵の整理を始めた。あるわあるわ!なんだか訳のわからないものが大量に出てきた。今居る雲水ではどう処分して良いやら判断に困るようなものが、出てくるわ出てくるわ。そこで私が登場、テキパキと、残す!捨てる!とやった。これで相当整理が進んで、混んでいた蔵の中がすっきりしてきた。この際処分する品々を見ていると、嘗て僧堂でやっていた行事に使ったものが多く、あんなことこんなこと、止めどもなく昔の行事の数々が思い起こされた。それらは現在ではすべて過去の行事となり、一切行われなくなり、ただの邪魔物になった。時が経てばこうなるのもやむを得ないことで、懐かしく昔を思い出しながらじゃんじゃん処分した。中に大きな絵画で、少女が犬と戯れているのが出てきた。雲水がこれ何んでしょうかというので、其れは昔儂が気に入って、わざわざ購入した絵画だ!と言ったら、雲水が皆、エッエッ!と言った。老師は何考えてるんだよ~っ!と、冷たい視線が射るように私を見た!てな具合で、山のように今では全く使われない品々が山のように積み上げられ、処分と言うこととなった。途端に蔵の中がすっきりして気持ちよくなった。

投稿者 zuiryo : 19:44 | コメント (0)

草引き

まだまだ夏の暑さの余韻が続き,ほど良く雨も降り,草たちにとっては格好の成長期である.うちでは伽藍をすべて作ったとき、将来の草引きも頭に入れた。雲水が溢れるほど居るなら良いが、人少なうちの場合はその維持管理は大問題であり、中でも広い境内の雑草対策をどうするかは喫緊の課題であった。そこで建築家と詳細に検討し現在のようにした.しかしまるっきりコンクリートで固めると言うこともできず,あっちこっち草が生えてくる。その草引きが連日続いている。雲水には本当にご苦労なことである。良く例え話で,雑草も生えなくなったらお仕舞いだというのがある。この厄介者もはびこる余地を残すことの意義も尊いと思う。やや観念的になったが、こう言う次第で暑い中終日草引きが続いている。

投稿者 zuiryo : 10:48 | コメント (0)

2020年10月15日

馬鹿の日

今日はなんとなく体の隙間から空気が抜けるような気分で終日ぼ~っと過ごした。机の上に積み上げられた本をペラペラめくってちょっと読んでみたり,、窓から外の景色を眺めたり、ともかく意欲的に何かをしようという気分になれず、結局ぼ~っと過ごす。心のエヤ~ポケットみたいな日があるものだ。まっ、たまにはこういう日もあっていい。脳の休息日である。世の中ままならぬことが多い。あまりそういうことに気を病むと神経症に陥るので、今日のように「馬鹿の日」というのをもうけている。まっ、あまり馬鹿の日ばっかりだと,本当の馬鹿になっちゃうので、そこは適当にである。おかげで頭がすっきりした。

投稿者 zuiryo : 18:24 | コメント (0)

2020年10月13日

睡眠時無呼吸症

数年前調べてもらったら,睡眠時無呼吸症であることが解った。一晩で何と数十回も呼吸が止まっていることが判明した。1回の無呼吸状態も長さがいろいろで,最長で1分くらいのものから30秒くらいのものまで、またそれより短めのが一晩で何十回もあるという?これにはびっくりポン!これで死ぬことはないのだそうだが、放置していると、やはり良くないらしい。血液によどみのようなものができて、それが脳血栓などの引き金にもなるらしい。そこで寝るときには空気ポンプで強制的に気道に空気を強制的に送る装置をつける。ゴムホースにマウスピースを装着して寝るのだから,慣れないときは深い眠りができず困ったが、今では慣れて何ともなくなった。習慣とは恐ろしいものだ。ただし旅行などで泊まらなければならないときが困る。機械一式に延長コードなど結構な荷物になる.だから近年は泊まりがけの旅行はやめることにしている。めんどくさいものだが、この装置なくして私の睡眠はないのだからやむを得ない。

投稿者 zuiryo : 16:41 | コメント (0)

歯医者さん

老齢化で確実にやってくるのが歯、で、毎月何も異常がなくとも歯医者さんへは出かける。口の中を洗浄してもらい、どういう機械なのか知らないが、カタカタやってもらい一丁上がり。今回は口の中に弾力のあるのを入れて、思いっきり噛む、と言うのもやった。いつも雲水相手に歯ぎしりを噛んでいるから、これは得意種目!大変結構ですとお墨付きをもらい嬉しくなった。しかし歯医者さんくらい当たり外れのある医者はない!その点私は友人の紹介で、いい歯医者ですよ~,というのにかかっているので今まで外れなし。とても親切で適切な処置をしてくれる。まっ、ちょっと離れているところだが,車で行けばたいした距離でもなく、そう待たされることもなく,最も時間で予約して行くのだが、いつも適切な処置をしてくれる。何事もいい相手に巡り会えるか会えないかで,相当違いが出てくる。人ごとではなく,我々宗教の世界もしかり、怪しげなのに引っかかったらエライ目に遭う。

投稿者 zuiryo : 11:12 | コメント (0)

2020年10月12日

パソコン新調

前のパソコンが古くなって故障ばかりなので思い切って新しいのを買った。今までのより数段機械が上等で、使い方がさっぱり解らない。雲水に手取り足取り教えてもらいながらなんとか使い始めた。この禅僧徒然日記更新もなんとかこぎ着けたところ。ここまでやってきたら、よっしゃ~!書くぞ~!と思ったら、肝心の何を書くのだったのか忘れた。ガックリきた。こりゃ~だめだ~!頭を新調しなければならぬ。

投稿者 zuiryo : 18:38 | コメント (0)

2020年10月10日

習字の稽古

今日はあいにくの雨模様なので、雲水は習字の稽古ということにした。私が長年先生について稽古を続けてきた膨大な量のお手本があるので、それを使わせてもらい、楷行草を約2時間みっちり稽古してもらった。お坊さんは何かといえばすぐ筆を持たなければならない。その時にナメクジがのたくったような字しか書けないと、人に笑われる。下手っぴ~は人間まで安っぽく見られてしまう。習字は坊さんの教養の一つである。私が住職して間もなくある人から墨跡を一枚お願いしますと言われ、書いてはみたものの、酷いったらありゃ~しない、あんな恥ずかしい思いをしたことはなかった。それが引き金になってある高名な先生について約40年間稽古を続けてきた。そこでうちでは雨降りの日は習字と決めている。まあ恥ずかしくない程度には仕組んでやろうと思っている。

投稿者 zuiryo : 15:25 | コメント (0)

2020年10月08日

パソコン新調

パソコンを新調した。途端に訳がわからなくなって、本日漸く普通に戻った。というわけで久しぶりのブログ。あれを書こうこれを書こうと、いろいろ思っていたが、日にちが経ってゆくうちに全部忘れた。人間年はとりたくないものだ。こういう機械ものは日進月歩、年寄りにはついて行けない。雲水に使い方を指南してもらい久しぶりのブログとなった。この間ひょっとした調子ですっころんだ!左胸をひどく打ち、なかなか良くならないので今日整形外科へ行ってきた。調べた結果、別段心配したことではないとわかって、貼り薬をもらって帰ってきた。馬鹿みたいなことで、何であのときスッコロンだのか、自分でもよくわからない。万事に踏ん張りがきかなくなったのだ。そうこうしているうちに何を書こうとしていたのかを忘れた。万事こんな風で、トロい頭抱えて日々四苦八苦である。

投稿者 zuiryo : 11:59 | コメント (0)