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2020年09月18日

超つまらない話し

一,二年前、友人に誘われ、ある講演を聴く会に参加している。講師は多分野に亘り、私のような狭い世界で生きている人間には大いに眼を開かせてくれる。ところが中には超つまらない話しもあって、特に昨日のはじっとその場に居ることに堪えられないほどだった。隣でじっと我慢していた友人に、今日のはどうだったと尋ねると、私同様に、超つまらない話しだったな〜という感想、やっぱりね〜!勿論、多分野に亘り講師を依頼されるわけで、取っ付きにくい分野だって当然有る訳だ。聴衆はごく一般の人達なのだから、それを視野に入れながら、出来るだけ理解できるように話しをするというのは当たり前のことである。これがまるっきり出来ていない講師だった。さりとて途中席を立つことも出来ず、当に地獄の責め苦であった。世の中には様々な分野が有り、中には今日の話題のような、殆ど縁もゆかりもないというのもある。それは当然のことで別段問題ではないが、それならそうで、出来るだけ一般向きに話題を考えてくるのが当たり前だろう。それがまるっきり出来ていない。頼む方も頼む方だが、頼まれる方も頼まれる方だ。

投稿者 zuiryo : 09:25 | コメント (0)

2020年09月17日

庭師

数日前から京都の庭師さん達7人が入り、連日庭木の剪定作業が続いている。まだまだ夏の暑さが続く中、仕事とは言え、端から見ているだけでも大変さが伝わってくる。特に一昨日から山際の巨大な檜を頭から切っている。先頭にしがみついている職人さんは特に大変である。今まで長年地元の植木屋さんに入って貰っていたのだが、こう言う作業を見ていると今までの庭師は一体何だったのかと腕を疑いたくなる。”庭を見る目”の問題だな〜と痛感させられた。既存の庭の伸びた葉っぱや枝に只、盲目的にハサミを入れ、切り取るというやり方で事を済ませるという、技量の低い庭師では、長年の間に木全体が大きくなるのは無視しているからやがて庭中木だらけになる。この方式を数十年間続けてきたので、鬱蒼として、元来この庭がどういう考え方で造られたのかなど、全く無視され行き当たりばったり方式の手入れであった。その付けが今来て、大改造の作業となったわけである。しかし庭中木だらけで埋まっていた庭を一見して、元来はこう言う庭だったと見抜く目には驚かされる。禅僧でもそうだが、頭丸めて衣を着ていれば、何も知らぬ在家の方々は全部立派な禅僧に見えるが、とんでもない話しで、中身は俗の俗たるインチキ坊主が世に氾濫しているのだ。どの世界も一緒だな〜と改めて思い知らされた。

投稿者 zuiryo : 10:16 | コメント (0)

2020年09月13日

無感動

このところ脳の老化著しく、我ながら驚くほどである。その一番は「無感動」である。何を見ても聞いても心に深く響くと言うことがなくなった。これは頭のどっかが可笑しくなっているに違いない。日々ただ何となく過ぎてゆく。極端だが、これじゃ〜生きる屍だ。こんな事では駄目じゃ〜ないか!と自分を叱咤するが、反応は極めて鈍い。こう言う時に限って、いろいろ厄介な用事が立て続けに襲ってくる。若い頃なら右から左へひょいっと言う具合に処理できたのに、どっしり重荷になって、憂鬱になる。隠居なら余所ごとで過ごせるが、未だ現役真っ只中なので、逃げ出すわけには行かぬ。この格闘の日々である。人間生きてる限りは楽はできないと言うことである。

投稿者 zuiryo : 20:06 | コメント (0)

2020年09月11日

樋から雨がジャ〜ジャ〜

このところよく雨が降る。窓を開けて外を見ていたら、塀の向こうの侍者寮の樋から雨がジャ〜ジャ〜漏れている。ちょっとやそっとではない。横樋全体から激しく漏れている。つまり穴だらけと言うことだ。見た目にはちっともそんな風には見えないのだが、そんなに古びていたのか。全面取り替えが必要である。本堂と庫裏を繋ぐ食堂の屋根の谷から雨が漏れ出し、応急処置を施したのだが、旨くピタッと止まらない。専門家が見ても止まらないのだから、複雑に入り組んだ部分は、なかなか厄介である。建物が沢山あるので、雨の日は寺中の建物を隅から隅まで見回って、よくよく点検する必要がある。これも管理者の責任である。何だかんだで、建物も古くなると、あっちこっちに具合の悪いところが出てくる。人間と同じである。人間はイテテッテッ!と合図があるが、建物はじ〜っと黙ったままだから、余程こっちが気を遣ってやらないといけない。

投稿者 zuiryo : 13:10 | コメント (0)

2020年09月04日

頭がボ〜ッ!

連日この暑さで、頭がボ〜ッとしてきた。近年の老化がこれに加わり、俺もいよいよ認知症か!と思うようになった。こりゃーいかん!昔の元気だった頃を想い出そうと、パソコンで振り返ってみた。あるわあるわ!三十数年前の様々な事柄が日記になっている。懐かしさに思わず読んでゆくと、あんな事こんな事!これで少し心がシャキッとしてきた。所詮はちょっとそんな気持ちになったに過ぎないのだが、自分の辿ってきた道を振り返ってみるのも悪くない。老いることは心躍るような新しい事柄がだんだんなくなることでもある。萎んでゆく風船のようなものだが、しかし過ぎ去った昔のことを想い出すのも悪くはない。これも私の終活である。

投稿者 zuiryo : 16:49 | コメント (0)