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2016年10月30日

記憶喪失

このところ急激に記憶が悪くなって自分でも心配になってきた。今朝も本当は明日が寝忘れ(普段より遅く起きること)なのだが、いろいろな都合で今日に変更と1週間前くらいに、私が言ったそうだ。そんなことすっかり忘れて、午前3時に内線で、なんで起きてこないんだ!と怒りながら起こしまくった。副司が、かくかくしかじかで、そう言いましたよ!と言われて、ああ〜、そうだったな〜。又寝直した。自分に腹が立つやら、寝そびれるやらで、今日は朝からムカムカ来ている。それもこれも全て私が悪いので、この気分の悪さ他へ持って行きようがない。あ〜あ〜、やんなっちゃった!

投稿者 zuiryo : 11:34 | コメント (0)

2016年10月27日

宝鏡三昧

アップルの創業者スティーブ・ジョブズは曹洞宗の僧侶のついて禅を学んでいたそうだ。晩年カリフォルニヤ大学での講演の結びに、「stay haungry stay foolish」と言った。これは曹洞宗の宝鏡三昧の中の一節(愚の如く魯の如く只能く相続するを主中の主と名づく)である。愚か者のように間抜けのようにひたすら同じ事を続ける者こそ最高の悟りを得るものである。あのスティーブジョブズも究極の心の在り方を禅から学んでいたのである。日本でも京セラの創業者稲盛和夫氏も臨済宗の高僧について禅を学んでいた。これ程大きな影響力を持っている禅だが、日本では様々な宗教の中の一つ(その通りなのだが)と言う扱いで、特別な人を除いてはさほど注目されていない。だからどうだと言うのだと言われれば、それ以上返す言葉はないが、いまいち社会的影響力という点ではアッピールが足らないような気がする。カリスマ性を持った禅僧が居ないからとも言えるが、宗教でも成田山や浅草寺、川崎大師や柴又帝釈天などの方が余程影響力はある。別に競い合う必要もないが、禅の一語一語の深い味わいを感じ、それを日常の中の心の支えにして欲しいと思う。そのためには日頃から禅に親しんでいなくては駄目で、結局「坐禅を組む」ことが基本である。そう言う中から何か一語でも心に深く響く言葉を自分の護法身にすることである。

投稿者 zuiryo : 10:51 | コメント (0)

2016年10月24日

干支の色紙

その年の干支の絵を色紙に描いて、短い禅語を添え書きするのを始めて13年目になる。最初の頃は100枚ほどだったのが徐々に増えて今や900枚、こうなると全てを筆で書いていたらとても堪らない。そこで心ならずも印刷することにした。それでも原画は描かなければならないのでそれなりに苦心する。差し上げた人から少なからず喜ばれるので、それなりにやりがいはある。さて鶏、頭のところが難しい。嘴や鶏冠のバランス、ここが一番肝心なところなのだが・・・。四苦八苦した。親鳥にひよこの図。ひよこは形が単純なので意外と易しい。これらはいつも指導して下さる画家のお陰である。私の周囲には書家・画家等々いろいろ居るので大助かりである。そうでなかったら、とてもやっていけない。

投稿者 zuiryo : 18:52 | コメント (0)

2016年10月20日

帰趨本能

長く外国で生活し、経済的にも恵まれ、何に不自由ない暮らしをしていても、最後は日本の生まれ故郷で生涯を終わりたいと願うのは、理屈を越えた止みがたい心情のようである。地球の裏側に住み、日本にやって来ると言っても約24時間もかかる。80を半ば過ぎ、車椅子生活になっても、たびたび日本に帰って来るそうだ。近年は故郷にお墓まで買ったという。たとえ異境の地で死んだとしても骨は郷里に・・・、ということである。日本でしか暮らしたことのない私達には分からない心情である。やはり友人で異境の地で長らく生活し、そこでしっかり根を張って、何に不自由なくとも、「旦那が死んだら、私は日本に帰る」と言っていた。帰趨本能なのだろうか。気力充実してバリバリ活躍している頃はさほど考もしなかったことが、体力も気力も衰えると共に、生まれ故郷に帰りたいという思いは一層つのるものらしい。まっ、たまに外国旅行でもして気分転換をするくらいが、一番良いようである。

投稿者 zuiryo : 11:32 | コメント (0)

2016年10月19日

舞妓を買う

先日、数十年外国で生活をしておられた女性が久しぶりに日本に帰ってきた。そこで共通の友人である私たちで、京都見物を計画した。有名神社仏閣をご案内し、夕食は共通の友人がセットしてくれた。彼は長く商社マンとして外国生活をしてこられたので、おもてなしは実に微に入り細に入りで、私などではとてもこうはいかないと思うほどきめ細かく計画して下さった。京都のお寺巡りや道中話に花が咲いて、大変盛り上がった。3日目の夕食は祇園の有名割烹で食事を計画してくれた。私などはとてもそんな高級店で食事をしたことがないが、ご厚意に甘えて一緒に頂くことにした。その店はカウンターがあって、後ろ側に4人ぐらいが坐って食事できるテーブルがあるという構造。しばらく我々四人で静かによもやま話しをしていると、突如10人ほどどやどやと入ってくるなり、辺り憚らず大声で喋り、傍若無人の振る舞い。それだけでも、ムカッときているのに、舞妓さんが一人やって来たら、益々ボルテージが上がって、まるで店を自分達で借り切ったような有様。我々一行の招待をしたご婦人は舞妓が目の前にやって来たので大変喜び、そっと後ろ向きの舞妓さんを写真に撮った。するといきなり、我々が買った舞妓を勝手に写真に撮るな!とほざいた。上等な食事が一辺に美味しくなくなった。てめえのような下品な野郎は舞妓など呼ぶ資格はない!と心の中で叫んで引き上げた。本当にふざけた野郎だ。「舞妓を買う」という言い方があるのか知らないが、いかにも下卑た連中が世の中には居るものだ。

投稿者 zuiryo : 20:53 | コメント (0)

2016年10月12日

開山忌

昨日今日と二日間、正眼寺の開山忌に出掛けた。今年は逸外老師の43回忌・耕月老師の37回忌が併修されたためにいつもより長時間になった。約2時間近く、いつもなら全身汗まみれになるのだが、今年はやたら涼しくて、楽だった。しかしその分オシッコがしたくなって、ちょっと困った。まっ、漏らすことは無かったが、年々老化が進んで、いずれはおしめをしていこうかしらと思った。そもそも私が出家したのは逸外老師のご縁だったので、感慨一入であった。帰路車中、遙か昔の様々なことが頭の中を巡った。「あるときはあるのすさびに憎かりき、なくてぞ人は恋しかりけり」で、歳月がいろいろな事柄を綺麗さっぱり洗い流して、後は懐かしさだけが残った。人間これで良いんですね!

投稿者 zuiryo : 16:45 | コメント (0)

2016年10月11日

人の前で話すこと

私は生来人見知りタイプで、さらに上がり屋、だから人の前で話をするのが大の苦手である。とは言うものの仕事柄どうしてもしなければならないことがある。知らない場所で知らない人を相手に、その上高いステージに登ってなどと言う悪条件が揃うと、数日前から寝られなくなり、当日は朝から頭がぼ〜っとして、いよいよステージに上がり聴衆を前にすると、異常な精神状態になる。だからこう言う自分を知っているので、極力お断りするのだが、どうしても断り切れない場合がある。そういう時は何と因果な境遇なのかと思う。先日も毎年恒例の瑞龍講会員の布薩会(ふさつえ)・無門關の話・食事というセットの行事があった。参加者は殆ど顔見知りの方々で、会場はうちの本堂、全てホームグラウンドでの行事で、しかももう何年も続けているのに、前の日は午前零時まで頭が冴え渡って休めなかった。翌朝は午前3時に起きなければならないのにである。我ながらこう言う自分に嫌気がさすのだが、仕方がない。どういう風に話をしようか思案が頭の中をぐるぐる巡って、これじゃ〜ノイローゼになる。さて当日いよいよ無門關になった。皆の顔を見た途端、胸のつかえがスパ〜ンとはずれて、もうとめどもなくぺらぺら喋った。何も考えずに次々に言葉が出てくる。これって一体何なんだろう?

投稿者 zuiryo : 11:52 | コメント (0)

2016年10月05日

開山毎歳忌

5日・6日は恒例の開山毎歳忌である。この日のために9月初め頃から庭師の剪定作業が始まり、その片付け仕事、生け垣や崖の笹刈りなどは雲水が皆やる。さらに平生は手の行き届かない場所の掃除など、猫の手も借りたいくらい忙しい。今年はまるで梅雨時のような雨降りの日が続き、作業もなかなか進まず困った。お天気だけはこちらの都合でというわけにもいかない。雲水はこう言う諸準備をしながら、行事の支度はこうするものだと言うことを実地に学ぶ。何事も実際にやってみなければ身に付かぬ。私もいろいろな寺の法要に招かれ出掛けることがあるが、境内を見れば、その寺の和尚が平生どのように寺を守っているかが一目瞭然である。山門をくぐれば和尚が解るのである。

投稿者 zuiryo : 03:11 | コメント (0)

2016年10月02日

野良猫のタマ

最近、野良猫のニューフェースタマ、クロと合わせて二匹になった。白地に薄ねずみ色、丸顔、喧嘩に滅法弱い。外へ出掛けては筋金入りの野良に咬まれて傷だらけになる。知り合いの動物病院へ連れて行き治療する。度重なる重症に懲りたらしく、近頃はうちのお寺専属になってしまった。どうも人なつっこさから見て元飼い猫らしい。だから喧嘩に弱いのである。しかし捨てられてから冷たい世間にさらされ、すっかり人間不信に陥って、警戒心は相当なもの、やさしく猫撫で声でこんこんと説得して、だんだん心を許すようになってきた。夜は少し寒くなってきたのでカーマへ行って布製の猫の小屋を買ってきてやった。初めのうちは警戒してなかなか入ろうとしなかったが、一度入ったらその後、これは自分の物と思ったらしく、丸くなって寝ている。顔つきも一時に比べるとずっと丸くなった。タマ〜!と声をかけると、ニャ〜ゴと答える。

投稿者 zuiryo : 21:32 | コメント (0)

2016年10月01日

アンゴラ下着その後

今年もこれで超暖かな冬が過ごせるわいと意気込んで、高島屋女性下着売り場へ出掛けた。今回は作戦を立てて、女性の上着類のエリアで、下着係の店員さんを呼んで貰い注文した。すると店員さんやおら、隅っこの倉庫のような所へ行きガサゴソ探し出している.やがて出てきて言うには、100%アンゴラ下着の会社は倒産しました。ですから混紡のこれしかありませんだと!ガックリきた。値段は四分の一程度で、安くて良いが、これでは冬の寒さを乗り切れぬ。しかしこれしかないと言うので仕方なく買ってきた。確かにたった肌着一枚、それも下半身の部分だけで四万円近く出す人はそう居ないだろう。私も坐禅会からのプレゼントで、これくらいの金額で欲しいものを選んで下さいと言う有難い話だから買えたので、自前だったら多分買わない。クオリティーオブライフという言葉がある。その人がそれで良いと思えるような生活の質である。つまりこちらの頭を切り換えることが楽しく寒さを乗り越える術である。

投稿者 zuiryo : 10:43 | コメント (0)