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2020年01月25日

目が二重視

依然として二重に見えてしまう目の原因は解らないまま鬱陶しい日々が続いている。昨日から腕の良い鍼灸師に眼球周辺に鍼を打って貰い電流を流す治療を続けている。またこれは自分で考えた方法なのだが、目から30センチくらいならハッキリ見えるので、ジ〜ッと目を凝らし、その映像が消えないうちに二メートル先を見る。すると瞬間ずれずに見える。これを繰り返し目玉の訓練を積んでいったら、やがて直るのではないか?・・・・。等々苦心惨憺の日々である。医者なんか頼っていられない。自力回復あるのみ!またこうも思っている。長い坐禅遍歴の歳月で、目を開いて何も見ない訓練を積んできたから、視神経が可笑しくなったのか・・・・・?まっいずれにしても、自力回復あるのみと感じている。

投稿者 zuiryo : 15:21 | コメント (0)

2020年01月21日

便秘

いきなり尾籠な話で恐縮だが、私はよく便秘になる。つまり糞詰まりだが、こんな苦しいことは無い。何事でもスムーズが一番で、これが詰まると大弱りとなる。今朝も大いに詰まって、困り果てた末、「イチジク浣腸」のお世話になった。ドサッ!と出て、爽快なことと言ったらは無い。糞便の話に限らず、精神も滞ると気分が重くなり、鬱陶しいったらありゃ〜しない。常に貯め込まず、サラッサラッと流して行けるようになりたいものである。そこで問題なのは、執着心である。学問の研究などではこの執着心が大切なのだろうが、日常的心の世界では、流れる小川の如くさらさらと一時も留まること無く流し続けることが一番である。言うは易く行うは難しで、誰でもこんな理屈なら知っている。しかしこれを日常的に出来るようになるには相当修行が要る。「平生往生」で、自らを戒め、慎み、謙虚で無ければならない。

投稿者 zuiryo : 10:22 | コメント (0)

2020年01月18日

ビジョン&ワークハード

ビジョン&ワークハード、これはノーベル賞を受賞された山中伸弥教授の座右の銘である。何のためにかと言う目標と実現するための努力、これが何より大切だというのである。科学の探究という分野に限らず、このビジョン&ワークハードは我々禅修行の世界でも言えることである。この心棒がしっかり出来ていない修行は何年続けても意味を成さない。そればかりか百害あって一利なしとなる。私はこう言う実例を目の当たりにしたことがある。山中教授のこの言葉をテレビで知り、目が覚まされる思いになった。他者に手を差し伸べる慈悲の心も、真のビジョン&ワークハードに依って立っていなければ、真の宗教者の行為にはならないと感ずる。一般には宗教家なら、それは当たり前でしょうと思うかも知れないが、そうなっていないのが現実である。わたしはこれを大変残念なことだと思っている。宗教の質を高めるためにも、これから宗教家となって修行する若者にも、まずこの心から出発して欲しいと願っている。

投稿者 zuiryo : 20:01 | コメント (0)

2020年01月10日

新年会

知人が主催しているある団体の新年会に出席した。この主催者とは僧堂時代からの知り合いで、毎年九州の断食道場でもご一緒したり、また夏には御嶽山3合目にある新滝で一緒に滝行したりと、何かとご縁の深い方である。お互い老齢化で、特にこの方は相当大きな団体の主催者でも有り、今後のことも何かと考えなければならない状況である。私も同様で、どう旨く後継者に繋いで行くか、思案のしどころである。思案したからと言っても、だから良い人に恵まれるかと言うわけでもなし、頭の痛い問題である。僧堂の後継者の場合、スムーズに弟子に引き継ぐことが出来る人は本当に幸せ者だと思う。その人の徳の然からしむるところと言うことなのだろう。そう考えると私は余程徳が無いのだな〜と思う。世間のことで言えば息子に良いお嫁さんが来てくれるというのに似ている。知人で酷い嫁さんにぶち当たって苦労している人が居る。お気の毒千万と言わざるを得ない。まあ半分は運、宝くじを引くようなものなのだろう。

投稿者 zuiryo : 15:49 | コメント (0)

2020年01月09日

写経

信者さんのお婆さんでもう何十年に亘って毎朝心経の写経を続けてる人が居る。百巻書き上げるとお寺に持って来られ、お経をあげご先祖の供養をされる。これを相当期間続けているので膨大な量になる。立派な桐箱をお写経のサイズに合わせて作り、本堂で供養のお経が済むとその桐箱に収め本堂内陣に納める。これが何十年に亘って根気よく続けられている。その為お写経の分量も相当なものである。毎朝の習慣になっているようで、お年は90歳を越えているのだが元気で続けておられる。「女の一念岩をも穿つ」と言うが、一端心に誓ったら曲げない精神は我々の鏡でもある。この根気を雲水も学ばなければならないと思った。

投稿者 zuiryo : 10:21 | コメント (0)

2020年01月08日

景色が二重に・・・

ふっと気が付いたら見る物全てが二重に見える。こりゃ〜変だ!早速眼鏡屋に行きレンズを新しく変えて欲しいと言ったら、これは眼鏡の問題では無く、目そのものが悪くなっているから眼科へ行きなさいと言われた。そこでいろいろ検査し尽くし、結果は「黄斑前膜」症であると言われた。その説明書きのプリントを頂き帰ってきた。まあ軽微な症状だからこのまま暫く様子を見なさいと言うことなのだろう。軽微と言っても見にくいから眼鏡屋に行き、次ぎに眼科へ行ったので、このままで辛抱しなさいは無いだろう。理解しがたい医者が居るものである。それでも暫く辛抱していたのだが、しかしテレビに映っている人間が全て二重に見え、文字も全て二重、これでは見にくくてしょうが無い。そこで市内でも名医と評判の眼科医に予約をした。来週行くことにしたのだが、ここではどう見立ててくれるのだろうか心配!近頃は膝は痛むし、頭はボ〜ッとしているし、物忘れは酷いし、更に追い打ちを掛けるような今回の目、人間生きてるのがいやになる!

投稿者 zuiryo : 20:16 | コメント (0)

2020年01月06日

正月三が日

三日間の正月もあっという間に過ぎて、またいつもの通りバタバタと忙しい日々となった。昨日は車で1時間ほどのところに住職している弟子が年始の挨拶に来て、ついでに強烈マッサージをしてくれた。これが痛いのなんのって、ギャ〜!と悲鳴を上げるのだが、そんなのはまるで無視して、日頃の恨みを一気に晴らすが如く、徹底的に揉む。彼には治療法に信念があって、私の悲鳴など何のその、遠慮会釈無くやる。まっ、後スッキリとしてからだがほぐれるので有り難いのだが、痛いのなんのって、目から火花がバチバチと出る。重箱のお節料理もほぼ食い尽くし、でもまだお餅はしっかり残っているので、ほぼ連日焼き餅に海苔を巻いて醤油を付けて食べている。まっ、これもほぼ清んで、今日は「初月忌」で、関係の和尚さん達が集まって、開山さまの年初の例月忌でお経をあげ、その後書院で正月料理を出して一緒に頂く。これがお寺の年始である。この行事が終わって一斉にお供え、幔幕など全ての正月飾りを撤去、これにて無事円成となる。

投稿者 zuiryo : 09:32 | コメント (0)

2020年01月02日

謹賀新年

明けましてお目出度うございます。良い年を迎え向こう一年、健康で過ごせますようお祈り申し上げます。僧堂の新年は午前3時から元旦の本堂行事があって、大福茶礼、次ぎに書院で全員集まりお雑煮を頂く。その後は、昨夜の除夜の鐘が何だかんだで午前2時頃までかかったので、殆ど1時間くらいしか横になっていないので、しばし休み、次ぎに午前9時から大般若祈祷、山内一同出頭、まず大悲呪一巻で柷聖のお経を読み、引き続き大般若祈祷会、次ぎに書院で山内和尚と新年の挨拶、と言うのがいつもの決まり、ここでいろいろ話が弾んで、暫く談笑する。これもいつもの通りで、元旦行事はこれで終わる。午前10時頃から信者さん2家族來山、後はドタ〜ッ!ボ〜ッと過ごす。これもいつもの通りで一日が終わった。

投稿者 zuiryo : 05:50 | コメント (0)