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2016年09月30日

アンゴラ下着

毎月2回の坐禅会が11月に今年度分が終わる。今年で30年続いた。住職して間もなくある方から頼まれて会を興し、30年目の節目に当たる。今年は記念に桜を植樹した。打ち上げ会は12月に催し、翌年4月から又始まる。つまり寒いときは早朝坐禅は堪えるので止め、春4月ぽかぽかしたら再開というまことに要領の良い坐禅会である。尤も相当高齢の方々も参加される会なので、まあそこは配慮である。11月その年が終わるころ、一同からお歳暮を頂く。私の希望を聞いてくれるので、近年は寒さが堪えるようになったので、100%アンゴラを使った肌着をお願いしている。これは予め注文して取り寄せて貰うので、高島屋へ行って頼んでくる。以前は6階の男性下着売り場で頼んでいたのだが、どういうことか昨年から女性下着売る場で注文することになった。周囲を女性の下着に取り囲まれたところで、しばらく椅子に座って待ち、注文書に記入する。法衣を着けた私が女性下着に取り囲まれて坐っているのも誠に不釣り合いで、出来るだけ手早く立ち去りたいと、ジリジリしながら待つのだが、店員さんは平気の平左で、のんびりやっている。100%アンゴラ下着、この苦痛を乗り越えても是非欲しいお歳暮で、何事も易々とは手に入らぬものである。

投稿者 zuiryo : 13:14 | コメント (0)

2016年09月29日

書道

30数年前、この寺に来て、直ぐ困ったのは、墨蹟の依頼である。まともに書道の稽古をしたこともなし、とてもじゃないが人様に差し上げられるような字ではない。困り果て、近くに高名な書家が居ると解り、早速書道の稽古を始めた。爾来毎月4回稽古を続けているのだが、根本的に才能がないのか、いまだに満足のいくのはない。ただ稽古を始めて良かったことがある。それは書を見る目が養われたことである。「書は人なり」と言う、自分の裸を見られているようなものだから、いつも慎みを持って書くようになった。へたっぴ〜は仕方無い、だから一生懸命書くことが、差し上げる方への慎みだと思うのである。そのことが解っただけでも、稽古を続けてきた価値がある。

投稿者 zuiryo : 17:11 | コメント (0)

2016年09月27日

台湾旅行

知人に誘われ台湾へ行ってきた。三泊四日の短期旅行で、しかも飛行機も3時間足らずで、楽な旅行だった。総勢8人、平生から親しくさせて頂いている方々ばかりなので、気楽で、和気藹々の楽しい旅行だった。台湾は中国とは一衣帯水、歴史的にも大変繋がりの深い国なのだが、国民性はまるで違う。到るところに廟があって、お詣りの人はどこも一杯、信心の篤いと言ったらない。まっ、日本のお寺と言うより神社に近い、専ら願い事を叶えてくれる場所である。まあ、そのキンキラキンの荘厳、赤色と金色で埋め尽くされている。日本人の感覚ではちょっと落ち着かないが、これは風俗習慣の違いなのだろう。遙か40年以上も前、逸外老師のお伴で初めて台湾へ行って以来だった。町並みも、ホテルも随分近代化され、驚くことばかりだった。どこも旅行者で満員、故宮博物院は特に沢山の人人・・・、押しくら饅頭であった。生憎あの有名な白菜と豚肉の角切りは何処かへ貸し出されているらしくなかった。以前は館内も空いていて、ゆったり見学できたのが懐かしく想い出された。

投稿者 zuiryo : 08:03 | コメント (0)

2016年09月20日

神さま大好き

友人で各地の神社巡りを楽しんでいる人が居る。今回も昨日まで木曽山中で滝行を一緒にして、その足で熊本から宮崎を巡り、神社参拝をするという。生憎台風直下、そう言う神社は大抵山深いところにあるから、強風と豪雨で大変なことになっているのでは無いか心配である。彼の神社巡りは昨日今日始まったわけではなく、どうもお母さんが大変な神さま信仰のようで、その影響も多いにあると感じている。度々参加されるのだが、東京から名古屋、近鉄電車でお伊勢さんに詣り、夕方岐阜入り、馴染みの割烹で馴染みの客と大いに盛り上がるというコースである。うちの坐禅会より、そっちの方が主力じゃないの?と皮肉ってやるのだが、いずれにしても筋金入りの信仰である。人間誰でも迷いながら生きているのだから、しっかりした心の支えを持っているというのは安心に繋がると言うことである。

投稿者 zuiryo : 13:44 | コメント (0)

2016年09月18日

23年目の滝行

昨日今日と1泊2日、木曽御嶽山3合目の新滝へ滝行に出掛けた。途中2年間ほどお休みして、再び復活、通算23回目になる。今年は滝に打たれる仲間もいろいろ都合が悪く、結局5人になってしまい、少々寂しかった。又2日ともじゃじゃ降りの雨で、特に2日目朝の滝は昨夜からの大雨で水量が増し、ナイヤガラ瀑布のよう、凄まじい水しぶきで離れたところに立っているだけでもびしょびしょ。その中、友人の石田氏と私と二人が猛然と挑んだ。生きた心地がしなかったが、これが又良いのなんのって、スカッ!とした。宿に戻って風呂に入りさっぱりしたこの爽快感、他では絶対に味わえない、滝行ならではの醍醐味である。帰り道、超美味しいそば屋さんで早めの昼食を摂り、そこで解散となった。相変わらず激しい雨は降り続き、石田さんを名古屋駅近くのホテルに送って午後3時半無事帰山した。心地よい疲労感で満たされた。

投稿者 zuiryo : 16:17 | コメント (0)

2016年09月16日

父と暮らせば

相当以前見たドラマが再びテレビで放映され、良かったので今回もう一度改めて見た。原田芳雄と宮沢りえの二人芝居だが、実に良かった。特に宮沢りえの芝居のうまさ、舌を巻いた。遙か昔、知人で演出家をしていた人が、宮沢りえを使って何本かテレビドラマや映画を作った。もうその頃からプロはその才能を認めていたのである。元々才能があった人とも言えるが、どんな仕事でも、その道で抜きん出るような人は、人知れぬ處でコツコツ努力しているのだろう。いや〜ほんとうに良かった!

投稿者 zuiryo : 19:33 | コメント (0)

イノ公撃退第2弾

電柵の終日通電でも問題が全て解決とはならない。山は高低が様々で、場所によっては下がすけすけという處もある。そこで新たに杭で固めて、それにトタンを括り付け、アリの抜け出る隙間もないように突貫工事をした。ウリ坊などは下の隙間を自由に行き来しているからである。それにしてもどうしてこうも街中まで猪やシカが頻繁に出てくるようになったのか。公園などには、猪に餌を与えないで下さいと張り紙がしてある。一つには山での猟が殆ど無くなったと言うことらしい。その為猪やシカの個体数が激増したのである。そうなれば餌が不足し、ドンドン街にまで進出すると言うことである。地方では猿による被害も言われている。まだ岐阜市内では熊が出てくることはないので幸いだが、山の動物たちと人間の共存はなかなか難しいものである。

投稿者 zuiryo : 11:35 | コメント (0)

2016年09月15日

イノ公一家大暴れ

昨日も今日も隠寮の庭が猪に荒らされ酷いことになった。以前、同様のことが有り堪りかね山際を電柵で覆った。これで一安心と思ったらこの被害である。原因が解った。電柵は午後7時から12時間通電し、日中切れるようになっている。昨日今日に猪は真っ昼間やって来たのだ。雲水が裏山を見に行ったら、親の猪と子供達(うり坊)7,8匹が駆けずり回っていると言うではないか。可愛い!だと。とんでもないことだ。ひっ捕まえてバーベキュウにしてしまえ!早速24時間通電に切り替えたが、綺麗なスギゴケが無茶苦茶になった。腹が煮えくりかえった。

投稿者 zuiryo : 16:53 | コメント (0)

2016年09月13日

安請け合い

私はどうも思慮の浅いところがあって、つい安請け合いをしてしまうことがある。後になって、しまった!と思っても、一端約束したら覆すわけにも行かず、そういう時は我ながら思慮の浅さを悔いる。要するにお調子者なのである。この性格はなかなか治らない。父か母かどっちかの性格を引き継いだのだろう。もう一つ困った性格だな〜と思うのは、何事も相手に合わせて仕舞うことである。常に肯定からはじまる。腹の中では、ちょっと違うよな〜と思っていながら、そうですね〜などと調子を合わせる。これも一生治らないだろう。そうだったら、仕舞ったなどと思わず、一つ新たな経験が積めるのだと、プラス思考でいく。そう考えると気が楽になるし、事実思いもかけない経験を積むことが出来て、自分の幅が広がるような気持ちになる。何事も思いよう一つである。

投稿者 zuiryo : 04:42 | コメント (0)

2016年09月12日

江戸時代の庶民

源空寺門前の一町内には、床屋が1軒・湯屋が一軒・そば屋が一軒というように、ちゃんと数が制限され、その町内の人がそのお得意客で、何もかも一町内でことが運んだ。次の町内の者が、その床屋に飛び込むと、変な顔をして断った。床屋は町内の寄り合い所であり遊び場だった。床屋だけではない、雷も町内専属で、「浅草三妙町の雷が尾張屋という米屋に落ちた」などと言う。暮らしに必要なものは著しく簡素かつ少数で、価格も低廉で、まっとうに働けば生活に困ることもなく、思い煩うこともない。町内が完結した小宇宙であった。祭りの相談、婚礼の世話、夫婦別れの仲裁、町内のあらゆる慶弔、もめごと、楽しみが髪結い床で話し合われた。この世の別れという人生最大の悲嘆も、春には花が咲き、秋には落ち葉が舞うような自然なこととして、淡々と受け入れていた。落語などにこう言う場面ガよく出てくるが、当時はそれが一般的で、短命で単純、打ち上げ花火のようにのどかな庶民の暮らしは、実に豊かな喜びと楽しみで彩られていた。そのときがくれば、観念したようにさっぱりと死を受け入れた。シンプルだが窺い知れぬ喜びに充実していた。洒落っ気と風流、あるとき郊外に遊んで、農家の側らに見事な梅が咲いていたのを見て、大金を与えて買い取る。しかし花の下で酒を酌むばかりで、梅の木を持っていこうとしない。農夫がいつ移植するのかと問うと、我が家の庭は狭くて植える余地がない。ずっとここに置いておく。それなら実がなりましたらお届けしましょうと言うと、「我は花をこそ賞すれ、実に望みなし、汝これを取れ」。農夫が驚いて、ただ花を見るためなら何時でもおいでください、お金は返しますと言うと、「人の花は見て面白からず、わが花こそ興あれ」と答えたという。嫌味な風流とも受け取れるが、当時の人にはこう言う洒落た風流の気分があったのである。さて現代はどうだろうか。個の人間の生涯の豊かさを考えると、本当に充実した人生だと言えるのだろうか。

投稿者 zuiryo : 04:25 | コメント (0)

2016年09月11日

文章消失

私はパソコンで文章を書き記憶させて、必要な時プリントする。新たに書き始め、推敲を重ね、後半部分を書き終わって完了した。で、記憶させるため上書き保存をクリックすると、どうも変な具合である。何度やっても旨く保存できない。だんだん腹が立ってきて、エイッ!これで記憶しただろうと消したら、書き足した文が全部パ〜。がっくりきた。直ぐ記憶の新しいうちにやり直そうと思ったが、しばらくして、頭が冷えてきてから思い直した。これは仏様の思し召しに違いない。消えた部分は全部捨てて、もう一度新しい発想で書き直せ!ということだと思った。これで頭の中がスッキリして、腹の中もおさまり、視点を変えて書き足すことにした。人間執着が何よりいけない。どうせ消えるような文章はろくなものでは無かったのだ。

投稿者 zuiryo : 13:30 | コメント (0)

2016年09月09日

映画「晩春」

昔の映画「晩春」がデジタル復刻版で放映された。小津安二郎監督作品だったので何気なく見ていた。笠智衆・原節子・杉村春子・月丘夢路等々、懐かしい人ばかりである。父と娘二人きりの生活で、何とか娘を嫁に出そうと苦慮する父親の気持ちが淡々と描かれ、最後はハッピーエンドで目出度し目出度しと言う筋だが、良い映画だった。冒頭お茶会のシーンを見ていたら、何とそこは私が以前住職していた寺だった。今では境内も綺麗に整えられ、映画のシーンと同じなのはお堂とお茶会の部屋に使われていたところだけだったが、思わず膝を乗り出して見入った。映画もしみじみと情感漂うもので、場面場面が昔の鎌倉そのもので、何とも懐かしさでいっぱいになった。

投稿者 zuiryo : 19:32 | コメント (0)

2016年09月08日

書道

現代は殆どパソコンでやり取りする。すでにそれも時代遅れで、スマフォ全盛である。外国の友人と電話でちょくちょく話すのもLINEで、しかも通話料はタダ。こうなると新聞もテレビも不要となる。小さい頃、親に百科辞典を買って貰い、毎日のようにぺらぺらめくって楽しんでいたが、今は全てスマフォが教えてくれる。こうなると凡そ習字などと言うのは前時代的で、全く無用となるように思うが、我々お寺の世界では、未だ健在である。礼を尽くしたやり取りでは必ず筆で和紙に書いたもので無ければ通用しない。そう思っているときにある寺から法要の案内状が届いた。文面は型どおりで問題無いのだが、文字のへたっぴ〜といったらない、ナメクジがのたくってるようなもの。こうなるとわざわざ筆で書いても殆ど価値はない。それ相応の字で書かれたものでなければ。それじゃ〜お前はどうなんだ!と言われると、ちょっと言葉が詰まるが、まっ、目下努力中であることに間違い無い。「恥を知る」である。またそう言うナメクジ流の案内状を平気で出させている監督者も駄目だ。私が在錫中は右筆の老人が居て、一手に引き受けて書いてくれた。これも今から思うと善し悪しで、書体がやや流暢に流れ、キッチリした楷書で無かった。禅宗ではカチッとした文字で無ければ駄目だ。想い出すと昔、師匠は超へたっぴ〜だった。それでどうしたかというと、まるで小学生が初めて字を書くように、律儀にコチコチ文字、しかし律儀に一生懸命書いている雰囲気がじわ〜っと伝わって来て、私は師匠のこの字が大好きだった。要は心構えと言うことである。

投稿者 zuiryo : 14:47 | コメント (0)

2016年09月04日

ブヨ撃退法

何のことは無い虫除けスプレーをかけていけば済むことだった。友人で鮎釣り狂の人がいて、川でも猛烈なブヨに襲われるそうで、「そんなの虫除けスプレ〜でシュッとやれば良いんです!」だって。この間アンコールワットへ行ったときに、虫除けを必ず持参と言われ、持っていたのである。目の前に有りながら、ブヨ撃退とそのスプレーが連動しないというのが情けない。ところでアンコールワットで撮った写真をスマフォからパソコンに取り込むのに悪戦苦闘。近くの和尚に電話で聞きながらやったが、それが不思議なことに、あっちこっちにバラバラに分散して取り込まれ、中国・イギリス・スペインなどなどに入ってしまった。一体こりゃどうしたことだ!今度は直接部屋まで来て貰ってご教授頂く。近頃脳の老化甚だしく、あ〜!私もついに認知症か・・・。

投稿者 zuiryo : 11:06 | コメント (0)

2016年09月01日

アンコールワット

8月下旬、仲間12人でカンボジャのアンコールワット遺蹟を訪ねる旅に出掛けた。私は20数年前にも一度行っているので、2度目になる。まず驚いたのは、シェムリアップ空港の立派になったこと、以前は10畳間ほどの小屋のような粗末な物だった。それが今度言ってみると巨大なビルで、まだ出来たてほやほや、係員も慣れていないせいかもたもたして万事に手間取る。バスで20分ほどで市内に入ったが、立派なホテルが林立して、これまたびっくり。当時とは観光客も何十倍にもなっているそうだ。泊まったホテルも、芝生の庭が広がりプールがあったり、レストランもヨーロッパ並みで快適だった。行った時期が真夏の最中だったことも有り、熱いのなんのって、さらに湿気のすさまじさは言語を絶する。2時間くらい見学したら全身水をぶっかけられたようになる。これではいくら着替えても追っつかない。5日間同じホテルだったので、ちょくちょく戻ってはシャワーを浴び、着替えて昼寝、それから又出発という繰り返しだった。観光客は何処へ行っても押しくら饅頭のよう、特に中国人の多いのには閉口した。辺り憚らず占拠して、大声を張り上げ我が物顔である。一方、印象的だったのはガイドの男性で、誠実で人柄が良かった。神戸に日本語習得のため2年間留学していたそうだ。またアンコールワットの朝焼けはつとに有名、午前5時前から出掛けてじっと待ったが厚い雲に遮られ、まったく駄目だった。以前正面参道で敷物を敷いて皆で野点の茶事を催したが、当時は殆ど人影も見られず、そう言う楽しみも出来たのである。今ではわんさと人がやって来て、何処も押し合いへし合いだ。日本の大学が修復のために努力されている。その事務所を訪ねて1時間ほど話を伺った。地道な努力に頭が下がった。いろいろ学ぶことの多かった旅だった。

投稿者 zuiryo : 14:56 | コメント (0)