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2011年08月20日

ゴーヤの夢

以前緑のカーテンにゴーヤの苗をどっさり植え、すくすく伸びて、実が次々になるという話をしたが、今困っている。初めのうちは収穫が楽しみで、葉っぱの裏に潜んでいる実を見つけ出しては、「いくら隠れようったって、そうは問屋が卸しません!」、などと言いながら、得意満面になっていたのだが、こうもじゃんじゃん実がなると少々苦痛になってきた。あの強烈な苦さに雲水一同辟易としているらしい。しかもゴーヤは日に日に沢山なり、私自身もうんざりで、近ごろはびっしりゴーヤが蔓から垂れ下がり、夢にまで出てくるのである。ゴーヤに追いかけられ悲鳴を上げている始末で、笑えない話になってきた。もう来年は朝顔にしようと心に決めている。まっ、聞くところによるとゴーヤは連作が効かないそうだからちょうどいい塩梅だ。何事もほどほどがよろしいようで、どうも極端に走る傾向の私には好い戒めになった。せめて半分くらいにしておけば良かったな〜と今頃反省している。さて昨日から急に涼しくなって、気温も日中25℃、暦通りの立秋の気配である。人間勝手なもので、この間までは酷暑を恨んでいたのに、急に涼しくなったら、何だか真夏の暑さが恋しくなった。これは子供の頃、そぞろ秋風が吹くようになると、ああ〜、もう夏休みも終わりか〜!と言う寂しさの記憶が、幾つになっても残っていて、それがこういう気持ちにさせるらしい。夏休みが楽しみだったのは何十年も前のことなのに、身に染みついた記憶は消えないものである。

投稿者 zuiryo : 16:59 | コメント (0)

2011年08月18日

お盆も無事に過ぎて

岐阜ではお盆行事は家々によって、7月と8月二派に分かれており、従って棚経廻りも7月と8月にある。この方が一辺に固まって押し寄せないので、厄介なようだが都合が良い。毎年のことながら酷暑の中、汗だくになっての棚経は楽じゃない。自分が修行した道場には檀家や信者先はなかったので、棚行廻りの経験はない。だから想像するだけだが、雲水は大変だな〜といつも思う。多少親金となって懐が潤うというのが励みになるが、労が多い割には効は少ないのが実情である。道場によってはガバッ!というところも耳にするが、少ない方が雲水のために成る。朝掃除をしていたら、庭の隅からバタバタと変な音がする。何だろうと雑巾掛けの手を止めてじっと見ると、アブラゼミがひっくり返って、もがいているのだ。縁の下に差しかかる辺りで、そこはムカデの浸入を防御するために、農協から購入した粉末状の薬をどさっと撒いてあるところである。可哀想なので庭に降りて手でつまみ空中に放り投げたが、飛べずにどさっと地面に落っこちた。もう寿命が尽きる間際なのかも知れない。可哀想だから玉龍のびっしり生えている木陰にそっと置いてやった。しばらくバタバタもがいていたがやがて静かになった。蝉の一生は地中から出て何日も生きられないと言うから、この蝉の一生もこれで終わりなのだろう。この間もほぼ同年齢の人達と一緒に成ったら、日々足腰が衰え、目もしょぼしょぼにになって、記憶は悪くなる一方だし、あと数年したらこの世ともお別れだな〜などと、寂しい話しになった。我々は日常座布団に座る生活だから、何度も立ったり座ったりがある。その度に顔をゆがめ、膝の関節をギシギシいわせながらだから、老化を嫌と云うほど思い知らされる。はかなくこの世を去ったアブラゼミを目の当たりにして、他人事じゃ〜ないな〜!と感じた次第。

投稿者 zuiryo : 10:49 | コメント (0)

2011年08月12日

カナブンも行き倒れ

この所の暑さ、ただ事ではない。今日も庭を通りかかり、ふと下を見たらカナブンが2匹、つんのめるように死んでいた。人間でさえ堪らんな〜と言う暑さだから、小さな昆虫には生死に拘わる事になるのも頷ける。節電もほどほどで、クーラーを止めて熱中症に成ったら、病院へ担ぎ込まれ様々な医療器具を使うので、その方が電力消費が大きくなり、節電に反すると、ある病院の院長さんが言われていた。ごもっともな話で、必要最小限にクーラーも使った方が良いらしい。うちの寺は街中にはあるが、道路から百メートル以上も奥に入っており、周囲は山に囲まれて緑豊かなので、平均2℃くらいは低い。それでも焼けるような日中の暑さは辛抱できないほどだ。暦の上では8日が立秋だが、暑さのピークはこれからのようである。以前パンくずを雀にやっていると書いたが、あれは止めることにした。しばらくしてふと辺りを見回したら点々と白い跡、雀の糞である。雨が降ったくらいでは流れないばかりか、まるでペンキで塗ったようになった。よく鳩の糞公害が言われるが、形は鳩より小さいが矢張り同様である。急に止めたので名残惜しそうに今でもチュンチュン窓際までやって来て催促するが、心を鬼にして知らんぷりしている。僧堂は8月1日から制間になって少し楽になった。ちょっと行事が減るだけでも、気分的に随分違うものである。若い頃は制間早々に、雲水を引き連れて1泊2日の登山に出掛けた。岐阜県内、長野県辺りの主な山は殆ど踏破した。上ってる最中は、どうしてこんなしんどいことをやるのかと、酷く後悔するのだが、可憐な高山植物を見たり、翌朝のご来光を仰ぐと苦しかったことは全部すっ飛んだ。今ではとてもじゃないが足がガクガクで、平らな道路でさえもたつく始末で、情けないったらありゃ〜しない。まっ、近頃は長良川と周辺の山々が直ぐ近くにあるので、とことこ出掛けてスケッチしている。我ながら俺も随分老人ぽくなったものだと思っている。

投稿者 zuiryo : 21:24 | コメント (0)