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2014年12月30日

年末大掃除

15日からの臘八大接心前に鐘楼や山門、納戸など済ませ、臘八後に本堂や庫裏、禅堂の大掃除が始まった。その徹底ぶりは、柱や鴨居磨きは勿論のこと、垂木まで雑巾がけをする。落っこちないようにしろ!と注意したのだが、僧堂の雲水のやることは何事も徹底している。寒風にさらされながらだから、余程覚悟を決めてかからないとできない。28日は恒例の餅つき、お鏡など数が多いので、始めにちょっと機械でこねておき、後は力自慢の者が石臼に杵でつく。賑やかでこれも年末の風物詩である。正月三が日が過ぎ、6日の初月忌後に下げたお鏡を毎日粥に入れて食べるのだが、今時の若者は昔と違って、餅が大好きという者が少なくなってきた。だから余り歓迎されなくなった。大きな樽に水餅にして保存しておき、毎日少しずつ使って行くのだが、なかなか減らない。年頭回礼で余所のお寺からも大きなお鏡を頂いたりするので、益々ストックが増え、2月になっても餅粥の日が続く。

投稿者 zuiryo : 21:48 | コメント (0)

2014年12月23日

灯夜

22日早暁、臘八大接心も首尾円成し、安堵の胸を撫で下ろした。毎年の恒例行事で、私にとっては五十数年間もやり続けてきたことなので、どうって事ないが、それでもこうして無事に終わるとほっとする。後は年末掃除と餅つき、お節料理ができれば除夜の鐘で終わり。新年は寝正月である。ところでこのごろの灯夜はずいぶん温和しくなった。雲水の頃、ある年、下の者が日頃の鬱憤を晴らそうというのか、暗闇に引きずり込んで袋だたきにしたり、何だか訳の分からない地元の住人が灯夜の輪の中に入り込んでいたりと、どうも感心しないことなどもあって、厳重注意したことがあった。またこの僧堂に来て間もなくの頃、1,2年間、灯夜の意味も分からず、タダの放行のように考えて、馬鹿なことをしていた。まるで意味が解っていない。それやこれや、想い出すと長い間にはいろいろなことがあったが、事細かく教えて、普通にやれるようになった。伝統を維持するというのは、年間行事のあらゆる事柄について細かく指導していかないと
保たれないものである。

投稿者 zuiryo : 10:33 | コメント (0)

2014年12月21日

偏頭痛

15日から臘八大接心が始まり、明朝午前3時の暁天座で無事円成である。近年は大接心になると3日目ぐらいから猛烈な偏頭痛に襲われ、左眉間、こめかみが割れるように痛む。その度に手で揉んでほぐしてみるのだが、いっこう効き目はない。針医さんに痛いところにぶすぶす鍼を打って貰っても効き目なし。本当に困り果てた。ここまでのことは既に11月7日のブログに記したとおりである。思案の末、廉売店の薬屋さんへ行き、隅っこでぼ〜っと突っ立っている白衣のお兄さんに事情を話すと、それはストレス性頭痛ですね、生薬配合のこれなど如何ですか?と勧められた。藁をも掴む思いで飲んでみると、それが驚く事なかれ、効果抜群、けろっと治ったではないか。今までの激痛はどこへやら、嬉しいのなんのって、と言うことで今回の臘八は頭スッキリ、爽快な気分で無事円成となった次第。しかしふとこんな思いが頭をよぎった。私は何事でも素直に人の言葉を信じ、直ぐに感化される性格だから、この偏頭痛薬効もそれかな〜とも思った。まっ、理由はともかく治ったのだから純粋に喜べば良いのだ。

投稿者 zuiryo : 19:53 | コメント (0)

2014年12月20日

年賀状書き

毎年のことだがこの時期は年賀状書きの毎日である。人によっては、年賀状など虚礼で、頂いた方もそういちいち見るわけではなし、労力を考えるとばかばかしいので一切止めたという話も聞く。そういう人は余程枚数も多く、とても対処し切れないからだろうが、私の場合はせいぜい百数十枚ほどなので、相手の顔を想像しながら楽しんで書かせて貰っている。本文は一枚原稿を書いて門前の印刷屋さんにやって貰い、おもに住所書きと空いてるところにちょっとコメントを添え書きする程度である。ところが今年は何を間違えたのか足らなくなり、急遽買い足した。こうなると本文も書くことになるのだが、この方が相手を思いながら書くので、実もあり、一年間の交流など想い出しながらなので、一層懐かしく楽しい年賀状書きになった。若いうちは仕事をさっさと片づけるという調子だったが、歳をとるとじっくり腰を据えて、楽しみながら書けるようになった。

投稿者 zuiryo : 20:21 | コメント (0)

2014年12月15日

地獄に仏

今日は雲水達は大忙しだったので、銀行へ振り込みに出掛けた。丁度十万円だったので、受付嬢に聞くと機械でできますというので並んで待った。いよいよ自分の番がやって来た。ところがどこを押しても機械が全く作動しないのだ。あせった。益々めったやたらにそこら中を押しまくった。後ろに何人も順番待ちしている。このお坊さん何してんだよ〜!と言う声なき声が聞こえるようだ。目の前が真っ暗になったそのとき、横からすっと出入りの畳屋さんの大将が現れた。この人はいつも振り込みをしているらしく、横にぴたっと沿い、次々に指示してくれた。お陰でスムースに完了、一件落着した。深々と頭を下げてお礼した。ああ〜!地獄に仏とはこのことだと感じた。

投稿者 zuiryo : 11:33 | コメント (0)

2014年12月13日

石磨き

15日から臘八大接心のため、年末掃除はできるだけ前に済ませ、終わって24日からまた再開というのが慣例である。山門や鐘楼、本堂などのすす払いや柱磨きなどは既に済ませた。寒風の吹き抜ける中、本堂東濡れ縁の下にこぶし大の真っ白な石が敷き詰めてある。それを一つ一つ雑巾で拭き磨いていた。どのくらいの数あるか知れないが、さぞ手が冷たかろうと思う。こんな事は僧堂なればこそである。先日の雨の日は軒下の垂木一つ一つ拭いていた。根気の要ることである。雲水時代、典座寮のとき、一抱えもある小屋組に這い上り、殆ど裸でへばりついて、下から放り上げられる雑巾できれいに拭いたことがあった。真冬の寒い中これをやるのだから、死にもの狂いだった。血気盛んで若さ溢れる頃だったからできたので、今では考えられないことである。僧堂には雲水修行中だからこそやれることがある。これが血になって体に染みこんで行くのである。

投稿者 zuiryo : 20:55 | コメント (0)

2014年12月09日

江戸の風流

岸玄知という出雲候の茶道方が梅を買った話は実に面白い。あるとき郊外に遊んで、農家の傍らに梅が見事に咲いているのを見て、大金をはたいて買い取った。しかし花の下で酒を飲むばかりで、梅の木を持って行こうとしない。農夫がいつ移植するのか問うと、わが家の庭は狭く、こんな木を植える余地はない。ずっとここに置いておく。それなら実がなりましたら届けましょうというと、「我は花をこそ賞すれ、実に望みなし、汝これを取れ」農夫は驚いて、「ただ花を見るためなら、何時でも何日でもお出で下さい。お金はお返しします」と言うと、「人の花は見て面白からず、わが花にしてこそ興あれ」と答えたという。嫌味な風流気取りとも取れようが、そういう批評はともかくとして、江戸時代の人々に多かれ少なかれ、洒落た風流の気分が共有されていたことに、価値がある。今日では全く失われた気分だからである。

投稿者 zuiryo : 21:11 | コメント (0)

2014年12月08日

お伊勢参り

先日知人夫妻とお伊勢参りに出掛けた。昨年の式年遷宮に出掛けようと思いながら、まだ混雑しているだろうからその内にと思っていたら、ついに行けずに年を越してしまった。そう思っている時に誘われたので即座にOKして出掛けた。賢島のホテルに宿を取り、そこから出ているバスで直接お伊勢さんまで約1時間、楽々行くことが出来た。生憎しとしと小雨降る中だったが、それが帰ってしっとりした落ち着いた雰囲気で良いお詣りが出来た。ちょうど土曜日と言うこともあって、大変な人出だったが、新しい檜の香りも漂ってくるような神殿でお詣りができ清々しい気持ちになった。次ぎに外宮に参り、出口近くに新たにできた遷宮館を見てきた。これが実にグレードの高い展示の数々で、さすが伊勢神宮である。とくに新宮殿の一部をそのまま再現し、係の方の詳しい説明もあり、とても良かった。こうして無事にお詣りもできて、ホテルで一緒に食事をしながら、久しぶりに会った知人といろいろ話ができたのがよかった。充実した2泊3日のお伊勢参りだった。

投稿者 zuiryo : 10:24 | コメント (0)