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2021年07月31日

酷暑の中

午後は4時から隔宿諷経がある。大汗掻いて本堂から始まって各塔所巡り、最後は山の中腹にある白山さんへ順に巡りお経を読む。炎天下、大汗掻きながらの恒例行事である。その後夕方晩開板後の総茶礼、告報等々があって、今日の行事が終わる。炎天下だから袈裟まで汗でズブ濡れになる。しかしこの一連の行事があると、ああ~、夏安居がこれで明けるな~と実感する。これを雲水時代から引き続き、この僧堂へ来てからも、ず~っと、もう何年もやっている。これで一層夏安居解制を実感するわけだ。暑い暑いと言いながら、これが出来る有り難さをしみじみ思う。僧堂は一定不転がならい、元気なればこそ、大汗掻いて、参ったな~!と言えるわけだ。考えてごらんなさい、79才でまだこれが出来る有り難さ!格別味わい深いですな~!

投稿者 zuiryo : 15:33 | コメント (0)

2021年07月30日

交代挨拶

前総長、新教学各和尚さんが遠路京都からご挨拶にやって来られた。勿体ないことである。お二方は尼僧堂の責任者なので、そちらの壇信徒への御挨拶が主で来られたのだが、まっ今後のこともあるので、こっちにもお立ち寄り下さったと言うわけ。これはいずこも同じだが、お寺の中心となる住職がいないと言う事は、何かにつけて不都合が生ずる。この状態はまだしばらく続くので、気骨が折れることである。私の処は直接関係はないのだが、尼僧堂の日々の参禅を聞いたり、本山主催の講習会などの講師に出掛ける程度のお付き合いだが、こうしてわざわざ挨拶に来られると恐縮この上ない。何処の組織でも言えることだが、中心を担う責任者が不在というのは誠に不都合なことである。さりとて直ぐに良き人材が現れると言うこともないので、これからもこの状態が続く。目下在錫者は一人切り、結構な数の檀信徒があるので、そのお世話もなかなかの仕事である。世の中、万事好都合と言う事はないものだが、縁の下の力持ち役というのは、本当にご苦労さんである。

投稿者 zuiryo : 15:09 | コメント (0)

前宗務総長さん来山

この7月で宗務総長さんが交代された。教学部長の時、天衣寺が尼僧堂になり、お役目柄、天衣寺の責任者になられた。爾来十数年の歳月が流れ、本山のお役目も離れると言う事で、わざわざ弊寺までご挨拶に寄って下さった。随分長い間お世話になったものだ。すべての重責から離れ、これからは自坊でゆっくり骨休めをして頂きたい。人にはそれぞれお役目というものがあって、色々その時々の巡り合わせで、大役を担う事になるわけだが、その重責を大過なく全うされ、ご苦労様と言うほかない。大変温厚な方で、だからあの喧しい寺も、大過なく全うされたのである。肩の荷が下りたと言うところである。誰も好き好んで厄介な役を担う者は居ない。その時々の巡り合わせで、そうならざるを得なくなり、引き受けるのである。徳を積む、と言う言葉があるが、前総長さんはそう言うタイプの方だった。

投稿者 zuiryo : 11:03 | コメント (0)

2021年07月29日

睡眠時無呼吸症

寝ている間に呼吸が自然に止まってしまうという、世にも恐ろしい病気があるのをご存じだろうか。この症状は寝ている真っ最中のことだから、大抵は本人自身も無自覚で、そのまま何年も過ぎてしまうことが多い。呼吸が止まったら即死ぬと思うだろうが、決して死なない。その無呼吸状態が、30秒間とか、1分間とか、聞くと驚かされるが、人間は決して死なない。ならほっといても良いじゃ無いかと思うかも知れないが、それが良くない。平常の姿ではないから、何処かにひずみが出て来て、二次的被害を被ることになるからだ。血管内に血栓ができたり、大体睡眠の質が悪いわけだから、深い眠りが出来ていない。7,8時間寝ているのに、何処かまだ寝足りなく、ついうとうとしてしまう。こう言う症状の人は大抵睡眠時無呼吸症患者と思ったら間違いない。難しいのはこの症状が睡眠中と言う事である。実は私自身、この病気に長らくかかっていて、7,8年前偶然この事実を知らされた。爾来睡眠中は強制的に圧をかけて空気を送り込む装置をつけて寝ることにしている。困るのは何処かへ泊まりがけで旅行などをするときだ。この機械装置を一式持って行かなければならないからだ。こう言う症状の人は世の中に沢山居るらしいが、ほとんどそれに気づかずに何年も過ぎてしまうことである。

投稿者 zuiryo : 13:57 | コメント (0)

2021年07月27日

K先生の展覧会

市内の美術館で、K先生の回顧展が催された。公園内のその美術館の館長を長らくされ、引退後も猶創作活動に勤しんで居られる。一時期同好の士を集い、先生に絵の指導をして貰ったことがある。普段はうちの寺に集まって貰い専ら静物画、年に何回か外に出掛けて写生をしたりと、楽しい会だった。生徒の我々は総じて下手っぴ~で、幼稚園生だったが、それにもめげず親切に指導して下さった。何年か続いたが、参加者の老齢化が進み、やがて自然消滅した。それに伴い、絵を描くこともなくなり、今となっては遙か昔の懐かしい思い出だけになってしまった。道具はすべてそのまま残っているので、気持ちさえあれば自分で絵を描けば良いのだが、以後1回も描かずに止めてしまった。まっ、結局やる気が無いのだ。絵に限らず何事も本当に好きにならないと続かないものである。

投稿者 zuiryo : 16:38 | コメント (0)

2021年07月25日

般若会

明後日は恒例の般若会のある日だ。この会も、もう30年以上になるが、私が住職して間もなく、どなたかの発案で始まった。月2回・朝6時から1時間の坐禅、その後、話し少々、お粥を食べて、抹茶にお菓子で散会。まっ他の事柄は良いのだが、坐禅の後の話が困る。30年以上もメンバーは同じだから、絶対同じ話しは出来ない。重複しないように一応記録をとっているのだが、手を変え品を変えと言っても、自ずから限界はある。更に困ることは、ご丁寧に1回1回記録をとっている人も居ることだ。ふっと、そんな事を考えていたら、急に師匠のことを思い出した。別に批判して言うわけじゃ~無いが、毎回講座での話しは、ほぼ同じ事の繰返しだった。良くもこうも同じ事を繰りかえして、話している御本人は、心に抵抗感はないのかしらと、不思議に感じたことがある。まっ、真理は一つ、と言えなくもないが、その方便がいつも一緒では聞いているこっちが飽きてくる。こう言う厚かましい覚悟でやるのも相当心臓だが、昔から壁に向かって説法という言葉もあるので、居眠り半分で聞いている雲水など眼中に無く、自分の境界で押し通すってやり方もありかな~と、ふっと思った。

投稿者 zuiryo : 10:58 | コメント (0)

2021年07月24日

弟子のマッサ~ジ

今日は、車で一時間以上も掛かるところから、弟子がマッサ~ジに来て、1時間たっぷり揉みほぐしてくれた。痛いの何んのって、七転八倒するが、情け容赦無い。そのお陰で後はスッキリ、体中が軽くなる。こちらは黙っていても、いつも気に掛けてくれて、先方から、ボツボツ行きましょうか~!とやって来る。何年経っても私のことを忘れずに、本当に有り難いことだ。近くに雲水はいても、其処まで気に掛けてくれる者いない。まっ、当たり前のことだが・・。離れていてもこうして、来て呉れる心が有り難い。

投稿者 zuiryo : 11:23 | コメント (0)

2021年07月23日

暑さも盛り

この時期、例年のこととは言いながら暑さも盛りとなり、毎日大汗掻いている。制末行事も目白押しで、その度に全身汗まみれ、洗濯物が増えて困る。尤も、洗濯機にポイ!ボタンを押して後は干すだけだから楽ちん。雲水の頃、いちいち洗濯しちゃ~要られないから、汗でずぶ濡れの肌着をそのまま干して、乾いたらまた着るという繰返しをしていた。今から思うと、よくもそんな事で済ませていたんだな~と呆れるが、山の中の龍王水まで行き、ゴシゴシ手で揉んで洗濯などしちゃ~要られない!ましてや洗濯機のように脱水装置など無いから、乾くのにも時間が掛かり、襦袢などの肌着が足らなくなる。そこで汗がついたまま干してまた着ると言う事になる。今でもその頃のことがふっと思い出される。僧堂はほぼ何処でも同じ事の繰返しだから、ここへ来て、何十年経っても当時のことが甦り、懐かしいやら、大変だったな~などと思い出す。私も間もなく80才に手が届く年齢になったが、幾つになっても僧堂は同じ事、だから洗濯物を干しながらふっと昔のことを思い出すわけだ。

投稿者 zuiryo : 10:47 | コメント (0)

2021年07月21日

講了

この講了も以前は制末ギリギリに行なっていたが、そうなると解制行事と錯綜して、ややこしいことになるので、近年は講了は解制10日前くらいに繰り上げて済ませることにした。と言うことで今日は、講座を開き、終わって講了施餓鬼会、大汗掻いて今、終わったところ、ほっと一息ついた。僧堂は一定不転、毎年同じ事の繰返しだから、この蒸し暑さと共に、一年前を思い出し、もうこの季節になったんだ~!1年経つのは早いものだと、改めて感じている。これをもう少し繰りかえすとやがて、この世ともおさらばか~っ。年々、こっちも老化して、万事にスカタンをやらかし、ガックリくる。まっ碌な事は無い!さりとてお迎えがやって来るまでは生き続けなければならない。心身共に老化した自分と向き合いながら生きるのもしんどいものだ。ボツボツ私も平均寿命に近づいてきたから、何時お迎えが来ても良いように心の準備をしておこう、そう思うこの頃である。

投稿者 zuiryo : 11:18 | コメント (0)

2021年07月18日

英国旅行

慣れ親しんだ外国と言えば英国である。30年くらい前、友人が小さな禅堂(と言っても普通の部屋を禅堂風にしただけなのだが)を作って、会員を集めて定期的に座禅会を開いていた。その会員に直接本場の日本から禅僧が来て指導する、と言うのが売りだった。と言うことで、毎年夏出掛けて坐禅指導していたことがあった。入り口に坐禅道場と、大きな看板を掲げ、たった数人のこじんまりした座禅会だったが、10年間くらいは続いた。やがて主催者の心も後退し消滅した。それと共に私の英国行きも無くなり、とんとご無沙汰が続いた。昨年久しぶりに親戚親子が行きたいというので二人を伴って10日間ほど出掛けてきた。大きな公園の近くのホテルだった。その公園を突っ切った反対側に、以前は宿を取っていた。そのホテルの飼い猫で茶色の大きなネコとすっかり仲良しになって、私が起きると、待ってましたとばかりに部屋にやって来た。抱っこしてやると喉をゴロゴロ鳴らして眼を細め、幸せそうにしていた。その猫も既に死んでしまったそうだ。友人の禅堂もなくなり、英国行きも興味が無くなった。

投稿者 zuiryo : 19:52 | コメント (0)

老化

時は待ってくれないから、否応もなくどんどん老齢化してゆく。そうなりたくはないが、仕方が無い。同世代の仲間は、ほとんど寺を新命に譲って、楽隠居の身と言うのが大半だが、僧堂はそう簡単には行かない。私も今年79才になり、世間一般なら、もうとっくに隠居の身なのだが、まだ依然として現役である。まっ、骨董品に似たところがあって、古びるとそれなりの価値があるように思われるので、保っているようなものだ。それに一般の寺と違って、雲水相手だから、昔取った杵柄でやって行けるわけである。それでも記憶力の減退は抗しきれず、喚鐘の時には、懐に雲水数の参禅記録をメモしておき、カンニングペ~パ~をちょいちょい見ながら対応している。恥ずかしい話だが、たったこれだけの事が記憶できなくなったのだ。しかし一般の寺の和尚のような気遣いはまるで要らないから、総じて見れば我々は随分恵まれていると言うのが私の考えである。とは言うものの、これにも限界があるから、ボツボツ交代だな~!と、ふっと思うことがある。

投稿者 zuiryo : 11:03 | コメント (0)

2021年07月17日

日本画家

つい先日も親しくさせて頂いている日本画家の個展を拝見してきた。会場は二カ所で、大きい店の方には屏風が掲げられていた。この規模のものになると、個人で購入というのはまず無く、美術館や企業の応接室などと言うことになるのだろう。小さいものでも、我々には一寸手が出せない金額で、まっ、目の保養に拝見させて頂くというところ。すると数日後、別の画家から、この方も良く存じ上げている人なのだが、名古屋のデパートで仲間と合同の展覧会と言うお知らせを頂いた。そろそろそう言うシ~ズンに入ったのだな~と感じた。この方には相当以前だが、友人と二人、山奥へスケッチ旅行に出掛けたことがある。同時に三人、ほぼ同じところをスケッチしたのだが、無限に広がる目の前の景色も、プロと我々ド素人ではこうも違うものかと唖然としたことがある。有り難いことに、いろいろなご縁で、高名な日本画家と知り合いになれて、こう言う御案内を頂くわけだが、残念ながら貧乏人の私では、「~ではこの絵を頂きます・・・」と言えないのが申し訳ない。 

投稿者 zuiryo : 10:50 | コメント (0)

2021年07月15日

お中元の礼状

毎年の事ながら、連日お中元の品が届く。頂くこちらは申し訳ない気持ちで一杯である。現在ではほとんどお付き合いのない方からも忘れずにご丁寧な品を頂く。良くも私のことを忘れずに・・・。お返しに未熟者の色紙を礼状と共にお送りしているのだが、この時期の風物詩で、少し前から色紙の用意を始める。と言っても頂く相手はほぼ同じ方々からなので、返礼の色紙も毎年手を代え品を代えである。私もそうレパートリーがあるわけではないので、過去の記録を見ながら重複しないように考えながらと言うわけ。まっ、他人のことを言うのも何だが、ハガキの礼状を、副司さんにすべて代筆させて、それだけで済ませるといる方を存じ上げている。まっ、こう言うのは人それぞれだから良いの悪いのと言うつもりはないが、ご丁寧に送って下さる方の気持ちを考えると、それでは一寸失礼では・・・、と思うのだが。

投稿者 zuiryo : 16:32 | コメント (0)

2021年07月14日

棚経

今日は総代さんのお宅へ棚経に出掛けた。その家のおばあちゃんは大きな家に一人で住んで居られる。多分家事も独力でやっているようで、老いて益々お元気なのは誠にうらやましい限りなのだが、ご子息さん達はいろいろ心配して助言もしているらしい。しかし頑として聞き入れず、独力で何もかもされ、車を運転して買い物にも出掛ける。折に触れ忠告しているようだが、頑として聞き入れない。年寄りの一徹である。まっ、その気概は見上げたものなのだが、運転中に事故にでも遭ったら大変で、取り返しのつかないことになる。そう言っている私も似たようなことをやって、雲水から忠告を受けているので、人様のことを云々できないが、老いてますます気力充実は誠に結構な話なのだが、これも程度で、万一大事故にでも遭ったら取り返しのつかないことになる。私は丁度70才の誕生日に免許を返納した。これも少々勇気の要ることだったが、自ら決断できたのは、自分を褒めてやりたいくらいだ。

投稿者 zuiryo : 13:48 | コメント (0)

2021年07月13日

水陸会(すいりくえ)

10日から恒例の水陸会が晩開板後始まった。私や雲水や信者さん方の各家先祖代々供養のお経である。毎日門前の棚橋夫妻がお参りにやって来る。例年この短時間のお経でも、大汗かくのだが、今年は涼しくて楽ちん。僧堂は毎年決まった行事を決まった時期に繰りかえすので、定点観測じゃないが、その年その年の暑さ加減がよく解る。同時に自分の老化もよく解る。さてその老化だが、何より心の老化が一番堪える。身体の老化は年相応で、日々徐々にやって来るので、それなりの自覚があるのだが、心の老化は自覚症状のないまま、ある日突然気がついて愕然とする。私の今が調度それで、そのガックリ度はズシンと堪える。まっ、誰でもそういう時期を迎えて、やがて死んでゆくのだが、目の前に突きつけられると、たじろぐ。老いとはこういう風にやって来るのだと気がついた。

投稿者 zuiryo : 10:07 | コメント (0)

2021年07月05日

大汗かいて・・

7月は山内寺院の施餓鬼会が次々にあって、加担の雲水もご苦労なことである。例年のこととは言いながら、この超蒸し暑さには閉口する。私は専ら留守番役だから良いようなもの、荷担に行く雲水は、本当にご苦労さんである。こう言うのも若いから頑張れるので、ヨレヨレの私のような老人は、お払い箱だ。嘗て猛烈な蒸し暑さを、雲水時代いやっと言うほど味わった。で、今は卒業して、ステテコ一枚で部屋をうろうろして日を過ごしているわけだ。それも今日で一応終了、明日からは入れ替わって、晩開版後、一週間水陸会がある。まだまだ大汗かく行事は続く。これもすべて恒例行事である。こう言うのを繰返しながら、夏期(なつげ)は終る。

  

投稿者 zuiryo : 04:49 | コメント (0)

2021年07月04日

山内施餓鬼会

1日から順次、山内6ケ寺の施餓鬼会が始まった。毎年、酷暑の中、大汗かきながらの行事で、連日
加担の雲水もご苦労なことである。これが一応終り、山内はほっと一息つく。今日は生憎、小雨降る天気模様、湿度は更に増し、皆大汗かいていることだろう。ふっと雲水の頃を思い出した。暑い盛りに関係寺院の加担で、汗まみれになった。あれは若かったから出来たことで、今この年になると、とてもじゃないが、やれないな~と思う。当時の辛かったことは何年経っても覚えているものである。こういう風に昔を懐かしむようになると、反面、だんだん寿命も尽きてきたな~と思う。お寺は年間のスケジュ~ルがほぼ決まっているので、普通の人より一層、寿命の尽きて来る実感がある。蝋燭の灯の、徐々に灯り終りを感ずる。少々寂しい話になったが、まだこういうことを書いているうちは良い方で、その内生きていることすら解らなくなって人間は死んでゆくのだろうな~。

投稿者 zuiryo : 11:18 | コメント (0)