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2017年09月29日

オペラ、タンフォイザー

昨夜はお昼頃こちらを出発してNHKフォールへオペラ、タンフォイザーを聞きに知人ご夫妻と出かけた。終わったのが午後8時ころ、帰ったのが11時ころになってしまった。もうへとへと。不規則に食べなれない食事をしたので胸がむかむかして、絶不調、音楽を楽しむのも命懸けだな〜!何事もどこかで相当犠牲を払わないと良い思いもできないということ。最近分かってきたのだが、オペラも演出家によって相当違うものである。勿論一番は出演者だが、舞台装置なども全然違う。途中両袖から白布をかぶせた死体が運ばれ、これが延々と繰り返される。最後は死体は消えて、骨粉?になるという場面があったが、あれはいったい何なんだ!こっちがアホということなのだろうが、今なお皆目理解不能。オペラとは実に難しい!これを読んだ方で理由が解かったらぜひお教えいただきたい。

投稿者 zuiryo : 10:37 | コメント (0)

2017年09月26日

パソコン

今やパソコンは万人使用のアイテムである。ところがこの便利品も一つ間違うとこんな厄介なものはない。表示が出ても何言ってるのか全く分からない。腹を立てて滅茶苦茶やるとますます機械は怒って、こうなったらもうお手上げである。そういう時はいつも山内の和尚さんに来てもらう。すると摩訶不思議、ぴたっと解決する。私にはこういう強力な助っ人が居るから良いようなもの、もし居なかったら、ムカッときて、窓からぶん投げてやりたくなる。とかく便利なものほど一端ヘソ曲げるとこんな厄介なものはない。今日も右下に表示が出てきたからうっかりクリックした。そうしたらなん十分も勝手に機械が動き出した。すぐ出かける用事があったので1時間半後戻ってみると、画面がピンク色になっていた。ななっんなんだ!早速助っ人に来てもらい無事解決した。

投稿者 zuiryo : 12:40 | コメント (0)

2017年09月23日

整体治療

老人になると誰でもあっちこっち調子が悪くなる。私の場合は腰と膝と肩である。近くに中国鍼で大変良く効く先生が居るので時折り出掛けて治療して貰う。知人はわざわざ電車に乗って遠方まで出掛けて、所謂整体治療をして貰うと大変良いと言う方がおられる。まあそれぞれ自分にあった治療法を工夫しているわけである。私の弟子で近くの寺に住職している和尚が時折やって来ては、独特の治療法で体中の張りをほどいてゆく。これが痛いのなんのって、イタッタッタッ-!と悲鳴を上げるが、弟子といえどもこのときばかりは情け容赦ない。で、結果は何となく楽になる。要するに固まった体中の筋肉の筋を、特に関節を中心にほぐすというのが彼の考え方である。小1時間たっぷり絞られるというわけ。少々痛いが好意は有り難い。

投稿者 zuiryo : 03:16 | コメント (0)

2017年09月22日

生活習慣

私の日々は起床から就寝に至るまできちんと時間表が出来ている。丁度学校の先生みたいなもので、雲水が生徒である。食事もきちんと時間が決まっていて、内容もほぼ毎日同じようなものである。これ程規則正しい生活をしているにも拘わらず、近年ジリッジリッと体重が増加、内科の先生からも、耳鼻咽喉科の先生からも、もっと体重を落としなさいと喧しく言われる。特に耳鼻科で三年ほど前、無呼吸症と診断され、睡眠時に圧力を掛けて強制的に空気を送り込む機械を装着している。もう慣れてきて習慣になってきたが、煩わしいと言ったらない。この無呼吸症は体重と密接に関係しているそうで、太っている人は殆ど無呼吸症患者と言っても良いそうだ。だから体重さえ落とせばこの煩わしい機械は不要になるわけである。この機械を一式拝借しているので、これには保険が適用されている。ゆえに毎月一回は診察に出掛けなければならず、二年に一回は一晩入院して、体中にセンサーを付けて、無呼吸状態がどの程度なのかを調べて貰わなければならない。これを車験という。一年ほど前この車検を受けたが、未だ装着要在りで、今日に至るまでこの煩わしさが続いているというわけ。これ程まで同じ事の繰り返しであるにも拘わらず何故体重だけが増えて行くのか、これ一重に老化によって新陳代謝が悪くなってきたからである。

投稿者 zuiryo : 04:51 | コメント (0)

2017年09月21日

庭木の剪定

9月早々から、一斉に境内の剪定作業が始まった。勿論出入りの庭師さんが何人も来てやってくれるのだが、雲水はその後片付けと、生け垣の角刈りをやる。ところが今年はやたら雨の日が多い上に、植木職人さん方も老齢化が進み、予定が随分遅れてきた。そこで雲水でも出来ることは職人さんに代わってぱちぱちハサミを振るった。まあ専門家ではないので少々難点在りだが、そんなことは言ってられない。お陰でグット作業が進み目途が付きほっと一息ついた。まあこう言うことも雲水の勉強で、専門の職人さんに教えて貰いながら剪定をすれば、寺に帰ったとき早速役立つ。しかし慣れない作業の上、梯子に登って不安定な姿勢でやる仕事だから皆ヘトヘトになった。今日は把針灸治で終日休息、ほっと一息である。

投稿者 zuiryo : 04:43 | コメント (0)

2017年09月20日

腰ひも

日頃から着物が日常着の者にとって腰紐は必要不可欠である。まず帯の下に腰紐できちっと縛って置かないと前がずれてくる。作業ひとつするにも、たすき掛けでないと袖が邪魔になる。特に雑巾がけや台所で洗い物などの水仕事のとき、また時々墨蹟を書くときなどもたすき掛け、全て腰ヒモが要る。というわけでこれ程必要なものはないのだが、腰ヒモなどは商品としては余り儲からない。デパートの呉服売り場や法衣店には有るのかも知れないが。箪笥の一番上の戸棚を空けたら白い腰紐が山ほど出てきた。1本1本きちんと畳んで糸で括り付けてある。あるわあるわ!山ほど出てきた。十数年前、まだ母が元気な頃は、春秋二回やって来ては箪笥を全てひっくり返して、夏物・冬物と、綻びを繕い洗濯して、次の季節に困らないよう入れ替えてくれた。その合間にせっせと腰ヒモも作っていたのだろう。「母ちゃん有り難うね」と、内仏に祀ってある母の位牌にお礼をした。

投稿者 zuiryo : 03:11 | コメント (0)

2017年09月19日

アーメン

これはロシアの有名な小話。ある男が旅先で宿の近くを散策していた。と、いきなり大きなクマに出会した。一目散に逃げると熊も追いかけてきた。無我夢中で走って、気がついたらそこは崖っぷち、転落したら命はない。固まったまま迫り来るクマを見て、思わず天に向かって祈った。天にまします我等が父よ、この恐ろしい獣に敬虔なキリスト教徒の魂を授けたまえ!アーメン。言い終わらないうちにクマがドテッと跪き、両前足を胸の辺りに合わせ、何やら呻き始めた。「天にまします我等が父よ・・・」あれれ空耳かな、ひょっとしてお祈りのポーズだったりして。てことは神さまは自分の声を聞き届けて下さったってこと。男が思わず心の中でガッツポーズをしている間も、熊の祈りは続いた。「・・・美味しい朝食を恵んで下さいまして有り難うございます。アーメン」

投稿者 zuiryo : 10:40 | コメント (0)

2017年09月18日

つくつく法師

つくつく法師が庭でしきりに鳴き始めた。初秋恒例の声で、これを聞くと、まだ相変わらず暑くとも、秋〜ッと思う。確かに朝夕は大分涼しくなってきた。本当は17日〜18日と、木曽の御嶽3合目「新滝」へ、恒例の滝行に行くつもりだった。しかしこの台風で、取りやめとなった。結果論だが、17日午後はまだ木曽方面はさほど台風の影響もなく、翌日18日は既に東北方面へ通り抜けていたので、二回とも滝に打たれることは出来た。何とも残念無念である。20数年ずっと毎年の行事として続けてきたのが、ついに途切れた。にっくき台風の野郎め!うちの寺も少しきつい風が吹いて、外廊下が汚れたが、全く被害はなく一安心である。さて午前中いつもお世話になっているお医者さんが名誉ある表彰を受けられその祝賀会があった。会場ではかねてから知り合いの方々に沢山お目に掛かり、話が弾んだ。特に先生のご家族の方々にお目に掛かれ良かった。また日頃直接お世話になっている看護婦さんが、正装で見違えるような姿、これにはビックリポン!矢張り女性は衣装でこうも変わるものかと改めて驚かされた。

投稿者 zuiryo : 09:57 | コメント (0)

2017年09月14日

我れ思うゆえに我在り

デカルトの言葉である。自分の存在を立証することは不可能である。しかし、自分が考えるそのことだけは否定できない。だから私は存在しているのだ。しかしこういう言い方も出来る。神秘さや不思議さに目を見張る感性を持ちうることが、この世界の有り様を指し示すのだ。自然の細部に宿る美しさに目を見張ることが、世界の実存性を立証している。この美醜の感覚が科学者としての人間を支えている。ゆえに、遺伝子組み換え技術を安易に作物や動物に応用することは美しいとは思えない。操作的介入は生命のバランスを乱し損なうことはあっても、それを改善したり、人間の都合に合わせて改変することは容易なのことではない。生命は文字通りダイナミックに平衡を求め続けて変化している。

投稿者 zuiryo : 16:36 | コメント (0)

2017年09月12日

センス・オブ・ワンダー

神秘、不思議に目を見張る感性のことである。自然に対する驚き、畏敬の念、美しさに打たれること、好奇心、このシンプルな驚きこそ、生命と私との関係を知る原点である。自然の精妙さに目を見張ること、美しさに打たれること、この世界が我々の思考を越えたところに実在していることを確認する感覚。それゆえ遺伝子組み換え技術を安易に作物や動物に応用することは大いに疑問である。生命のバランスを乱し損なう。人間の都合に合わせて改変することは容易なことではない。生命はダイナミックな平衡を求め続け変化ているのだから。押されれば押し返す、干渉を受ければ抵抗する、沈めようとすれば浮かび上がろうとする。一時生命を人間の都合に合わせて改変できたように見えるかも知れないが、時間が経過すると、その改変の効果は消え去り、かえって大きなリベンジとして出現するかも知れない。動的平衡としての生命は、ダイナミックな平衡を求め続けて変化しているのだから。

投稿者 zuiryo : 20:42 | コメント (0)

2017年09月11日

干支の絵

毎年年末に檀信徒や日頃お世話になっている方々にお礼の意味を込めてその年の干支の動物を描き賛を入れて差し上げている。早やぼつぼつ来年のイヌの絵を試し描き始めた。親子のと1匹のと2種類である。そのうち1匹のはいくら描いても、どうもタヌキになってしまう。よく絵は描く人に似ると言うが、私はタヌキ顔なのかしら。もうちょっと何とかならないかと描けば描くほどますますタヌキになる。これってどういうことなのだろうか?さらに描いていくうちに、ポイントは目にあるのではないかと気付いた。そこで今度は目を中心にイヌっぽく少し墨色を濃いめにやってみると、あ〜ら不思議、タヌキがイヌになった。目は口ほどにものを言いと言うが、確かにその通りである。これを専門家の画家に手を加えて頂き完成である。

投稿者 zuiryo : 17:27 | コメント (0)

2017年09月09日

心太(トコロテン)

毎年暑さ厳しい夏シーズンに入ると必ず心太を食べる。海藻で身体にも良いと言うこともあるが、冷たくした心太をつるつるとすすると、なつ〜っ!という感じで、子供の頃を思いだし懐かしさで一杯になる。ところで心太は不思議に1本箸で食べる。子供の頃から不思議に思って、こんなんじゃ〜食べにく〜い!と言うと、母から、心太は昔からこうして食べるの!と叱られた。どうしてかはいろいろな〜箸の節約・口に入る分量が適度〜等々あるらしいが、理由はさて置き、あの透明感と程良い酸味が、いかにも夏に相応しい。一時期、心太を製造している会社の人と友人に成り、お値打ちに分けて頂いたので、段ボール箱で買っていた。その後会社が製造を止めてしまい、私の心太病も治ったかに見えた。しかし一度付いた癖は治らないもので、最近は四季を通じて食べるようになってしまったと言うわけだ。

投稿者 zuiryo : 07:09 | コメント (0)

2017年09月08日

モネの池

岐阜市内から約一時間ほど山奥に入った集落に通称「モネの池」があって、一大観光地になっている。今や日本国中からマイカーや大型バスがドドット押し寄せ大盛況である。わざわざ外国からも訪れるという。先日、これ程評判なら一度は見てみようと出掛けた。ウイークデーにも関わらず、沢山のマイカー、大型観光バスが数珠つなぎ状態、まずこれに驚かされた。小さな池で、時季外れで睡蓮の花はちらほらと言うところだが、山から流れ出る水の透明感、悠々と泳ぐ大きな鯉、神社の参道脇の池で、まあ、モネの睡蓮を連想させると言うほどでもないが、感じは出ている。折角ここまでやって来て帰るのも勿体ないので、そこから更に山奥へ30分ほど行ったところにある川浦(かおれ)渓谷へも行ってみた。鬱蒼とした新緑に覆われ約百メーター程の下を清流、こっちは予想通りなかなかのものだった。以前友人3人でこの景色を描こうと勇んで出掛けたことがある。目もくらむほど下を流れる清流と断崖絶壁を苦心惨憺して描いた。描き終わって見ると、どう見ても華厳滝のように上から下に流れ落ちているのだ。谷底の清流が縦長の滝になってしまった。どうしてこうなっちゃうんだろうね〜?と3人で顔を傾げて諦めて帰ってきたことがある。そんなことをふっと想いだし、懐かしくなった。

投稿者 zuiryo : 04:50 | コメント (0)

2017年09月06日

記憶のメカニズム

記憶とは恰も磁気テープに記録されたモノのように存在するのではなく、例えば五年前にこんなことがあった、十年前にあんなことがあったと想い出すことがあるが、それは日記なり記念品があるから、それを手がかりに過去の順番をかろうじて跡づけられるので、十年前のことが五年前のことより、より遠い昔のことだと実感することはできない。つまり時間経過の順に物事を記憶しているのではなく、過去をおぼろげながらにしか想起できないのだ。此処に記憶の正体がある。人間の記憶とは想起した瞬間に作り出されている何ものかなのである。つまり過去とは現在のことであり、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるにすぎない。ビビットなものがあるとすれば、それは過去がビビットなのではなく、たった今、ビビットな感覚の中にいるということである。私達が鮮烈に覚えている若い頃の記憶とは、何度も想起した記憶のことで、あなたが何度もそれを思いだし、その都度いとおしみ、同時に改変してきた何かのことなのである。

投稿者 zuiryo : 16:34 | コメント (0)

2017年09月03日

赤とんぼ

このところ急に朝晩は秋めいてきて、庫裏の前の駐車場に沢山の赤とんぼが舞い始めた。毎年の決まった現象で、これを境にグット涼しくなる。このトンボどこからやって来るのか知らないが、キッチリ時期を違へず、ほぼ日中ぐるぐる回って飛び続け、やがて夕方になると何処かへ行く。するとまた翌日別働隊?の赤とんぼがやって来て終日ぐるぐる舞って夕方どこへともなく居なくなる。頼みもしないのに、律儀にやって来て秋到来を告げてくれる。或る学者の説によると、御在所岳に同様な現象があるそうで、ほぼ行き先も解っているという。これとうちの駐車場にやって来る赤とんぼが同じかどうか解らないが、まとまって編隊を組んで遠方に移動するほうが、敵に遭遇したとき生き延びる確率がアップすると言うことがあるのかも知れない。そう言う生物学的理由はともかく、赤とんぼが舞う姿は、秋〜!である。

投稿者 zuiryo : 04:43 | コメント (0)

2017年09月02日

隠遁

このところ朝は少し涼しくなってきたが、日中の暑さは相変わらずである。9月に入って始まった境内樹木の剪定、勿論作業は植木屋さんが数人来てやるのだが、その後片付けが専ら雲水の役目で、暑いのなんのって、堪ったものではない。こう暑い日が続くと、煩わしい世俗のことは一層煩わしさが増すように感ぜられる。そんな時、ふっと一人山の中に籠もって,遁世したいな〜と思うことがある。今日の新聞に,鴨長明の隠遁生活の様子が書いてあった。場所は京都市伏見区の山の中腹に、長明が建てたとされる場所に「方丈石」がある。斜面は急峻で足下は不安定。もう勘弁してよと思う頃、漸く巨大な石が現れた。沢の音だけが響き、その地に立つと,長明の本気を感じる。都会の濁りに嫌気がさしての遁世とはいえ、都への恋しさも募ったことだろう。世に従えば身苦し、従わねば狂せるに似たり、という都会暮らしを逃れれば,自分の手足のみを召し使いとする生活ができた。そこには精神的自由があったのだろう。とまあこう書いてあったが、別に私の日常で特別煩わしくて堪らないと言うこともなし、殆ど今が出家遁世のようなものである。庭の茂みで盛んにホ〜シンツクが鳴いている。ぼつぼつ秋だな〜!


投稿者 zuiryo : 09:47 | コメント (0)