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2008年11月30日

儒教

今日は儒教のお話。儒教といえば開祖は孔子様。論語の中に、「子曰く怪力乱神を語らず」とある。つまり超常現象の類は扱わぬということ。儒教の基調は先祖崇拝である。「死者の魂は生きていてご先祖様として我々を見守って呉れている。」普段は虚空に浮遊していて、位牌を置くとそこを依代(よりしろ)として臨時に宿る。お位牌は仏教の習慣と思っている人が多いが、仏教には本来位牌を用いる習慣はなかった。これは仏教が伝搬する間に儒教的なものが合体して今日に至っているからである。また礼を重んじ徳を重んじる。例えば親が死んだら政府高官に就いていてもまずその職を辞し、故郷に帰って質素な生活をして3年間喪に服す。将軍として他国で戦っている最中でも職場放棄して故国に戻り親のためにすることが正しいのである。またこういうことがある。例えばタイタニック号に家族で乗っていた場合、船が沈み出したとき救命ボートには後一人しか乗れない。おじいさん・おばあさん・お父さん・お母さん・子供、この場合、我々だったら子供には将来があると考え子供を乗せると思うが、儒教ではおじいさんを乗せるのが正しい。姥捨て山でも、「なぜ捨てるのだ」「食料がないから」間違いなく、「じゃ子供を捨てろ」となる。まだまだ儒教についてはいろいろあるが、本日はこの辺で・・・。

投稿者 zuiryo : 11:09 | コメント (0)

2008年11月29日

神道(しんとう)

最近、神道の本を読んだ。神さんのことは日常生活に密着していることだから、改めて調べる必要もないと思いがちだが、どっこいそうでもない。だいたい神とは何か?すら解っていない。江戸時代の本居宣長は「神とは何ににまれ世の尋常(つね)ならずすぐれたる特(こと)のありてかしこきもの」と言っている。要するに、普通では見られない極めて勝れた特質を持ったもの、つまり他に抜きんでたものということである。これは人間ばかりではなく自然物でも同様である。神道で最も特徴的なのは穢れを嫌うことである。だから神社へ行ってお参りをするときにはまず最初にお祓いをする。語弊を頭の上でガサガサッとやって貰うあれである。これによって禊ぎをする。もう一つ重要な考え方は、和を以て尊しとなすである。物事は競争すると必ず敗者ができる。敗者からは怨念が生まれる。日本は中国から律令制度など行政システムを取り入れたが、科挙は輸入しなかった。これもそういう理由によるといわれている。日本のプロ野球に引き分けがあるのも、同じ理由なのかも知れない。日本人はあなたの宗教はと問われると、無宗教ですと答える人が多い。そういう人でも、実は神道という日本独自の信仰を持っているのである。・・・というわけで今日は少々お堅い話で終わり。

投稿者 zuiryo : 09:52 | コメント (0)

2008年11月27日

デカルト時間

座禅をして無念無想の状態に入る、と一般的には言われるが、こんなことはない。「坐禅して去年の借りを思い出し」で、却って普段忘れていたようなことまで、いろいろと頭の中を巡るものである。これでは坐禅にならないではないかと、必死に思うまいと思えば思うほど、ますます思うものなのだ。ある仏教学者が、「20年、毎朝45分間坐禅を組み続けてきたが、一度も無念無想の境地には至らなかった。ある時ふと、デカルトの『我思う故に我あり』という言葉を思い出し、「これで良いんだ!」と確信し、爾来、坐禅中を『デカルト時間』と呼ぶことにしたら、肩の力がすっと抜けて、気持ちよく坐禅が組めるようになった。」と言っていた。これは名言である。人間の心はころころと、一時も休むことなく動くものである。遠慮なく腹を据えて思い切ればいいのだ。

投稿者 zuiryo : 21:40 | コメント (0)

2008年11月26日

大心忌

先住の大心老師は、16年前の12月26日に亡くなられた。毎年、近くに居る大心老師会下の和尚連中が集まって、祥月忌法要を行っている。但し12月では年末何かと忙しいので、1ケ月繰り上げて、今日がその日である。何年経っても師の恩を忘れずに、こうして毎年やって来て呉れるのは有り難いことだ。いつか私が死んで後、私の下で修行した弟子どもが、この様にはるばる集まって来て呉れるだろうかとふと考えた。来ない!
24日は恒例の大根鉢、早朝より岐阜市郊外の農村地帯へ出かけ、どっさり頂いてきた。ちょうど同じ日に、輪島の総持寺でも大根鉢だったそうで、その様子がしきりにテレビで報じられていた。1週間ほど天日干しして、沢庵漬けにする。漬け物には不向きなぶっといのは、ざっくり輪切りにして、炊いて食べる。普段はおかずなどない僧堂の食事では、この時期の大根の味は何年経っても忘れられない。また薄くスライスして塩をざっと振り掛け、鷹の爪も微塵にして振り掛け、軽く石を乗せ、翌日には食べ始める大根の浅漬け、これも忘れられない味だ。一斉に横に並んで、競争で大根をスライスした。包丁のトントンと賑やかな音が静かな僧堂に響き渡って、「あ〜今年もいよいよ年末だな〜。」としみじみ思ったものである。

投稿者 zuiryo : 17:06 | コメント (0)

2008年11月25日

パソコン故障

6年使ってガタが来たので最近新しく買い換えた。画面も大きく映像も鮮明で、申し分なし。喜んでいたのも束の間、インターネットやメールが不通となり、本日専門家に来てもらい修理完了、こういう機械ものは、一端故障すると我々には手がつけられない。今日ほどエキスパートの有り難さを感じたことはない。1時間半かかって直ったところで、早速ブログを書き出したというわけである。ところで先日こんなことがあった。毎朝午前4時半に愛犬ハチ君を散歩に連れて行くのだが、さすがこの時間帯は市内の大通りも車はまばら、それを良いことにしてほとんど信号は無視、自由自在に歩き回っている。先日その調子で向こう側に渡ろうとすると車が来たので、ハチを押し止めていると、車の方が止まってくれた。手を挙げて渡りきるとその車、にわかにUターン、ハチの側で急停車、窓を開けて「可愛いっすね!」と若者二人、ハチの可愛らしさがこんな突っ張った若者にまでひしひしと伝わったのかと思うと、私の個人的感じだけではなく、普遍性を持っているのだと証明された感じがして、思わず嬉しくなった。

投稿者 zuiryo : 11:31 | コメント (0)

2008年11月19日

備えあれば憂いなし

毎年干支の色紙を書いているのだが、字の方は何とかなっても、肝心な絵が全く駄目。いつも苦心惨憺、その割には出来は良くない。来年の牛も目下苦労の最中。今日は大垣で、虎の絵では有名な「翠石展」を見に行った。再来年の干支が虎だからである。早や再来年の心配をしているのである。いや〜、迫力のあると言ったらない。これは上手すぎてとても参考にはならなかったが、常に努力を惜しまない精神だけが取り柄というところ。ところで今朝は急激に冷え込み、4度、手がかじかんだ。日中も8度で寒暖計がぴたりと止まったままである。その代わり隠寮の庭の紅葉が真っ赤に染まって、誠に綺麗だ。毎年のことながら一人で眺めて楽しんでいる。午後日曜大工店へ出かけ、いろいろ小道具類を買い込み、早速トンカンと大工仕事をした。よ〜く見ると、寺の中も結構使い勝手の悪いところが何カ所もあって、気になり出すとやたら気になる。そこで修理と相成ったわけ。私の父親は大変器用な人で、日曜大工で家を建ててしまったほど。どこかそういう血を引いているのかも知れない。棚を作ったり取っ手を直したりしながら、ふと親父のことを思い出した。

投稿者 zuiryo : 20:02 | コメント (1)

2008年11月16日

ご無沙汰しました

11月に入って直ぐに一週間の入制大接心、その後達磨忌があったり、郷里へ両親の法事で出かけたり、昨日は知人の会社の催しへ出かけたり、正月用の干支の色紙書きを始めたり、あっという間に半月が経過した。さらに新しいパソコンを購入したため、近所の和尚の協力で、2日間かかってようやく立ち上げることができた。そこで、久しぶりにブログを書いたと言うわけである。フアンからはやんやの催促で、こっちの多忙も知らないで・・・と思ったが、しかし始めだしたことだから、続けてゆくのも義務、これから真面目に書きますのでご寛恕のほど。ところで知人の会社だが、そこの会長さんはとてもユニークな考えを持っている方で、会社は公器、社員は家族、地域への貢献、若い芸術家を育て、「人間村」を作り、定期的にシンポジウムを開催している。工場の周囲の広大な土地には、石の彫刻作品が展示され、あたかも森の美術館である。これらはすべて社員のためのもので、その考え方の深さには、驚くばかりであった。

投稿者 zuiryo : 21:28 | コメント (0)