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2011年12月30日

1年を回顧

今年も後1日を残すのみになった。3,11の大津波、原発事故で始まり、超円高、タイの洪水被害で車の生産はダブルパンチ、ざっと思い出してもろくな事はなかった。物事は一つ蹴躓くと次々に負のスパイラルに陥り憂鬱な日々であった。こう言うときには何かぱっとしたことでもないかと思っていたら、なでしこジャパンのワールドカップ優勝、日本国中沈んでいたときだけに、一層嬉しさも倍加された。コーナーキックからのボールを澤選手がゴールへ蹴りこんだあれは、当に奇跡であった。私は朝の勤行を終わって、テレビを付けた瞬間にこの場面を目の当たりにして、夢かと思ったほどだ。その後何度もこの場面は放映されたが、何度見ても興奮する。逆境の真っ直中でも諦めず粘り強く頑張れば必ず夢は実現できるということを証明してくれた気がする。さて私個人としては古希と修行を始めて50年、師家30年で語呂合わせじゃないが,七五三になるので信者さんに勧められて三ツ節茶会と祝宴を催した。またここ十数年間書きためていたものを本にしたりで節目になる年だった。これからは又気分一新して頑張ろうと思っている。気持ちは清新なのだが、それに比べて体力は衰えるばかりで、我ながら情けなくなる。しかしこんなことで負けてはいられない。新しい年に向けて益々精彩を付けて頑張りたいと思っている。

投稿者 zuiryo : 16:01 | コメント (0)

2011年12月26日

初雪

昨日から今朝にかけて本格的雪になった。積雪は数センチで、午後からは晴れ上がったため殆ど溶けた。しかし前日隠寮の庭の楓やドウダンを竿で振るい落とし綺麗に掃いた後がこの雪で全てパーになった。掃く前より汚れた位で、あの掃除は何だったのかとガックリ来た。まっ、こんな事ぐらいでめげていては駄目なので、汚れたら掃き汚れたら掃きの繰り返しである。とは言うものの、雪のやつめ!クソ!早朝より洞戸村まで清水を汲みに行ってきた。市内より小1時間山間部に入ったところなのでさすが雪が多く、除雪車が出て盛んに動き回っていた。お陰でこっちは楽々通ることが出来たのだが、山の北側は雪がこちこちに固まっていて、横滑りをして冷や冷やさせられた。こんな状況でも清水を汲みに出かける者は変人だから、人っ子一人おらず、待たずに短時間で汲み終わりすぐに帰ることが出来た。例年ならこの時期は居室の大掃除で、終日本棚の整理・雑巾がけ・網戸洗い等々、コマネズミのように動き回るのだが、今年は全くやる気が起こらぬ。なぜなら2,3ヶ月前から、腰、膝がギシギシきしむようになって、とてもじゃないがやってられないのだ。情けないったらありゃ〜しない。毎朝の廊下雑巾がけも、途中で息が上がってハアハアゼイゼイ、頭がボ〜ッとして目がクラクラ、このていたらくには、我ながら情けない。その点雲水を見ていると羨ましくなる。手早いったらない、見てる間にすいすいと片付け、後もケロッとしている。昔は自分もああだったのかな〜と思い、老化をひしひしと感じた。ところで話は変わるが、昼抜きダイエットを始めて1ケ月と11日経過したが、初っぱなこそあっという間に2,5キロ減量できたものの、最近は却って肥り始めるという珍現象。聞くところに依るとこれは「相撲部屋」と言って、お相撲さんは早朝猛烈に稽古をして、空きっ腹にドドッと飯を腹一杯食い、すぐに寝る。1日2食で過ごすのが一番肥れるのだそうだ。だから私のやってる方法は肥りたい人のやり方だと言うのである。ほんまかいな〜!グラッ!ときた。

投稿者 zuiryo : 15:51 | コメント (0)

2011年12月22日

無事円成

15日から始まった恒例の臘八大接心もお陰様で今朝午前4時無事円成した。空はどんより今にも雪が降ってきそうな気配だが、心は晴天。2時間ほど朝寝をして疲れも取れた。先日もある方からあなたにとって幸福感とは何ですかと問われたが、まさにこれです。「あたりまえの奇跡」と、どなたかが言っていた。百丈禅師も「如何なるか奇特の事?」と問われ、「ここにどん坐ってることだ!」と言った。ごく当たり前の日常こそ素晴らしいのだと言うことである。しかしこれに気づくためには「苦痛」を尊ばなければならない。苦しいことから逃げ回ることしか考えないような者にはとうてい味わえない。まっ、そんなこ難しいことは脇に置いて、今夜は一年一度の無礼講、「冬至灯夜」である。臘八円成と一陽来復を祝って飲めや歌えの大騒ぎをやる。この夜ばかりは上下の隔てを取っ払って、和気藹々楽しい夜なのである。この差の激しいことと言ったらない。今朝までは禅堂でめった打ちにあっていたのに、夜は皆で肩組んで高吟放歌である。この切り替えがすらすら出来ないようなやつは修行者ではない。私も長らく僧堂で厄介になったから、灯夜の想い出は数々ある。月日が経って当時の連中は古希を過ぎ、頭ももうろくして、身体はあっちが痛いこっちが悪いと言うようになってしまった。普通なら孫でも抱っこして好々爺と言うところなのだろうが、こっちはそれどころじゃない。血の気の多い雲水相手に馬鹿だちょんだと小言幸兵衛の日々である。因果な稼業だなあと思う。唯一良いところと言えば、自分にぶら下がっている者が何もないというこの身軽さである。このすっきり感は何にも代え難い。

投稿者 zuiryo : 11:17 | コメント (0)

2011年12月14日

明日から臘八

臘八(ろうはつ)は大抵12月1日からなのだが、どういう訳かうちは15日からである。地球温暖化故か、12月初旬は結構ぽかぽか陽気で、これでは臘八も台無しだから、この15日からと言うのはなかなか良い。不思議に12月中頃は寒くなる。修行にはこの寒さがご馳走である。寒さを堪えるため思わず歯を食いしばるから、中頃から歯が浮いてきて困ったことを思い出す。午後8時のご開鉢の茶がゆの旨いことといったらない。手がかじかんで箸がうまく掴めないので、しばらくお椀の暖かみで手のしびれを取ってから食べ始める。舌がやけどしそうなほど熱い茶粥を一口呑み込むと、五臓六腑が沸き立つように温かくなる。極楽とはこのことかと思う。先日あなたにとって幸福とは何ですかと尋ねられた。「臘八の茶がゆ!」と答えた。よく言われることだが、仲良しの二人がいて、ある時一方がオートバイを買って歩いている自分を追い越した。自分自身の条件は全く変わらないのに途端に不幸になる。そこで何くそ!と、もう一方が車を買った。すると今度はオートバイの方が不幸になる。こんなことの繰り返しでは、本当の幸せはいつまで経ってもやってこない。「足るを知る」と言うことなのだが、これは言うほど簡単なことではない。昔インドの快楽主義者がたどり着いた究極の快楽は、苦しむことだったと言う。一見矛盾した話のようだが、苦しみの極みの一歩先に、幸せが潜んでいるのである。これは体験した者なら誰でも解る。苦楽は紙の裏表なのである。

投稿者 zuiryo : 18:56 | コメント (0)

2011年12月08日

未練がましい紅葉

今年は異常なほどの暖かさが続いたため、ドウダンも楓も紅葉が遅れに遅れて、未だに真っ盛りの状態である。例年ならドウダンはとっくに葉が落ち、楓も殆ど散っている頃で、しがみついている枯れ葉を箒ではたき落としながら、庭掃除をする時期である。うちでは臘八大接心が15日から1週間のため、その前に出来るだけ庭掃きを済ませておき、後の残りは臘八後にやって新年を迎えると言うのがパターンなのである。これではだいぶ予定が狂って、年末掃除が思いやられる。一般の方は美しい紅葉を愛で楽しまれるわけだが、こちらはそんな暢気なことを言ってられない。ぱっと紅葉してぱっと散って欲しいのだ。いつまでも未練がましく枝にしがみついて赤くなった葉っぱを見ていると、「さっさと落ちんかい!」と言いたくなる。今日は朝から植木屋さんが松の雪つりをやっている。これも結構時間のかかるもので、出来上がったのを眺めて、「美しいな〜!」と言うのは簡単だが、時間も費用も馬鹿にならない。ソテツの菰掛けと共に、夕方ようやく終わった。これらは雪国の風情で、実際には雪なしという冬もあるのだが、なかなか良いものである。しかし何と一年の早いことか。ついこの間師走で気ぜわしいな〜などと言っていたら、もう同じ事を言う時期になってしまった。毎年知人から沢山のお歳暮を頂く。有り難いことで、申し訳ない次第だが、お礼状が結構大変。例年一人でこの作業を毎晩繰り返していたら腱鞘炎になってしまった。そこで今年から工夫して、だいたい送ってこられる人は決まっているので、雲水に手伝って貰い一気に梱包して発送した。いや〜らくちん!新方式は見事にあたった。しかしこれも先にこちらから送ってしまうと、何だかお歳暮を催促しているみたいで、不味いかな〜などと思案しているところである。

投稿者 zuiryo : 15:24 | コメント (0)

2011年12月03日

七五三

11月は七五三シーズンで、近くの神社でも、特に休日とも成ると朝からひっきりなしに親子連れの七五三祝いで溢れかえっている。参道には露天が並び、まるでお祭り騒ぎである。だからこのシーズンは神社近くは通行しないように工夫が要るほどだ。近年この七五三詣りがやたら多くなってきたように思われる。私は戦中生まれで、該当年齢の頃は戦後の混乱期だったから、七五三祝いの沙汰ではない。毎日食って行くだけでもやっとこさであった。だから今のように両親とお爺ちゃんお婆ちゃんなど、一家揃って着飾って記念写真を撮っている姿を見ると、こちらまで幸せな気分になる。当時七五三の祝をして貰えなかったからではないが、昨年或る親しい人と話していたら、それって七五三になりませんかと言われ、いかがでしょう、この際七五三の茶事と祝宴をやりましょうと云われ、やることになった。古希・出家50年・師家30年、以上で七五三となる。やるとなると特に茶事は一年前から計画しなければならないそうで、昨年11月第一回の打合会を持った。爾来何度も会合を重ね、道具組みには試行錯誤を繰り返し、結局今年の10月頃ようやく固まった。本格的茶事を催すというのはこんなにも大変なことなのかと云うことを知った。会場は七五三祝なら神社に限ると云うことで、親しい宮司さんにお願いし、立派な茶室を拝借し、祝宴も参集殿でおこなった。普段から親しくお付き合いさせて頂いている知人や坐禅会の方々を中心に約80名ほどお集まり頂き、和気藹々楽しい会を催すことが出来た。30年前鎌倉から転住したときは誰一人知った人はおらず、文字通り孤立無縁だった。それが30年経って、親しくして下さる人たちがこんなにも沢山出来て、お忙しい中遠路お出で下さったのは有り難い限りである。偶然重なったのだが、「あとみよそわか」、と言う題名の本も完成したので、お出で頂いた方々に差し上げることが出来た。平生脚光を浴びることのない私にとっては唯一晴れがましい席で、みんなからお祝の言葉を掛けて頂くと、何だかふあふあした気分になった。茶席ではお点前は弟子で山内の副住和尚が代わって点ててくれたので、私は脇に座って亭主役をやった。道具類についてはあらかじめレクチャーを受けていたので、お陰で恥をかかずに済んだ。すべてが大盛会で無事円成できたのは、もっとも親しくご支援を頂いたO氏のお陰で、幾たび頭を下げても下げ足りないほどのご厚情を頂いた。私にとってこんな幸せなことはなかった。

投稿者 zuiryo : 11:59 | コメント (0)