« 2014年08月 | メイン | 2014年10月 »

2014年09月29日

松食い虫

参道両側に松が林立し、開山塔所や境内も沢山松が植えられている。ところが、去年から今年にかけて次々に松食い虫にやられ始めた。1本切り二本切り、まるで歯が欠けたようで、誠に見苦しいことになった。植木屋の親方は最新の良い薬が出ましたのでと言うのでやってみたが、枯れ木は止まらない。今までよく保ってきたという見方もできるので、自然に任せるより仕方がないと思っている。数年前に枯れた後に暫く置いて小さな松の苗を二本植えたのが、今では結構立派に育って元気よく茂っている。いまのは全部枯れて仕舞うだろうが、また若木を植えれば再生する。禅寺は臨齊禅師栽松の話(一つには山門のために境致となし、二つには後人のために標榜となす・・・)の因縁から、どこの寺でも植えられる。暑い夏も寒い冬も変わらず緑を保ち続ける姿が、禅の心そのものだからである。まっ、禅僧も時に弱気になって枯れそうになるときもあるので、これもまた真実を写しているのかも知れない。

投稿者 zuiryo : 20:08 | コメント (0)

2014年09月27日

御嶽山大噴火

この夏休みの最後30日の土曜日に、親戚の者と4人で御嶽山に登山したことは既にブログに書いたとおりだが、あの同じ山がこんなになるとはびっくり仰天。御嶽山は二十数年前から、8月制間になると雲水引き連れて毎年登山していた山なので、他の山より親近感があり、人ごととは思えぬ。少し登り始めると森林限界になり、はえ松が広がり、遙か山頂が望める。また振り返ると乗鞍が聳え立ち、裾野まで雄大な姿が見える。今回は老化のためにヘロヘロになったが、50代の頃は、俺についてこい!てなもんで、いやいや登る雲水の尻を叩いて「弾丸登山」をした。二十数年前滝行を始めた頃、宿の主人に聞くと、それより数年前、御嶽山の火山性地震で、崖崩れや道路はまるで絨毯の端を持って上下に揺らすように波打ったそうだ。道路沿いに林立する御嶽教の信者さん達の供養塔はバタバタと倒れ、その被害は大変なものだったそうだ。何年か滝行を続けていた頃、夜中にまるで巨大な大砲が轟くような音がしてガタガタ揺れたことがあった。翌朝、宿の人に聞くと、御嶽山の地中のマグマが動くためだと言っていた。地元の人は珍しくもないらしく平然としていたが、大丈夫かしらと思ったものである。宿の周辺の鬱蒼とした山には、大昔の大噴火で飛んできた巨大な岩がゴロゴロしていた。やはり活火山は侮れないものだ。今回も何人か亡くなられた方がいるようだが、ついこの間登った山なので一層身近に感じたニュースであった。

投稿者 zuiryo : 20:24 | コメント (0)

2014年09月25日

子供は神の子

最近罪科のない子供を殺したり、我が子を虐待したりという、悲しいことがよく報ぜられ胸が痛む。明治以前日本では子供は自分たちの住む世界とは別の世界、神様の領域に生きていると考えていた。だからどんなに貧しい生活をしていても我が子も、町内の子も隔てなく、地域全体で護り大切に育てたのである。それは自分たち人間世界の欲や穢れを持たない聖域に生きているものと考えたからである。そういう日本人の姿を見て、明治時代初期にやって来た外国人は驚いたという記録が残っている。ヨーロッパでは子供を単なる安い労働力と考え酷使していたからである。それがどうだろう、いたいけな幼児を無惨に殺すなど狂気の沙汰である。幼児虐待も同様で、子供を自分の持ち物のように考え、どうしようが自分の勝手だと言わんばかりである。これは単に罪科のない子供を殺めたと言うだけではなく、神仏に対する冒涜以外の何物でもないと言うことなのだ。日本人が長い歴史の中で育んできた天地自然を神と感じ仏と崇めてきた良き大和魂が失われたということであり、その意味で、心の奥底まで寒々としてくる、空しく悲しいことだと思うのである。

投稿者 zuiryo : 04:36 | コメント (0)

2014年09月23日

2メートルの壁

久しぶりにノラクロの話。台所の軒先にクロ専用のキャットフード入れと水を置いてある。境内で私の姿を見るとにゃ〜ごとなきながら後ろに付いてくる。引き出しを開けると、そばまで来て覗いている。ペットボトルに小分けして入れてあるのをガシャガシャやりながら餌入れに行くと先回りして待っている。クロ!と呼ぶと、ニャ〜ゴと答える。直ぐ近くまでやって来るのだが、決して体に触らせない。これだけ信頼関係が構築できているのに、元野良の性は染みついていて、人間を決して信頼しないのだ。ただし朝暗がりの時だけお尻を向けて近くまで来るので、背中を撫でてやると嬉しそうにする。この辺が理解できない。それなら昼間でも近くに来れば撫でてやるのに。日中は2メートルの壁があって、そこまで来てコロコロひっくり返って伸びきった格好しているので、側によって行くと、やはり逃げてしまう。超えることのできないクロとの2メートルの壁である。

投稿者 zuiryo : 21:27 | コメント (0)

2014年09月19日

スマホ依存症

たまに電車に乗って驚くことは、乗客の7,8割は座っいても立っていても、乗ってくるや否や直ぐにスマホの画面に指を滑らせている。私はスマホを持っていないので、何をしているのか知らないが、一車両の中、同じ事をしている姿を側から眺めると、一種異様に感じる。街中でも歩きながらこれをやっている。こりゃ病気だ!スマホも使いようによっては便利のようで、外国へ行ってもワイファイを利用して、日本国内にいると同様のやり取りができ、しかも無料というのだから、どういう仕組みになっているのか不思議に思う。こんなことに驚いているようでは相当時代遅れだそうである。ある心理学者に聞くと、スマホ依存症という病気があるそうだ。自転車に乗りながら、車を運転しながら、と言うのを見かけると、当にその通りと思う。便利なものほど使いようによっては病気になり、便利にもなると言うことだろうか。ある学者さんと話していたら、その方は江戸時代の文書や尺牘を研究されているのだが、流れるような美しい筆跡を辿っていくと、何百年前の人の思いがひしひしと伝わってくるそうだ。これは活字やパソコン文字では絶対に伝わらない。日本にはこういう高い文化があるのだから、その良さを理解する人を育てていかなければならないと言っておられた。

投稿者 zuiryo : 15:53 | コメント (0)

スマホ依存症

たまに電車に乗って驚くことは、乗客の7,8割は座っいても立っていても、乗ってくるや否や直ぐにスマホの画面に指を滑らせている。私はスマホを持っていないので、何をしているのか知らないが、一車両の中、同じ事をしている姿を側から眺めると、一種異様に感じる。街中でも歩きながらこれをやっている。こりゃ病気だ!スマホも使いようによっては便利のようで、外国へ行ってもワイファイを利用して、日本国内にいると同様のやり取りができ、しかも無料というのだから、どういう仕組みになっているのか不思議に思う。こんなことに驚いているようでは相当時代遅れだそうである。ある心理学者に聞くと、スマホ依存症という病気があるそうだ。自転車に乗りながら、車を運転しながら、と言うのを見かけると、当にその通りと思う。便利なものほど使いようによっては病気になり、便利にもなると言うことだろうか。ある学者さんと話していたら、その方は江戸時代の文書や尺牘を研究されているのだが、流れるような美しい筆跡を辿っていくと、何百年前の人の思いがひしひしと伝わってくるそうだ。これは活字やパソコン文字では絶対に伝わらない。日本にはこういう高い文化があるのだから、その良さを理解する人を育てていかなければならないと言っておられた。

投稿者 zuiryo : 15:53 | コメント (0)

2014年09月16日

エイジシュート祝賀会

私はゴルフをやらないので、初めてエイジシュートという言葉を聞いた。自分の年齢以内でコースを一巡することだそうで、大変親しくさせて頂いている82歳の老人が82打で回り、ついに夢のエイジシュートを達成した。クラブハウスに戻ると、まず働いているスタッフにお祝のしるしに心付けをしたそうで、何とも費用の掛かることである。そんなけちくさいことを言ってるようではゴルフなどやってられないらしい。それだけでは済まされない。友人知人が祝賀会を計画し、今月下旬に市内の料亭で盛大にやることになった。何とゴルフ音痴の私が、その発起人をさせられる羽目になった。まっ、目出度いことだからこういうお役目も有り難いことで、記念品に何か一筆書いて表具して差し上げることになった。ゴルフは前半後半と分けてやるものだそうで、前半が終わったところでスコアを見ると41だったという。フッと良いスコアだな〜と思ったそうだが、お昼を食べて後半を廻るころは、すっかり忘れて目の前の一打に集中したという。全て回り終わってスコアを見ると何と41、アレレッ!エイジシュートだ!何事も欲をかくと心は途端に乱れる。「無心」が一番である。そこで墨跡は「無作妙用」を贈ることにした。

投稿者 zuiryo : 11:10 | コメント (0)

2014年09月14日

滝行復活

13日・14日二日間、恒例の木曽御岳滝行に出掛けた。三年前、滝行二十年を機に、一応けりを付けて、もっぱら見守り隊に徹していた。ところが8月親戚の者に滝行を体験してみたいと言われ、私も一緒に三年ぶりに滝の直下に入った。勿論初心者だから一緒に滝を浴びながら指導と言うわけである。まっ、何とか無事に終わってほっと安堵した。しかしそのとき忘れかけていた滝の醍醐味を図らずも思い出すことになり、一端卒業した滝行を復活した。初日午後3時半から一回、翌日午前8時半から二回目、特に朝の滝行は水も一段と冷たく、しばらくは頭の芯から冷え切って、この先どうなることかと心配したが、2,3分もすると体の芯からエネルギーが湧いてきて温かになった。そこで一番激しく落ちる個所に入って充分楽しむことが出来た。出てから一緒に行った連中に、私は卒業撤回、傘寿までやり抜くと宣言した。本当にそこまで出来るか自信はないが、そういう気力が湧き出てきたことは間違いない。世の中にこんな気分の良いところは他にない。

投稿者 zuiryo : 19:53 | コメント (0)

2014年09月10日

ひこにゃん

この間、彦根城を見物に行くとい人があったので、「ひこにゃん」を買ってきてと頼んだ。日本中ゆるキャラブームで、岐阜でも何とかという愛称のゆるキャラがあるが、到底このひこにゃんには及ばぬ。今や全国津々浦々何百とゆるキャラがあるが、「くまもん」と並んで双璧である。当地柳ヶ瀬でも「やなな」と言う段ボールで作った、凡そ可愛くないのがあったが、忽ち消えた。これは町おこしの工夫に、何処かで繫がっている。凡そセンスのないゆるキャラしか出来ないようなところは、街おこしもセンスがないと言うことである。過日、市の歴史博物館で弊寺の僧堂創建隠山禅師二百年諱展が催されたので見に行ってきた。ここは岐阜公園の一画にあり、見終わって外に出て、鬱蒼とした木々の緑、公園の背後に聳える金華山、頂上に岐阜城、朱色の三重の塔、壮大な眺めは圧巻である。この景色が一番の見所なのに、大金をはたいて変な建物を建ててどうするの!この景色を堪能できて、やって来た人が芝生の上で寝転んだり弁当食べたり、子供がはしゃぎ回れるスペースを作れば、岐阜市民の憩いの場になる。長良川河畔もそのままで最高のロケーションなのだから、鵜飼いミュージアムなど作らずに、芝生の公園と木立にすれば、どんなに良いか知れない。やたら建物を作りたがるのはどういうことかと思う。

投稿者 zuiryo : 17:41 | コメント (0)

2014年09月08日

植木屋の若い衆

9月に入ると毎年植木職人が剪定に入る。まだ暑い盛りだから炎天下ご苦労様である。枝が切り落とされるこぐちから雲水が待ち構えていて、大きなビニール製のゴミ入れに回収し、裏山に担ぎ上げる。以前は焼却炉で燃やしていたのだが、近年それが禁止され、仕方なくこうしている。尤も葉っぱは枯れればそのまま山の肥料になるので、以前のように燃やして灰にするよりは良いとも言える。しかしその労力が大抵ではない。今日たまたま道具庫の裏を覗いたらえらく格好いい自転車が置いてある。聞くと植木職人の若い衆のものだそうだ。自転車ロードレース用みたいで、また鍵が恐ろしくごっついのに驚かされた。20センチくらいの鉄がいくつも鎖状に繫がっているもので、絶対盗まれてなるものか!と言う強い意思が込められているようで、思わず笑った。毎年9月中頃の連休中、仲間と木曽の大滝村へ滝行に出掛ける。その時必ず大滝村主催の御岳山中を走り抜ける過酷なロードレース開催と重なる。同じ民宿に全国から集まったレーサーの若者と泊まる。宿の庭先にはそれぞれ自慢の自転車が並んで、明日のレースに備えしきりに手入れをしている。その自転車、高価なもので、値段を聞いてびっくりしたことがある。植木職人の若い衆も、なけなしの金をはたいて買った高価な自転車である。そりゃ〜この大仰な鍵を見れば自ずから納得である。 

投稿者 zuiryo : 16:20 | コメント (0)

2014年09月07日

お盆のお経

今年は何だか8月やたら忙しく、ついに郷里へお盆の墓参りに出掛けることが出来なかった。ようやく6日から一泊で出掛けることが出来た。ところが雨ばかり降って小寒く、傘を差してのお墓参りになった。お経の冊子を持参して全員一緒に詠んで貰った。子供達はお経は初めてのようで、読み癖が合わず多少調子が狂ったが、それでも良い供養になった。お仏壇の前では木魚の頭がすっ飛んで、ポクポクが突如、カチカチとなり、こっちも、クスッとなったが、皆で声を合わせてお経を詠むのはいいものである。ところで近頃気になるのは、やたら物忘れが酷くなったことである。年中捜し物をしている有様、あれどこへいったのかな〜、ばっかり。いつだったか自分の脳のスキャン画像を見たら、頭蓋骨の周辺に隙間が出来ているので、すわ!脳萎縮かと叫んだら、「まっ、年相応ですね」と言われた。ニンテンドー脳を鍛えるで日々訓練したこともあるが、そのうち面倒くさくなって止めてしまった。私は死ぬまで一人っきりで生きなくてはならないのだから、覚悟を決めて脳が衰えないように頑張ろう。

投稿者 zuiryo : 20:14 | コメント (0)

2014年09月02日

御岳登山と滝行

この間親戚の者が二人の息子を連れてやって来た。早朝午前5時出立、8時半、途中のサービスエリアで持参のオニギリで朝食。田の原登り口に午前9時に到着、辺りは霧が掛かってまるで雲の中、颯爽と登り始めた。歩き始めはまあまあだったが、1時間もしないうちに、私の足はもつれ息はハアハア、ついには岩にしがみついて四つん這いで歩く有様、遅れに遅れて、半分上ったところで2時間も掛かってしまった。ついに登頂は断念、私だけそこから下山した。まあ情けないことと言ったらありゃしない。下山に1時間半、車に戻って服を着替え、昼食にオニギリ・パン・チョコレートなどもりもり食って休む。親戚の者達はその後「弾丸登山」で剣が峰、御岳神社で頼んでおいたお札を頂き、何と2時間で戻ってきた。そこから30分下ったところの「新滝」で滝行。最近の雨続きのため猛烈な水量、普段の5倍くらいある。これでは素人には無理かな〜と心配になったが、折角来たのだから決行。まず道着に着替え、塩で体を清め、心経を唱え、いざ滝の直下へ突撃。傍から見ていただけでも恐ろしいほどのところへ、猛烈な水しぶき、爆風、寒さで膝がガクガク、一人一人後ろから腰を支えて、ほどほどの水量の所で浴びた。これを二,三回繰り返し、最後に真打ちの私が一番水量の多いところで本当の滝行を見せた。そこで一句、「新滝のしぶき輝くぎゃくぼたる」。

投稿者 zuiryo : 10:26 | コメント (0)