2025年05月09日
連日無為
こんな表題は少し恥ずかしいのだが、しかしこの無為を楽しんでいる。私が仕えた師匠はお二人とも、毎日人に接していないといたたまれないという風だった。これが何とも理解しがたく、不思議に感じていた。人くらい煩わしいものは無いと思う、孤独大好き人間。日々その孤独をギシギシ噛み締めて楽しんでいる。居室の机の前の窓から、向いの山の鬱蒼とした緑を飽きずに眺めている。こう言う時が私は一番好きだ。
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2025年05月07日
無為
僧堂行事も無く、半夏大接心も1週間後、日々ゆったり過ごしている。私は生来怠け者だから、何も無ければ終日ボ~ッとして、机に向かっている。向いの山の鬱蒼とした緑が風にユラユラ揺れている。窓越しにそれを飽きずに眺めている。夕日にキラキラ輝いている。静まりかえっている。無為、これが私の日常である。こう言う時が私は一番好きだ。側らに愛猫のタマちゃんが丸くなって寝ている。
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2025年05月05日
あっと言う間に・・
5月になっても、ノ~ビリの日々は変わらず、むしろ近頃はそれに拍車が掛かってきた。まっ、これは私の生来の気質なのだ。持って生れたものは、なかなか変われない。別に変わらなくともこれで僧堂に何も不都合は起こらないので、これからも一生これで行こうと思っている。個人的なことはさて置き、月日は百代の家客にして行き交う人もまた旅人なりで、あっと言う間に早や5月、新緑の季節を迎えた。未熟者も何と今年83歳、瑞龍寺にやって来て43年になる。この間、大病もせずお役目を果たしてこられたのは一重に神仏のご加護と山内和尚さん方、会下和尚のお陰である。有り難いことと何時も感謝している。これからもこの感謝を忘れずに頑張って行こうと思っている。
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2025年05月04日
話題、何も無し
カレンダ~では昨日から4連休中、しかし僧堂では連休など関係ないので、何時もの通りで、何も変わること無し。ところで最近特に、殆ど何もせず、ボ~ッと過ごすことが多くなった。これは偏に老化による。間もなく83歳。トホッ!僧堂はほぼ毎日することが決まっていて、刺激ゼロ。緊張感無し。まっ、幸せと言えばこんな幸せなことは無い。何時も有り難いと感謝している。この単調で無刺激な日々に絶えかねて、特に用もないのに、そこら中、出掛けまくっていた変な人が嘗て居たが、ああは成りたくないと思い、居室に引き籠もっている。まっ、人それぞれっつうことである。私は小さい頃から勉強が大好きで、学校から帰ると机にしがみついていたから、いつも母から、ハイ!何処かへ遊びに行ってらっしゃい!と言われていた。三つ子の魂百までと言うが、本当にそうだ。
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2025年04月26日
終日無為
毎度得意の終日無為、居室の窓から向いの山の鬱蒼と茂る木々をジ~ッと飽きずに眺めている。時折吹く風にユラユラ揺れて、午後の日差しにキラキラ輝いている。この何の変哲も無い一時が、私は一番好きだ。嘗て、矢鱈側に人が居ないといたたまれないっつう変な人が居たが、全く理解できない。人間くらい煩わしい者は無いでは無いか!ユラユラ揺れる木立の茂みを飽きずに眺め続けている。孤独大好き人間なのだ。机の前に以前飼っていた愛犬ハチの写真がある。いつまで眺めていても懐かしさが込み上げてくる。