2010年09月04日

水泳

夏と言えば水泳である。私は生まれたところが比較的海に近いところだったので、泳ぎは得意のはずだが、それがまるで金槌。小さい頃ガキ大将に連れられて川にも泳ぎに行ったが遂に犬かきで終わった。そうこうしているうちに雲水修行がずっと続いたから大人になっても結局水泳は駄目。10数年前、友人に誘われてプールに通うようになった。ある時、何とかごまかしの平泳ぎでぷかぷかやっていたら、60過ぎと思われるご婦人が私の横をクロールでかっこよく泳いでいった。ムラムラと私の闘争心に火がついた。こんな女に負けてなるものか!それからというものインストラクターに教えを請い、先ず基本の「蹴伸び」を繰り替えしやって、次は「面被りキック」、次はビート板を使って「キック」の練習、てな具合でしゃかりきになって練習に練習を重ねた。遂に1ケ月後、何とクロールで泳げるようになったのだ。先ずは五百メートル、次には八百メートル、遂に1キロを泳げるようになった。爾来夏は水泳を楽しんでいる。その後も友人で綺麗に泳ぐ人の泳法を盗見て、初期の頃より大分私のクロールも旨くなった。運動は何でもそうだが、やっているときは結構しんどいが、後が誠に気持ち良い。心地よい疲労感というか、裏山歩きも同様だが、大汗掻いた後というのは体がスッキリする。知人で減量のために運動をしている人が居るが、これは駄目。運動したって減量は出来ない。腹が減るからかえって沢山食べて太るのだ。日中37度という酷暑だが、こう言うときこそどっと汗を掻くとスキッとする。

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2010年09月03日

スイカ

今年の夏の暑さは格別、9月に入ってもその勢いが続いて、まるで今年の阪神タイガースみたいだ。岐阜では連日35度、明日は38度と予報されている。8月末、夏風邪を引いて酷い下痢、トイレに入ったり出たり、更に尾籠な話しで恐縮だが、トイレに駆け込むのが間に合わず、パンツにまで染み出して、今度は洗濯が大忙し。熱も少々出て、氷枕で24時間冷やしっぱなし。食欲は全然無し、2日間ろくな物は食えなかった。お陰で体重が激減、一気に1,5キロも減った。まっ、これは大歓迎で大いに喜んだが、食べる楽しみがなくなるという事ほど悲しいことはない。ともかくとんだ目にあった。しかし昨日頃より元気復活、飯ももりもり食べられるようになって一安心である。ところで夏の果物と言えば王様はスイカである。毎年、神奈川県の三浦半島の和尚が大きなスイカを2ケ送ってきてくれる。雲水共々美味しく頂いたが、それっきりで、全くスイカを食べる機会がない。この酷暑、妙にスイカが食べたくなってきた。意地の汚い話しだが、食べたいと思いだしたら無性に食べたくなって、待っていてもくれる気配はないので、遂に堪らずスーパーに買いに出掛けた。ところが梨やブドウ、ミカンなどは堆く積んであるが、スイカのスの字もない。な〜るほど、もうスイカのシーズンはとっくに終わっているのだ。いつもの年はこうも食べたいとは思わないのだが、やはりこの暑さの為せるわざと感じた次第。どうも食い物の話しばかりで具合が悪いが、私は特にグルメではない。口に入るものなら何でも良いというタイプだが、友人で大変舌の肥えた人が居る。特に蕎麦にはやかましく、同じ店でもちょっとでも味が落ちると、「ここはもう駄目だ!」、と言っては新しい店を探してくる。言われればそうかな〜と思う程度で、格別変わったとも思わないが、一応話しを合わせて、「うっ!これは旨い!」などと適当なことを言う。その程度の舌しか持っていない。戦後食い盛りの頃、ガツガツしていたからどうもその後遺症がいまでも残っていて、何でも腹さえ膨れればいいやと言うのが本音である。犬は飼い主に似ると言うが、ハチが全くこの通りなのである。

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2010年08月27日

つくばい

植木の剪定もだいぶはかどり隠寮の庭は全て終わって、禅堂・本堂あたりに差し掛かった。そこで今日は隠寮の庭にあるつくばい三つを綺麗に洗った。磨き砂で中をごしごし擦ってピッカピカ、水を調節して完了である。大汗掻いたが気持ちいいものだ。私が洗っているとメジロやムクドリやセキレイ、ジョウビタキ等が周辺の小枝にちょんちょん飛びながら、今や遅しと待機している。洗い終わると待ってましたとばかり、入れ替わり立ち替わり水浴びをする。小鳥も汚れたつくばいより綺麗なのが良いらしく、嬉しそうだ。嘗ては市内に小川が幾つも流れていて、それが小鳥たちの格好な水浴び場だったが、今は殆ど暗渠となり、上は道路になってしまった。こうなると水を飲むところさえない。この暑さだから小鳥たちも堪ったものではない。そこでお寺のつくばいは命の泉になったのである。以前、公園を通りかかったら、野良猫が噴水型の蛇口に吸い付いていたことがあった。猫も水を飲めるところがなくなったのだ。今回の剪定はつくばいの上に覆い被さるようなドウダンを丸刈り方式でやったため、つくばいに蓋を被せたようになって、小鳥が側にも寄りつけなくなった。そこでもう一度やり直して貰い、枝を半分ぐらいに空かしたところ、ドドッと水浴びに集まりだした。特にメジロなどの小型の鳥は団体でやって来て、ドウダンの枝に2,3羽がとまって周囲を警戒しながら、入れ替わり立ち替わり水浴びをするので、見通しよくしてやっておかなければならないのである。どうですこの気配り。私はいつも小鳥のお風呂当番をしているみたいだが、まっ、これも楽しいものである。

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2010年08月26日

ハチ

愛犬ハチのことではない。蜂の話し。私は部屋からの出入りは、通常は小玄関からだが、ちょくちょく隠寮の庭先の靴脱ぎ石からも出入りする。庭の隅に数段の石段があって庫裡の裏手に出て、典座の横を通り表に出る。この隅の石段の山側は高さ1メートルほどの石積みがしてある。ある時、この石の隙間に蜂が頻りに出入りする年と全く出入りしない年がある事に気が付いた。爾来何か因果関係があるのかずっと考えていたのだが、その内解ったことは、蜂が石垣の中に巣を作る年は必ず颱風がやってくると言うことだった。作らないときは、多分、山の中の木にでも作っているに違いない。つまり颱風がやってきたら山の中ではとても保たないから、相当前から察知して、石垣へと移動するのである。しかし1,2ケ月も前にその判断をするわけだから、どうして颱風がやがてやってくるかということが蜂に解るのか、全く不思議なことである。動物の本能なのだろうか?その後この蜂の予報は外れたことはない。で、今年だが、石垣から出入りしていないので岐阜地方には颱風はやってこない。これが蜂のご託宣である。この蜂、大きさはスズメ蜂ほどだが、体が少々黒く、人を刺すような気配はない。だから毎日側を通っても平気なのである。ところで一方のスズメ蜂だが、油断をしていると軒先にあっという間に巨大な巣を作ってしまう。以前は市役所に頼むと係の人が夜やって来て除去してくれ、然も無料だった。ところが近年財政難のためか、市役所に連絡すると専門業者を紹介してくれるだけで、後は全てこっち持ち。サイズにも依るのか知れないが、一抱えほどの大きさのもので2万円也。数分で取り除いてくれるのだが、それにしてもなかなか良い値段である。これに懲りて巣を作り出したら目敏く見つけて、雲水が竹竿ではたき落とすことにしている。巣は小さくとも何匹かは蜂が居るので多少危険だが、2万円には換えられない。この方式で以後は何とか出費を防いでいる。私が雲水の頃、僧堂の本堂の真正面軒下に巨大なスズメ蜂の巣が出来てしまい、沢山の蜂がうなりを上げて飛び交い、下を通るのも危険になってきた。大きな本堂だったから軒下と言っても相当な高さ、長い竹を繋いで巣に届く竿を作った。4,5人掛かりで巨大に成長した巣をはたき落とそうとしたが、丈夫でちょっとやそっとではびくともしない。いきなり巣の真ん中にぶすっと刺し引っかき回した。途端に何十匹というスズメ蜂が竿を伝って急降下、手にぶすぶすと刺した。竿を保っていた者は堪ったものではない。イテテテテッ!と悲鳴を上げ、竿を投げ出し逃げ回った。回りで様子を見ていた我々まで蜂に追い掛けられ、頭を抱えて逃げまどった。治療法は小便が良いと言われ、みんなで小便器に手を突っ込んだ。臭いだとか汚いなどと言ってられない、治療薬など何も用意していないのだから。今時の雲水にそんな危険なことをさせたら、何を言われるか解らない。当時はその程度の危険はごく当たり前で、兎も角自分の身は自分で守るというのが原則で、誰も助けては呉れなかった。今から思えば懐かしい思い出である。

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2010年08月25日

豆腐

うちの門前には市内で一番美味しい豆腐と評判の店がある。夫婦二人きりで間口1間ほどの小さな店だがひっきりなしに客が来る。わざわざ車で遠くからも買いに来る。先代のご主人は気骨のある方で、お寺とも土地の関係でいろいろ行き来もあったり、夕方豆腐や揚げなど余ると僧堂の雲水さんへといつも持ってきて下さったりで、親しくさせて頂いていた。今はその息子さんが後を立派に引き継いで奥さんと二人で頑張っておられる。僧堂へのご厚情も先代さん同様引き継がれ、また私とほぼ同年齢と言うこともあって、以前に増して交流が深まった。豆腐は実に簡単な製法で、ちょっと見には誰でも出来そうに思えるが、こういう単純なものほど奥行きが深く難しいものである。昔、知り合いの料理屋さんで大変繁盛していた方が、更に商売繁盛を考え、新たに豆腐料理屋を始めることになった。そこで数千万円もの投資をして豆腐製造装置を買い、試作を始めた。ところが幾らやっても旨い豆腐が出来ない。その失敗作を捨てるのも勿体ないと何十丁も僧堂に呉れた。度重なるうちに食い物なら何でも口に入れる雲水ですら、もう結構ですと音を上げたことがある。結局最後まで旨い豆腐は出来ず、その話しはパ〜になった。豆腐を見くびっていたのである。何事も端から見ているのと実際にやってみるのとは雲泥の差があるのだ。さて門前の豆腐屋さん、相変わらず繁盛し続けているのだが、後継者難、立派な息子さんが二人もいるのだが、それぞれサラリーマンとして安定した生活を送っているので、毎日午前3時に起きて、冬、身を切るような冷たい水仕事をするのは相当抵抗があるらしい。大体奥さん方が承知しない、ごもっともな話ではある。しかしこれだけ有名になった豆腐屋さんでもあり、幾ら日本人の食生活が変わっても、これからも豆腐は愛し続けられると思うので、何とかならぬものかと、他人事ながら心配している。

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