2023年06月08日
頭、クルクルパ~!
毎度、この表題で、書いてる私も嫌になる。が、しかしその通りなのだから、他に書きようはない。人間80にも成ればこんなもんだ。日常は雲水とは大分離れた場所で生活しているので、少しは救われるが。しかし此処で一番の問題は、自分ではちっとも、頭がパ~ッとは思っていないことである。すこぶる普通と思っている。尤もそれをきちっと自覚したら、とてもじゃないが人間やってられない。大らかに考えれば、誰でも通る道と言えるので、テヤンデ~ッ!!と、ケツ捲って生きている。まっ、こう言っちゃ~お仕舞いだが、この自覚がまだあるうちは良いかな~っとも思っている。クドクド、どうでも良いことを書いているが、これが全て、典型的老化現象なのである。しかしやがて進行して行くと、周りの雲水は酷い迷惑を被ることになるわけで、何とかしなければと思う。思うが何とも成らない。トホッホッ!人間こう言う迷惑は順送りで、今始まった話ではないのだから、私も迷惑掛けて死んで行くか!
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2023年06月07日
年寄りの愚痴
年寄りの愚痴なんか、誰でも聞くのも嫌であろう。でも自然に出ちゃう。故に年寄りは嫌われる。しかし解っちゃいるけど止められないのだ。つまりこれが老化なのである。今もパソコンがわけ分からなくなって、若い衆に来て貰い、使えるようにして貰った。こう言う衰えは誰にでもあることで、周囲の若い衆には,、年寄りはこんなもんだ!と諦めて貰うより仕方がない。人間誰だって老いればいろいろ不具合が出てくる。故に,悪いな~っ!なんて、これっぽっちも思わないことにしている。年寄りの厚かましさにふんぞり返っている。私も早や、81才になった。少し前ならとっくに墓場の下である。それが今なお地上に居るわけだから、それだけでも有り難いと思わなくっちゃ。日常は離れで独居老人だが、お~い!ちょっと来てくれ~っ!と言えば飛んで来てくれる。世間ならまだ働けるんだがな~っ、と思っても、ハイ!ご苦労様でした!で,クビだが、我々のところは、限りなく,骨董品の世界に近いので、あっちこっち、欠け落ちている方が珍重されるのだ。私なんかその点刑みたいなもの。
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2023年06月05日
日々老化との戦い
と言うことは、ドンパチ,弾丸飛びかう、戦場とは言わないまでも、老化との戦いという点では、似たようなものである。一寸でも気を許そうものなら、たちまちパ~ッになって、一巻の終わりとなる。当に老化と戦う、命がけの戦場であり、崖っぷちに佇んで、時々覗き込んではぞっとしている。これは同年齢の方々なら誰でも実感しているのではないかと思う。もしそうではないという方が居られたら、羨ましい限りで、拍手喝采したい。どれだけ医学が発達しても、良い治療法も、対策もない。後は自然の流れに身を任せ、パ~ッ!になって行くだけである。自分でこんな事を書いていて、自分で落ち込んでいる。始末が悪いのだ。「・・・私の頭がパ~ッになったら、斯く斯く然々、対応するように、・・・」と遺言状を書き残こそうと思っている。
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2023年06月03日
下手っぴ~の絵
机の前の壁に、十数年前の超下手っぴ~な,私のスケッチが飾ってある。もしこれが他人の絵なら、もうとっくに処分である。毎日嫌でも眺めることになるのだが、自分が描いた絵となると、話は別で、下手っぴ~な絵なのに、仕舞おうとは思わない。旨い下手の話ではないのだ。田んぼの畦の真ん中に坐って,心地よい風に身を任せ、果てしなく広がる田畑と山の峰々、のんびり絵を描いていた記憶が甦ってきて、無性に懐かしいのだ。だから眺めているだけで満足なのである。人生は・・少々オ~バ~だが、その時何を思っていたのかが、同時に甦ってくるから一層心に迫るのだ。
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2023年05月29日
円照忌、無事円成
今日は恒例の円照毎歳忌、お陰様で無事円成し、ほっと安堵した。行事そのものは例年通りで、さして難しいことはないものの、年1回の大切な行事なので、終わると,ほっと一息つく。遠路、沢山の会下が出頭してくれた。有り難いことだ。いろいろ気を遣い、終わると緩んで、思わずウトウトである。我が身の老化を思い知らされる。話は変るが,愛猫「タマ」ちゃん、益々元気一杯で、部屋中を走り回っている。かと思えば、小屋の中で丸まって寝ている。その寝姿が、いかにも幸せそうである。保健所の広報で,いつまでも貰い手がなく、添え書きの(おしっこポタポタ)が禍して、他の可愛い猫ちゃんは広報から消えてゆくのに、タマちゃんはズ~ッと・・・。で、こう言うネコちゃんこそ飼ってやらなければと言う義侠心がフツフツと燃え,我が家にやって来た。僧堂でも、入門当初はスカタン野郎も、暫くするとまともになってゆくのをみているから、ネコちゃんもその通りだと思っていると言うわけ。