2021年06月12日

タマのお墓

ついさっき墓石屋さんへ行って、タマのお墓を注文してきた。白にねずみ色模様だったので、そういう感じの石にした。クロ・タマと相次いで死んで、急に寂しくなった。ネコは何にも言わないが、顔の表情や態度で心の内を表現する。是で結構コミュニケーションをとることが出来る。この二匹は,元々野良で、だんだん飼い猫的に馴染んできたのだ。わずか10年足らずだったが、いろいろ思い出して、胸が締め付けられるような気持ちになった。隠寮の広い庭を自分のテリトリ~にして、タマは上が平らな庭石の上に乗って、変なやつが侵入してこないようにいつも見張り番をしていた。そもそもお前さんこそ、どこからともなくやって来た元野良ネコじゃ~ないか!と言ってやるのだが、フ~ン!と言う顔をしていた。クロ・タマと相次いで死んで、急に寂しくなった。

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2021年06月11日

タマ、死す

ついこの間、クロが死んで,しょんぼりしていたのに,今度は後を追うように夕方、タマが息を引き取った。ここ1週間くらい前から急に弱り、仏間南側の木立の影で、終日じ~とうずくまっていた。夕方部屋に運んでやると、布団の上ですやすや寝ていたのだが、ついに今夜、静かに息を引き取った。クロもタマも,それぞれ思い出の多い二匹だった。何だか急に体の力が抜けて、ぼんやりしてしまった。この二匹とも,元は野良なのだが、不思議な因縁で、10年以上部屋で飼っていた。人間の心が分かるようなネコだった。木立に覆われ、静かな環境で、のびのびと暮らしていたのに・・・。心の底が冷え冷えとしてくるような気持ちになった。

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2021年06月10日

墨跡

本当に久しぶりにある信者さんから頼まれて墨蹟を書くことになった。あまりにも久しぶりなので、筆は何処かへ仕舞い込み、探しまくって漸く出て来たような始末。取り敢えず墨をすらなくっちゃ、てな具合で、大わらわである。腕の方は如何に?と案じたが、こっちの方は昔取った杵柄で、直ぐ調子を思い出し,何とか格好がついた。矢張下手っぴ~わ否めず、まっ!こんなところで良しとするか!で妥協した。ある管長さんに伺ったことだが、ドドット,注文が錯綜してくると、毎日定時に墨蹟時間を設けて、書きまくるのだそうだ。これも重労働ですな~と、大いに同情申し上げた。こう言うのを余り苦にしない方もあるそうで、世の中いろいろだな~。もう40年前のことになるが、ある方から墨蹟を頼まれ書いたのだが,余りにも酷いので我ながら愕然とした。これじゃ~しょうがない、何とかしなくっちゃ、で、近所の書道家に弟子入りさせて貰い稽古を積むこと40年、近年、先生の老齢化で、稽古は終わり以降は自力となった。途端に書けなくなった。つまりお手本がないと自力では何も書けなくなってしまったのだ。愕然!ではあの40年間は何だったのか?つまり先生のお手本を忠実に写し取る技術が上達したに過ぎなかったのである。で、結局下手っぴ~に戻ってしまったが、まっ、これが私なのだと諦めて、今はそれで押し通すようになった。

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2021年06月06日

すべて美しい

この世のあらゆる事象は神髄において、すべて美しい。だから神髄にたどり着くには、美しいものを探せば良い。逆に言うと、美しくないものは真髄ではないのである。奇異に聞こえるかも知れないが、少なくとも自然科学では、「美」が絶対である。美しい理論・美しい定理、常に美しいものが真理への道筋なのである。それは歴史的に見ても、美しい理論や定理ほど後世にになって実用にも役立つのである。論理的に正しいと言うだけで醜い定理もあるが、そういうものは真髄を射てないので,時代とともに埋もれてゆく。つまり心理と美はほぼ同一ということになる。美しいものを目指すことが、万事において真へ達する道であり善に到達する道なのである。また一つの困難を解決したように見えても、入り組み錯綜した全体を貫く基軸がそのままである限り、一時的に旨く行くだけか、あるいは他の新しい困難が代わりに生まれるかで、結局は何も解決されない。散らかり放題の部屋の一部分をきれいにしても、短期的で元通りに戻ってしまうようなものである。二度と散らからないような仕組みにすることが根本的解決となり、美しい解決なのである。

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2021年06月05日

土屋先生

知人の画廊で土屋先生の個展が開かれると言うことで,久しぶりに来岐された。予てより先生のご両親のお墓を建てると事になっていたので、一緒に知り合いの墓石屋さんに出掛けて、大きさや石の種類なども具体的に決め、先生にも墓石屋さんにも、実際に建てる場所を見て貰った。そう言う遣り取りをしているうちに,そうだ私のお墓も作って置こうと思い、墓石屋さんとも現場で打ち合わせをした。翌日、よくよく考えて,私のお墓作りは一寸止めておこうと気が変わった。お寺の経理は古手の雲水に任せているのだが、そもそもそんなお金は何処にもないと気がついたのだ。トホッ!まっ何年先のことになるか解らないが,もう少しお金が貯まったら考えよう。知らない人なら,大きな伽藍や良く整備された境内・庭などを見ると、お金有りそ~と思うかも知れないが、財布の中身はスカスカで、超貧乏なのである。どだい、お寺で新たにお墓を建てるなどと言う事じたい、夢のまた夢なのだ。

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