2008年05月13日
尼僧堂禅学林
7年前、尼僧堂が開単されてから、一般の女性を対象に3泊4日の坐禅研修が続けられている。3月と8月を除く10ケ月催され、5月は10日〜13日まで、今回は4人参加者があった。私は講座が担当で、12日・13日午前9時から提唱に出掛けた。初期には寺庭で30数回も連続参加された人もあったり、また尼僧として本格的に修行する為の準備として参加したり、或いは純粋に禅を勉強したいという人もあり、思いは様々だが、皆一生懸命で、向学心には頭が下がる。お世話をする和尚さん方も何人か居られ、忙しい合間をぬって指導にお越し頂いている。地道な活動ではあるが、こつこつ積み上げ既に延べ人数で300人以上にも成るそうだ。午後からいつもの整体治療院へ出掛けた。近頃数日間連続して運動をやると、関節や腰のあっちこっちが痛み出す。矢張りこれは老化によるものかとお尋ねすると、そうではなく運動後の整理体操を怠っていた為だという。準備運動も大切だがそれ以上に、後のケアーがより大切で、しっかり筋を延ばし関節を柔らかくしておかないといけないと注意を受けた。皆さんも是非ご参考まで。
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2008年05月11日
達磨
久しぶりにN氏がやってきた。富山からの帰りで、明日まで岐阜に滞在すると言う。彼はここ10年来ずっと達磨の絵を描き続け、近作を見せてくれた。以前のに比べると長足の進歩で、なかなかの出来、舌を巻いた。しかし顔は完璧なのだが衣の部分に少々問題ありだったので、失礼ながらこんな風にされたら如何でしょうかと助言した。夜、知り合いの店で会食となり、日頃考えていることなど、いろいろお尋ねした。その内の一つは、般若会座禅が始まって既に22年目、その間同じ人達に向かっての話が合計三百数十話以上、さすがにこのところネタ切れとなった。どうしたらいいかと尋ねた。すると彼は、「以前話した同じ話しを又やったらいいですよ。」と言う。だいたい肝心なことは聞いてないものだと言うのだ。「古典落語と一緒で、同じ話しでも、生命が籠もっていれば、毎回新しい。マンネリには命がないが、終始一貫は惰性とは違うのだから自信を持って、同じ話しをして下さい。」と言った。彼も何万人という大きな会を束ねて、日々講演をしているので、この話しには大いに説得力があった。
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2008年05月08日
スケッチ
早朝より趣味のスケッチで、ひるがの高原へ行ってきた。この辺りは長良川の源流地で、分水嶺があり、日本海側と、太平洋側へと二またに分かれる。湿地には水芭蕉が咲き、日差しは強いもののまだ風は冷たい。見晴るかす山並みに白山が真っ白な雪をたたえ、前景の山々は漸く芽吹いたばかりで、若葉の新鮮な黄緑が目に鮮やかである。3時間で1枚描き上げ、丁度昼時になったので、次のスケッチ点を決めてから、その場でまずは昼食の弁当。ここは周囲を小高い山に囲まれている為、殆ど風も吹かず最初の地点より快適。と思ったのもつかの間、今度は午後の強い日差しがまともに当たり、暑いのなんのって、顔が真っ赤に日焼けした。又3時間かかって1枚描き、へとへとに疲れて午後5時半帰山した。早速部屋に立てかけしばらく眺めてみたが、骨を折った割りには絵の出来はイマイチ。何枚描いても一行に腕は上がらぬ。
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2008年05月07日
里親
NHK朝の連続ドラマで里親のことが取りあげられているが、今日挨拶にやって来た僧堂の後輩のD和尚も現在二人の子供の里親になっている。私は13年前、阪神大震災で孤児になった犬の里親になって、今尚元気で毎日散歩に連れていっているが、犬でもいざ飼うとなると、あっちに吹き出物・ウンチに回虫が混ざっていた、やれフエラリヤだ6種混合ワクチンだなどと、散歩以外にも結構手間が掛かるものだ。ましてや人間となると、そんなことでは済まない。養護施設に預けた親との親権の問題も絡んでくるそうで、更に問題は複雑だそうだ。当然可愛がって育てて行けば情も移ってくる訳で、ある時親が現れて、「どうもお世話になりました子供は引き取ります。」と、こう云われれば黙って渡さなければならない。それを覚悟で今だけを見つめ、子供が素直に育って立派な社会人として成長してくれれば、それで満足だという心構えは、余程大きなこころを持っていなければ出来ることではない。彼は、「子供から沢山良い思いをさせて貰って感謝しています。」と、さりげなく言った。何と深い心なのかと思い、自分を省みて恥じ入るばかりであった。
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2008年05月03日
禁不禁の間
午後、久しぶりに言誌四録の講義を拝聴に出掛けた。以降は受け売り。「世の中が天下太平になると、宴会を催し酒を酌み交わし、歌舞音曲などが大いに流行る。これは誠に愁うべきことだ、こんなことで世の中この先どうなると、厳しく取り締まれば、人々の気持ちは鬱々となり、必ず隠れて悪事をはたらくようになる。結果、却ってより一層様々な害を招く。だから上に立ち人を指導して行く者は、人情を酌み取り、上手に操縦して、中庸を旨とし、人心が余り極端に走らぬよう心掛けることが肝心である。つまり人間には好きなことで興奮し、エネルギーを発散させる場が必要だと言うこと。中でも歌を歌って気を発散させるのは、なかなか良いことで、例え低俗な歌詞で、殆ど益無しというようなものでも、カラオケで歌いまくると、それだけで気分が良くなって、内に鬱が籠もることを防ぐに大いなる効用がある。」と、以上は私の勝手な現代語訳。個人的にはカラオケ何ぞ大嫌いで、宴会が始まるやいなや、次々に自分の十八番を歌いまくり、更に人に歌うことを強要するなど愚の骨頂である。しかし、佐藤一斎先生の言に依れば、大局的な見地に立てば、これはこれでなかなか深い意味のあることだと解った。