2010年03月07日

梅祭り

近くに梅林公園があって、この季節は毎年千数百本もの白梅・紅梅が見事に咲きそろい美しい。私は特に早朝誰も居ない頃、梅の香りが充満している中を散歩するのが好きだ。以前はそれ程でもなかったが、近年は町おこしと言うこともあるのか、市や町内上げて見物客を歓迎しようと言うので、いろいろなイベントが催される。うちの寺にも是非ご協力をと頼まれ、梅祭り期間中の土曜日曜の2日間、寺を開放してお詣りして頂いている。本堂に土屋禮一さんの障壁画があるので、それを見にやって来るのである。今年はさらに厚見寺の五重の塔の芯礎の巨大な石や開山塔、開基土岐成頼・斉藤妙椿の墓なども公開して欲しいと市の博物館より依頼された。生憎昨日は朝から土砂降りの雨、今日も朝から雨で、人出もイマイチである。日曜日は市民茶会も催され、山内とうちに茶席が設けられ賑わう。この公開のために町内から沢山のボランティアが動員され、雨の中じっと佇んで監視している。これもご苦労なことで、うちの境内だけでも二十人以上がやって来る。以前はぞろぞろと人が道路に溢れんばかりに成るので、皆迷惑顔をして、早く梅の花が散って欲しいと願っていた。それが一転、大歓迎になったのだから、変われば変わるものだ。沿道には屋台が軒を連ね、ちょっとしたお祭り気分である。私は以前の対応より今の方が良いと思っている。こういう機会に少しでもお寺が協力できるのは願ってもないことである。

posted by zuiryo at : 10:17 | コメント (0)

2010年03月05日

2月はいつもの旅の仲間12人と少し長期の旅行をしてきた。私以外は殆ど夫婦で参加なので、日中見学の時は一緒だが、それ以外の時は一人で居ることが多い。そこで気が付いたことだが、意外と旅は孤独なものである。部屋に入ってテレビを付けても、英語が不得手な私では、ちんぷんかんぷんで解らない。そこで暇な時間は専ら読書と道中日記を書くことと、食事に出てくる料理を全て絵に描く事にした。こうすると結構良い暇つぶしになるのである。それから旅をして思うのは、非日常体験から得られるものである。寺での日々は時計の振り子のように毎日決まったスケジュールで、それはそれで快適なのだが、山に入って山を見ずと言うこともある。一端外に出て日常とは全く違った何日間を過ごすと、却って日常が見えてくる。丁度鏡で自分の顔を見るようなものだ。貝原益軒先生も言っているように、初めての土地で珍しい景色や歴史を学び、珍しい食べ物などを口にすると、それまでの自分の世界が新たな広がりを持ってくるように感ぜられる。こういう非日常体験は何も贅沢な旅をしなくとも、工夫さえすれば幾らでも方法はある。心地よいリズムの日々だけで良しとせず、たまには暇を見つけて大いに旅をすることをお勧めする。養生訓の中に、人生の達人とは自己が楽しむことを知る人であると書いてある。代表的なものが3つあって、第一は旅をすること、それに酒と読書だそうだ。成る程どれも楽しいことで、けだし名言である。

posted by zuiryo at : 21:12 | コメント (0)

2010年02月06日

専門道場

禅宗では住職するためには必ず一定期間専門道場に入門し、修行しなければならない。現在の僧堂の形式が出来上がったのはほぼ江戸末期で、うちでは隠山禅師が始め天澤僧堂として開単され、数年後には200年になる。現在臨済宗で全国に30数ケ僧堂あり、歴史も様々である。長い伝統に支えられ、道場として維持されてきたわけだが、近年この伝統を維持して行くことが大変困難な状況になってきた。それは入門してくる雲水の気質が変化してきたからであり、またそれは社会が変化してきたと言うことでもある。そう言う中で育ってきた子供達は、僧堂との余りのギャップにとまどい、苦しんでいるのだ。さりとて伝統の道場では、今のご時世に合わせて緩くするわけにはいかない。道場入門が大学卒業して22歳、それまでに殆ど坐禅を組んだこともなく、麦飯を食ったこともなく、早朝3時に起きたこともない。その他規則で雁字搦めになる不自由さも経験したことがないから、当に地獄へやって来たようなものだ。そこでぐっと辛抱して、慣れるまで頑張る事が出来ればしめたものだが、早くも入り口で挫折してしまう。これでは禅僧に成ることも出来なければ、将来の展望も全く開けないことになる。そこで二通りの考え方があって、そう言う者は切り捨てるというのと、他の方便を考えて救済して行ったらどうかというのがある。受け入れる道場の側も本山側も、このシステムを何とか維持して行きたいと模索し、目下頭を悩ましているのである。たとえ無事入門できたとしても、修行に対し本来の姿ではないから、ために道場内で二次的軋轢が生じ、様々な問題が出てきた。そこで、僧堂入門前までに修行の基礎的訓練をしっかり受けさせるとか、師匠方には弟子を教育して行く義務を課せるとか、議論はいろいろあるが、現状を変えるには相当困難である。しかし待ったなしで次々に問題は起こり、当事者の我々師家もどうしたらいいのか大いに悩んでいる。こういう議論になると、直ぐ現代っ子の軟弱さを非難するが、彼らもこの時代に生まれ、その中で必死に生きてきたので、単に軟弱の一言で片付けられる問題ではない。そろそろ小手先の方法ではなく、もっと大局的な議論が必要なのではないかと思っている。

posted by zuiryo at : 15:40 | コメント (0)

2010年02月03日

追儺

今年も2月3日、節分がやってきた。立春だというのに、午前中一時小雪が舞った。冷たい風が吹き抜け、明日は本格的雪になる模様。暖冬という気象庁の予報は見事に外れ、年末年始に大雪が降って、それ以降も度々雪が降り、また明日も雪のようだ。直前の空気の冷たさは格別で、昨日も東京からやって来た人が、岐阜は寒いですね〜と言っていた。私も岐阜に来て28年になるので、寒さも暑さも相当慣れてきたつもりだが、今年はちょっと堪える。午後6時、僧堂の節分追儺会(ついなえ)が始まる。約40分間各部屋全てに豆を蒔き、鬼は外を叫びながら山門外へ鬼役の雲水を放り出す。その後、食堂(じきどう)で総茶礼、年の数だけ豆をすくい取って終わる。広辞苑によれば、この追儺は宮中行事の一つで、大晦日の夜、悪鬼を払い疫病を除く儀式なのだそうだ。舎人の鬼に扮装した者を、内裏の四門を巡って追い回す。大舎人長が方相氏の役を務め、黄金四つ目の仮面をかぶり、玄衣朱裳を着し、手に矛・盾を執った。これを大儺(だいな)といい、紺の布衣に緋の抹額(まっこう)をつけて大儺に従って駆け回る童子を小儺とよぶ。殿上人は桃の弓、葦の矢で鬼を射る。古く中国に始まり、日本には7世紀末、社寺・民間にも行われた。近世、民間では、節分の行事となる。「おにやらい」「なやらい」ともいう。こういう歴史のある伝統行事も、近頃では一般家庭で殆ど行われなくなってしまった。私は田舎育ちだから、小さい頃は夕方になるとあっちこっちから、「鬼は〜外!福は〜内!」という声が聞こえてきたものである。その頃のことが妙に懐かしくなる。

posted by zuiryo at : 20:27 | コメント (0)

2010年02月02日

制間

2月1日、講了も無事済んで1ケ月半、3月14日までは制間と言って、雲水もそれぞれ暇をもらって自坊に帰り、しばし緩やかな日々を過ごす。と言っても午前3時半から始まり、午後9時解定に終わる僧堂の日常は変わらないが、気分がゆったりとする。今日、東京から知人夫婦が新年の挨拶という事でやって来た。10年以上もの長い料理修行を終えて、漸く念願かなって昨年店を持った。その折り店のロゴを墨書した事もあり、何とか繁盛して家賃も払えて自分たちの生活も成り立って欲しいと念じていた。話を聞くと、どうにかやって行ける目途も立ったようだ。やれやれ良かった!水商売と言うくらいで、浮沈が激しく、商売敵もわんさと居るわけだから、決して気は抜けないのだそうだが、自信に満ちた顔つきを見て、これならやってゆけるだろうと安堵した。これから店の手伝いを一人雇って、家内の仕事量を減らし、子供を持ちたいと、嬉しそうに言っていた。若者が自分たちの目標に向かって努力している真摯な姿は、端から眺めていても気持ちが良い。ところで、昨年夏に亡くなったOさんのお墓参りをしたいので場所を教えて欲しいという。聞けば、Oさんは生前大変彼ら夫婦を励まし、激励の手紙の遣り取りなどもあって、力を頂いたのだそうだ。仕事が忙しく店を空けられない事情もあって、ついに葬儀にも参列できなかったので、今日お詣りをするのだという。こういう律儀さが何とも嬉しい。そんな事を言ったら私など今までにどれ程沢山の人達に支えられ、助けられてきたか知れない。では、どれだけ感謝の気持ちを以て日々生活しているだろうかと、ふと思った。この若夫婦を見ながら、改めて恥じ入り、大いに反省した。

posted by zuiryo at : 20:11 | コメント (0)