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2021年05月28日

久しぶりに色紙

相当長期間、色紙を書いてなかったが、お中元を頂くので、そのお礼の印に色紙を書き始めた。何だか下手っぴ~!イマイチ調子が出ない感じ。筆もしばらく持っていないと、腕が落ちるようだ。つい1年くらい前までは、毎週書道の先生に来て頂き、八人ほどの友人と共に稽古をつけて貰っていた。この先生には私が瑞龍寺に住職して間もなくの頃からお世話になっているので、30数年学んだ。ところが先生も老齢化で、この辺で止めたいという話になり、残念ながらお稽古はなくなった。まっ、これだけ長期間お稽古を積んできたのだから、先生を離れても、自力でなんとかなるでしょうと思われるかも知れないが、さにあらず。下手っぴ~だった元へ戻ってしまった。それじゃ~あの30年間は何だったのか!結局お手本をまねる技術が発達しただけで、私自身の腕は、向上していなかった言う事。トホッ!

投稿者 zuiryo : 10:55 | コメント (0)

2021年05月27日

マッサ~ジ

車で小一時間も掛かるところから、弟子がマッサ~ジに来て呉れた。全身情け容赦無く揉みまくる。痛いの何んのって、七転八倒の苦しみ。いてってってっ~!と断末魔の声を上げても全く容赦しない。自信を持って揉みまくるのだ。小一時間、終ると後が大変スッキリする。有り難いことである。私にも何人かの弟子がいる。それぞれ個性は違っていて、それぞれ良いところを持っている。良い案配にミックスされているのだ。これも宗門に長いこと居るから自ずとそういうことになった。しかし歳月が過ぎ、一人また一人と亡くなって行く。本当に寂しいことだ。

投稿者 zuiryo : 13:20 | コメント (0)

2021年05月26日

アマゾン

アマゾンの購入サイトでいろいろ入力が必要になり、やってみたが途中でオジャン!こう言うのは年寄りには無理!無理!それでも頑張って三度試みたがついに投げ出した。もうお前は駄目だから止めときゃ~!と言う神の思し召し。こう言うとき、子供でもいれば、一寸教えて、となるのだろうが、いないから、かくの如き結果となった。まっ、命まで取られるわけでもなし!やめ!やめ!、と言いながら、心はむしゃくしゃして、無性に腹立たしい!何なんだこれって!大体このアマゾンって~のがいけない!ふっと思ったのだが、パソコンに年寄り機能って~のがついていて、そのボタンをクリックすると、パソコン自体が勝手にしゃべり出して、ハイ!次はこのボタンを押して・・・てな具合にならんもんかしら・・・?

投稿者 zuiryo : 10:44 | コメント (0)

会計逼迫

お寺の会計については古手の雲水に任せて、大船に乗ったように感じていたのだが、つい最近、非常に逼迫しておりますという話で、びっくりした。少し前ある大学からご寄付を・・と言われ、先方の言うままに出したら、そもそもそれがいけなかったんです!と厳しく指摘された。爾来頭下げっぱなしである。確かにうち自身の会計状態を考えずに、言われるままに出した私が浅はかだった。コロナ禍で、世の中全般縮小気味である。しかし世俗のことはとんと知らない私はこう言う失敗をやらかす。で、これからは万事シブチンで行くことにした。もう出すものは舌も出さない。こう言うときに限って、山の土砂崩れが発生して余分な費用が出てったり、その一方で入ってくるのはこのコロナ下で、全てキャンセル、踏んだり蹴ったりとはこのことだ。まっ、「倒産」はないので、しばらく質素倹約に努め、息をひそめて暮らそうと思っている。

投稿者 zuiryo : 04:42 | コメント (0)

2021年05月22日

姪っ子から電話

今日久しぶりに姪っ子から電話があった。息子が二人居るのだが、上の子は何年か前に、念願だったJRに就職、中でも電車の運転手になりたかったのだが、去年それも実現して、大満足で働いている。下の子もある有名企業に就職が決まり、こっちも万々歳である。厳しい現代、思うような処へ就職できるのはまれなことで、こんな親孝行は無いぞ!と言ってやった。いろいろ家庭の事情もあって、男の子二人、旨く育ってくれるだろうか案じていたが、それぞれ立派に育って、本当によかった。まっ、お金の苦労は誰でもするが、子供で苦労する人も沢山居る。お金は辛抱すれば耐えられるが、子供がひん曲がったら、どうしようもない。そう言う中で男の子二人、真面目な良い子に育って呉れてこんな嬉しいことはない。

投稿者 zuiryo : 20:58 | コメント (0)

大接心明け

半夏大接心明けの今日はすっかりネジが緩んで、ドタ~ッ・ボ~ッとしている。まっ、これで精神の全体バランスが旨く整うのである。特に近年は体力気力共に衰えてきたので、回復に時間が掛かるようになった。これは全て加齢による。老いるとは心も同時に老いると言う事なのである。まっ、人によると幾つになっても心身共に溌剌と言う方も居られるが・・・。こう言うのは人それぞれなのだろう。今日は朝から生憎のお天気模様で、ど~んより、そよとも風は吹かず、まるで時間が止まったようだ。境内もシ~ンと静まりかえっている。今ふっと思い出したが、私が仕えた師匠は、大接心が終るやいなや、元気溌剌として外出された。ああいうタイプの人は、接心中に体力を温存しているのだろうか?気が知れぬ!人はそれぞれ性格が違うから、傍からとやかく言えないが、同じ境遇になった今、改めて思い起こすと、よ~やるな~!ですね。

投稿者 zuiryo : 14:09 | コメント (0)

2021年05月21日

今日は接了

ついこの間半夏大接心に入ったと思ったら、早やくも今日は接了、あっという間である。私は此処に丁度四十年前に入寺した。余りにも人少なので、こんなに少人数の僧堂もあるんだ~!と、驚かされた。そもそも伽藍そのものも極めて小さく、本堂も庫裡も禅堂も全てが小規模で、何だかミニチュアの僧堂を見ているようだった。まっ、小規模なのは、それはそれで良いが、何より驚かされたのは僧堂としての基本的な規矩が全くないことだった。こりゃ~エライ処に来ちまったな~!これがまず思ったことだった。取り敢えず規矩を立て直さなければならないと思い、早速一日の時間配分など決めていったら、途端に、猛反発を受け、あっという間に雲水は人っ子ひとり居なくなった。それからは私一人っきりで、朝の大鐘撞きから、勤行、板の間の雑巾掛け、庭掃除等々、この寺へ小僧に来たようなものだった。まっ、嘗て京都で小僧修行していた頃は、丁度こんなもんだったから、久しぶりに小僧時代を思い出した。その後、多くの方々のご厚情を頂き、現在の伽藍が出来上がり、僧堂規矩も確立し、一日の時間配分も僧堂らしくなった。雲水の人数も必ずしも多いとは言えないが、兎も角規矩が確立したのが良い。そうこうしているうちに、はや40年近くの歳月が流れた。近頃は私自身の老化がすすんで、周りの雲水達に迷惑をかけている始末である。幾つまだやれるか解らないが、立派な伽藍を建てて下さった多くの方々へのご恩報じのため、一層頑張らなければと思っている。

投稿者 zuiryo : 14:25 | コメント (0)

2021年05月19日

座布団敷いたら・・・

今日は雨模様で少々冷え込む。蹲い猫が餌を食べている間に、座布団を敷いてやった。これで温かく休めるだろうと思ったら、餌を食べ終わっていざ元のところへと、見ると何と変な敷きものがあるではないか・・・?これは物騒だ、何かの罠かも知れ無い、君子危うきに近寄らず・・・、てなことで、避けて別の所へ行ってしまった。親の心、子知らずである。猫とコミュニケーションをとるのは、なかなか難しいものだ。特に元々野良だから、普段から警戒心が強い。でなかったらこの厳しい猫社会を生き延びることは出来ないのだ。結果追っ払うことになってしまった。しかしこれも考えようで、ツクバイの目の前にで~んと大きな猫が居たのでは、小鳥たちも怖くて水浴びにこれない。結果、これで元通り、早速一斉に水浴びが始まった。

投稿者 zuiryo : 15:27 | コメント (0)

相見の間、蹲いに猫

2,3日前から、相見の間の蹲いの敷板に、どこからやって来たのか大きな猫が住み着いた。普通は常に水がチョロチョロ流れているので、野鳥の格好な水浴び場になっていて、入れ替えあり立ち替わりやって来る。しかし其処にデ~ンと大きな猫が横たわっているので、小鳥たちは怖くて寄りつけない。とは言え、この宿無し猫をそこから追っ払うというのも不憫だ。折角格好な住み家を得たのだから・・・。事情を説得しても、この猫には伝わらないだろうから、小鳥をとるか、猫ををとるか、二者択一のジレンマに悩んでいる。

投稿者 zuiryo : 14:25 | コメント (0)

2021年05月18日

野良猫、ドドッ!

このところ急に隠寮辺に野良猫が、どどっと押し寄せてきた。新顔ばかり2匹、外縁にドタ~ッと伸びきって、餌くれ~ッ!と言わんばかりの顔をしている。どうも近頃この界隈の猫仲間では、瑞龍寺の奥、隠寮辺は大変猫に親切で、まず食いっぱぐれはない!と評判らしいのだ。次々新顔がやってきて、餌を待つ態度も堂々としている。猫も「顔」を見るらしい。まっ、こちら側の負担はさほどでもないので良いが。今日は朝から雨が振り通し。チャイと白ネズミまだら模様のが一匹、夕方覗いてみたら、ツクバイで本格的に野宿するつもりらしい。そういえば今日夕方参禅室の濡れ縁の丸柱で、バリバリ爪とぎを始めた猫が居た。まっ、こっちはそういうこともあるだろうと予測して予めすのこを巻いてあるので心配は無いが、何だか一帯猫に囲まれて居るみたいだ。

投稿者 zuiryo : 15:44 | コメント (0)

2021年05月17日

今日は雨

朝からしとしと雨が降り続き、鬱陶しい日である。カラリッと晴れ渡るのが一番だ。まっ、庭の木々は雨で喜んでいる。8時半から講座があって、今終わって、ほっと一息ついているところである。私が仕えた二人の老師は、この講座が大嫌いで、だから必要最小限しかやらなかった。どうして講座がそんなに嫌いだったのか理解に苦しむ。まっ、やりたくってやりたくってしょうが無いと言う人も居ないと思うが、好き嫌いの問題ではなく、これは師家の義務である。もし大学の先生が講義を嫌って逃げ回るなんて事があったら、それなら教授を辞めろ!と言われるのと同じである。雲水には、さぼって貰っては困りますねっ!などと直接抗議することは出来ないが、さりとてそれを良いことにしてさぼりまくるなんぞというのはもっての外である。嫌なら師家を止めたら良い。歌手が歌うのが嫌で嫌で堪らないというなら、歌手にならなければ良いのだ。講座などやりたくってやりたくってしょうが無いなんてのは一人も居ない。これは好き嫌いの話ではなく、師家の義務だ!まっ、雲水には、相手がいくらさぼっても文句一つ言えない空気がある。それを良いことにしてさぼりまくるなどというのは、愚の極まりである。てな具合で、過去の苦い経験を思い出し、今頃口とんがらかして文句を言っても始まらないが、だから自分だけはそう言う嫌な思いを雲水にさせてはならないのだ。

投稿者 zuiryo : 10:17 | コメント (0)

2021年05月15日

庭木の剪定

5日から10日間ほど続いた剪定作業も、昨日を以て今回の分は終了、ほぼ参道の松も終わった。夕方ギリギリまで作業をし、直ぐに下山した。多分途中で入浴施設でもあるところで汗を流し夕食を食べるのだろう。木の上での作業は陸上とは違って何倍も疲れる。それが仕事と言えばそうなのだが、なかなか厳しいな~!が実感。まっ、我々の道場での修行も世間から見れば随分厳しい世界だと言うことになるのだろうが、こちら側から言えば、こんなの当たり前で、どうっつ事は無い。それと同じなのかも知れない。それぞれの世界には、外からうかがい知れない、苦しみも喜びもあるのだ。こっちはじっとしているのが仕事、あちらは木によじ登っているのが仕事、多分選定作業でみるみる綺麗に整えられる木を眺めれば、嬉しさがあるのだろう、しかし、じ~っとしているこっちの方がどう見て楽ちんだ。

投稿者 zuiryo : 15:37 | コメント (0)

2021年05月14日

タマ

ある時、見慣れぬ白とネズミ色まだら模様の猫が一匹やって来た。どう見ても野良猫である。毎日やって来る。秋から冬にかけての頃だったので、だんだん寒くなってきた。吹き去らしの茶室の廊下に踞っているので、寒かろうと思い、布小屋を買ってきて、置いてやると喜んで直ぐに入った。出入り口も布カーテンを作って、少しでも風が吹き込まないように工夫してやった。益々喜んで、毎日布小屋を愛用した。定期的に餌も与え、もうこの小屋が白ネズミまだら猫の住み家になった。そこで「タマ」と名前をつけてやった。その内もっと奥の方に、もっと快適な部屋があると気づき、あっさり布小屋を捨てて、厚かましく奥の部屋に入り込んできた。すでに其処には愛猫「クロ」が居たのだが、そんなことはお構いなしだ。何と其処へ半ば強引に棲みついた。あれから約十年の歳月が流れた。最近先住猫の「クロ」は老齢化で介護も虚しく死んでしまった。ついに「タマ」の独壇場となった。しかしその「タマ」も、近頃急に衰えてほとんど踞って寝ている。動作も何だかヨロヨロして、顔もおじいさん顔になった。タマ~!と呼んでも、反応が鈍い。こんな調子ではタマの寿命もそう長くない。長生きするんだぞ~!といつも声かけをしてる。

投稿者 zuiryo : 16:00 | コメント (0)

2021年05月12日

僧堂雲水

僧堂は雲水が修行のために入門してくるところで、自分の所へ小僧に来たわけでは無い。それぞれの雲水には師匠がいるわけで、僧堂修行をしっかり積んで貰う為に入門してくるのである。ところが何を勘違いしたか知らないが、恰も自分の小僧のように考えて、いきなり兼務している寺に長期間派遣して、看護させるという話を聞いた。こんな馬鹿な話は無い!師匠が聞いたら怒るに決まっている。一体何を考えているのか!以前これと同様なことがあって、いきなり短大の舎監に派遣されて、怒って直ぐに退散し,、別の僧堂へ再掛搭した者がいた。当たり前のことである。まっ、そういきり立たんでも良いじゃ無いの、と言う大らかな考え方もあるので、目くじら立てて言うほどのこともないのかも知れないが、筋から言ってもこんな事は良いことではない。一人の人生が掛かっているわけで、自分の道具では無い!たまたま今日、いきなり兼務している寺に派遣され、一年間はお礼奉公のつもりで居たが、直ぐに別の僧堂へ転錫した人がやってきた。その点を問うと、私と同様の考えであった。僧堂の師家にでもなると、途端に絶対権力者にでも成ったように勘違いをして、こういう間違いをやらかすのだ。お互い注意しなければならぬ。


投稿者 zuiryo : 15:23 | コメント (0)

クロの七七忌

クロが死んで今日は七七忌である。つまり忌明け、昨日、頼んで置いた石塔屋さんが、現場を見に来た。これで正確な位置や大きさが解ったようで、納得して帰った。少々運び込むのに苦労すると思うが、それほど大きな物ではないので、行けそうな感じである。クロが死んで早や七七忌である。あっという間だった。私も年をとって、平均寿命を超えたから、何だか自分の姿を見る思いだった。ところで参道松の剪定も着々進んで、明後日にはケリをつけて京都へ帰られる。この期間は比較的お天気にも恵まれ、良かった。間もなく半夏大接心、頑張ろう。ところで総長さんは任期満了で、天衣寺兼務の退任挨拶に見えることになっていたが、コロナの影響で、急遽取りやめとなった。教学部長の時、天衣寺を僧堂として開単する話が持ち上がり、先頭に立っていろいろ御尽力頂いた大恩のある方である。その後宗務総長に成られてからも、折に触れてご心労頂いた。一言お礼を申し上げなければと思っていたのだが、残念なことだった。

投稿者 zuiryo : 04:37 | コメント (0)

2021年05月11日

防火対策会議

今日は午後3時から山内一同集まって、防火対策会議が開かれた。つい最近山内一ヶ寺から出火、幸い延焼は最小限に止めることが出来、皆安堵した。そこで今後のこともあり、消火栓を参道奥まで延長して貰えないか、市に要望申請してみようと言う事で、話がまとまった。うちは一般の所に比べれば相当広いので、確かに入り口一ヶ所では心許ない感じがする。この要望が通るか否かはまだ解らないが、いろいろな方々のお力を借りて、是非実現したいと思っている。火災は他人事ではない。明日は我が身の問題である。

投稿者 zuiryo : 15:51 | コメント (0)

2021年05月09日

コロナワクチン接種方法

地元新聞にコロナワクチン接種方法が大画面で掲載された。老人にもよく解るように絵入りで詳しく解説されていた。早速その掲載部分を抜き出して保存した。何せ老人になるとこう言う図解入りで大きく掲載して貰わないと、まるで解らない。本当に有り難いことで、感謝状を出したいくらいだ。家族のある者は若い者に聞くのだろうが、此処ではそれもままならぬ。世間には独居老人も居ることだろ。そういうことも意識して親切な誌面を作ってくれたのだろう。感謝感謝!である。

投稿者 zuiryo : 11:21 | コメント (0)

2021年05月08日

知人の展覧会

二転三転の後、漸く知人の個展が開かれることになった。コロナ下、いろいろ心配事が出て来てこうなった。しかし漸く落ち着いた。これに関連して、その方のご両親のお墓を建てることになっているので、石塔屋さんへ出掛ける日程も決めなければならなかった。こちらも従って二転三転だったが、漸く落ち着いた。全てはこのコロナがいけないのだ。どうしてくれるんだい!と尻捲りたいが、言って行く先が無い。このようにコロナに振り回されている方々が世の中にはゴマンと居ることだろう。こっちは別段利害損得は発生しないから良いようなもの、世俗では、冗談じゃ~ね~や~!っつ事がいくらもあるだろうな~。ところで急に話は変わるが、最近私の頭がおかしくなっている。どうも変だ。八十才目前だから普通なのかも知れないが、現役ではそうとばかり言っては居られない。おかしいんなら、止めりゃ~良いじゃ無いか!となるわけだが・・・。トホッホッ。

投稿者 zuiryo : 10:35 | コメント (0)

2021年05月07日

外出禁止令

コロナで僧堂では自主的外出禁止令が出ている。実は今日、午後からちょっと出て来ようと思ったのだが、阻まれた。中で、厳し~い!評席が一人居て、見張って居るのだ。まっ仕方が無い素直に従うことにした。しかしこれも親切というもので、ついつい、少しぐらい良いじゃないの、てな具合でゆるめると、際限なく緩んでしまい、その内コロナ感染と言う事になるのだ。転ばぬ先の杖である。そこで考えを変えて、勉強することにした。こうなると、外出禁止令が良い効果を生んだことになる。人間の性分というものは、一つのパタ~んができあがると、盲目的にそれに従うと言う事がある。♫解っちゃいるけど止められない!である。だからこうして行き先に立ち塞がる者が居てくれるのは本当に良いことである。

投稿者 zuiryo : 14:08 | コメント (0)

2021年05月06日

ゴールデンウイーク明け

まっ、僧堂はゴールデンウイークもはちの頭も無い、日程に従い粛々として作務である。今は庭木の剪定作業中なのでその後片付けだが、目下松の剪定なので、余り枝の片付けはない。このところづ~と続いている草引きである。まあ良く生えるったらありゃ~しない、草引き戦争である。相当配慮して草が生えないように庭造りをしたのだが、それでもいっぱい生えてくる。草引きは手数だから、人少だと堪える。まっ、この単調な作務が意外としんどいものだ。庭の新緑が目に染みるようだ。楓の緑は花よりも美しい。ところでゴールデンウイーク中は郵便局が休みだったので、いっぱい堪ってしまった。ごっそり郵便出しに行ってくる。

投稿者 zuiryo : 13:37 | コメント (0)

2021年05月05日

ゴールデンウイーク

今日でゴールデンウイークも終わり、生憎の雨で、行楽地もガックリだろう。尤もコロナの真っ最中、行楽地どころの沙汰じゃ~ない!午後4時石塔屋さんへ出掛け、クロの墓石を注文してきた。黒石を使って、丸まっているクロの形を写したものである。完成が楽しみだ。朝から土砂降りの雨で、最終日は台無しだ。尤もコロナが依然として収束しない今だから、人出も余り多くは無いだろう。行楽地は踏んだり蹴ったりで、天に向かって怒鳴りたい気分だろうな~。

投稿者 zuiryo : 16:46 | コメント (0)

2021年05月04日

パソコン操作、また解らなくなる

これだけいつもパソコンに触れているのに、今日全く操作が解らなくなってしまった。徒然日記を入力できなくなってしまったのだ。完全にお手上げ、頭はくるくるパ~。そこで雲水を呼んで、操作方法を教えて貰った。どうっつ事は無いのだ。この頭のトロサ、我ながら唖然とした!現在でもこの調子だから、来年、再来年になったら、ほとんど認知症まちがいなしだ。落ち込んだ。老化現象の一つだが、それが急激なのだ。直ぐそばに若い雲水がいるのでまだ良いが、居なかったら大困りである。つまり平生頭を余り使っていないのが原因だ。解っちゃいるけど、現在の私は頭を使わなくとも務まるのだから、これが良くない。もうぼつぼつ引き際かな~、ふっと悪夢が頭をよぎった。そりゃ~そうだ、間もなく八十才になるのだから・・・。まっ、余りこう言う辛気くさいことを考えると、うつ病になるから、サラリッ!と忘れよう。

投稿者 zuiryo : 17:50 | コメント (0)

2021年05月03日

コロナの影響大なり

知人の高名な画家の個展が開かれる予定が、コロナの関係で、日程が二転三転、未だに最終決定が出来ず、大弱りである。主催の画廊が大弱りなのは勿論だが、その他関係者一同二転三転に振り回され、もうヘトヘト。私の処も先生を墓石屋に案内して、ご両親のお墓を作ることになっているのだが、これも最終的日時が決められない。墓石屋さんは普通の商店と違って、基本的には店には居ない。必ずどこかへ仕事で出掛けるから、予め日時を決めて、店に居て貰わなければならないのだ。と言うわけで関係者一同、コロナに振り回されている最中である。ところでその墓石屋さんで「クロ」のお墓を作って貰うことにした。こっちの方は、既にバッチり日時を決めて、後は打ち合わせをするだけになっている。

投稿者 zuiryo : 20:28 | コメント (0)

老人病

人間老齢化してくると、余り将来に眼を見張るような出来事は無くなるから、自ずと過去のことばかり思い出され、従って万事後ろ向きになってくる。今の私がそうで、特に最近はその傾向顕著で、我ながら嫌になってくる。これって、一種の老人病じゃないかと思う。こう言う道をたどって、最後は死んでゆくんだな~。と言うことは私の寿命もそう長くはないということか?トホッ。まっ、物事全て逆に考えれば、いずれ死ぬのだから、精々生きている間に心残りの無いように、精一杯生きよう。精一杯と言っても、今までの延長線上でしか生きられないのだから、結局これまで通りと言う事か・・・。グダグダと、お前は一体何を言いたいのかっ・・・。そう思ったら急に落ち込んだ。そもそもこれが老人病って事か。

投稿者 zuiryo : 10:13 | コメント (0)

2021年05月01日

あっ、と言う間に5月

月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり・・・。雲水修行時代・鎌倉住職時代・岐阜住職時代・・・と、転々とその場所を変えながら今に到った。それぞれ思い出は山ほどあって、過ぎてしまえば皆良い思い出ばかりになった。年月が事柄のトギトギした部分を丸くしていったからである。良いような悪いようなで、更に老齢化がそれに拍車を掛けて、こうなった。全てその真っ最中より、ず~っと丸みを帯びてきた。さりとて、懐かしさで、全て水に流せるかというと、そうでもない。「あの野郎!許せね~っ!」っつのもある。まっ、お互い若かったから、向こうさんばっかりが悪いわけではないですが・・・。性格が相手に好ましい印象を与えるか、いや~な印象を与えるかは、大きい。その後の人生にも影響する。何時だったか修行時代の仲間が何十年振りかで会った。さぞかし昔懐かしい思い出を語り合い、旧交を温め合うのかと思ったら、生々しい現在をトゲトゲ披瀝し会う事となり、興ざめした。人間って、どうしようもない存在なんだな~っと、改めて感じた。

投稿者 zuiryo : 10:23 | コメント (0)