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2021年11月23日

警察官が泥棒

泥棒する不届き者がいたらひっ捕まえる警察官が、もし泥棒したら、そんな処はまともな社会では無い。幸い日本では、特例を除けば一般的にはそんな話は聞いたことが無い。しかし後進国では頻繁にそう言う事が起こっているらしい。だから警察官を捕まえる警察官が要る。これは何処か遠い国の話と思っていたら、日本にも処によってはそういうことがある。少し前のこと、一番古手の雲水が暫暇して、後から蔵の中を点検したら、時価うん百万円の屏風が盗み持ち去られていた。もしそう言う悪がいたら取り締まる側の者が、自分で盗み持ち去っていたのである。あいた口がふさがらないとはこのことだ。どうしてその悪が盗み出した事が解ったのかと言えば、盗み出したお寺の関係者が見つけて教えてくれたのだ。そういうことがあって、大分年月が経ったが、その悪はいまだに、口をつぐんでしらばっくれている。そう言う悪のことだから、その事実を人に見らればれたので、多分とっくに売り払って、現金化していることだろう。そうすればもう証拠品はないので、後は知ったことじゃないである。まっ、誰も見ていないと思っていると大間違いで、仏様はちゃんと見ておられる。いずれ罰が当たること間違いなしである。

投稿者 zuiryo : 14:35 | コメント (0)

勤労感謝の日

日頃せっせと働いている方々への感謝の日である。それで行くと私なんぞは範疇外である。殆ど働いていないのだから。まっ、広義にに解釈すれば、道場でじっと雲水を見守って、目を光らせているのが仕事と言えば言えなくもないので、一応今日はその感謝の日と解釈して、終日のんびり過ごそうと思っている。私も高齢者の仲間入りした。膝に猫を乗せて撫でて終日過ごす、それで充分という見方も出来るが、世間では、私よりも高齢で、バリバリ働いておられる方々もいる。それを思って、まだまだ頑張らなくっちゃ。汗水流して働いて、儲かったの損したのと、格闘しているのに比べれば、何もしていないのと一緒なので、大きな顔は出来ない。まっ世間の方々とは又違った仕事で、これはこれで、重要な仕事をしているとも言えるのだがね。

投稿者 zuiryo : 10:12 | コメント (0)

2021年11月22日

般若会、本日を以て終了

朝からシトシト雨が降り続き、陰気な日である。40年ほど続いてきた、般若会座禅は本日を以てすべて終了。私が此の寺に来て間もなくの頃、総代さんのOさんが仲間を集めますので毎月2回坐禅の指導をお願いできませんかという話し。ハイ!承知しました。では会員制にして・・・、爾来毎月2回、午前6時から1時間坐禅・その場で私の話30分・食堂で朝食のお粥と沢庵、了而、お抹茶、生菓子、皆で少々お喋りをして散会、と言うパタ~んである。参加者は平均30名ほど、これだけ長く続くと初期の頃の高齢の方は亡くなったり、又途中新加入の方もあったりで、メンバ~は多少変化してきたが、ほぼ毎回30名くらいは集まって、此の座禅会は続いてきた。これからも引き続き開催し続けることも出来ないことはないのだが、一番のネックは私の老齢化により、頭が酷くトロクなって来たことである。これ以上続けると、恥を晒すだけと判断し止めることにした。それまでは地元の方々がうちの寺へやって来ることなど殆ど無かったのだが、此の座禅会を始めてから様々な方々とご縁が出来、本当に良い会だった。やむなく閉会となり、毎回早朝より頑張って坐禅を組んできた方々には本当に申し訳ないと思いつつ、本日無事円成。

投稿者 zuiryo : 15:22 | コメント (0)

2021年11月21日

野良猫一匹

早朝、出頭のために支度をしていると、窓の下から野良猫一匹、見かけないのがこちらを覗いている。お出で~ッ!と手招きしたのだが、段差が1メートルほどもあり、まして、初めての処では、それでは、てな具合にはならない。間もなく出頭の鐘が鳴ったので、朝課へ行っている間に何処かへ去ってしまった。多分お腹をすかして、餌が欲しかったのだろうが、いかにもタイミングが悪かった。近頃界隈随一のネコに親切なお寺として、その筋では有名らしいのだ。だからこうしてうわさを聞きつけ、野良が次々にやって来るというわけである。境内は広いので、野良猫の五匹や十匹、幾らでも養えるのだが、野良には野良の仁義があるらしく、事はそう簡単な話では無いらしい。まっ、その為に矢鱈増えまくるという事もなく一定のバランスが取れているわけである。野良に罪は無い。お腹をすかして餌を求めやって来るのだから、出来るだけのことはしてやりたい。

投稿者 zuiryo : 10:46 | コメント (0)

2021年11月14日

般若会・光陽会

私が住職して間もなく総代さんから定期的に坐禅会を開いてくれませんかというご要望があり、有志を募って月2回早朝6時から1時間坐禅・お話・粥座・抹茶、と言う順で催すことになった。爾来凡そ四〇年間続けてきたが、此の11月すべて修了することにした。主な原因は私の老齢化である。坐禅の後の10分間ほどの話も、ついにネタ切れ、もう新しい話も尽きてしまった。と言うような訳で惜しまれながら今月22日月曜朝の坐禅で無事円成となる。漸く肩の荷も降りる。同時にもう一つ続けてきた日曜座禅会も終わる。つまり私が住職してから約40年間、ほぼ毎週坐禅指導を続けてきたわけで、ほとほと疲れた。まっ、これだけお世話すれば十分である。これで漸く枕を高くして休める。

投稿者 zuiryo : 21:16 | コメント (0)

2021年11月12日

睡眠時無呼吸機を新調

睡眠中呼吸が止まる病気になって、もう何年も経つのだが、睡眠中装着する機械が古くなって、今日は新しいのに交換。ピッカピッカ!少し操作が今までのと違うので、やり方を教えて貰い、実験的に新方式のを使ってみた。基本的には同じようなものなのだが、多少違うところもあって、これで良いのかな~っ、と少々不安。何しろ耄碌爺だから、世間の標準からすればいとも簡単じゃん!でも私には訳分からん!となる。装置一式持ってきてくれたメーカーの人に教えて貰い、直ぐ自分でも実験的に使用してみて、まっ、これならやれそうと言うところで、ほっと、安堵した。この調子で行くとあと十年もしたら、ほとんど認知症になって、寝るときこの機械を装着するときはいちいち雲水に面倒見て貰わなければならないかも知れないな~。先のことはその時にと言う事にして、一件落着~!

投稿者 zuiryo : 15:22 | コメント (0)

2021年11月10日

齋会(さいえ)出向

久しぶりに関東方面へ齋会の導師を頼まれ、出かけてきた。亡くなられた方とは嘗て、建長寺宗務本所で共に仕事をした仲間である。仲間と言っても私より一世代前の大先輩で、色々ご助言を頂いた。若い頃よりしっかり小僧修行を積まれた方で、万事に気配りをされ、それはそれは修行の出来た方だった。私とは親子ほども年令が離れていたのだが、することなすこと、実に行業綿密で、腰が低く、生真面目一本というタイプで、立ち居振る舞い一つとっても、頭が下がるような方だった。今回図らずも遙か昔の縁を忘れずに、こうしてお招き頂き、感謝感謝である。一人娘さんにご養子を取って、お寺の跡継ぎをされ、今はその息子さんが跡を立派に継いで居られる。齋会後の食事では昔話に花が咲いた。お互い超老齢となり、和やかに色々話をしているうちに、亡くなられた和尚さんが彷彿とし眼前に現れ、あの温顔を懐かしく忍んだ。こう言う遣り取りも、もうこれが最後かも知れないな~と思い、涙がこぼれるほどだった。

投稿者 zuiryo : 10:15 | コメント (0)

2021年11月05日

母の命日

今日は母の命日である。内仏の正面に母の位牌を据えて,献膳、懇ろにお経を読み、生前を偲んだ。話し合う相手は誰一人もいないが、自分に向かって思い出話に花を咲かせ、遙か昔のいろいろなことを思いだした。私は兄弟の仲でも母を一番心配させた張本人なので、今それを語り合う人は誰もいないが、自分に向かって話しかけ、自分で相づちを打って、母の写真を見ている。会いたいな~!ふっと、そんな気持ちに成った。いずれは私も死んで母の処へ行く。あの世へ行ったら、いろいろ積もる話をしよう。

投稿者 zuiryo : 10:15 | コメント (0)

2021年11月04日

血も涙もない

ドライアイに成って大分年月が経つ。依然として涙の出ない目は治らず、毎月眼科へ診察に行き、目薬を貰ってくる。頂いてきた目薬をちょくちょくさしては、涙の補充をし続けるわけである。もうこれを20年近くやっているので、目薬を点すのも習慣に成った。良く非情な人を血も涙もないというが、私のように人情に厚い人間が、何故このような非人情な眼に成ってしまったのか、不思議で堪らない。もしかしたら、自分では人情に厚いと思っていても、実は腹の底は非人情なのかも知れない。ウン、そうだ、その通りだ!冷た~い人間なのだ。尤も、僧堂師家と言うのは、冷た~い人間がやる仕事なのだから、これで丁度良いのだ。兎も角こう言う職業病に罹って、結果涙の補充目薬を頂きに、毎月眼科へ通い続けているというわけである。

投稿者 zuiryo : 09:48 | コメント (0)

2021年11月01日

何だか力が抜ける

どういう加減か、体中の力が抜けて、ただボ~ッと坐っている。歳のせいか、他に原因があるのか、体のどこからか空気が抜けて行くような感じである。困ったことだ。これって、痴呆性老人になってきたのだろうか?老いると言う事はこういうことなのかも知れない。兎も角最近は万事にボ~ッとしていることが多いのだ。まっ、こう言うのは余り考えすぎない方が良いかも知れないと思い、気にしない!気にしない!と言いながら大いに気にしているのだから始末が悪い。机の前には10年くらい前に山奥の白鳥町へ先生とスケッチに出かけて描いたのが掛けてある。広大に広がる田んぼと長良川上流域、さらには白雪を頂いた山々、4月2日と記してある。相当な寒さの中でのスケッチだったのを思いだした。絵は写真と違って、此の一枚のために2,3時間はジ~ッと座り続けて描いたので、何年経っても当時のことが直ぐ甦ってくる。下手っぴ~でも、記憶は脳に刻み込まれているのだ。

投稿者 zuiryo : 17:52 | コメント (0)