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2017年04月28日

新到(しんとう)

毎年恒例のゴールデンウィークだが、僧堂で修行する者には全く関係ない。いよいよ制中となり早速大接心、一週間バッチリ修行する期間である。尤もうちでは十数年前から4月15日から制中なので、既に大接心は1回済ませている。5月は15日から二回目の大接心。世間ではレジャーに大忙しだが、僧堂は修行で大忙しとなる。毎年春に新たな入門者が来るので、雨安居(うあんご)は何かとバタバタする時期である。私ももう五十数年前になるが、新到で万事不慣れで、ガミガミ叱られながらやった事が懐かしく想い出される。着物というのは直ぐに着崩れるから、しょっちゅう法衣の両脇から手を突っ込んで直しておかなければならない。今ではもうそれが身に付いて自然に無意識に出来るが、新到の頃は気がつくと前がおっぴろがって、酷いことになっている。そうなると立ち居振る舞いの都度裾を踏んづけるから益々おっぴろがって、見られたもんじゃない。一例を挙げればこんな事一つとっても、旨くいかないわけで、全てが身に付くまで相当時間がかかるものである。法衣姿が板に付くまでは、まだ新米である。

投稿者 zuiryo : 20:14 | コメント (0)

2017年04月24日

一病息災

お檀家の老人で大変親しくさせて頂いた方が九十四歳で亡くなられた。今日はその方の葬儀で午後出掛ける。若い頃から蒲柳の質で、この子は二十歳まで生きれるかどうか分からないと言われていたそうだ。確かに幾度も大病に冒され、療養生活を余儀なくされた。仕事は建築土木だから、相当厳しい環境にも拘わらず、何と九十四歳の長寿を保たれた。七十歳を過ぎた頃、仕事は全てご子息さんに任せ、悠々自適に暮らしておられた。丁度その頃うちのお寺では、絵の先生に来て頂き何人かで稽古していたので、お誘いした。月2回の会だったが、今まで絵など一度も描いたことがないと仰っていたが、どうしてどうして絵心があって、瞬く間に上達された。爾来家で絵を描くことが趣味になったようだ。益々腕は上がって、お盆でお邪魔したとき見せて頂くと、余りに良いのでうちのブログのカットに使わせて頂いた。いろいろ想い出の沢山あった方なので、お通夜の席で昔話をご披露しているうちに思わず涙がこぼれてしまった。

投稿者 zuiryo : 04:33 | コメント (0)

2017年04月14日

いよいよ入制

明日15日から雨安居入制となり、大接心が一週間設けられる。いつものことながら気分が改まって、この雰囲気は良いものだ。午前中新到隠寮相見があって、これからの本格的修行に入る心構えを訓示する。その後松島の瑞巌寺で何か行事があるらしく拝請、習字の稽古、午後四時から隔宿諷経があり、本堂諷経の後引き続き、各塔所を巡ってお経をあげる.薬石を早々に済ませ、晩開板後総茶礼、亀鑑拝読などあって、豆に修行が出来るように煎り豆が配られる。夜九時からは堂内で解定(かいちん)告報があって就寝となる。勿論そのまま寝入ってはいけないわけで、本堂濡れ縁での夜坐となる。以上が恒例の入制前晩の諸行事である。これももう五十年以上ずっとやり続けているので、特別どうってことはないが、気持ちに区切りが付いて良いものだ。

投稿者 zuiryo : 08:27 | コメント (0)

2017年04月13日

墓地の花見

私にとっては恒例の市営墓地の花見に行ってきた。毎日裏山歩きを続けているのだが、いつものコースの東側に市営墓地が広がっている。遙か頂上から眺めると、櫻は見頃、今を盛りと咲き誇っている。ポカポカ陽気に誘われて、帰り道、途中から左に折れて満開の墓地へ向かった。人っ子一人いない墓地は静まりかえっている。やや満開を過ぎて、花びらが風に舞って、更に美しかった。岐阜近郊では境川沿いの櫻が有名で、大賑わいと聞く.茶店なども出て、大変な人出らしい。どうも私はそう言う雰囲気は苦手で、一人ぽっちでじ〜と眺める櫻が一番良い。

投稿者 zuiryo : 04:42 | コメント (0)

2017年04月10日

般若会31年目

私がこの寺に住職して間もなく、総代さんや信者さんから、定期的に坐禅会を催して頂けないかという話があり、お引き受けした。今年で31年目になる。初期のメンバーでは何人も他界され、年々少しづつ新たなメンバーも加わって、会員は約50名ほどである。月2回、4月に始まって11月で終わる。そろそろ木枯らしが吹いて寒くなり、坐禅修行にはもってこいの季節になると終わる。そして翌年は春4月、櫻も咲きそろい温かな春風が吹く頃に始まる。高齢の方では90歳目前の方から若手でも50代というところである。今年は第一回目が4月10日、合計33名の参加であった。坐禅後の三十分ほどの話は、今年から臨齊録を順次話そうと思っている。この会は私にとっても良い刺激になっている。

投稿者 zuiryo : 04:34 | コメント (0)

2017年04月07日

烏の大群

夕方、山歩きから帰ると、やたらカラスが騒がしい。ざっと十数羽が飛び回っている。近頃聞き及ぶに、繁華街の生ゴミの管理がしっかりしてきて、カラスがついばむ余地がなくなってきたそうだ。そこで食糧難に陥ったカラスは、生きるためには何でも食うというわけで、狙った獲物が山中に溢れかえっているリス達である。境内にはちょくちょく、カラスにやられたリスの無惨な死骸が転がっている。というわけで騒がしかったリスは激減して良かったのだが、今度はカラスが集団で、獲物のリスを狙って空中を旋回しこれがまた騒がしい。どちらにしても騒がしいのは一緒で、何処かの知事さんが提唱していたが、岐阜名物「カラスパイ」でも売り出さないかな〜と思っている。

投稿者 zuiryo : 20:54 | コメント (0)

2017年04月05日

常識とは如何

事に当たって奇矯に陥らず、頑固にならず、是非善悪を見別け、利害得失を識別し、言語挙動すべて中庸に適うことが肝心である。「智・情・意」の三者が各々権衡を保ち、平等に発達したものが完全な常識である。別な言い方をすれば、人情に通じ、通俗の事理を解し、適宜の処置を取りうる能力である。智とは、人として知恵が充分に進んで、ものを識別する能力。善悪是非が出来なければ、利害得失に欠け、如何に学識があってもその人の学問は宝の持ち腐れになる。智慧が如何に人生に大切かが知られる。しかし智の弊に、ややもすれば術数に陥り欺瞞を生ずる場合があるので、気を付けなければならない。次ぎに「情」を巧みに案配しなければ、智の能力を十分に発揮することはできない。もし情がなかったら、自己本位で、他人の難儀には目をつぶり、蹴倒しでも一向頓着しない不均衡を調和して行くのが情である。しかし情の欠点は喜怒哀楽愛悪慾の七情により生ずる事柄は、変化の強いもので、心の他の部面に於いてこれを制裁するものがなければ、感情に走りすぎる弊がおこる。ここで「意志」が必要になってくる。動きやすい情を抑制するものは強固な意志である。この三者を適度に調和したものが「常識」となるのである。

投稿者 zuiryo : 10:52 | コメント (0)