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2024年03月31日

終日部屋籠もり

いろいろ頼まれ事があって、終日没頭。段々老齢化して、溜まる一方。万事やることが遅いのである。まっ、これは仕方が無いことで、精々頑張ろうと思っている。何時も傍らに猫のたまちゃんが居る。ただ丸くなって寝ているだけだが、何となく心癒やされる。少々鬱陶しく思う日々なのだが、これは仕方の無いことで、お役目の一つなのである。特に近年、老化現象で、やることが遅い。故に溜まる。この悪循環がづ~っと続いている。しかしものは考えようで、この年まで仕事があるというのは幸せなことである。

投稿者 zuiryo : 17:47 | コメント (0)

パソコン、トラブル

突如としてパソコンが言う事を聞かなくなった。頭にきて、めったやたらキ~を押しまくった。これで更に事態は悪化し、完全にお手上げ、降参である。雲水に来て貰って、この深刻な事態をどうにかしてくれと言ったら、ちょちょいっとキ~を押し、たちまち元に戻った。まるで魔法のようだ。そもそも80過ぎの老いぼれが触るようなしろ物では無いのだ。トホッホッ!老人だからこそパソコンをいじれば、少しはドタマの刺激になると思って、そこは前向きに考えて、やっているのだが・・・。結果、周りに迷惑掛けまくりになった。しかしそれでもめげずに、今もなおパソコンのキ~を押しまくっているのである。

投稿者 zuiryo : 14:02 | コメント (0)

寝忘れを忘れて

普通に起きてしまった.余った時間つぶしにこうしてブログを書いたり、机の上を整頓したり・・。遙か昔若かった頃は、この寝忘れが本当に楽しみだった。老人になったら、寝忘れが苦痛になってしまった。明日からは4月、愈々雨安居入制である。僧堂は制間より制中の方が充実していて良い。ところで、老化で頭も同時に老化して、病院の診察には親族を一緒にと言われてしまった。遠方からわざわざ来て貰うのも申し訳ないので、次回からは古参の雲水に付き添って貰うことにした。

投稿者 zuiryo : 03:45 | コメント (0)

2024年03月30日

窓越しに見ると・・・

机に座って窓越しに向いの山を見ると、木々は微かに揺れている。物音ひとつせず・・・、これが何時もの風景である。椅子に腰掛け机に向かっていると,愛猫「タマ」ちゃんが、腰掛けに割り込んできて、私のお尻が邪魔なんだよな~とばかりにしきりに蹴飛ばす。それを無視して、今このブログを書いている。街の喧騒も此処までは届かず、山の木々が陽に照らされてキラキラ輝いている。毎日この景色を眺めながら、飽きもせず、ジ~ッとして居るのが何より好きだ。丁度40才の誕生日の前日に入寺した。今80才だから人生の凡そ半分を此処で暮らしてきた勘定になる。この40年間、いろいろなことがあったが、健康で雲水と一緒に修行させて貰えることが、何よりの幸せである。ふっと前の壁を見ると、30年くらいまえ、友人と三人で、山奥の白鳥町へスケッチに出掛けた時の、私の下手っぴ~な絵が掛けてある。27,4,10、と右隅っこに書いてある。遙か昔のことなのだが、昨日のことのようにその頃のことが甦ってくる。

投稿者 zuiryo : 10:29 | コメント (0)

2024年03月29日

終日、部屋籠もり

今日は朝から晩まで机にかじり付いて、いろいろ片付けた。まっ、そう大層な事でもないが、時たまこうして一気に片付けることがある。依然として机の上は様々な書類でうづ高くなっているのだが、転ばぬ先の杖ならぬ、こぼれ落ちる前の片付けって~わけ。私も老人になって万事ものぐさになった。しばしばこれをやって置かないと、大変なことになるっつわけだ。兄は小さい頃から何時も机の上はキッチンと整理整頓されていた。一方、隣の私の机の上は物が溢れんばかり,一寸触るとガタガタガタっと辺り一面本が散らばった。三つ子の魂百までと言うが、本当にその通りである。

投稿者 zuiryo : 17:56 | コメント (0)

ブログは今後一切書かない

ある時、日々恥をさらしている自分に気づき、表題のように書いたわけである。しかし何日か経つうちに、くだらん!と思った人は無視すればいいわけで、百人に一人くらいは、まっ,試しに一度読んで見るか、という人もあるかも知れないと思い直し、恥をも返り見ず続けることにした。稚拙な小学生の作文でも読んでみたら、たまには面白かったと言う事もあるかもしれぬ。私は遙か60余年前、突如として禅のお坊さんになると宣言した。両親初め兄弟全員、勉強のしすぎで頭が可笑しくなったと思ったそうだ。特に母はショックだったようで,私が自室の机に向かうと,すぐに来て、外へ遊びに行ってらっしゃい!と言った。何事もほどほどが良いのであって、勉強しすぎで、ついに頭が狂っちゃったのだ。あれからもう六十余年も経った。当時心配してくれた父や母も既に他界した。修行を20年ほどやって、初めて鎌倉の小庵に住職したときは、母を始め兄弟達は本当に喜んでくれた。それから約十数年後、現在の岐阜瑞龍にやって来た。こんな事を時々想い出し、当時心配掛けた、両親始め兄弟達を想い出す。

投稿者 zuiryo : 13:42 | コメント (0)

2024年03月28日

コストコ

午後から雲水と三人で、「コストコ」と言う巨大ス~パ~みたいなところへ行って来た。広いたら広い,マゴマゴしていると迷子になる。普段ひとりっきりで静まりかえったところで生活しているから、こう言う雑踏の中に入ると、ただそれだけで頭はボ~ッ!魂の抜け殻のようになってしまった。何とか買い物籠にしがみついて、迷子には成らずに済んだ。まっ、1年に一回ぐらいは刺激を受けるために行くのも良いかも知れない。世間の人はこう言うところで生きているんだな~っ!

投稿者 zuiryo : 16:52 | コメント (0)

午後、コストコへ

車で40分程行ったところにある巨大なス~パ~、コストコへ行ってきた。お寺の中でジ~ッと住んでいると、世間がまるで見えて無いという事がよく解った。たまにこうして俗世間を見てくると、今がよく解る。これじゃ~柳ヶ瀬が廃れるわけだ~っ!しかし人の多さに呆然として、何もしないのに矢鱈草臥れた。老人はあまり行くところでは無い。まっ、たまにはこう言う刺激も受けないと,馬鹿になる。良い社会見学が出来た。

投稿者 zuiryo : 16:19 | コメント (0)

馬鹿度、着々進化

変な表題で,失礼だが、しかしこれは本当のこと。どなたでも老人になればこうなるのだが、私の場合その進み具合が極端で、恰も断崖絶壁からこれげ落ちるがごときなのである。もう絶望しか無い。トホッホッ!なのである。もうこうなったら降参だ。まっ、そういうことを少なからず自覚しているのは、まだ救われるとも言える。いずれにしてもこれから先は暗雲垂れ込む,と言うわけである。最近はちょくちょくバカバカと連呼、益々馬鹿丸出しになってきたわい。

投稿者 zuiryo : 11:14 | コメント (0)

2024年03月27日

参道松の切り倒し

参道両側に松が植えてある。近頃、除草剤散布によると思われる立ち枯れが続いている。この調子で行くと遠からず参道は松一本も無い、すっからケツとなるだろう。まっ、それも仕方が無いことだ。こっちの知ったことじゃ~無い!この松を維持して行くだけでもかなり費用がかかる。いっそ無くなってしまえば維持費も要らなくなって、こんな良い事はない。まっ、無責任と思われるだろうが、そう思っている。それで山内一同、目出度し目出度し、である。

投稿者 zuiryo : 16:33 | コメント (0)

お話し、1時間

禅修行に関心を持っている社長さんが、社員を引き連れてお寺にやって来た。この社長さんは波瀾万丈の人生を渡ってこられた方で、日頃からその根性には頭の下がる思いである。1時間ほどお話をさ
せて頂いた。後は終日の~びり過ごす。お日さんがキラキラ輝いて,気持ちの良い日和である。私はこう言う無為の時間が大好きだ。どうも生来ナマケモノなのかも知れない。机の前の窓越しに向いの山の木々がユラユラ揺れている。ところで、近頃私の頭が馬鹿になってきたようなのだ.自分では全くそう言う風には思わないのだが、周りの空気はそう思ってるらしい。トホッホッ!なのだ。そう言われてもこれは直しようが無いのだ。故にトホッホッなんて言ってる場合じゃ無いっつうの。


投稿者 zuiryo : 13:57 | コメント (0)

2024年03月20日

頭パ~ッ!

故に今後ブログは書かない。とパソコンの端っこに紙が貼り付けてあるのに、無視して書いている.これでは何のための警告か解らない。トホッホッ!なんて言ってる場合じゃないつ~の。まっ、読む方が無視してパスすればいいわけだから、そうガタガタ言うこともない。人間誰でも老人になればこのように恥を世間漁らすことになる。人間やめたく成っちゃう。窓越しに見たら、雨が降り出して瓦が光っている。昼間というのにまるで夕方のようになった。机の前に元気だった頃のハチの写真が置いてある。もう死んで大分成るが、いつ見ても溌剌とした頃のハチの姿が懐かしく想い出される。

投稿者 zuiryo : 10:14 | コメント (0)

2024年03月18日

くだらないブログは無駄!

と言いながらまた書いている.まっ、一種の病気みたいなもの。たとえは少々良くないが,アル中、飲むなと言われているのについ酒瓶に手が伸びる。お前の頭の程が丸解りっつうわけだ。まっ、アル中は雄叫びを張り上げて辺り一面、迷惑掛けまくりだが、このブログは無視すれば良いだけのことだから、はた迷惑ではない。そう思って飽きずに恥じを返り見ず、日々書きまくっている。居室の窓から、あい向いの山の木立が風にユラユラ揺れている。ジ~ッと何時までも飽きずに眺めていると、不思議に心癒やされる。

投稿者 zuiryo : 10:26 | コメント (0)

2024年03月15日

仏涅槃会

本来なら午前,仏しょうをお供えしその後、山内寺院も全員出頭して仏涅槃会を行なうのだが、近年は僧堂のみの行事になった。何時もこの行事の時は、あ~!ぼつぼつ春だな~っ!と思う。今日もサンサンとお日様が降り注ぎ、境内の木立も微かに揺れて、太陽が一杯降り注ぎ、穏やかな陽気である。涅槃会とポカポカ陽気は同時にやって来る。ところで、ふっとパソコンの左隅っこを見ると、なんと、「ブログは今後一切書かない」と、メモ書きが貼り付けてあるではないか!それを無視して今こうしてブログを書いている。私も近頃は少々認知気味なのである。恥を世間さらさないために,こうしてメモを貼り付けている。それを無視しているのだ。トホッホッ!

投稿者 zuiryo : 10:26 | コメント (0)

2024年03月14日

終日部屋籠もり

な~も無い日である。終日、机に向かって、散らかった机の上を整理整頓、実にスッキリ片付いた。気持ち良いったらありゃ~しない。傍らで、愛猫たまちゃんが、日差しを浴びて気持ちよさそうに丸くなってスヤスヤ。窓越しに、向いの山の木立が風に微かに揺れて、キラキラ輝いている。ジッと眺めていると不思議に心癒やされる。私はこう言う時間が大好きだ。無音、これが良い。ふと、机の前にあるメモを見ると、「・・断食道場は金輪際行かない。滝行は今年限りで止める。」と書いた紙が貼り付けてある。が、多分これは破られるだろう。行く気満々、明日にでも行きたいのだから。それならこんな事、書かなきゃ~良いじゃないか!でも書いちゃう、この矛盾!人間は誰でもこう言う矛盾の中で、日々佇んでいるのである。

投稿者 zuiryo : 16:21 | コメント (0)

休息日

今朝は寝忘れ、終日部屋に籠もって、身の回りの整理整頓、机に向かって溜まった仕事をこなす。机の上がこれでスッキリした。あ~、気持ちいい!部屋で机に向かっているときが一番癒やされる。まっ、人によると、しょっちゅう、外出して、夕方帰って来るという,まるでサラリ~マンのような人もいたが、こう言うのも人様々である。傍らで,猫のタマちゃんが日差しを浴びて気持ちよさそうに寝転んでいる。私が居室で机に向うと、必ず猫のタマちゃんが近くにやって来る。窓越しに向いの山が見え、木立がユラユラ揺れ、夕日にキラキラ輝いている。じ~っと眺めていると、不思議に心癒やされる。

投稿者 zuiryo : 15:21 | コメント (0)

2024年03月12日

冷たい雨がしとしと・・

どん雲リからやがて冷たい雨がシトシト、居室の窓から向いの山を眺めている。微かに木立が揺らいでいる。まだ午後4時だっつうのに、薄暗い。陰気ったらありゃ~しない。ふっと机の前に飾ってある写真に元気な頃の愛犬「ハチ」居る。シ~ンと静まりかえって、窓越しにこの景色を眺めている。私は限りなく静かなこの雰囲気が大好きだ。無音、自分の呼吸が聞こえる。

投稿者 zuiryo : 16:02 | コメント (0)

2024年03月11日

終日の~んびり

今日に始まったことでは無い。ズ~ットこの調子だ。トホッホッ!日々老化と格闘である。そうして全敗中。だからあまり気にしない。故に日増しに馬鹿になる。トホッホッ!なんて言ってる場合じゃ~ないつ~の!庭の草引きが始まった。広い境内、生えてくる生えてくる、草と全面戦争である。敵も相当手強い。待ったなしだ。ノ~ビリなんて言ってる場合じゃないつ~の!

投稿者 zuiryo : 15:12 | コメント (0)

今後、ブログは一切書かない

パソコンを開けると直ぐ左隅っこに、表題のメモが貼り付けてある。察するところ我ながら自分のブログのお粗末さに唖然として、さらなる恥をさらさぬように注意書きをこのように貼り付けたようだ。それを横目に見ながら無視して今ブログを書いている。どうだ、この矛盾!これじゃ~せっかくの自らの忠告も無駄ではないか。まっ、そう人に読まれることも無いだろうから、気にしない気にしない!つうわけ。自分の頭の体操だと思って勝手に書いている。未熟者、今年82才になった。この老いぼれを、如何に死ぬまでの間、持ちこたえるかだ。

投稿者 zuiryo : 11:24 | コメント (0)

2024年03月10日

日々馬鹿度が進化

変な表題になったが、要するに老齢化による、認知症領域突入。さすがにこれは相当親しい人でも、面と向かって言う人はいない。大らかに考えれば年齢相応ってところ、これでガクッ!と来ることは無い。周りに迷惑掛けないうちに、ボツボツ師家引退も覚悟しなければ・・・・、と思い始めた。丁度40才の誕生日の前日に入寺し、爾来40年、まっ、大過なくここまでやって来られたのだから、目出度し目出度しだ。問題は良き後継者である.弟子の中に候補者がいれば問題は無いのだが・・・。そもそも私自身も外から貰われてきたのだが。さてこれから具体的に動き出さなければならないのだが、上手く行くだろうかな~っ!究極のところ、身の不徳って~ところなのである。師家40年もやって来て、今更嘆いているようじゃ~。そう言う愚かな自分を責めるよりほかない。

投稿者 zuiryo : 10:44 | コメント (0)

2024年03月06日

会下(えか)の集まり

ほぼ年に一回、嘗てうちの道場で修行した者達が集まって懇親の集いが近くのホテルで催された。もう皆な老人になった。僧堂の雲水時代を思い出し、現在と重ね合わせると、何とも不思議な感じである。そう言っている私自身も、82才のヨロヨロ老人になった。お互い様なのだが、嬉しい集まりであった。裏方で骨折ってくれた幹事役に感謝感謝である。特別なことは何も無いが、一緒に食事をしてお喋りをしていると、なんとも言えぬ良い気持ちになった。後、何年、元気で皆と会えるかな~。

投稿者 zuiryo : 15:28 | コメント (0)

2024年03月03日

恒例、梅祭り

毎年のことだが、梅祭り協賛で、うちを会場に茶会が開かれる。その為沢山の人がやって来て、平生静かな境内は大賑わい。本音を言えば迷惑千万なのだが、これも地域への協力っつうことで、我慢の一日、お寺も日頃、お世話になっているので、お返しの日でもある。特に今日は好天に恵まれ、お日様のサンサンと降り注ぐなか、普段の僧堂では見られないような、賑やかな一日である。この賑わいも、隠寮辺までは聞こえない。私はいつもと変らず、シ~ンと静まりかえった自室で、傍らの猫のたまちゃんをチラリ眺めながら、こうしてブログを書いている。


投稿者 zuiryo : 10:30 | コメント (0)

2024年03月01日

終日のんびりと・・・

終日のんびりと部屋籠り、机に向かっているといろいろやることがあるものだ。制間に入って、こののんびり感が実に良い。私の就いた師匠は兎も角、外出するのが好きだった。まっ、小僧時代、終日縛られて自由になれなかった反動かもしれぬ。机の窓越しに向いの山が見える。木立が風にユラユラ揺れている。ボ~ッと何時までもそれを眺めていると、不思議に癒やされる。私はどちらかと言えば、人嫌いで、部屋で一人、机に向かって居るときが好きだ。傍らに愛猫タマちゃんが、気持ち良さそうにゴロリと寝転んで、サンサン降り注ぐ日差しを浴びている。山に囲まれ、街中の喧噪は全く無く、別天地である。本当に有り難いところに来させて頂いたものだ。感謝感謝。

投稿者 zuiryo : 14:27 | コメント (0)

今日から3月・・

少し春めいてきた。日差しも心持ちキラキラして、自室から窓越しに見える山の緑が風にユラユラ揺れている。ついこの間、明けまして・・・てなことを言ってたら、早や新緑の3月になった。だからと言って特別なことは何もない。僧堂はいつもと変わりないのだが、不思議に心躍る。未熟者も齢(よわい)82歳になった。日常万事に、することなすこと、「トロク」なってきた。ボツボツ年貢の納め時だな~!ふっと思うのだが、この役目、誰も喜んでなんて~のは無い。代わってくれ~っ!と叫んでも、みんなそっぽを向いてしまう。かくなる上は棺桶片足突っ込むまでやり抜く以外、ないのかな~、トホッ。

投稿者 zuiryo : 09:47 | コメント (0)