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2010年06月26日

ご無沙汰

11日、親指の爪を剥がされ、目から火花が飛んだと言うところで、パソコンが故障。内蔵部品が2ヶ所傷んでいたようで、今日漸く修理完了、受け取りに行ってきた。保証期間を延長する手続きを取っていたようで、無料。早速作動させ画面は元通り復活したのだが、文字入力のボードと無線のマウスが全く作動しない。そこでいつもコーチ役を頼んでいる和尚に電話で問い合わせ、無事解決した。そこでしばらくお休み中だったブログを復活させたわけである。さて飼い犬に手を噛まれた親指も2,3日前からお医者さんの治療は終わり、今日は傷口に新しい皮膚が出来て、何とか普通に使えるようになった。本当に長い間不自由な思いをした。親指たった1本でも、これだけ大変なのかと改めて思い知った。25日、教区花園大会の前日で、新管長河野太通老大師猊下と会食、以前より大変親しくさせて頂いていたので、こちらもリラックスしてお相伴できた。実にフレンドリーで、独特の魅力のある方で、管長と言う重い肩書など一向に感じさせない。既に今年1月誕生日を迎え、満80歳に成られるが、お元気そのもの、益々のご活躍を念じた。ところで、久しぶりにメールを開けたら、高校時代の同級生が急逝と連絡があった。大変面倒見のいい男で、クラスの仲間の様子など逐一メールしてくれて、藤沢で度々催されるクラス会に何度もお誘い頂いた。未だ一度も顔を出さないうちに亡くなってしまった。80歳を過ぎても尚溌剌と現役で活躍する人もいれば、60半ばで早亡くなられる人もいる。まだまだ生きてやりたいことも沢山あったに違いない。本当に残念無念である。

投稿者 zuiryo : 16:43 | コメント (0)

2010年06月11日

爪を剥がす

ハチに噛まれた親指の治療のため、毎日近所の外科へ通っている。初期の痛みは殆ど引いて、後は傷口の化膿が収まれば良いのだが、どうも爪の内側が少々化膿しているので、一部爪を剥がしましょうと言われた。ええっ!電線の被膜を引っぺがすのとよく似たペンチの小振りなのをやおら出して、「ちょっと痛いですが、念仏でも唱えておって下さい」だと。では、じょきじょき、イテテテテッ!目から星が飛び出て、瞼が痙攣した。爪を一部にせよ根本まで切り取るわけだから痛くないわけがない。というわけで、化膿止めや痛み止めの薬を貰って無事帰ってきた。親指が使えないと、日常生活は誠に不便で、朝顔を洗うことから、着替え、勤行の焼香、雑巾掛け等々、数え上げたら切りがないほど、実に困ることばかりである。ある人と話していたら、親指はそれだけで何かをしなくとも指全体に大いなる影響があるので、足の親指を手に移植した人があるそうだ。例えばコップで水を飲むにしても、親指で掴むわけではないが、親指が支えになって他の指が働く。一日も早く完治することを願うのみである。さて午後、5年後に計画している僧堂創建円照禅師二百年遠忌の相談会があった。いろいろ議論沸騰で良い会議が出来た。三人寄れば文殊の知恵と言うが、それぞれの立場からのご意見で大いに参考になった。私一代のうちに、二辺も大行事を主催できるというのは、本当に有り難いことで、感謝しなければならないと改めて思った。これも僧堂修行時代にいろいろな経験をさせて貰ったことが今生きている。だてに僧堂の飯を食っていたわけではないのだ。

投稿者 zuiryo : 15:59 | コメント (0)

2010年06月10日

粗悪品

私の日常は結構時間で追われ、次々に行事があるので、仕事に夢中になって忘れないようにちょくちょく目覚まし時計を使う。だからあっちこっちの部屋に幾つも目覚まし時計を置いておく。私が小さかった頃は時計は大変高価なものだったが、今では実に安く然も正確な時計が手に入るようになった。何か商品を買うと腕時計が景品に付いてくると言う時代である。戦後間もない頃のことを思うとうと隔世の感がある。さてその目覚まし時計だが、日曜大工店へ行くと千円前後の、実に安い時計がずらっと並んで、どれにしようか迷うほどだ。そう言うのを買ってきてしばらく使っていると、直ぐアラームが壊れて鳴らなくなる。多少時計は狂っていても構わないのだが、肝心のアラーム機能が駄目になったのでは、全く使いものにならない。この機能こそ私にとって必要なものなのである。仕方なくまた新しいのを買ってくる。するとこれもしばらくするとまた壊れる。というわけで、私の処には半分壊れた置き時計がわんさと溜まる。そこで思うのは、何も無茶苦茶安くなくても良いので、多少値は張っても、ともかく簡単に壊れないのが欲しいのだ。買っては壊れの繰り返しでは却って高いものに付くわけで、何でも安けりゃ良いというものでもあるまい。近頃百円ショップでビニール傘を売っている。よくもまあそんな値段で傘が出来るものかと不思議に思うが、結局ちょっと使ってはそこら中にぽいぽい捨てるから、忽ちゴミとなる。今度はその処理費用にお金がかかり、これではトータルで考えると高いものになる。大量消費大量廃棄の時代は終わったと思っていたら、益々酷くなっているように思う。

投稿者 zuiryo : 11:20 | コメント (0)

2010年06月07日

飼い犬に手を噛まれる

午前中医者へ行ったり買い物に出掛け、時間があったので車の中掃除機を掛け、マットも綺麗に洗って、清々しい気分になった。台所の前を通るとハチがコンクリートの隅に横になって気持ち良さそうにすやすや寝入っていた。そこでいつものように顔を撫で腹をさすると、なんといきなりガブッ!親指から血が滴り落ちた。大抵は薄目を開けて私だと解ると、自分から両足を広げて、お腹を撫でて欲しいという仕草をするのだが、その時は何を間違えたか、いきなりガブッ!あまりの突発事故で、こちらも驚いた。察するに、深く寝入って自分の置かれた状況が解らず、敵襲来と思ったのだろう。ハチに罪はないので、部屋に戻り消毒をして包帯をぐるぐる撒きにした。まさに飼い犬に手を噛まれるとはこのことだと思った。ところで先日山内の和尚さんと話していたら、最近業者に縁の下を調べて貰ったら、シロアリにやられていることが判明、寺じゅう消毒をしたそうだ。これを聞いて急にうちも心配になり、数年前調査して貰った会社にもう一度頼んだ。つい数日前その結果がわかり、何と3ケ所も土台をシロアリに食われている事が解った。こうなると寺全体を消毒する必要があるそうで、広いお寺のこと、その費用も馬鹿にならない。然も有効期限は数年と言うから、今後繰り替えし続けなければならないわけで、それを思うと目の前が真っ暗になった。伽藍を新築したのが平成5年だから、既に17年経過し、屋根周り、樋や台所、畳、襖等々、修理の上にこのシロアリ、もう全く嫌になってしまう。伽藍の維持管理も並大抵ではない。

投稿者 zuiryo : 11:00 | コメント (0)

2010年06月05日

カラスと夏みかん

この間カラスが大きな夏みかんを何処からか運んできて綺麗に食べたという話を書いた。それを先日山内の和尚さんの集まりの時話したら、どこかに生っていた物をカラスがもいで来たのではなく、山内の墓地にお供えしてあった物を持ってきたのでしょうと言う。な〜るほど!それで一対お供えしてあったので二ヶなんだ。それから大きな嘴でぶすっと刺して運んだのではなく、「鷲ずかみ」と言うくらいだから、両足で掴んで運んできたのですよ。な〜るほど!あんな大きな物を口に刺してはバランスが悪くとても飛ぶことは出来ないし、夏みかんが邪魔になって前が見えない。よ〜く考えたら、木に生っている夏みかんを、幾らカラスは頭が良いと言ったって、もぎ取ることは出来まい。さらにそれを嘴にさして運ぶという発想自体が可笑しい。余りにも想像力の貧弱なのには我ながら呆れた。と言うわけで、このカラス夏みかんの一件は落着。ところで近頃思うことに、テレビのドラマやその他の番組タイトルに筆で書かれた物がよく使われている。題字を書かれている人に失礼かも知れないが、全く書になっていない。これが現代好みというのか知れないが、あの軽薄さは余りにもひどい。以前ある高名な画家から中国の顔眞卿の額入りの書を頂いた。勿論本物は国宝だから複製された物だが、相当高度な美術印刷だから、真に迫っている。いつも居室の壁に掛けて眺めているが、何とも言えぬ味わいがある。書とはこういうものである。何事も時代を反映しているから、書に限らないのか知れないが、薄っぺらな字を見ていると、心が寒々としてくる。書は人なりと言う。別に広く人様に見られるものでなくとも、字を見れば凡そ人と成りが解る。ましてや多くの人に見られる立場の者は、書で足元を見透かされるのだと言うことを、肝に銘じておくべきである。

投稿者 zuiryo : 18:21 | コメント (0)

2010年06月02日

土地の境界

お寺では市内各所に点々と貸し地がある。最近そのうちの一つが、先方さんの都合で戻ってきた。長らく住んで居た方が家庭の事情で家が不要になったので、取り壊しお寺に返却するというわけである。そこで更地になった跡を、次ぎにどうするかであるが、土地を管理している会社に相談したところ、駐車場にするのが良いでしょうということになった。整地し舗装してラインを引き、貸し駐車場にするための建設会社も決まり、いよいよ工事が始まった。ところが東側のお宅との境界で、双方の主張に違いが出てきて困っているので、和尚さん立ち会って下さいというので出掛けた。先方は80歳近くのお婆さんで、いろいろ話し合った結果、一応双方納得した境界が決まった。すると管理会社の社員が、大きな物差しを境界に置き、鉄の棒を建て、私とそのお婆さんがお互いの土地に立って写真を撮るという。これが今後の証拠になるのだそうだ。カンカン照りの中、ぶすっと突っ立っていたら、和尚さんもお婆さんもにっこり微笑んで下さいというのだ。何故だ!と言うと、この境界でお互い結構ですという意思表示が大切で、その為には笑わなければいけないのだそうだ。その説明を聞いて私は思わず笑ってしまった。その瞬間パチッとシャッターを切った。まったくもう、土地の境界の話しになると、いずこも目くじら立てて言い争いになる。私はお寺の土地を引き継いでいるだけで、別に個人の所有物ではないので、あっさりしたものだが、一般の人ではそう言うわけにはいかない。たった5センチ10センチのために、何日もかかることがある。今日の場合は比較的直ぐに決まって良かった。これが国境線の場合なら、間違えば戦争にまでなることもあるわけだから、笑ってられない。気温28度の猛暑の中、無事に済んでやれやれであった。

投稿者 zuiryo : 13:39 | コメント (0)