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2017年11月30日

紅葉真っ盛り

毎月4回知人約9名が集まって習字のお稽古をしている。先生は近くにお住いの書道界の重鎮の方で、私たちには少々勿体ないような方である。今日もその集まりがあったのだが、隠寮の庭がちょうど紅葉の真っ盛り、楓とドウダンが日差しを浴びて真紅に輝いている。毎日履き掃除をしているから落ち葉一つない。「ま〜、きれい〜!」と一同感嘆の声を上げていた。織りなす十丈の錦通紅・・・というが、まさに花よりも美しい。京都には東福寺や南禅寺など紅葉の名所は数々あるが、人混みにもまれながら、紅葉を見に行ったのか、人の頭を見に行ったのか分からないようなところと違って、シ〜ンと静まり返った部屋から一人でじ〜と眺める我が家の紅葉がどこよりも一番だと思っている。

投稿者 zuiryo : 14:22 | コメント (0)

2017年11月28日

般若会打ち上げ会

私の代になってから総代さんの発案で「般若会」という早朝坐禅会が始まった。爾来今年で31年目になるのだが、今年度分はこれで終わるので、今夕は近くの食事処で打ち上げ会が催される。私が岐阜にやって来たときは顔見知りは一人もおらず、離れ小島へ島流しにあったようなものだった。この会がもとになって、その後さまざまな人間関係が出来て、今では私の人生で一番友人の多いところになった。住めば都というが、まさにその通りである。土地柄も私にぴったりで、本当に良いところに来させてもらったと感謝している。また今日は一日かかって年賀状の表書きが終わった。昨年頂いたのを1枚1枚めくりながら住所を書いてゆくと、宛名の人の顔が目の前に浮かんで、あんなことがあった、こんなことがあったと、過ぎ去った日々を思い出すので、少しも苦痛ではない。却って楽しいひと時である。

投稿者 zuiryo : 05:21 | コメント (0)

2017年11月25日

年賀状

ぼつぼつ年賀状の宛名書きをするシーズンになった。知人にはいくら賀状を受け取っても絶対出さないと決めている人もいる。確かにご縁の多い方は膨大な数の賀状の宛名書きをしなければならない労力を考えると、とてもじゃないがやってられないと言うことになるのかもしれない。私の場合は左程でもないので、ちょっとしんどいな〜と思いながらも、年末恒例の仕事と思って書いている。それも本文の方は手書きしたものを印刷、労と言っても宛名書きだけの話である。知人でしっかりした方は元旦口占・歳晩書懐の詩を墨書して下さる。また絵の上手な方は年賀状のために相当な労力を払い、微細画を送ってくれる人もいる。そういう方から比べれば私のなんか、いい加減なもので恥ずかしい限りである。その宛名書きも二日も書けば済む。それに例えば亡くなられた場合は、その旨年末にお知らせのハガキを頂くので、消息が分かるということもある。ものは考えようで、せめて一年に一辺くらいは、自分の周辺の動向を知るいい機会でもある。

投稿者 zuiryo : 09:46 | コメント (0)

2017年11月23日

暫暇

暫暇には文字通りしばらく帰って、授業寺の手伝いをし、すぐに再び僧堂に戻って修行を続けるというのと、永暫と言って、そのまま帰らない二種類がある。近年寺の息子が親の後を継ぐために、その資格を取るというのが目的で、僧堂へやってくるのが多い。そういうのは初めから何年と決めて、その年月が来れば自動的に永暫する。しかし本来は長く修行するつもりで入門したものが、僧堂内での何かトラブルに会い去ってゆくのがある。これなどを見ていると、体裁のいい理由を挙げて、かくかくしかじか止むを得ず下山することになったと言うが、結局それだけの願心しか持っていなかったということである。自分に甘いのである。修行は自己との闘いである。自分に対して厳しい眼を持つことが出来ない者は、まあそれだけの男だということである。言い訳はどれだけでも言える。真実の自己と相対して、一歩も退かないという強い心がなければこの道を歩み続けることは出来ない。在俗の者が出家して、禅僧として生きて行くのはそう簡単な話ではないのだ。簡単に変身して憚らない奴は、この繰り返しで一生を終わる。

投稿者 zuiryo : 13:49 | コメント (0)

2017年11月21日

ばあばのお墓参り

今日早朝に出立して、新潟県長岡市桂というところまで出かけた。遥か60数年前、小学生だった私と弟がばあばに連れられて夏休み山奥の農家の家に出かけた。ここはばあばの育った家で、当時お母さんが80過ぎくらいでまだ元気でおられた。日々の生活は誠に質素で、しかし心優しい人達に囲まれて、周りの景色も見るもの聞くもの初めてのことばかりで、楽しい夏休みを過ごした。谷底の小川で魚釣りをしたり、裏山に登ったり、こじんまりした神社で鬼ごっこをしたり、毎日珍しいことの連続で、楽しい夏休みを過ごした。今回はばあばの50年忌の墓参りと、当時お世話になった(すでに他界しているわけだが)その人達へ懇ろにお経をあげてきた。現在当家を守っているのは当時まだ小学生だった娘さんとその養子さん二人きりであった。懐かしい写真も沢山用意してくださっていて、昔をしのんで話が弾んだ。驚かされたのは周囲の道路が広くなって舗装され、家々もみな近代的に変わっていたことで、これも当然と言えば当然なことだが、近年大地震に見舞われほとんどの家屋は倒壊し、新たに家を作ったからであった。短時間だったが、懐かしい思い出が怒涛の如く蘇って涙が出るほど嬉しかった。

投稿者 zuiryo : 21:03 | コメント (0)

2017年11月19日

芸妓振興会

芸者さんと聞くとそれだけで何となく怪しい世界を連想し、余り素人の立ち入るとことではない雰囲気を感じられる方が多いだろう。まあ確かに全然そんなことはないというわけではないが、しかしこれも伝統文化の一つという見方もできる。嘗ては全国つづうらうら組織が出来ていたそうだが、現在では京都・東京・名古屋・金沢・新潟などほんの一部の地域だけで、ほぼ壊滅状態だそうだ。そんな中で岐阜のような地方都市でこの文化が今なお継承され、地域の経済界が支えているというのは大変珍しいことなのだそうだ。そのトップで岐阜一番の旧家のご主人が当時の知事さんに頼まれて芸妓振興会の会長として会を支えておられる。その方がうちのお寺の総代長でもあり、私もささやかながらご支援させてもらっている。というわけで、恒例の芸妓の踊りを愉しむ会が市内のホテルで約500人のファンを集めて催された。舞踊については上手なのかへたっぴーなのか全く分からないが、古典的な鳴り物と華やかな衣装は目をみはるばかりである。また市内の各界トップの方々が集まるので、良い社交場にもなっている。まあさしつさされつ、大いに盛り上がって終わった。

投稿者 zuiryo : 05:09 | コメント (0)

2017年11月15日

干支の色紙

十数年前、年末いろいろな方からご丁重なお歳暮をいただくので、何かお返しのものと考え、翌年の干支の動物を墨で描いて、それに禅語の賛を加えたものを差し上げることにした。一旦これを始めると、途中で止められなくなり、今なお続けている。動物の絵は友人の日本画家に見本を描いてもらい、賛の字は高名な書家にお手本を書いてもらい、てな具合で、何とか続けることが出来た。来年は犬年で1枚は子犬一頭のもの、もう1枚は子犬の兄弟、兄弟の方は何とかできたが、1頭の方は、モコモコの毛の犬なので、何回練習しても子狸になってしまう。焦ってこれでもかこれでもかと描けばかくほどますます狸、こりゃ〜どうしたもんだ!もう時間切れで、タヌキのままで良しとした。最近看護学校のボランティア活動の一環で、3人ほどお寺の掃除に来てくれた。御礼に早速子狸の犬を差し上げたら、「かわっい〜!」と大好評、喜んで持って帰ってくれた。

投稿者 zuiryo : 16:24 | コメント (0)

2017年11月14日

華厳寺・横蔵寺

東京方面の友人がやって来たので華厳寺へ案内した。頃合いに紅葉も進んで、延々と続く参道に感激していた。矢張りお寺は本堂に到着するまでのアプローチが重要である。本堂のお参りも済ませ、地獄めぐりをした。こういうのは初体験だそうで、漆黒の闇に足がすくんで途中止まってしまい、相当時間をかけてようやく出てきた。それから本堂裏側にある水かけ地蔵に体の弱いところにお札を張り付けて拝んだ。賓頭盧尊者にも同様に体の弱いところをさすった。正面階段に大木が根っこのところから折れて横たわっていた。幸い中心からは外れていたので通行に支障はないが、こんなこともあるのだと驚かされた。次に車で20分ほど山奥に横蔵寺がある。紅葉も進んでいて、三重塔に映えて一層美しかった。残念なことに宝物館は時間で閉まってしまい、境内の紅葉を愛でながら帰路についた。私も華厳寺のお参りは久しぶりだったので、山寺の風情をたっぷり味わった。

投稿者 zuiryo : 19:36 | コメント (0)

2017年11月06日

カラスにモーツアルト

カラスにモーツアルトを聞かせたら、どういう反応を示すだろうか?と考えた。一般的にカラスは聴きなれない音は確認に来ることがある。真似をすることもある。だが、音楽的な囀りはしないので、美しい音楽に感動することはない。(これってあったりまえでしょう)。その点うちで飼っていたジュウシマツの雌は鮫島有美子のドイツ歌曲に聴き入り、シューベルトの子守歌を聴くと、ちゃんと寝た。

投稿者 zuiryo : 14:32 | コメント (0)

2017年11月05日

カラスって食えるの?

ずばり食えます。長野県には「カラス田楽」という郷土料理がある。ネギ、ショウガ、味噌などを混ぜて叩いて串に刺して焼く。つくねのようなものだそうだ。薬味たっぷりな上に味噌というあたりがミソだが、是非一度食べてみたいと思う。以前東京都知事がカラスパイでお土産物として売り出したらなどと言っていたことがあるが、それなどよりずっと良い感じである。ハランスの古いジビエ料理のレシピにカラスを使うものがある。ローストやソースの出汁にするものだそうだ。フランスに住んでいた人に聞いてみると、現在でも趣味的にジビエとして食べる人はいるらしく、白黒のカラス(ニシコクマルガラス?)が特に旨いとされているとか。中国南部やベトナムでも食べると聞く。また韓国でも薬として利用されているという。自然死した新鮮なハシボソガラスを拾って解剖した際、食べてみたという人の話によれば、赤身で鶏肉とは全く違い、むしろ牛肉とレバーを混ぜたような風味だったそうだ。不味いというわけではないが、少々硬い上、まったく脂がのっておらず、わざわざ食うほどのものではなかったそうだ。なお念のために申し上げると、カラスといえども捕るためには狩猟免許が必要で、その辺で勝手に捕って食べてはいけない。またハシブトガラスは鳥類の中でも最も消化管内の線虫が多いという噂もある。まあ、ハシブトガラスの砂肝を生食するひともいないだろうが。

投稿者 zuiryo : 14:01 | コメント (0)

2017年11月04日

頭を蹴られないために

ぼつぼつカラスシリーズも終わろうと思うが、カラスに突然襲われたという話を聞く。なんと凶暴な鳥なんだ!と思うが、これは人間様の勝手な解釈で、カラスにはそれなりの理由あってのことだ。「本当に偶然だった。私からカラスまでの距離は30メートル、間に何本も木があって茂っていた。しかしまさにその位置、その高さ、その角度で双眼鏡を向けると、木々の葉の間隙を縫って、奇跡的に子ガラスと親が止まっている枝が見えた。まるでゴルゴ13の狙撃のようだ。雛がいる。しかも2羽。その時親鳥がヒョイと首をかしげ、じっとこちらを見た。カラスと目が合った。途端、カラスが物凄い勢いで威嚇を始めた。あ〜ガラガラ言い出した。しかも枝を叩いている。こりゃ〜相当怒ってる。隠していた子供が見つかったのが気に入らなかったのだ。瞬間目の前に2羽のカラスが立ち塞がった。じっと見つめて圧力をかけつつ、もう1羽にもチラチラ目を向けてスキを作らないように・・・。かくして刺客を遠ざけ二刀流の遣い手よろしく二羽のカラスを牽制して何とか縄張りを抜け出した。二羽のカラスは勝どきをあげている。ふ〜!」こういう話は結構聞く。カラスをよく攻撃的で鳥の中でも悪い鳥!というレッテルを張る。私もこの本を読むまではそう思っていたが、カラスそのものに罪はない。生きんがために必死になっているので、人間だってその通りではないか。つまりお互いに共存共栄を図るために、適切な方法を講じ、うまく付き合っていけばいいのだ。だってそうでしょう!あらゆる生物を食べつくす人間ほど悪はいないのですから。

投稿者 zuiryo : 10:32 | コメント (0)

2017年11月03日

カラス避けグッズ

ホームセンターへ行くと、園芸グッズに混じって必ずあるのが「カラス避け」である。「カラスニゲール」「ブラサガラス」とか、凝った商品名のものが多い。基本的にはカラスっぽいモノをぶら下げて怖がらせるとか、光モノで追い払う、中には磁気パワーで追い払うと謳っているものもある。ああいうグッズは効くのだろうか?一言で言えばあまり効かない。最初は用心するが、すぐに慣れてしまう。いつもそこにあって自分の行動に一切反応しないものは、恐るるに足らず、すぐ覚えてしまう。強いて言えば時々カラス避けを交換して慣れさせないようにするくらいしかない。半分くらいこれで秘密兵器投入!という感じで、半分くらい遊ぶ気でやらないと胃を悪くする。何せ、カラスの方は命がけなのだから。近年よく見かける黄色いゴミ袋やネットがある。カラスって黄色が嫌いなんだって!これは誤解で、鳥類の目は原色を増強する機能があり、人間には薄黄色でも、鳥には非常に鮮やかに見えるのだ。カラスにとってはドギつい黄色で、中が見えないのである。カラスは視覚で餌を探すから、確実に餌のある方に行く。問題は中が見えるかどうかであって、黄色である必要はない。さらに鳥類一般に嗅覚が極めて鈍いので、特定の臭いで追い払う方法も無理。向こうは命がけなので、そういう相手をこれ一つでお手軽に追い払おうというのは虫が良すぎるというわけである。まっ、人間とカラスの知恵比べである。

投稿者 zuiryo : 20:07 | コメント (0)

2017年11月02日

カラス不動産オススメ物件

渋谷駅近!コンビニ近!ショッピング最適、家賃3万円、木造2階建、6畳一間、築年数1年、敷金0円、礼金0円、風呂トイレ共同、東京都渋谷区交差点。ここがハシブトガラスにとっては最高の住処である。繁華街はエサが多い、ビル街で見通しが悪い、縄張りが接近しても喧嘩になりにくい。これが農地の多い郊外になると、数十ヘクタールの単位になる。山の中ではキロメートルで計るような行動圏となるから、繁華街の縄張り面積は一桁、それだけエサが多いわけである。ある人の調査によると、上野公園には10メートルか20メートル置きにカラスの巣があり巣の周囲だけ防衛して、餌場は公園周辺の繁華街を共用している。つまり上野公園はカラス天国なのである。現在はゴミがそこまで多くなく、巣を撤去しているから、以前よりは落ち着いている。しかしたとえ都会でも、カラスが育つのは決して楽ではない。台風の大雨が3日続いたら、巣立ち前の3羽は一度も飛び立つことが出来ずに、落ち葉の間から小さな華奢な干からびた骨となって土に還ってゆく。さらに鳥は冬を越すのが難しい。寒いうえに餌がなくなる時期を乗り切れる実力があるかどうかが問題である。つまりカラスは放っておいても、冬の間にかなり死ぬのである。カラスの話が進んでくると、思わず同情を禁じ得ず、単にカラスというだけで石をぶつけるなどという非人道的なことはできない気持ちになる。

投稿者 zuiryo : 11:30 | コメント (0)