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2008年04月26日

歳々年々人同じからず

私とほぼ同年で、斬新な企業経営で事業を拡大し、世界中を飛び回り、スポーツに趣味に遊びに、活力溢れる活躍して居られた方が、思いもかけぬ癌に冒された。手術は成功して一応安堵されたのだが、その後の抗ガン剤治療で髪は抜け、「頭だけはあんたと一緒になったね。」と言っていた。凡そ病気からは一番遠い人だと感じていたので、発病を知らされたときは耳を疑った。母上以来、私には格別目を掛けて頂き、本当に有り難いことだと思っている。人生先のことは全く分からないものである。又何時もご夫婦共々運動をしていた方が近頃見かけなくなったと思ったら、聞けばお二人とも相次いで癌で亡くなられたという。私の周辺の人達が次々病気になったり亡くなったりで、ひたひたと疫病神が迫ってくるような気がしてきた。季節は同じように巡っても、人は同じではないのだ。人生の無常を痛感する。そんなことで、このところ私自身の人生観も少し変わってきた。何時死んでも惜しくないように、自分に与えられたお役目を全うしたいと、改めて思うこの頃である。

投稿者 zuiryo : 21:17 | コメント (1)

2008年04月23日

新緑の候

15日から入制大接心、21日無事円成した。ほっと一息つく間もなく、翌日は地元銀行の新入女子社員の坐禅研修。1時間話しをしたのだが、最後尾で横を向いた二人が、何やらお喋りをしている。怪しからん奴がいる。そこで、「はい!そこの二人、お喋りは止めて!」と言ったら、何と耳の不自由な娘に手話で通訳していたのである。「ごめんなさい。」と謝った。昔、かの漱石先生も、片手をポケットに突っ込んで授業を聞いている学生を叱りつけたら、実は片腕のない生徒だった、と言う話しがある。ふとそんなことが頭をよぎった。このところ急に温かくなり、肌着を1枚減らす。途端にあれだけ鳴いていた鶯が1羽もいなくなり、(多分もっと山奥の方へ移動したのだろう)。急に静になって、他の小鳥たちの天国になった。知人の庭では最近椋鳥が大量にやってきて苔を捲ってしまうので、堪りかねて全面網で覆ったと言う。うちの庭にはでかいカラスがやって来て、杉苔を捲ってはミミズをくわえて行く。苔庭にカラスは絵にならぬ、これ鳥害である。

投稿者 zuiryo : 20:35 | コメント (0)

2008年04月14日

22年目の般若会

4月第2週目の月曜から始まって11月第4週の月曜日で終わる般若会も今年、22年目に入った。第1回目は何時も出席率は良く、昨年の場合は40人と禅堂も満衆の盛況であった。しかし今年は28人とやや低調な滑り出し、「棠林下、竹箆下がりは大の禁物」、これから徐々に尻上がりに増えてゆくことを期待した。今朝の坐禅は、開け放たれた窓から春風に乗って鶯の声が頻りにする中、実に清々しかった。僧堂は昨年より入制が明日15日からになった為、午後4時からの隔宿諷経の為、塔所掃除など、雲水も大忙しである。ところで最近気が付いたのだが、参道の松がえらく元気がない。2月早々に松食い虫防除の為の注射をしたばかりなのだが、葉っぱが皆下を向いて色つやも酷く悪い上、何本かの枝は真っ茶色に枯れ始めた。直ぐに枝は切り取ったが、これから先どうなるか少々心配。午後6時半、晩開板後総茶礼、いよいよ明日からの入制大接心へ向け、気分も盛り上がってきた。起床は午前2時半である。今夜は早めに休もう。

投稿者 zuiryo : 19:44 | コメント (1)

2008年04月13日

生涯現役

1年ぶりに、サンパウロのE氏ご夫妻とご親戚のT教授ご夫妻がお寺にやってきた。時折パソコンのメールで遣り取りはしているものの、矢張り面と向かってのお喋りが一番、四方山話に花が咲いた。少し小寒い春の風が吹き抜ける中、一緒に大衆禅堂で坐禅も組んだ。E氏は今年8月には満75歳になられるそうだ、相変わらず矍鑠として、農園経営・会社経営等、八面六臂の活躍で、一向に衰えた様子は見られない。勿論健康には人一倍気を使っておられるが、それにしてもこの元気さには頭が下がる。しかし年齢を考えると、今後何時まで農園経営を続けられるかが、目下一番の悩みで、話題はこの問題が中心になった。いっそ全て売り払って、日本に戻って、素晴らしい老人ホームは幾らでもあるから、ゆっくりされたら如何ですかと申し上げると、老人ばかりが集まっているようなところでは、私はとても暮らせませんと仰る。まだ世の中の為に出来ることは幾らであるから、生涯何事かし続けたいと言われた。前向きな話しを伺いながら、足腰が痛み出したから、もうぼつぼつ師家も限界かな、などと頭の隅をかすめていた私は、本当に恥ずかしくなってしまった。山田無文老師の般若心経講話を読んで、どうしても納得いかない部分があるので、そこのところを是非お聞かせ頂きたいと言われた。下手なお坊さんより、道を求める真摯な心構えに敬服させられた。

投稿者 zuiryo : 13:34 | コメント (0)

2008年04月12日

森の精

ある人がこんな話しをしていた。娘婿はドイツ人なのだが、最近日本の山は素晴らしいと、頻りに言う。何処がそんなに素晴らしいのか聞くと、下草がぼうぼうと生えて、そこに魑魅魍魎の息使いが感ぜられるところだという。私はドイツの森がどうなのか知らないが、これは日本独特なもののようである。つまり深叢に森の精のうごめきが察せられ、そこに人間世界とは違った、異世界を感ずることが出来るのだと言う。私は毎日、夜も白々と明ける頃、茶室の6畳間で、小1時間参禅を聞く為に坐る。開け放たれた障子から心地よい春風が吹き抜け、目を閉じると、ウグイスをはじめ、沢山の小鳥たちの大合唱を聞く。背後の山全体が一斉にうごめいているのだ。そこには損したの得したの、地位が上がったの下がったの、というような俗世とは全く違う、異世界の生命の躍動を感ずる。人間世界ばかりが「この世」ではない。便利で効率的で快適な現代社会の真っ只中に居るうちに、昔の人なら誰でも感じていた、「森の精」を失ったのである。

投稿者 zuiryo : 10:29 | コメント (0)

2008年04月11日

企業経営

今日はS製作所の会長さんがやってきた。昨年この会社を訪れた様子は既にブログに書いた通りである。初めてうちのお寺に来られたのである。そよそよと春風が吹き抜け、鶯が鳴き、開け放ったガラス戸から、新芽も鮮やかなもみじやドウダンが美しく映える心地よい日であった。「この雰囲気は昔の我が家を思いだして何とも懐かしい気分です。」と仰った。大垣の旧家に生まれ、当時高僧を招き座禅会を催し、提唱を聞いておられたそうだ。現在は大変業績の良い会社なのだが、「何か肝心なものが抜けている。」と危惧されている。その何かを、禅に求めて居られるのである。会社を人間と同じ生き物と考え、ただ物を作って売れればそれで良いというわけにはいかないと言うのである。一口に企業家と言っても、随分深いところで人間を見ていると言うことが良く解った。創業者だから一層、高い理念を以て末永い存続を願っているのである。そう言うところで悩み苦しんでいるこの会長さんの懐の深さがひしひしと伝わってきた。

投稿者 zuiryo : 20:57 | コメント (0)

2008年04月09日

嘘から出た誠

今日明日と2日間、地元銀行の新入社員坐禅研修。少々お話しをさせて貰った。世の中には嘘から出た誠ということがある。嘘には「まこと」を引き出す力があるのだ。少し高いところに目標を置いて、例えば今年は1ケ月に10冊は本を読むぞとか、会社なら今年は売上高10パーセント増だとか。言ったときは嘘なのだが、しかしこの嘘は言い続けていると、本気にする人も出てきて、「こりゃ〜大変だ!やらなくっちゃ〜。」と努力し続けているうちに、本当のことになる。この反対に、やれそうだな〜と思っていても、うっかり嘘になってもいけないからと、「やれるかどうか解りません。」などと言っているうちに、本当にやれなくなってしまう。甘なって下劣の漢となるである。結局嘘でも良いからやれると言っておいた方が良い。1回ぐらい駄目でも繰り返し嘘を言う。時には、「この嘘つき野郎め!」と怒鳴られることもある。また「信用しないぞ!」と言われることもある。それに耐えて嘘をつき通す。これには忍耐と努力が要る。それだけのしたたかさがなければならないし、高い「見識」を持っていなければならない。そこから初めて嘘から誠が生まれるのである。

投稿者 zuiryo : 20:47 | コメント (0)

2008年04月08日

花まつり

今日はお釈迦さまのお生まれになった日、11時から山内寺院、尼僧堂雲水も出頭し、お詣りの信者さんと共に、灌仏会が行われた。山門前には花御堂・水盤に天と地を指すお釈迦さま像、大きな薬罐に甘茶。しかし訪れる子供は一人も無し、少子化とはいえ、誠に寂しい限りである。4・5日は道三まつりで柳ヶ瀬辺は大賑わいだった。すれ違った子供御輿も担ぎ手の子供は居らず、リヤカーに載せ大人達が引っ張っていた。知人で町内会長を仰せつかっている方は、町内の山車引き回しについて歩き、竹竿で電線に引っかからないよう差し上げる係りだったそうで、もうくたくたと嘆いておられた。大体、町内の殆どはお年寄りばかりで、既に還暦を過ぎた彼が若手だそうだ。時代と共にまつりも様がらりして、地元の神社を中心に、地域住民こぞって祝うまつりから、商売優先・単なる人寄せ目的のまつりへ変化し、肝心な神社の方はし〜んと静まりかえっている。6月に私の下で修行した連中の集まりがあるので、ぼつぼつその時差し上げる達磨の色紙を書き始めた。大分描き慣れてきたのでフリーハンドでじゃんじゃん描けるのだが、十人十色、皆顔が違う。良く書き手に似ると言われるが、それは確かに言える。

投稿者 zuiryo : 11:58 | コメント (0)

2008年04月03日

頭の照り

毎朝洗面の後、塩を右人差し指に載せ、歯茎をゴシゴシ擦ると口中誠に爽やかになる。これは雲水時代からの習慣で、お陰で何時も歯医者さんからは、「あなたの歯茎は30代ですね〜。」と褒められる。次ぎに鏡に向かってべ〜と舌を出し、色具合を観察、また顔・頭の照り輝きを見る。これが私の健康を計るバロメーターである。特に頭がぴかぴか光ってないときは(一般の方の場合は無理な話だが)何処か体調不良と考え、意識してご飯なども良く噛み、静に部屋で坐り、呼吸を整えるようにしている。だから人様を見る場合でも、顔が輝いて居らず、どこか沈んだ感じの時は、「あっ、この人調子悪いに違いない。」と判断する。これが結構当たるのだ。「皮膚は内臓の鏡」と言うそうだが、目には直接見ることが出来ない腹の中が皮膚を通して見えるのである。そんなことを考えていたら、こころもその通りだと感じた。人の心くらい計りかねるものはないが、意外に見えるのである。目は口ほどにものを言いと言うが、今朝もハチと散歩に出掛けた。途中で突如立ち止まり、前足を揃えて突っ張っている。どうしたのかなと振り返ると、じ〜と訴えるような眼差しである(この眼差しが又可愛いのだが)。つまり僕はこっちへ行きたいんだ!と言うわけである。時間がなかったので、「駄目!今日は時間がない、今度行ってやるから!」と言うと、諦めて素直に付いて来た。犬と人間でもこのくらいのコミュニケーションは取れるのだから、ましてや人間同士なら、一言も喋らずとも、相手の心は見えるものである。[訂正]、昨日のジャズダンスはヒップホップダンスの間違いでした。

投稿者 zuiryo : 09:18 | コメント (0)

2008年04月02日

寺庭婦人

寺庭婦人研修会の立て看板を見て、「てらにわふじんって、何んのことかしら・・・?」と言いながら若い娘さんが通り過ぎていった。「じていふじん」と読む。お寺の奥さんのことである。今日うちの寺を会場にして寺庭婦人の研修会が催された。私にも何かお話しを・・・、と依頼されたが丁重にお断りした。以前うちの道場で修行していた雲水が、辛さに絶えかねて夜脱走。すると翌日そこの寺庭婦人が僧堂に怒鳴り込んできたことがあった。私の可愛い子供を酷い目に合わせたからだという。修行道場ではビシバシやられるのは当たり前、辛いのも当然のこと。辛抱が足りなくて逃げ出すような奴は道場に入門する資格はない。爾来私は寺庭婦人を相手にしないことにした。近年小中学校のPTAが、学校へ怒鳴り込んだり、教師に傍若無人な振る舞いをすると聞いたことがある。九州の何処かの学校ではそれが余りにも酷く、遂に校長先生と教頭先生が同時に退職されたと新聞で読んだ。末期的症状である。「女性の品格」と言う本がベストセラーになる一方で、現実はこの有り様である。罪科のない人を、「人を殺して死刑に処せられたい。」と、刺し殺す。世の中何処か狂っちゃってますね。

投稿者 zuiryo : 17:05 | コメント (0)

2008年04月01日

新年度

僧堂には世間の年度替わりはないが、3月、4月は新到入門時期で、自然に溌剌とした気分になる。尼僧堂は6人入り、俄然活況を呈してきた。月1回習字を教えに出掛けるのだが、部屋が満員になって、どうしようか思案中である。今日、たまたま岐阜薬大の女子学生と話した。彼女は陸上部の短距離・円盤・やり投げ・さらにジャズダンス・裏千家の茶道、など誠に多趣味。福島県の海沿いの街からやって来たという。岐阜へ来て気が付いたのは、郷里の魚の美味しさだという。新鮮で安くて朝昼晩と食べていたそうだ。それが海無し県の岐阜に来て、改めて故郷の良さを再認識したという。外国へ行って日本を知るというが、まさにこれで、「可愛い子には旅をさせ」である。親は見知らぬ土地へ娘をやる心配があるだろうから、近頃のご時世何が起こるか分からない、充分気を付けてね!と言ったら、「はい、ボロボロのジーパンはいて、男の子みたいな格好をしています。」と言っていた。

投稿者 zuiryo : 21:08 | コメント (0)