« 日本画家 | メイン | 英国旅行 »

2021年07月18日

老化

時は待ってくれないから、否応もなくどんどん老齢化してゆく。そうなりたくはないが、仕方が無い。同世代の仲間は、ほとんど寺を新命に譲って、楽隠居の身と言うのが大半だが、僧堂はそう簡単には行かない。私も今年79才になり、世間一般なら、もうとっくに隠居の身なのだが、まだ依然として現役である。まっ、骨董品に似たところがあって、古びるとそれなりの価値があるように思われるので、保っているようなものだ。それに一般の寺と違って、雲水相手だから、昔取った杵柄でやって行けるわけである。それでも記憶力の減退は抗しきれず、喚鐘の時には、懐に雲水数の参禅記録をメモしておき、カンニングペ~パ~をちょいちょい見ながら対応している。恥ずかしい話だが、たったこれだけの事が記憶できなくなったのだ。しかし一般の寺の和尚のような気遣いはまるで要らないから、総じて見れば我々は随分恵まれていると言うのが私の考えである。とは言うものの、これにも限界があるから、ボツボツ交代だな~!と、ふっと思うことがある。

投稿者 zuiryo : 2021年07月18日 11:03

コメント