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2010年08月16日

大文字送り火

今夜、京都では恒例の大文字送り火である。18歳の頃からずっとこの時期はお盆の手伝いで京都の小僧寺にいることが多かったので、16日の大文字焼きはいろいろな想い出がいっぱい詰まっている。ある年、お盆行事も無事終わって今夜は大文字でもゆっくり見物に出掛けようかと一息ついた夕方、知人の和尚さんから急な電話、棚経で一軒忘れていたところがあって、先方から電話で、大文字の送り火が始まる前までにお経に来て欲しいという。自分は他用でどうしても行けないので代わりに行ってくれと言うのである。日頃から大変お世話になっている先輩なので、断るわけにも行かず、承諾した。ところが先方の家はごちゃごちゃした下町の真っ只中で、然も既に暗闇、家を探すのに大変苦労した。もう探し当てるのを断念して帰ろうと決めたとき、偶然解って何とか約束を果たすことが出来た。お経が無事終わり汗だくになって外に出たら、鴨川の向こうに大文字の送り火が赤々と燃えていた。あの時は降って湧いた災難のようなもので、夕涼みがてらゆっくり大文字を見物しようという目論見は見事打ち砕かれ、不満たらたらだったが、今にして思えば、あの時の大文字送り火見物が一番良い想い出になった。あれから40数年が経って、それを依頼した和尚さんも既に他界し、若かった自分自身も老いぼれ爺になって、ふっと当時のことが頭を巡り、無性に懐かしくなった。京都には10数年出たり入ったり居たわけだが、その間どれ程この大文字送り火を見たか知れない。しかし、他の年のことは記憶に何も残っていない。どうも懐かしさと言うのは、良し悪しは別にして、ノーマルでないのが良いようだ。そう考えてくると、人生も順風満帆より波瀾万丈の方が、いまわの際に、充実した我が人生だったと、満足のうちに死んで行けるのではなかろうか。安楽な人生ほどつまらぬものはない。

投稿者 zuiryo : 2010年08月16日 09:30

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