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2016年09月12日

江戸時代の庶民

源空寺門前の一町内には、床屋が1軒・湯屋が一軒・そば屋が一軒というように、ちゃんと数が制限され、その町内の人がそのお得意客で、何もかも一町内でことが運んだ。次の町内の者が、その床屋に飛び込むと、変な顔をして断った。床屋は町内の寄り合い所であり遊び場だった。床屋だけではない、雷も町内専属で、「浅草三妙町の雷が尾張屋という米屋に落ちた」などと言う。暮らしに必要なものは著しく簡素かつ少数で、価格も低廉で、まっとうに働けば生活に困ることもなく、思い煩うこともない。町内が完結した小宇宙であった。祭りの相談、婚礼の世話、夫婦別れの仲裁、町内のあらゆる慶弔、もめごと、楽しみが髪結い床で話し合われた。この世の別れという人生最大の悲嘆も、春には花が咲き、秋には落ち葉が舞うような自然なこととして、淡々と受け入れていた。落語などにこう言う場面ガよく出てくるが、当時はそれが一般的で、短命で単純、打ち上げ花火のようにのどかな庶民の暮らしは、実に豊かな喜びと楽しみで彩られていた。そのときがくれば、観念したようにさっぱりと死を受け入れた。シンプルだが窺い知れぬ喜びに充実していた。洒落っ気と風流、あるとき郊外に遊んで、農家の側らに見事な梅が咲いていたのを見て、大金を与えて買い取る。しかし花の下で酒を酌むばかりで、梅の木を持っていこうとしない。農夫がいつ移植するのかと問うと、我が家の庭は狭くて植える余地がない。ずっとここに置いておく。それなら実がなりましたらお届けしましょうと言うと、「我は花をこそ賞すれ、実に望みなし、汝これを取れ」。農夫が驚いて、ただ花を見るためなら何時でもおいでください、お金は返しますと言うと、「人の花は見て面白からず、わが花こそ興あれ」と答えたという。嫌味な風流とも受け取れるが、当時の人にはこう言う洒落た風流の気分があったのである。さて現代はどうだろうか。個の人間の生涯の豊かさを考えると、本当に充実した人生だと言えるのだろうか。

投稿者 zuiryo : 2016年09月12日 04:25

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