« 外人さんの坐禅修行 | メイン | さくら »

2016年03月19日

古尊宿

近頃は僧堂と言っても実体は証明取りのための指導教育機関になっている。本来の僧堂修行を貫き通している、僧堂の中の僧堂は、多分一ヶ僧堂だけだろうと思う。それは指導している師家を見れば凡そ解るし、そこの雲水を見れば解る。かく言ううちの場合は残念ながら落第である。まあ、こういう僧堂も必要で、それなりに宗門の中で一定の役割は果たしている。だから別に卑下する必要はないが、本音を言えば、もう少し骨っぽいのを相手にしたいな〜と言うのが実感である。自分が修行した頃と時代が変わり、ものの考え方も変化したのだから、言えば愚痴になるだけである。1150年前の臨済禅師の頃の修行に戻ることなど到底出来ない相談だと言うことになるわけだが、もう一方で、いくら時代が変わっても人間の心は同じなのだから、こころひとつで精神は継承出来るはずと言える。時代が変わったからなどと言うのは、やらない者の言い訳に過ぎない。今度の法要に随喜し、あらためて襟を正す気持ちになった。

投稿者 zuiryo : 2016年03月19日 20:18

コメント