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2010年06月05日

カラスと夏みかん

この間カラスが大きな夏みかんを何処からか運んできて綺麗に食べたという話を書いた。それを先日山内の和尚さんの集まりの時話したら、どこかに生っていた物をカラスがもいで来たのではなく、山内の墓地にお供えしてあった物を持ってきたのでしょうと言う。な~るほど!それで一対お供えしてあったので二ヶなんだ。それから大きな嘴でぶすっと刺して運んだのではなく、「鷲ずかみ」と言うくらいだから、両足で掴んで運んできたのですよ。な~るほど!あんな大きな物を口に刺してはバランスが悪くとても飛ぶことは出来ないし、夏みかんが邪魔になって前が見えない。よ~く考えたら、木に生っている夏みかんを、幾らカラスは頭が良いと言ったって、もぎ取ることは出来まい。さらにそれを嘴にさして運ぶという発想自体が可笑しい。余りにも想像力の貧弱なのには我ながら呆れた。と言うわけで、このカラス夏みかんの一件は落着。ところで近頃思うことに、テレビのドラマやその他の番組タイトルに筆で書かれた物がよく使われている。題字を書かれている人に失礼かも知れないが、全く書になっていない。これが現代好みというのか知れないが、あの軽薄さは余りにもひどい。以前ある高名な画家から中国の顔眞卿の額入りの書を頂いた。勿論本物は国宝だから複製された物だが、相当高度な美術印刷だから、真に迫っている。いつも居室の壁に掛けて眺めているが、何とも言えぬ味わいがある。書とはこういうものである。何事も時代を反映しているから、書に限らないのか知れないが、薄っぺらな字を見ていると、心が寒々としてくる。書は人なりと言う。別に広く人様に見られるものでなくとも、字を見れば凡そ人と成りが解る。ましてや多くの人に見られる立場の者は、書で足元を見透かされるのだと言うことを、肝に銘じておくべきである。

投稿者 zuiryo : 2010年06月05日 18:21

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