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2011年10月11日

開山忌

五日・六日、恒例の開山忌が無事円成し、雲水も私もほっと一息付いた。九月始めの植え込みの剪定から始まって、境内清掃の毎日だった。丁度葉も落ちる時期と重なるので、一辺掃いてもせいぜい二,三日も保てばいい方で、忽ち元の木阿弥となる。正確に計算したわけではないが、多分10回は繰り返した。まだ前の箒目が立っている時でも、どこからともなく葉っぱが舞い降りて、また同じところを掃くことになる。考えてみるとバカみたいな話しだが、毎年繰り返されるこの掃除が開山さんへの最大の報恩底だと思っている。禅を理屈や道理で説明する人は山ほど居るが、この様に禅を実践する者は居ない。この間坐禅会の折り、碧巌録に臨済禅師と定上座の問答があった。仏法の神髄は何でありましょうかという問いに、臨済禅師はいきなり定上座の襟首を掴み、横っ面を張り倒し、突き飛ばした。余りのすさまじさに定上座はぼ~と突っ立っていると、脇の僧に、「何故御礼の礼拝をしないのか!」と言われ、礼拝した途端に、ガラリッと悟ったという。このどこに一体仏法の神髄があるのか。これは理屈で解釈できないのだが、その解釈できないという理屈を言う奴は五万と居る。その点雲水修行は良い。ごちゃごちゃ余計なことを言わずに、只ひたすら掃き続けるのだから。これが一番悟渓国師の意に叶うのだ。開山忌当日も雲水は一部本堂の役目の者を除いて、大半は台所辺でバタバタと出斎の支度をし、お膳を運んで給仕をして終わる。開山さんのかの字もないのだが、1ケ月以上も繰り返し真っ黒になりながら掃き続けた日々こそ、本当の開山忌なのだと思うのである。

投稿者 zuiryo : 2011年10月11日 11:15

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