第二十一回  開  浴

 風呂焚き係を浴頭(よくじゅう)という。四九日(しくにち・四と九の付く日には剃髪、内外掃除を済ませるとすぐ開浴となる。昼食前にはこれらをすべて終る。道場では原則的に開浴は四九日に限られている。ただしその間でも重労働の日や夏の猛烈に暑いときの作務(さむ)には特別許可が出ることもある。特に冬の間は殆ど火の気のない毎日だから、この四九日の開浴は体が温まり本当に有り難い。
 ところで今日一般家庭の風呂焚きといえば電気やガスになり、スイッチ一つで極めて簡単に沸かせる便利さだが道場では違う。浴頭当番になったらまず鉈を腰にぶら下げ、手に鎌を持って山に入る。燃料を作らなければならないからだ。薪は木小屋に山ほど堆く積み上げられているが、これは典座(てんぞ・飯炊き係り)が使うためのもので、風呂焚きには使えない。最低一時間は柴作りである。一汗かいてようやく集 めた柴をくべながら、浴室掃除にかかる。これらが済んで風呂の釜の焚き口でほっと一息つき、赤々と燃える火に手をかざすときが幸せな瞬間である。焚き上がると副司(ふうす)さんに、「開浴の支度が出来ました。」と報ずると、「ご苦労さん。」とねぎらわれ、すぐ隠侍寮に伝えられ、隠侍が湯加減を見て、まず老師の入浴となる。入浴中に着替えの肌着を毛氈の上に着け る順に左から右へと並べ置き、後は出口のところで立って待つ。このように事がスムーズに行けば問題はないのだが、何かと用事の多い老師であるから、こちらの都合の良いようにすんなりとは入って頂けない。そうなると途端に後に入る堂内員やそのまた後の常住員に皺寄せが来てはなはだ忙しい入浴となるのである。

 開浴には本浴と随浴の二種類があつて、おもに四九日の時は本浴と成る。堂内員は大衆頭を先頭に一列に並んで浴室まで行くと順次ばったばら菩薩″に三拝、入浴となる。しかし一度に七、八人が狭い風呂に入るため、体を洗うのは何とかなっても、おおよそゆっくり湯槽に浸かるなどということは望むべくもない。夏ならともかく寒い冬の時期などは体が温まることはない。ところが臨時に設けられる随浴では、文字通り随意に入れるから、この時ばかりは思 う存分湯槽に浸かって日頃の疲れを癒すことが出来る。ところで体を洗うていっても石鹸などは一切使わない。まずタオルをしっかり絞って両腕、両足最後に背中を毛穴と反対方向にゴシゴシ擦り上げ、全ての垢を寄せ集め右肩のところで手の平で受ける。これをお互い同志でやり合うのである。特に大接心の終った翌日は高単さんが新参者には親切に力任せに擦り上げる。痛いやら有り難いやらだが、驚くほどに垢が出 る。この後肩を揉んでくれるのだが、厳しくしぼられた後のこの親切は本当に僧堂の醍醐味である。三黙堂の一つである浴室ではこれらを無言のうちに沐浴するようにやるのである。


『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 
 
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